華やかさんと黒子さん

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

華やかさんと黒子さん

 昔から私は、要領が悪くて、どんくさい人間だった。


「おっじゃっまっしまーすっ!」


 だから、こんなことになってから焦っている。


「いやぁ、ごめんねクロちゃん。急に押しかけちゃって」

「あ……う、ううん。私から、声かけたんだし……」


 一人暮らし用のワンルームのアパート。至って平凡な部屋の中がパッと華やいで見えるのは、その景色の中心に花崎はなさきさんがいるせいだろう。


「狭いけど、適当にくつろいでね。今、何か夕飯を……」

「助かるぅー、ほんと、ありがと!」


 ローテーブルの傍らにちょこんとお行儀よく座った花崎さんは、興味深そうに私の部屋を眺めている。腰かけるのにちょうど良さそうな場所にベッドがあるし、テーブルの上にはテレビのリモコンもあるのに、勝手にそれらに触ろうとはしない。


 何だか、それが意外だった。名前の通りに華やかで、勝手気ままに振る舞いそうな印象があったのに。


「いやぁ、電車が止まっちゃって、タクシー待ちもバス待ちもあの行列でしょ? ビジホも多分埋まっちゃった後だったろうし。クロちゃんが泊めてくれるって言った時『マジで神!』って思ったんだよね」

「たまたま、歩いて帰れる近場に住んでたってだけだよ……」

「いやいやぁ、家が近かろうとも泊めるか泊めないかは別問題だよぉ!」


 冷静に答えながらも、私は廊下のキッチンスペースの前であたふたしていた。


 予定外のトラブルで部署全体で残業をこなして最寄り駅まで来てみれば、深刻な設備トラブルとかで電車は終日運休が決まってしまった後だった。みんなが途方に暮れる中、私は何とか徒歩でも帰れる場所にアパートを借りていたから歩くことを決めたんだけど、その時に目に留まったのが彼女だった。


 同課の同期。だけど向こうは仕事もできて美人な華やかさんで、こっちは要領が悪くて地味な黒子くろこ。存在はもちろん知っていたけれど、接点もなかった彼女。


 遠方から通っている彼女が途方に暮れているのを見て、私はとっさに声を掛けていた。


『私の部屋で良ければ、一晩泊まっていく?』なんて。


 ──ああぁ、でも今日買い物に寄る予定だったから、夕飯に出せる物が何もない……


 そんな風に家に誘ったくせに、私の家には夕飯に出せる物が何もなかった。あるのは非常時用にストックしてあったカップ麺と水くらいだ。


 ──もー……。それならそれで途中でご飯屋さんに寄るなり、コンビニに寄るなりして何か買えば良かったのに……


 どうして私は、こんなに要領を得ないんだろう。


 そんなことを思いながら、私は『赤いきつね』と『緑のたぬき』をひとつずつ手に取って花崎さんが待つ部屋に戻る。


「ごめんね、今、これしかなくて……」

「全然オッケー! ほんと助かる!」


 だというのに彼女は、パッと花が咲いたように笑ってくれた。


「あ、どっ、どっちにする?」

「クロちゃん、先に好きな方選びなよ~」

「えっ、……え、じゃあきつね……」

「きつね、好きなの?」

「え、あっ……麺が、伸びにくいかなって……」

「分かるぅ~。カップうどんなら余計に時間置いてもますます美味しくなるしねぇ」


 私の手から緑のたぬきを受け取った花崎さんは、楽しそうにフィルムを外すと蓋をめくる。それを見て私も花崎さんの向かいに腰を下ろしてフィルムを剥がし始めた。


「天ぷら、昔は最初から入れてふやかして食べるのが好きだったんだけど、最近あと乗せ試したら案外美味しいなぁってなったんだよね~」

「あ、うん」

「あ。クロちゃん、お湯もらえる?」

「あっ……」


 沸かしてない。花崎さんに言われるまで沸かさなきゃいけないってことにさえ思い至ってなかった。


「ごっ、ごめんなさい……っ!!」


 いっつもそう。実家でも言われてた。ちゃんと順番を考えて、色々逆算して、効率よく立ち回りなさいって。


 仕事でも、プライベートでもそう。


 どうして私はこんなに要領を得ないんだろう。


「ん? 謝ることじゃなくない?」


 思わず私はキュッと縮こまる。


 だけど、そんな私に花崎さんはキョトンと首を傾げた。


「あたしさぁ、食べ始めると必死になりすぎちゃって無言になっちゃうからさぁ~。お湯が沸くまでの間、こうやってまだお喋りできるんだなぁって思ったら、逆に嬉しいかな?」

「え?」

「クロちゃん、いつでも目の前のこと、必死に一生懸命こなしてるじゃん? それって、誰にでもできることじゃないと思うんだよね~」


 粉スープを入れた後の緑のたぬきを、花崎さんは軽くシャカシャカと振って笑った。


「駅で声を掛けてくれたのもさ、夕飯のことを考えずにまずあたしを部屋まで案内してくれたのもさ。……あたしを守ってくれたからなんでしょ? 気付いてたよ」

「あ……」


 駅で花崎さんを見かけた時、花崎さんは男の先輩達に声を掛けられていた。『帰れる?』『送ろうか?』なんて声を掛ける先輩達の笑みの下には下心があるのが明白で、必死に愛想良く断ろうとしていた彼女の顔色は悪かった。あのまま放っておいたら彼女は先輩達の前で倒れて、半ば強引にお持ち帰りされていたかもしれない。


 だから、接点なんてなかったのに、いかにも仲がいい同期みたいに声を掛けた。『うちに止まっていかない?』なんて。


「あたし、人混み苦手なんだぁ。気分悪くなっちゃうの。今まで頑張って隠してたから、誰にも気付かれなかったんだけど」


 手を止めた花崎さんは、私の顔をじっと覗き込んだ。黒目が大きな瞳には、温かな笑みが広がっている。


「クロちゃんは、気付いてくれたんだね」

「……っ」


 その笑みに、私の顔がポポポッといきなり熱くなる。


 え、えっ、何⁉ この熱っ!!


「お、お湯! 沸かしてくるねっ!!」


 私は思わず逃げ出すようにキッチンスペースへ移動した。電気ポットに水を注いでお湯が沸くのを待っている間も、不自然に早くなった鼓動は収まろうとしてくれない。


「ね、ね、クロちゃんってもしかして、自分がおドジで食べてる間に麺が伸びちゃうから、たぬきを選ばなかった?」


 お湯を注いで、待機。この時間が、私は案外、嫌いじゃない。


「あ……うん」

「じゃあさ、あたしの半分あげる」

「え?」

「その代わり、あたしにお揚げさん半分ちょーだい?」

「う……うん」

「やたーっ!!」


 今日は花崎さんがいるから、余計に。


 スマホのアラームを止めながらペラリと蓋を開ければ、フワリと香り高いおだしのにおいが部屋中に広がる。息を吹きかけながら大きなお揚げに噛み付けば、ジワリと甘みの強いおだしの味が口中に広がった。はふはふと熱を逃がしながら飲み込めば、体の中から熱が広がってくる。


「美味しいね、クロちゃん」


 湯気の向こうで、花崎さんが嬉しそうに笑った。


 そんな彼女の笑みに、私の体からも力が抜ける。


「……うん」

「あ! お揚げちょーだい! はい、代わりの天ぷら! 麺もすすっていいよ!」

「うん」


 ……食べ終わって、ちょっと休憩したら、『スイーツを買いに行きたいから、コンビニに付き合って』って、言ってみようかな。


 そんなことを考えながら、私は花崎さんからシェアしてもらった緑のたぬきをすすったのだった。




【END】

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華やかさんと黒子さん 安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売! @Iyo_Anzaki

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