一人で食べても、二人で食べても。
宇部 松清
一口ちょうだいよ
「あー、そっちの美味しそうだなぁ」
二人でそれを食べる時、彼女がよく言う台詞である。
彼女――といっても、『恋人』ではない。妹である。
俺達は三つ違いの兄妹だ。兄妹仲は普通くらいだろうと思っていたのだが、周りの友人が言うには「いや、仲良すぎだから」らしい。
ウチは花屋で両親は一日中店にいたから、妹の
紗礼の中で俺は、常に一番の味方であり、理解者であり、どんなワガママもきいてくれる存在なのだそうだ。うん、まぁ、その通りではあるけれども。
だからと言って――、
「ねぇ、お兄ちゃんのお揚げちょうだい」
「おい、さすがに全部は駄目だろ。俺はこのお揚げが食べたくて『赤いきつね』にしてるんだから」
そう言うと、紗礼は、ぷぅ、と頬を膨らませて、「良いじゃぁん」と口を尖らせるのだ。そんな顔を見れば、あんまり甘やかすのは良くないと思いつつも、ついつい「一口だけだぞ」と差し出してしまう俺である。
そして紗礼の方でも、もちろんそうなることをわかっているらしく、さっきまでのしょんぼり顔はどこへやら、にんまりと笑って、そのお揚げにかぶりつくのだ。
間接キス? いやいや何言ってるんだ、俺達は兄妹だぞ?
「あー、お揚げ美味しい~。仕方ないから私のかき揚げを一口あげよう」
「仕方ない、って偉そうに……。そんじゃ遠慮なく」
自慢じゃないが、俺の一口は大きい。そこまで口がデカいわけじゃないが、そりゃあ妹の紗礼に比べたら。だから、あくまでも控えめにかじる。以前、何も考えずに『通常の』一口で齧ったら、「お兄ちゃんの一口は大きすぎる!」とマジ泣きされたのは良い思い出だ。
じゅ、と熱いつゆの染みたかき揚げが舌を焼く。上の歯に当たるのは、まだそれを吸っていないさくさくの部分だ。紗礼はこの二つの食感が楽しめる『後乗せ派』である。
俺達が小学生の頃、母さんが昼食を作れない時は、台所の吊戸棚の中に入っているカップ麺を食べることになっていた。さすがに中学生くらいになると炒飯くらいは作れるようになったのでその機会は減ったが、それでも吊戸棚の中にはカップ麺が入っていた。
それは決まって赤いきつねと緑のたぬきが二つずつ。
二つずつなのは、食べたい味が被った時のためだ。どのみち選ぶのは紗礼からなのだから俺が譲れば済む話なのだが、稀にこのワガママ娘は「お兄ちゃんと一緒のが食べたい」なんてことを言い出すのである。最近はめっきり減ったが、いつまた彼女の気まぐれが発動するかわからない。
だからウチにはいつも赤いきつねと緑のたぬきが二つずつあった。
高校を卒業してすぐに家業の花屋を継いだ俺は、一人暮らしの経験がない。家には常に――といっても店も含めてだが――誰かがいた。稀に冠婚葬祭で両親が家を空けることもあったが、その時は紗礼がいたし、俺は結婚も早かったから、妻もいた。
だから、今日のように、両親と妻が一緒に出掛けてしまうと、一人の気楽さを新鮮に思って浮かれていられるのはほんの数時間で、飯時になると空腹の侘しさも相まって、途端に寂しくなるのである。
紗礼は今年の春から一人暮らしで家を出た。
勤め先は地元の信用金庫だから別にここから通うことも出来た。それでも、いつまでも家にいたら婚期を逃すだの何だのと言って、自立したイイ女になる、と宣言して出て行ったのである。果たして本当に自立したイイ女になれているのかは甚だ疑問であるが、それでもいまのところまだ一度も泣きついてこないところをみると、まぁまぁ頑張っているのだろう。
商店街の福引で健康ランドの宿泊チケットが当たり、せっかくだからと両親にそれを譲ったところ、「だったら
決してそこで、
「俺は?」
などと言ってはいけない。
店を閉めるわけにはいかないからである。
そんなこんなの一人飯である。
「今日はカップ麺で良いや」
そんな独り言を呟いて、えいや、と立ち上がる。普段は独り言も含め、そんなことは言わないのに。テレビのヴォリュームを上げても何だか静かな気がするリビングに、少しでも音を増やしたかったのかもしれない。
踏み台なんてとっくに卒業した吊戸棚を開けると、そこにはやはり赤いきつねと緑のたぬきが二つずつあった。もう紗礼はいないんだから、二つずつ買わなくても良いだろうに、癖になっているのだろう。
どっちにしようかと一瞬悩み、赤いきつねを手に取った。
「私、たぬきにする! お兄ちゃんはきつねね!」
いまにもそんな声が聞こえてきそうで、わざと勢いよく蛇口をひねった。
「別に良いけど、何で紗礼が決めるんだよ」
そう返すと、彼女はにんまりと笑って、「だって私、お揚げも食べたいし」と言うのである。だったら紗礼がきつねにすれば良いじゃないかと言うと、それこそ狐みたいに目を細めてうんと悪い顔をし、ちちち、と舌を鳴らす。
「何ていうかなぁ、メインはかき揚げが良いの。後乗せのね。お兄ちゃんは最初から入れちゃうからふにゃふにゃじゃん。それに私、どっちかっていうとそば派だし」
「それはそうだけど」
「だからぁ、後乗せのさくじゅわを四分の三くらい食べーの、お兄ちゃんのお揚げを三分の一もらいーの、ってのが理想なんだよね」
「お前、自分のかき揚げは四分の三食うのに、俺のお揚げも三分の一持ってく気でいたのかよ」
「えへへ」
「えへへじゃないぞ、全く」
そんなやりとりをしていた頃が懐かしい。
何だよ。
家を出たのはあいつなのに、どうして俺の方が寂しくなってるんだ。
箸を口に咥え、湯を注いだ赤いきつねと麦茶を入れたコップを持ってリビングへ向かう。
ローテーブルに肘をつき、特に見てもいないバラエティ番組を眺める。画面の左端に表示されている時刻がちっとも進まない。紗礼と二人で食べていた頃は、こんな時間、あっという間だったのに。たぬきの方が早く出来上がるから、あいつはそんなところまでちょっと得意気に「おっ先~」と蓋を開けるのである。
五分が経ち、蓋をぺりぺりと開ければ、目に飛び込んでくるのはふっくらとしたお揚げである。今日は誰に狙われることもないお揚げさんである。
だけれどもなぜだろう。
それをほんの少し寂しく感じてしまうのは。
その美しい正方形の角をがぶりと齧れば、中からじゅわりと熱々のつゆが飛び出してくる。平たい麺を啜り、つゆを一口飲む。慣れ親しんだ味だ。一人で食べようが、二人で食べようが変わらぬ美味しさである。
何度も言う。
美味しさは変わらないのだ。
だけれども、ここにもう一人、渋々と言った体で四分の一のかき揚げを差し出してくれる妹がいたなら、もっと美味しく感じただろう。そんなことを考えてしまう。
どれ、お揚げをもう一口――、
「あっ、ずっる!」
「――おあ?」
大口を開けているところへ、ずざ、と滑り込んできたのは、件のワガママ娘、もとい、可愛い妹である。
「お前、何しに来たんだよ」
お揚げにかぶりつこうと大きく開けていた口を萎ませてそう言う。
「えぇ~? ここ私の実家だよ? 遊びに来ちゃあ駄目なの?」
「駄目じゃないけど」
先に一本連絡するとかさ、とついつい小言めいたことを言ってしまうのは、まぁいわゆる照れ隠しというか。いや別にお兄ちゃんはな、お前のことが恋しかったりなんか全然してないんだからな。ただちょっと、昔を懐かしんでいたというかなんというか。
「ていうかさ、えー、ちょっと、食べてるの見たらお腹空いてきちゃったんだけど。ねぇ、私の分もあるよね? お兄ちゃんちょっと作ってきてよ」
「俺が?」
「良いじゃ~ん。お願ぁ~い」
お兄ちゃん。
お兄ちゃん、って。
お前はいつもそうやって、ここぞという時に甘えた声を出すんだ。
そう言えば俺が絶対に聞いてくれると思って。
まぁ、そうなんだけどさ。
「ちょっと待ってろ。お湯入れてくるから。たぬきで良いよな?」
「もち~。サンキュ~」
たった一人増えただけなのに、リビングは急に賑やかになった気がする。何だか浮き立って来た心を紗礼に気取られないよう、ぐ、と歯を食いしばって立ち上がった。
すると彼女は俺の背中に向かって言うのだ。
「ねぇ、このお揚げ一口ちょうだいよ」と。
一人で食べても、二人で食べても。 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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