第4話 いざ尋常に

 推奨時間の五分を少しだけ過ぎてしまった温かなうどんを、ぼくは先輩のほうへ押しやった。


「まずは食べてください。腹が減ってはなんとやらです」

「うう、かたじけない」


 ノリがいいと言うかサービス精神旺盛と言おうか、先輩は律儀に武士っぽく返すと、箸をとりあげて「いたただきます」と合掌した。まずはスープをひと口、それからジューシーなお揚げをかじり、ほどよくツユが染みた平打ち麺を勢いよくすする。


「おいひい」

「はい、おいしそうです」


 本当に、見るからに美味しそうな食べっぷりだった。スープをすするたび、お揚げと麺をかみしめるたびに、先輩の頬が幸せそうにゆるんでいく。


「ごちそうさまでした」


 ものの五分としないうちに、先輩は赤いきつねを食べ終えた。満足そうに手を合わせる先輩の顔は、さっきまでの湿っぽさが嘘のようにつやつやと輝いていた。


「ありがとね、コータ。この恩はいつか必ず」

「はいはい、次のタマエの特売日にでも返してください。できれば緑のたぬきで」


 あれ、と先輩は首をかしげ、ぼくはしまったと腹の中で舌打ちをした。


「コータ、たぬき派なんだ。なんできつねがあるの?」

「なんでって……」


 そりゃあ先輩がいつも食べているからですよ。夏のバーベキュー大会にも持ってきてましたよね。二次会の買い出しでも必ずカゴに入れるし、この間なんか人情モノの上映会で泣きながらうどんすすってましたよね。あのときぼく、先輩の鼻から出るんじゃないかって気になって画面に集中できなかったんですけど。てか、これだけ先輩のこと見てるって知ったら引きますか。引きますよね。ぼくだったら引きます。だから、


「……特売だったからですよ」

「あ、やっぱり?」


 だから、言いません。とりあえず、今はまだ。


「でもさあ、普通は緑とセットで売るもんじゃん? なのに赤一本に絞るなんて、さっすがタマエ、わかってるよねー」

「ただの発注ミスじゃないですか。それより先輩、いま全国のたぬき派を敵に回しましたね? あの天ぷらのよさがわからないんですか」

「わかってるって。たぬきもおいしいよね。でも、やっぱり王者はきつねでしょ」

「そんなこと言ってられるのも今のうちですよ。いまに、緑の沼に引きずり込んでやりますから」

「ふふん、その勝負、受けて立とう」


 コタツの卓にあごをのせて、ナナ先輩はへにゃりと笑う。

 

 うん、先輩はそれでいいです。いつも、いつでも、くだらない話でいっぱい笑っていてください。どこかの阿呆の記憶なんて、ぼくが美味しい思い出で塗りつぶしてやりますよ。


 そう胸のうちで宣戦布告して、ぼくは立ち上がった。先輩に食後のコーヒーを淹れてあげるために。


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赤いあなたに宣戦布告 小林礼 @cobuta

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