この作品を読んで、一番に想起されたのはサルトル『嘔吐』だ。実存主義を論じる金字塔の1つだが、同時に文学作品としても名が高い。本作品もまた、『嘔吐』に勝るとも劣らない、文学と哲学が渾然一体となった大著の1つであろう。
もちろん、登場する文学的表現は息を飲むものばかりである。しかし同時に、本作最大の醍醐味は、文学に対する著者の考えが、登場人物の問答を通じて巧みに論じられる点にある。異なる思想を持つ者による文学問答――これは、中江兆民『三酔人経倫問答』に通じる面白さがある。物書きのワタクシ、ネオニヒリストのオイル、そして、論敵であるハニワらが繰り広げる問答に注目だ!
著者の高い文学的センスと哲学的視野によって編まれた令和時代の文学問答。この「恥晒し」が提起するものは、物書き達に最も単純だが、それでいて最も深遠な問題を突きつける。
なぜ、あなたは小説を書きますか?
この文章を形容する語彙力を、完璧に持ち合わせていないことが悔しい。
一書き手として、尊敬と嫉妬の的としてしまうような作品である。
まさしく純文学の美しく淑やかな言葉選びは、小説を読む愉しさをこれでもかと体言している。
そして、驚くべきはフィクションとノンフィクションの狭間である作風。
著者がどこまでを体験し、どのように解釈し、どのように味付けをされているのか。
そのパンパンに膨れ上がった脳みそを垣間見たかと思えば、やっぱり着いてけないや。とすら感じさせる引力とカリスマ性、読者への提議が絶妙。
飴と鞭といったイメージか。
そして最新話ははっきり言って異常。
物書き、芸術に対する圧倒的な熱量と圧とパワー。
そのパワーをもはや暴力的だとさえ思う読者もいるかもしれない。
だが、それはあまりに早計だ。
一見無茶苦茶にも見えそうな論拠を、読めば読むほど納得されられる筆力と論理性、キャラクターの印象づけの仕方は正直真似出来ない。
そして、何よりこれを書かれている著者もまた小説家であるのだ。
自己を含む物書きの内面や性質を俯瞰し、噛み砕いた上で鋭利なナイフに仕上げているという。
寧ろ、だからこその斬れ味なのかもしれない。
デリダという哲学家は語った。
『テキスト(何か)を批判するには、テキスト(何か)の中から』という脱構築の思想を。
まさに小説家という内部から、物書き・ひいては芸術家に対して一定の持論を述べた、恐ろしくドライでありながら、真っ直ぐなお話になっているのだと思う。
ここまでの文圧を、Web媒体から感じる日が来るとは思っていなかった。
自分は、古びた茶色の古書を持っていたのでしょうか?
いいえ、間違いなく最新鋭のiPhone12を持っています。
コーヒーとミルクだ。
私はこの小説を読了ったとき、かき混ぜられて一つに溶けていくブレンドコーヒーのことを想った。
言うまでもないが、コーヒーとミルクは当然比喩だ。
それは、古さと新しさのほどよい融和を意味している。
どういうことか?
それは後述するとしよう。
この作品は、字書きの主人公やその周囲の人間たちをとおして、現代人の憂鬱さや、字書きとしての思想や本質に切り込んでいる。しかも、ここで書かれる半分は作者の体験が元になっているというから、そういう意味で非常に文学的な作品である。
まだ二話で、話の展開がどうなっていくのかはこれからの楽しみだが、現段階でも豊富な語彙の楽しさが光っており、文章を好きなものからすると垂涎ものであることは、私が間違いなく保証する。
――さて、コーヒーとミルクの話をしようじゃないか。
秘密は、文体と思想である。
非常に文学的な文体から漂う雰囲気は、昭和初期の私小説の最盛期を思わせるノスタルジックなものがあり、「インターネット」という言葉が出てきただけでも、いい意味での違和感で楽しくなるほどだ。令和にネット小説を読んでいて、インターネットという言葉をハイカラに感じることがまさかあろうとは。その新鮮な感覚に、私は素朴な感動を覚えた。
しかし、だからといってこの作品が古いということを言いたいわけではない。古さの上に、新しい時代の精神や思想が柔らかく降りかかり、混ざりあっている。それは、主人公や友人のオイルとのやり取りや、風景に細かく散りばめられた世相と構造物、街で出会うちょっとした人間たちの様子からでもうかがえる。
昭和の土の硬さではない。現代のコンクリートのたしかな地盤の強さのようなものが感じられるのだ。
その二つの取り合わせが、得も言わぬ不思議な感覚となって、見るものの網膜の裏までもを刺激していく。
それは、まさに「新しい」感覚だ。そう、古さと新しさが混ざり合い生まれた世界観と雰囲気は、新しいものとして昇華されているのだ。
その一見すると螺旋のような捉え方は、しかし矛盾しているとは思えない。
その構造をとって見ても、まさに文学だろう。非常にレベルの高い、読み物として成熟した作品である。
私のレビューは、自分の感覚や感動を文字にしたものだから、もしかすると作者の言わんとする本質からはズレているのかもしれない。
が、私のレビューをきっかけに、この作品を読んで、考察を深めてくれる優れた読者が現れることを期待したい。
この作品には、それだけの力がある。
『地方都市の主要駅前のささやかな華やぎからは少し外れた場末の飲み屋通りの薄暗い路上を、滔滔と灯った店店が躁鬱めいた様子で疎に照らしていた。』
たった1文で、ここまで見事な雰囲気作りや情景描写をできる作家さんが、どれほどいるでしょうか。稀な才能を感じます。
舞台は令和でありながら、昭和を想起させるパラレルワールド。それだけでも魅力的なのですが、さらに主人公たちの会話が矛盾や欺瞞に満ちており、それがこの小説をより難解に、また高尚なものにしています。
小説書きの心を「これでもか」というほど抉ってくる本作。しかし、そこから逃げずに向き合うことで、見えてくる世界がある。私にはそう思えます。
小説書きとしての本質を考えさせられる、稀有な小説です。