第六章

 証拠不十分ということもあり、三宅弁護士による働きかけのおかげで秀人は一旦警察から解放された。その足で茂田の元へ向かおうと、三宅と駆けつけてくれた和久や整備工場の社長に相談した。しかし三宅が首を横に振った。

「それは止めた方が良いでしょう。本人もそれを望んではいません。それに今はまだDNAの照合を終えてはおらず、真犯人が他にいたとしても確たる新たな証拠は出ていない状態です。よってあなたはまだ引き続き、重要参考人として警察からマークされたままです。そんな時に大阪から離れれば、余計に怪しまれます。しかも茂田さんと会えば、何らかの口裏合わせをしたと疑われかねません。少なくともあと数日、時間を置いた方が無難です」

 そう諭す態度を不審に思った秀人は、彼に詰め寄った。

「本人が望んでいないと言うのは、どういう意味ですか。茂田さんから何か聞いているのですか。刑事さんも言っていました。私と口裏を合わせられないように、同じ時間を狙って埼玉で事情聴取をしていると。しかし茂田さんは体調の事があるので、警察も無理な真似は出来ないと、あなたは言われましたよね。今あの人はどういう状況なのですか。私と初めて会った頃も持病があると聞きました。体の方は大丈夫なのですか」

 誤魔化しきれないと思ったのだろう。彼は険しい表情をしながら教えてくれた。

「茂田さんは持病が悪化し、現在入院をしています。事情聴取も、医師の許可を得た上で行っているようです。それに先程、向こうに付いている弁護士から連絡がありました。今のところ茂田さんと照島さんの供述に矛盾点は無いと、警察も判断しているようです。さらに茂田さんから、犯人かもしれない人物に心当りがあるのでその人達を調べて欲しいと依頼し、警察もそれを受け入れたと聞きました。今日の取り調べは、一旦終了したそうです。あなたが警察から解放されたのは、彼の供述のおかげでもあったと思われます。ですから二人に対する疑いは、かなり薄まっただろう感触を得たとの話でした」

 心当りというのは、以前伝言で聞いた三人の事かもしれない。おそらく彼は秀人の疑いを晴らすために、そう言った供述をしたのだろう。改めて感謝するが故に、彼の体が気がかりだった。

 約三年前に会った時にも、持病があるし高齢だから長生きは出来ないとこぼしていた話を思い出す。それが今や入院しているというではないか。健に伝言を持って訪ねて来た老人は、元気でいると言っていた。だがそれは嘘だったようだ。

 その上警察が気を使うほどの病状と聞き、嫌な予感を抱いた。手遅れになってはいけない。その為なんとかその場にいた三人に頭を下げ、せめて一度だけでも彼のいる病院へお見舞いに行かせて欲しいと懇願した。

 しばらく攻防を続けていたけれど、最終的には秀人の熱意が伝わったらしい。連絡がすぐとれる状況にしておくことと一泊二日で帰ってくる事を条件に、二日間の有給休暇を貰って彼が入院している病院へ行くことを許されたのである。

 秀人は自分の部屋に戻るとすぐに荷物をまとめ、新幹線や宿泊する宿の予約をネットで済ませた。そして翌日の早朝に部屋を出て、彼の元へと向かった。名古屋駅を通り過ぎた折、窓際の席に座っていた秀人は茶畑や浜名湖を眺めながら、施設で彼と将棋を指していた頃を思い出していた。

 考えてみれば、ほんの三ヶ月程度の短い時間だったのだと気が付く。しかし格別に濃密な、かけがえのないときだった。幼児期に祖父母と暮した頃の、柔らかい空気に包まれていた記憶を蘇らせてくれたのが彼である。

 六十年以上窃盗を繰り返してきた極悪人には決して見えず、秀人には祖父が生き返ったかのようにも思えた。彼らから共通して感じられたものは、見返りを求めない愛情だったのかもしれない。だからこそあの事件が起きた際、彼の言葉に従ったのは絶対的な安心感があったからだろう。

 東京駅から高崎線に乗り換え大宮に着くと、そこから茂田が入院している病院までバスとタクシーを使って移動した。ようやく病室へと辿り着いた秀人だったが、約二年半ぶりに会った彼の姿は、ベッドに横たわり見る影もないほどやせ細っており思わず涙した。余命いくばくもない病状であると知らされていたから余計だった。

 しかし悲痛な思いに暮れているところを、彼に慰められた。

「人はいつか死ぬ。自分のような悪者が今まで生きてこられただけで、儲けものだ。俺の師匠が亡くなった年齢も一つ超えた。それだけで十分だよ。でもな。古山田の事件を解決させるまでは死ねない。それにもう一つやり残したことがある。それらを済ませるまでは大丈夫だ。心配するな」

「やり残した事って何ですか。私にできることなら、何でも手伝います。言ってください」

 涙を拭いながら尋ねたが、静かに首を横に振って教えてくれなかった。そして事件について話し出した。彼が警察と話した内容だった。

 そこで秀人も健とあの場でどのような会話を交わし、茂田があの現場にいたと警察に話してしまったことを謝った。最初は何とか誤魔化そうとしたが、詳しく話せと言われて止む無く話してしまったのだと告げた。

 しかし彼は怒らなかった。

「警察の捜査は、俺が想像していた以上に進んでいたようだ。そんな状況で、二人同時に事情聴取されたのだからしょうがない。それに俺の伝言を律義に守って隠し通していたら、もっと長く拘束されていただろう。正直に話した方が良かったのさ。俺こそ余計な事を言ってすまなかった」

 そう言われ、秀人は胸を撫で下ろした。それどころか彼は一時、秀人を疑っていたとも正直に話してくれ、頭まで下げたのだ。それは秀人だって同じで、茂田がやったのではと考えていたと同じく詫びた。

 しかし問題はそこから先である。証拠不十分で拘束されずに済んだ理由は、健の死体やその周辺に二人と直接繋がるものが、何も発見できていなかったからだろう。

 ただ真犯人の物すら出て来なかったかは不明だ。見つかっていたとしても今だ捕まっていないことから考えれば、前科者のものでは無いようだと教えられた。そこから真犯人と疑っていた人物は三人いたが、一人にまで絞られたという。

 除かれた二人の名前を聞いて、秀人は驚いた。相沢である可能性も考えてはいたけれど、彼に前科があったことを失念していたからだ。

 そういえば施設に入った際に聞いた話を思い出した。自分も出所した時相当苦労した為、同じような事が繰り返されないよう更生施設を運営し始めたと説明され、そんな人がいるのかと感心した記憶がある。

 もう一人の山岸という人物については、全く考えにも及ばなかった。だがその二人が外されたのなら、茂田の言う通り現場から何も遺留物が発見されなかったか、あったとしても彼らとは一致しなかったことを意味する。もし見つかっていたとすれば先日提出したDNAと照合されて、秀人が健を殺した容疑者から外される確率は高い。

 そこで残った一人の名を聞き納得した。その人物が犯人なら周到な計画を立て、最初から健を殺すつもりだったとしてもおかしくはない。そして彼の身元が分からないよう、画策した理由も理解できる。

 それにあの暗闇の中で髪の毛一つ落とさず持ち物を全て剥ぎ取り、顔を潰すなどの芸当ができたとは考え難い。しかも突き落した際に揉めたとすれば、何らかの物証が残っていると思った方が良さそうだ。

 その人物なら前科が無く、健と直接関係があるとは考えられなかった為、今まで警察の目から逃れられたのだろう。そこで秀人も真犯人はあいつだと確信した。

 と同時にそれが事実だったならば、新たに頭を悩ませる問題も生じる。その事に気づき、複雑な心境を抱えたのだった。

 そしてそれが現実となってしまった。茂田を見舞った数日後、秀人の父の照島優が逮捕されたのである。ただし容疑は母に対するDVと過去における秀人への虐待の疑いに加え、会社での不正経理だという。

 しかし逮捕後において彼の指紋やDNAが採取された結果、それらが健の死体の周辺に残っていた髪の毛のDNAと一致したらしい。警察は最初から彼が健を殺した犯人だと疑い、別件逮捕したのだろう。

 父は返り血を浴びないよう、ビルの中から拾ってきたビニールシートを被せた状態で、周辺に落ちていたコンクリートの塊で健の顔を潰したようだ。その後彼の衣服から携帯などを取り出した際、髪の毛などが落ちたようだ。

 暗闇ではそこまで気づかなかった彼は、再びシートを被せた。それが災いし、死体が発見されるまでそれらの物証は、雨風に流されず保存されていたらしい。 

 さらに健がビルから落ちた日の周辺から取り寄せた防犯カメラの映像に、父が当時所持していたワンボックスカーと、それを運転する彼の姿が映っていたという。ちなみにその車は、事件の後に買い替えられていた。

 そうした証拠を突きつけ、警察は健を殺したのはお前だろうと詰め寄ったようだ。けれども彼は死体損壊については認めたものの、殺人については一貫して否定した。供述によればあの事件の日、父も廃ビルに呼び出されていた事は確からしい。

 健は秀人をかつての詐欺集団に誘う際、脅し文句として父親に虐待されていた件を警察にばらすと言っていた。かつて友人達の家を泊まり歩いていた際、お互い親に虐待されていることで話が合い、二人は仲良くなったのである。

 しかしそこには決定的な違いがあった。貧しい家庭で完全に見捨てられていた彼と違い、秀人の家が裕福だった点だ。そして秀人に対する虐待が公になり父が逮捕されれば、会社は潰れる恐れがあった。

 そうなれば、母にも被害が及ぶだけではない。自分に良くしてくれた叔父夫婦の働き口も無くなってしまうと、秀人は恐れていた。だから告発するのではなく、家から逃げようと決めたのだ。

 健に一度だけ、そうした話を漏らしたことがある。それを彼はずっと覚えていた。そして自分とは全く違い、大切にしてくれる人がいるくせして悪ぶっているのは甘えた奴だと心の中で馬鹿にし、嫉妬していたらしい。

 そこで先輩からオレオレ詐欺に誘われた際、秀人も道連れにする為仲間に引き込んだのである。そしてあるタイミングで秀人が捕まるよう、警察に情報を流したという。

 当時は全く知らなかったけれど、彼が秀人を売った理由は、そうすれば父の立場を悪くさせた状態にし、金を脅し取りやすく出来ると考えた為らしい。

 実際秀人が少年院に入っている間に、妻や息子に対する虐待をばらされたくなければ金を出せ、と父を脅迫していたようだ。そして数百万程手に入れていたという。

 虐待していると証明され傷害罪と認められれば、時効は民事で三年、刑事で十年の為、罪に問われる可能性があったからだろう。

 ただでさえ息子が犯罪者になり、会社に対する風当たりが強くなっている状況だった。例え証拠不十分により逮捕されなくても、妻や子供を虐待していたという噂が流れれば、会社へのダメージが大きくなる。そう考えた父は、やむなく脅しに屈したらしい。

 だがその後も、健による脅迫は続いていたようだ。その上少年院から出てきた秀人を再び悪の道へ誘っていた目的は、照島家自体を更なる破滅に導こうとしていたからだった。あの日秀人と一緒に父を廃ビルへ呼び出していたのは、誘いを断れないようにする為だったのだろう。

 父が逮捕されては困る。しかし秀人は自分さえ姿を消して何も言わなければ、母親が口を割る恐れはないため、虐待についての証明などできないと考えていた。そうすれば酷い状況にはならずに済むと思い、ただひたすら彼から逃げようとしていたのだ。

 しかし父は健による度重なる脅しと、信用できないバカ息子に腹を立てていた。ひょっとして健と共犯なのではないか、とも疑っていたらしい。そこで廃ビルへ来いと言われた時、秀人も呼んでいると聞いて健を殺す計画を立てたそうだ。

 しかも秀人が殺したように見せかければ良いと考えていたという。そのタイミングを待って、隣のビルの下で待機していたようだ。

 けれどもあくまで廃ビルには入っていない。健が落ちて来た時は驚いたが、恐らく秀人と揉めて落とされでもしたのだろうと思ったらしい。

 だが死んだのが彼だと分かれば、連絡を取っていた自分の事まで調べられる可能性があると恐れてスマホや所持品を盗み、念の為顔を潰して指紋と一緒に健が持っていたライターのオイルを使い焼いたのだと主張しているという。

 死体損壊・遺棄罪は懲役三年以下だ。場合によっては執行猶予が付くこともある。殺人罪と比べれば軽微だから、罪を逃れる為に嘘をついているのではないかと警察は見ていた。

 しかし殺したという物証は、残念ながら無かったらしい。揉めた際に衣服などへ優のDNAが付いていれば良かったのだが、そうした物は見つかっていないという。

 警察は父をさらに厳しく追及するとともに、何か見落としはないかと会社も含め、照島家の周辺を徹底的に洗い直した。そこで名古屋に本社を構える以前は大阪にいた事実を突き止めた警察は、過去に遡って父の人間関係を調べたそうだ。

 そこで若い頃は逮捕されないまでも、警察に目を付けられるほどの悪さをしていたグループに属していたと分かった。そしてその頃ある人物との接点を突き止め、新たな切り口として厳しく問い質したという。

 もちろんその人物が、事件のあった日にどのような行動をしていたかも再捜査し、任意同行を求め事情聴取をしたそうだ。すると彼は観念したらしく、重い口を開いた。そこから事件の真相が明らかになっていったのである。

 父と相沢は、大阪時代に万引きや恐喝を繰り返す集団に属しており、そこで知り合ったという。幸い要領の良い父に前科はつかなかったが、相沢は何度も補導されており、逮捕もされて少年院や刑務所にも何度か入っていたらしい。

 やがて二十二歳を過ぎ出所した際、かつての仲間との関係を切る為大阪を離れ、名古屋へと移ってきたそうだ。そして相当な苦労を経て、ようやく仕事を見つけ働くことができたという。

 彼は更生の道を歩んでいる中で、秀人と同じように苦渋を味わった、またはもがいている若い子達を助けたいと思うようになり、現在の更生保護施設を立ち上げたそうだ。父との交流も、その間はずっと途絶えていたらしい。

 ただ相沢は父が大阪で会社を立ち上げ、やがて名古屋に本社を移し業績を伸ばしていたことは知っていたという。出所者を受け入れてくれる就職先を探すため、あらゆる企業を周り協力依頼する機会があった為気付いたそうだ。

 何故なら父が経営する会社は、大阪でも出所者を中心とした訳ありの人材を積極的に雇用し、安い給料でこき使うことで利益を上げていたからである。しかも裏では反社会的勢力と繋がっていたという。そこで相沢は、“協力雇用主”の選定から外していたらしい。

 しかし秀人が少年院へ入った為、叔父の説得により出所後に更生施設へ入れようと父が受け入れ先を探していた際、相沢の存在を知ったそうだ。そこで昔の知人である彼に、秀人の受け入れを依頼したという。

 ただそれだけの関係で終わっていればよかったが、父は秀人が再び悪さをしないかどうかを厳しく監視する為、相沢と頻繁に連絡を取り合うようになったらしい。さらには大阪時代にしていた事で警察にはばれていなかったネタを使って脅し、出所者の紹介だけでなく、マネーロンダリングの手伝いまでさせ始めたようだ。

 具体的には父が会社で不正に得た利益を誤魔化す為、一度相沢の施設へ寄付という形で預け、その後国や自治体から得た補助金などを“協力雇用主”への謝礼として戻すという、裏金作りに手を貸す羽目になったという。

 保護観察の対象となった人などを雇用し、就労継続に必要な生活指導や助言などを行う“協力雇用主”に対し、国からの様々な支援金があった。例を挙げると刑務所出所者等を雇用した場合、最長六か月間、月額最大八万円の“就労・職場定着奨励金”や、雇用して六か月経過後に三か月毎に二回、最大十二万円の“就労継続奨励金”などがある。

 他には身元保証人を確保できない出所者などを雇用した日から最長一年間、出所者などにより被った損害の内で一定の条件を満たすものについて、損害ごとの上限額の範囲内において見舞金を支給する“身元保証制度”、出所者等を試行的に雇用した場合、最長三か月間、月額四万円の“トライアル雇用制度”、限度はあるが実際の職場環境や業務体験をさせてくれた場合、一日四千円支給する“職場体験講習”というものもあった。

 これらの制度を悪用し、実際には雇用も何もしていないのにしたかのような書類を父は相沢に作成させ、金を受け取っていたという。そうした二人の関係もあり、ある時から健の存在が邪魔だという問題を解決させる為、作戦を練るようになったのだ。それが秀人を健殺しの犯人に仕立て上げるというものだったらしい。

 しかし当日、不測の事態が起こった。健に呼び出され施設を抜け出した秀人の跡を、茂田がつけていた事だ。相沢は父の指示に従って、近くにある防犯カメラに写らないよう注意して先回りし、廃ビルの中に隠れて様子を窺っていたという。

 そこで秀人が逃げて健と離れた時、彼が大声を出しながらスマホを取り出す様子を見て飛び出した。恐らく下にいる父を呼び出そうとしているに違いない。そう思って彼を説得しようと試みたそうだ。

 すると急に現れた相沢を見て驚いたのか、健は怒りだしたそうだ。

「何だ、てめえ。秀人がいる施設の奴じゃねえか。こんなところまでついて来ていたのか。邪魔をするな。お前に用はない」

 以前相沢は、秀人にしつこくつきまとってくる彼に会っていた。その際二度と誘わないよう警告し、今後施設へも近づくなと注意したことを彼は覚えていたようだ。父と関係があるとは気づいていなかった為、その勘違いを利用して言った。

「もう秀人君を仲間に入れようとするのは辞めてくれ。先程二人の会話を聞いていたが、弱みを利用して恐喝しているようだな。前にも言ったが、これ以上関わるようなら警察を呼ぶぞ。彼は捕まった後も君やその仲間について、黙っていたと聞いている。だったら今度こそ君達は、詐欺を働いた罪で逮捕されるだろう」

「何も知らない奴が、余計な事を言うんじゃねえ。警察を呼ばれて困るのは俺だけじゃない。あいつらもなんだぞ」

「それも脅しだろう。本当に呼ぶからな」

 そう言って威嚇する為スマホを取り出すふりをした所、慌てた彼が阻止しようと掴みかかって来たそうだ。しかし相沢も昔は悪さをしていたことから、喧嘩には自信がある。それに体は今でも鍛えている為、健のような若造など相手にならなかった。逆に彼の腕を払って強く突き飛ばしたという。

 すると尻餅をついた彼は逆上し、立ち上がったと同時に飛び掛かってきたらしい。しかしその勢いを利用して投げ飛ばした所、勢い余って彼はフェンスを飛び越えてしまった。そしてビルから落下し、地面に体を打ち付けたのだ。 

 暗闇の中、恐る恐る覗き込むとぼんやりとした月明かりでも、彼の体がひん曲がっていると分かった。しかもこの高さで助かるはずがない。明らかに死んでいる様子だった。

 そこで父に相談しようと思ったところ、外階段から人が上がってくる音が聞こえた為、相沢は慌ててビルの中へと隠れ一階まで降りたのである。

 下からしばらく様子を伺っていると、秀人が屋上に戻ったのだと分かった。しかしそれ以上に、予想外の事が起きた。何故かもう一人現れたのだ。それが茂田だった。二人がビルの下に落ちた健を発見したと気付いたらしい。

 警察へ通報するような事態になれば出て行き止めようと思い、慌てて上の階に再び上がったようだ。もし拒否すれば、二人共突き落とそうとも考えていたという。

 しかし彼らは通報すれば自分達が怪しまれると話し合い、ビルから去っていった。そこで一安心した相沢だったが、健の死体をどう処理するかを悩んだ。その為ビルの下で待機していた父と合流し、相談をしたという。

 すると屋上でのやり取りを聞いた彼は、思いがけないことを言ったのである。

「あの二人が突き落としたことにすればいい。警察に通報せず逃げた状況から考えてもおかしくないし、こっちには好都合だ。元々秀人を犯人に仕立て上げるつもりだったからな。お前は知らない振りをしていろ」

「それは名案だと思うけれど、この死体が発見されたら警察はすぐに彼と接触した事のある関係者を洗うだろう。そうすれば秀人君に付きまとっていたことはすぐに分かる。ここへ呼び出したことから考えると、スマホに通話履歴も残っているかもしれない。そうなると、俺や照島の所へも刑事が事情を聞きにやってくるだろう。その時はどうすればいい」

「何を動揺しているんだ。お前はビルに来たことや俺については黙っていればいい。後は知っていることを話せば、お前より先にあの二人が疑われるはずだ。特に秀人は動機がある。それとも揉めた際に、何かお前の痕跡が残るようなことがあったか」

「それは無いと思う。俺もあいつも手袋をしていたし、多少お互いの服に触ったぐらいだ」

「だったら心配するな。あいつの手袋を脱がし、処分すれば大丈夫だろう。それに俺との通話記録がばれると厄介だ。念の為にスマホも処分しよう」

 そんな相談をしている間に、秀人や茂田を犯人に仕立て上げることが難しければ、死体そのものを誰だか分からなくすればいいだろうという話になった。

 父は健が、実の親から見捨てられていると知っていたらしい。それなら顔を潰し指紋などを消して身元を分からなくすれば、誰かに探される可能性は低いと考え直したのだろう。

 死体が健だと分かったとしても、まず疑われるのは関係性が深い秀人が先のはずだ。そうなれば現場にいた状況から、疑いを晴らすことは難しい。さらにそこから優や相沢の所へ、警察が辿り着く確率は低いと踏んだのである。

 最初は死体をどこかに運んで埋めようとも考えたが、それはかなりの重労働だ。この夜中にそんなことをしていたら、誰かにばれる可能性があると諦めた。そこで相沢は長く施設から抜け出していると気付かれたらまずい為戻り、遺体の処理は父に任せたという。

 そこで父が健の身元が分かる財布や携帯などを奪い、廃ビルの下で待っている間に見つけたビニールシートを持ってきてその上から顔と歯を潰し、健が持っていたジッポライターの油を手にかけ、火を点けたそうだ。

 さらに少しでも発見を遅らせるよう、そのままビニールシートをかけたらしい。それがまさか仇となるとは、その時思いもしなかったのだろう。ちなみにバイクは乗って来たワンボックスカーに乗せて運び、その日の内に海へ投げ捨てたという。

 だが詐欺グループが摘発されず、またそのメンバーが健の事を密告者だと言い始めなければ、彼の身元はそのまま分からずじまいだったこともあり得た。そう考えると父達の取った行動は、まんざら間違いではなかったのかもしれない。

 廃墟ビルとはいえ、街の中で死んだ若者の身元が簡単に見つからない社会になっていることに相沢は驚いたようだ。親に見捨てられたり関係の深い人間が少なかったりすれば、健のような身元不明者となるものは少なくないという現実を、皮肉にも今回の事件で証明したことになる。

 顔が踏み潰されていなかった場合でも、健がただビルから落ちただけの状態で身分証などが盗まれていたならば自殺した遺体の可能性があるとされ、そのまま永久に身元が判明しないままだったかもしれない。

 年々増えているという身元不明遺体は、周囲と隔絶して暮らす独居高齢者の数が厚みを増しているこれからの社会で、減らすことは難しいだろう。そんな時代の中で、健が秀人に嫉妬した意味も理解できる気がした。

 秀人には碌でもない父がいなくなったとしても、母や叔父夫婦がいる。それに自分の身を心配してくれた、和久や茂田のように施設で知り合った人達もいた。しかし彼の周りには、本当に誰一人としていなかったのである。

 父と相沢が逮捕され真相が明らかになったおかげで、秀人や茂田の無実が証明された。それでも彼が警察に提出したという、当時履いていたという靴の下足痕が現場の物と一致しなかった理由を問われ、お叱りは受けたらしい。

 その後も色々あったにせよ、おかげで秀人は堂々と茂田の病院を訪問して見舞いに行けるようになった。その頃は既に本格的な夏が終わり、紅葉が待ち遠しい季節となっていた。

 しかし彼は以前会った時よりもさらに痩せ細り、体も思うように動かせない状態だった。体中に刺さったチューブが痛々しく、なんと声を掛けたらいいか迷った程だ。

 それでも彼はこれまで同様、秀人の事ばかりを心配していた。

「仕事の方は順調か。それと事件のその後の事は、こっちでも色々聞いた。ニュースや新聞でも見たが、親父さんはしばらく出てこられないだろう。会社や家の方は大丈夫か」

「整備工場の方は、今まで通り問題なくやっています。事件のおかげで俺に犯罪歴があることは広まりましたけど、それ以上に父親があんな奴だったと分かって、同情してくれる人の方が多いかもしれません。家の方は連絡を取っていないので、よく分かりませんが」

 秀人の答えに彼は渋い表情をして、聞いてきた。

「それでいいのか。お前が父親に暴力を受けていた件を黙っていたのも、古山田に脅されていたが逃げようとしたのも、会社や母親を守る為だったんだろう。糞野郎でも、会社の経営者としては有能だったらしいじゃないか。奴が逮捕された影響で会社が潰れては、これまで我慢してきたお前の努力の意味がなくなる。違うか」

「それはそうですけど、私には何もできませんよ。会社を守ろうといったって、そんな知恵もノウハウも度胸もありません。お金だってなんとか自分一人で生活できるようになれた程度しか持っていないのに、どうしろというんです」

「金の問題じゃない。会社を助けたいと思う意思が、今のお前にあるかを聞いているんだ」

 いつ意識を失ってもおかしくない状況で、目を見開き真剣に問う彼に秀人は答えた。

「もちろん、内心は何とかしたいと思っています。母はある意味、親父と同罪だから辛い目に遭っていたとしても自業自得でしょう。質の悪い所との関係もあったようですし、問題のある社員も多いでしょうから、潰れても仕方が無いのかもしれません。でも叔父さん達や、真面目に働いてきた社員さんには申し訳ないと思います。その人達にも家族がいて、生活が懸かっているでしょうから」

 特に叔父達には、幼い頃から世話になっている。よって少なくとも彼らを助ける為、会社を何とか倒産させずに済む方法が無いかと考えてはいた。警察に捕まった際、世話になった三宅弁護士にも相談していたのである。

 しかし余りに会社が信用を失った為、難しいと言われたのだ。民事再生法を使ってやり直す方法もあるが、取引先に手を引かれればどうしようもないという。

 期待に沿えないことを申し訳なく思いながら、今の状況を正直に話した。だが彼は表情を和らげて呟いた。

「そうか。その気はあるんだな。それを聞いて安心した。お前が見舞いに来てくれて良かったよ。会えなければ郵送しようと思っていたが、直接渡して説明する方が良いからな」

 そう言いながら、秀人は枕元にある棚から荷物を取ってくれと頼まれた。指示された通りの物を引っ張り出したのは、大きな古い鞄だった。それを手渡すと、彼は中からA3サイズの黒い袋を二つ抜き出し、秀人に差し出した。手に取ると結構な重みがあった。

「これは、なんですか」

 戸惑っていると、彼が説明しだした。

「俺が昔の仲間に付きまとわれていた話は知っているだろう。しかしお前の場合とは違う。理由は俺が、ずっとこういうものを隠し持っていたからだ。今渡したのはお前の分、というか返さなければいけないものだから持って帰れ。そして一度実家に戻ってそれを使い、叔父夫婦や彼らと同じように信頼でき、会社に必要な人材だけを集めて話し合いをしろ。そうすれば、会社を救えるかもしれない。難しいことは大人達が知恵を貸してくれるだろうし、動いてくれるはずだ」

「どういう意味ですか。これは一体、なんですか」

「お前が幼い頃、家に空き巣が入ったことを覚えているか。まだ大阪に住んでいた時だ」

 唐突に話題が変わって当惑したが、とりあえずそんな話を聞いた記憶があると答えた。その影響もあり、名古屋に移り住んだと伝えた。すると彼は言ったのだ。

「これはかつて、俺がお前の家へ入り盗んだものだ。貴金属などは金に換えたから、現金で二千万円以上入っている。それ以外にもお前の父親が、家族に暴力を振るっていた証拠などもある。他には、会社関係で表に出すとまずいものも含まれていた」

「え? あの時の犯人は、茂田さんだったんですか」

「そうだ。俺はあることがきっかけで、空き巣に入った所からは金目の物だけでなく、その家の秘密に関わるものを一緒に盗んでいた。お前の家から取った物がそれだ。俺がこういうものを隠し持っていると昔の仲間が嗅ぎ付けて、横取りしようとしていた。その家が公にされたくない秘密だから、上手く使えば金を脅し取れるからだ。盗みだけでなく恐喝などもやっていたハイエナのような奴にとっては、喉から手が出るほど欲しいものだったらしい。それで俺はしつこく付きまとわれるようになったんだ」

「そうだったんですか。でもこれをどうしろと。お金は有難いですけど、親父が私や母親を殴っていた証拠なんて、今更使い道などないでしょう」

「元々はお前の家の物だから、返すのは当たり前だろう。ただしそれはコピーだ。現物は警察に提出している。処分するならお前の手でしろ。ただ重要なのは、会社に関するものだ。使い方によっては、必ずお前の役に立つだろう」

 そう言って彼は語りだした。どうやら父が別件逮捕されたきっかけは、彼の手から警察へ過去における虐待や不正の証拠が渡ったからだという。もちろん彼が予想した真犯人の候補者として、父の名を挙げた件も大きく影響したことは間違いない。

 加えて盗みに入った家で弱みを握るきっかけとなった事件についてなど、残りの力を振り絞るように話した後で言った。

「所詮空き巣にしか過ぎない自分が人を助けられる訳がないと、目を瞑ってきたことを俺は後悔した。だからこんな真似をし始めたんだ。それから数年後、盗みに入った先で家族に暴力を振るっている証拠を発見した。それがお前の家だ。それでいつか助けてやろうと隠し持っていたが、いつの間にかその家の主はどこかへ引っ越してしまったんだ」

「そういえば盗まれた物の中に、外部へ漏れれば大阪ではいられなくなるから名古屋へ引っ越したらしいと、かなり後になって聞いたような気がします」

「それも本当だろうが、虐待についてばれると警察や児童保護施設辺りが動きだして面倒になると思ったのも、理由の一つだろう。もちろん真剣に行先を探そうとすれば出来たが、俺はそんな努力をしなかった。だからといって捨てられずに、そのまま持っていたんだよ。しかし俺が刑務所から出て施設に入った時、秀人が詐欺で捕まって少年院に入ったという情報を、偶然耳にしたんだ」

 そこから彼に告げられたのは、衝撃の事実だった。かつて盗みに入り、子供を虐待していた会社社長の息子が逮捕されたとの記事を目にした。もしかしてと調べた所、行方知れずになっていた家の子だと気付き、再び反省したという。

 あの時すぐにでも行動を起こしていれば、被害を受けていた息子は罪を犯すような人生を歩まずに済んだのかもしれない。そう思ったようだ。

 少なくとも引っ越しをした先の家を探し出して、警察にこの情報を上手く流していれば何とかなったはずだと後悔した彼は、何とか今度こそ力になりたいと考えたという。それに彼は既にその時、医者から余命宣告を受けていた。だからせめて残り僅かの人生だけは、後悔せずに生きたいと思ったらしい。

 その為秀人が出所後に名古屋の施設へ入ったという情報を聞き、大阪から名古屋へ移って来たそうだ。仲間に付きまとわれていたのは事実だったので、それを利用したという。

 秀人を気にかけていたのは、そういう訳だったのだ。彼はこの世を去るまでに、どうしても償いをしたいと考えていたのである。それでなんとか近づき親しくなろうとしていた所、将棋をきっかけにその目論見が達成できたと言うのだ。

 彼がどうして必要以上に心配し世話を焼いてくれるのか、これまで不思議に思ったこともあったが、その理由をこの時初めて理解できた。

 ちなみに秀人が名古屋から施設を移るよう助言した際、彼も同時に転所願いを出したのは、躊躇していた秀人の後押しができると思ったからだという。もちろん山岸という仲間が再び周囲を嗅ぎまわり出した為、秀人に迷惑をかけないよう一旦遠く離れる為でもあったらしい。

 また何故、秀人や母を殴っている様子を写した映像が残されていたかを教えられた。虐待をする人物の中には、少なからずその様な物を見て優越感に浸り、または優位に立っていることを確認するタイプがいるという。

 恐らく父もそうだったのではないか、とのことだった。彼は盗みに入った先でそうしたものを多く見てきたようだ。画像は粗かったが、携帯の動画で撮影したものらしい。その映像を父はパソコンに保存していたらしく、それを彼が発見したのである。

 動画に写っていた幼い子供は三歳ぐらいだというので、今からおよそ十七年近く前のものだ。父もまだ二十代と若く、パソコンのセキュリティーに関して甘かったのか、パスワードは簡単に解除できたらしい。

 しかも茂田が盗み出したのは、それだけでなかった。父の会社と取引先がグルになって不正している証拠となる裏帳簿なども発見し、隠し持っていたようだ。彼は直接お金にはならないが、その家の人間の弱みになるものや警察へ届け出ないであろうものを盗んでいた理由について、詳しく説明してくれた。

 そして以前経験した辛い思いを二度と味わうことがないよう、空き巣に入った家庭で別の犯罪が起きるかもしれなかったり、弱者が痛い目に遭う可能性があったりした場合は、食い止める脅しに使ったという。

 実際に何度かそうして、犯罪を食い止めたこともあるようだ。それだけでなく、いずれ空き巣を繰り返す生活ができなくなり落ち着いた時には、使い切れなかったものを有効利用し、一人でも悪党を成敗しようと考えていた。そのつもりで、いくつかの場所へ拡散し隠していたらしい。

 しかしそれを嗅ぎ付けた山岸が、自分の手にするためしつこく嗅ぎまわっていたようだが、今は塀の中にいる為心配は無いという。茂田はその中にある秀人の家や会社に関する資料を返却し、他の関係のないものは自分の死後、全て警察に提供される手筈になっていると言った。

 さらに彼からは、驚くべき告白を受けた。

「実は古山田がビルから落ちた日、俺は一度お前と別れた後に現場へ戻った。それはお前が被ったヘルメットを、処分しようと思ったからだ。本当はお前のいる前でやれば良かったが、何故か見せたくないと思ったんだよ。ピッキングなんて碌な技じゃないからな」

「え? じゃあバイクを処分したのは、茂田さん? でも警察は、父が健の懐から鍵を奪い車に乗せて現場から逃げ、海に捨てたと供述したと発表していましたよね」

「俺はバイクのシートの中のヘルメットを取り出しただけだ。常に持ち歩いている道具で鍵を開けたのさ。その後施設へ戻る途中に隠し、埼玉へ引っ越しする際に取り出し捨てたんだ。まあ結局はお前の親父がバイクごと処分したから、あまり意味はなかったがな。でもあの死体の顔を潰したりしたのは、お前で無いことだけは分かっていた」

「そうだったんですか。でもその時に、父や相沢さんの姿は見なかったのですか」

「全く見ていない。恐らく俺がバイクの所にいる時、奴らは古山田の死体の傍にでもいて相談をしていたのだろう。そっちとは反対の場所だったからな」

 そうした話を聞かされた後、秀人は茂田との別れを惜しみながら、彼の強い後押しを受けて数年ぶりに実家に帰ると決めた。その為整備工場の社長には理由を説明し、会社に辞表を出したのだ。

 しかし社長はこう言ってくれたのである。

「家の件が落ち着いて、働き先がないようならまた帰ってくればいい。そのまま戻ってこられないとなった時には、正式にこれを受け取るよ。それまでは預かっておく」

 おかげで秀人は心置きなく、家へ戻ることが出来たのだ。事前に帰ると知らせていたが、秀人の顔を見た途端に母は抱きつき泣き崩れた。久しぶりに見た彼女の顔はげっそりとやせ細り、青白かった。抱きかかえた体も、こんなに小さかったのかと驚いたほどだ。

 秀人も事情聴取を受けたが、父の家庭内暴力に関して母も警察から聞かれたらしい。そして健の死体を損壊・遺棄した容疑で再逮捕された際にも、関わっていないか追及されたという。

 幸い母は、父が健に脅されていた件を知らなかったようだ。数々の証拠を突き付けられ、最終的には相沢と共謀し健を殺そうと考え、挙句の果てには秀人を犯人に仕立て上げようと思っていた事実を父が認めたと聞かされた時には、相当な衝撃を受けたらしい。

 そうした心労に加え、お飾りだったとはいえ会社の副社長を名乗っていた為、マスコミ達が大騒ぎをする中で経営を続けなければならなかったその苦労は、相当過酷な物だったはずだ。しかも元犯罪者を抱えてこき使い、さらには不正な金を得ていた件が公になったから余計である。

 顧客や取引先からはもちろん、数々の非難や誹謗中傷を受けていたと、秀人も報道などで多少なりとも聞き及んでいた。だから相当辛い目に遭っているだろうと気を揉んではいたが、母の姿を見ただけで想像を超えた壮絶な状況だったらしいと推測ができた。

 いつまでも泣き止まない母を抱きしめていると、その先にいる叔父夫婦達が目に入った。彼らもまたかなり苦労したはずである。秀人が帰って来たと涙を流して喜んでくれているその姿は、見るからに疲れ切っていた。

 母が落ち着くのを待ってから、彼女の体を離した秀人は聞いた。

「家の方は大丈夫なの。マスコミが押し寄せて大変だったと思うけど、会社は今どうなっているの」

 どう答えればいいのか困惑したのか、母は俯いたまま黙っていた。すると近づいてきた叔父夫婦が声をかけてくれ、代わりに答えてくれた。

「お帰り、秀人。よく帰って来てくれたな。マスコミの騒ぎはまだ続いているけど、一時期よりはましになった。早百合姉さんも、優さんから暴力を受けていた被害者だと分かったし、不正も社長が単独でしていたと報道されたからな。でも社長が殺人事件に関わっていた事実は変わらない。しかも反社会勢力との繋がりがあった件や、補助金の不正な受け取りをしていたことが公になった。それでも応援してくれている会社はあるけれど、取引停止を申し渡してきたところが相当数ある。補助金を返す為に使ったお金も少なくなかったから、正直言って厳しい状況なのは確かだ」

「今は母さんが社長の代わりをしているようですけど、大丈夫ですか」

「一応弁護士に頼んで、優社長の解任手続きは済ませた。あの人も会社の株を持ったまま、社長や役員に止まるなんて無理だと理解したらしい。だから会社で全て買い取り、形式上は姉さんが所有することになった。それを受けて社長は姉さんになったが、この会社は良くも悪くも優さんのワンマン経営で成り立っていたから、苦労している」

「母さんは副社長だったといっても、実質会社の経営にはほとんどタッチしていなかったよね。他の役員の人か誰か、代わりに引っ張ってくれる人はいませんか」

 そこで下を向いていた母が、顔を上げて言った。

「いることはいるけど、ほとんどがお父さんの周辺にいたイエスマンばかりだし、これまでの経緯もあって、取引先からはあまりいい顔をされないの。だから私は他の社員からも頼りにされている武志が社長になって、和子さんにも手伝って貰いたいと思っているのよ。二人はお父さんの意向があって会社の株を持たせて貰えなかったから、私が持っている株や会社で買い取ったものを受け取って欲しいとお願いしているんだけど、断られているの」

 秀人は叔父夫婦に目を向けて言った。

「それはどうしてですか。叔父さん達は長い間、会社に貢献してきたじゃないですか。母さんが社長をするよりも、ずっと良いでしょう。どうして断るんですか。会社が倒産したら困るでしょう」

 すると叔父は顔を歪めながら、意外な返答をした。

「そう簡単にはいかないんだよ。僅かだが、他に株を持っている今の役員が良い顔をしない。いくら社長の親戚だからと言って、前に出ると嫌がる人達もいるんだ」

「そうなの」

 母に尋ねると、確かにいるらしい。だがそれはかつて父の取り巻きだった人達ばかりのようだ。よって今の会社の状況では、彼らを先頭に立たせる訳にもいかないという。

 それはそうだ。ただでさえ灰汁の強かった父のやり方に、辟易していた取引先もあるに違いない。その社長が死体損壊、遺棄罪で逮捕されただけでなく、様々な不正をしていたのである。

 その為にこれまでの不満が一気に爆発し、矛先がこれまでの取り巻き達へ向かうのは当然だった。だから彼らは今のところ大人しくし、母を社長として表に立たせ騒ぎが沈静化するのを待っているらしい。

「その人達は父さんのいない今の会社に、残って貰わなければならない人材なの」

 秀人の問いに母は首を横に振り、叔父達は微妙な面持ちで言葉を濁らせた。その反応を見て秀人は腹を決めた。

「だったら今は、母さんが大株主なわけでしょ。それなら弁護士と相談した上で取締役会を開き、役員を解任させればいい。業績を立て直せない責任を取らせればいいじゃないか」

「いやそうなると、副社長だった早百合さんの責任も問われるだろう。それに全体の三分の二以上ないと解任は出来ない」

「だったら母さんも、一緒に責任を取って社長を辞めればいい。ただ過半数近く持っている、大株主なのは変わらないよね。そこで叔父さん達や他に取り引き先から支持されている人や、有能な人を役員にすればいい。今回の騒動を乗り切るために、経営陣を一掃するという理由だったら、全く問題はないでしょう」

 会社役員を解任する株主総会の開催は、大株主で議決権のある母が賛同すればすぐにでもできる。ただし正当な理由がないまま解任を強行すれば、会社が損害賠償請求される可能性があるらしい。その為現在社長である母も含めて責任を取り、経営陣を一新するなら問題ないだろうと、事前に三宅弁護士からアドバイスを貰っていたのだ。

 しかし叔父が顔を顰めて言った。

「それだけだと、正当な役員解任の理由としては弱い。前社長の犯罪行為が業績を悪化させた最大の理由であって、今の役員達に責任があると決めつけるには、余りにも早すぎる」

 だが秀人は強く主張した。

「そんな悠長なことを言っている間に、会社が潰れてしまったらどうしようもないでしょう。一日でも早く新体制を作って建て直さないと」

 それでも叔父は、力ない笑顔で言った。

「秀人も大人になったんだな。株主総会やら解任やらと、会社経営の話をお前の口から聞けるとは思わなかったよ。会社がこんな状況になったから、よく勉強してきたようだな。でも現実はそう簡単にいかないんだよ」

「だったら、父さんも含めて今の役員の人達が過去に不正をしていた証拠などがあれば、責任を追及できたりしないかな」

 秀人の言葉に、母や叔父達は目を丸くした。そして叔父が口を開いた。

「不正をしていた証拠ってなんだ」

「叔父さん達は役員じゃないから、会社の経営にタッチしていなかった。それは副社長だったとはいえ、お母さんも同じだよね。でも今は社長として会社の経理など、内部監査が出来るでしょう。良く調べて見れば分かるよ。これはもう二十年近く前のものだけど、父さんが取引先と共謀して不正をしていた証拠となる裏帳簿です。これ自体はもう時効を迎えているから使えないと思うけど、これを参考にして今の帳簿を精査してみたら絶対に何か出てくるはず。それを理由にして、これまで関わってきた役員を全員解雇出来れば問題ないでしょ。あと昔大阪にいる頃盗まれたお金も戻って来たから、それも使って」

 秀人は茂田から聞いた話の一部を告げながら説明した。実のところ、その内容は全て茂田と弁護士の三宅からの受け売りだった。父が過去に行った不正の証拠を受け取った際、有効な利用の仕方として教えて貰ったのだ。

 そして三宅に間違いないか確認して貰った所、それが唯一の方法かもしれないと言ったのである。この時初めて会社に関する色々な法律などを学び、とても勉強になった。同時に、会社経営の難しさも知ったのだ。

 秀人のアドバイスを受けた母は、父達が過去に不正をしていたデータを元に、早速監査を行って父や会社役員達が使用しているパソコンの中身を探った。そこで新たな不正の証拠を掴んだらしい。

 それを使って刑事告訴をしないと条件を付け、邪魔な役員達を会社から自主退社させ、株も手放させることに成功したのである。その後は母の退任と共に叔父を社長にし、これまで父の周りを固めていた役員の中で、信頼のおける人物だけを残した。まずは内部の立て直しを図り、倒産しかけていた会社を立て直す取り組みを始めたのである。

 次に打った手は父が警察に捕まったのを機に、反社会勢力との繋がりを完全に断ち、その上で取引を辞めると通告してきた会社の引き留め工作を行った。

 早い話がもし会社を見捨てるつもりなら、告発すると脅したのである。父から盗んだデータにもあったが、過去に取引先とも手を組んで不正を働いていたと分かっていたからだ。

 そこでおそらく現在も行っているだろうと調査した所、予想通り裏帳簿が出てきて、扱い高の大きな会社の内数社が、キックバックを受け取っていた証拠を掴んだのである。こうした努力が功を奏したのか、会社はなんとか倒産の危機を乗り越えられた。

 秀人は叔父の勧めにより、お世話になっていた整備工場を正式に辞めて彼の下につき、会社へ就職した。そこで改めて、社会人として再出発を切ったのである。また母は父の刑が確定する前に、父親との離婚が成立した。

 そこから秀人は、会社の改革にも着手した。それは以前学んだ、元受刑者達を雇っている他の企業の取り組みを採用したのである。

 例えば寮の存在はとても重要な役割を持っている為、その充実を図った。家を借りられない前科がある社員には、最初から寮に入って貰うことにしたのだ。しかも三食付きというのもポイントである。人はお腹が満たされると、心が穏やかになるという。風呂もありゆっくり眠れる場所を作ることが、再発防止にとって欠かせない要因だからだ。

 さらに気を遣ったのは、寮を含めた会社の雰囲気である。お金や食事や住む所が保証されても、雰囲気が悪ければ居づらい。そこで元受刑者達が“過去”をオープンにするよう徹底した。そうすることで、余計な詮索を起こらなくさせたのである。

 事実を隠そうとすれば、嘘をつかなければならない。すると嘘に嘘を上塗りして信頼関係を築けなくなり、それが退職リスクに繋がるからだ。またオープンにすることを前提で受け入れれば、その人がどういう人かは日々の暮らしぶりや仕事ぶりだけで判断される。受け入れて貰うには、今を真面目に真剣に生きさえすればいいと教える為でもあった。

 これは秀人自身の経験から学んだことだ。大半の出所者は罪を隠したまま職探しをしている。よって運よく働き口を見つけたとしても、過去を隠したままであるケースが多い。だから全体の一、二%しか就労支援を受けていないのが現実だ。

 そうならない為に元受刑者が入社すると、当日か翌日の夜に有志達で歓迎会を開いた。そこではまず先輩達が、実をいうと俺は、と自分の過去を話すことを通例にしたのである。するとお酒の力も手伝い、自己開示しやすくなるらしい。

 その後も皆で食事をしたり飲んだりする機会を多く作り、愚痴や心配事があれば気楽に言える関係を構築するよう心がけた。会社にいることで安心感を生みだそうとしたのだ。その際には秀人自身が犯罪歴を持つ点もアピールし、仲間意識を持つようにした。

 保護観察所の所長と出所者との交流を描いた、吉村よしむらあきらさんの『見えない橋』という小説がある。その物語における保護観察所の所長は、出所者であると周囲に知らせない形で支援を続けていた。

 こうした罪を隠す“見えない橋の精神”に基づいた支援の在り方は、後日犯罪歴があることがばれ、会社をクビになるという事態も招きかねない。何よりも元受刑者達に、無理と嘘を重ねさせてしまう。今の更生保護が上手く機能していない根本は、そこにあると考えた。

 就労支援を受けていない九十八~九十九%は、過去を隠して職を探しているのだから当然だろう。そこで犯した罪をオープンにし、それを背負いながら真摯に生きれば一週間もすると詮索する人はいなくなる。後は自分の行動だけで判断されるような環境づくりに、心を砕いたのだ。

 良く言われるように過去は変えられないが、未来は変えられる。だから受刑者を嘘で縛ることのない環境で更生を進めるべきだと、秀人が参考にした企業の社長は考えていた。そうすれば社会全体の意識も変わると信じ、必要なのは“見える橋の精神”だとの信念を持っていることに、共感を覚えたのである。

 また従業員には毎日二千円を給料から前払いして、残りのお金は給料日に支払う形式を取った。理由は一日三食付きの寮があるので、食事以外に使えるからだ。そうしたお金が手元にあるという安心感を生み、再発防止に繋がると考えられた制度である。

 さらにお金は二千円札で渡した。二千円札は沖縄を除き、普段の生活の中ではほとんど見かけない。よって使う時は相手の印象に残り、顔を覚えられやすくなる。すると悪い事がし辛くなる、という効果を期待したのだ。

 しかも毎日社長の叔父の手から、直接社員達に渡す習慣を作った。これもお金を使う時、社長の顔を思い出して欲しい、との思いがあってそうした。

 実際そこまでしても、参考にした企業では八割の従業員が辞めていくという。入社早々に姿を消す人も少なくないらしい。これが厳しい現実だ。それでも二割の人が仕事を通じて更生していく姿を見るのは、何にも代えがたい幸せだとその社長は言っていた。

 これまで父が経営していた頃は、従業員の弱みを握るか反社会勢力の力を借りて逃げられないようにしていた為、定着率はもっと高かった。それでも真面目に働くことを諦め、再び犯罪者の道へと進み脱落していくものは少なくなかったそうだ。

 再犯の防止は、未来の被害者を減らすことにも繋がる。だから参考にした会社では少しでも定着率を上げようと、様々な手を打ち工夫を凝らしていた。と同時にこうしたメッセージを広く伝えることで出所した人が皆仕事に就けるようになり、それによって更生が進み再犯者率ゼロになる社会の実現に力を尽くす試みをしていたのだ。

 こうした取り組みは、一筋縄ではいかない。それでも最近は、国や自治体も動きだしている。相沢が逮捕された後でも、名古屋の施設では別の職員が代表となり、引き続き他の支援団体との協力体制を取っていた。

 もちろん秀人の会社も、改めて不正などしない正式な協力雇用主として、登録をしている。元受刑者の積極的雇用は、真面目にやり直したい彼らに機会を与える必要不可欠で、社会的意義のある活動だからだ。

 しかし決して父が行っていたような安い労働力を得る為でもないし、ボランティア活動のつもりでもなかった。自分やかつての祖父、または社会から爪はじきにされてきた加害者家族である叔父達のような人でも、やる気があって真剣に頑張りたいと思っている人は少なくない。そうした人材を必要としているからこそ、積極的に雇っているのである。

 それにあとがない人達が発揮する力は、決して侮れないというのもその理由の一つだ。現に叔父達が会社を立て直す際に最も力を発揮してくれたのは、そういう人材達だった。

 人口減少以上に犯罪者数も減少している今の時代では、増え続ける高齢者の犯罪、特に再犯者率の抑制と同じく少年の再犯率の抑制は、重要事の一つなのは間違いない。それができれば、世の中の犯罪はさらに少なくなるだろう。つまり再犯さえ抑えられるようになれば、将来的には間違いなく犯罪件数を減らせられるのだ。

 再犯防止に対しては、二〇一六年に“再犯の防止等の推進に関する法律”が成立し、公布、施行されている。推進計画としても、政府は幅広い対策を立てているようだ。しかし実際に実務を行うのは地方公共団体、または民間団体やその他の関係者である。しかも施行されてからまだ日が浅い。成果が表れるかどうかはこれからだろう。

 実際に再犯者を受け入れている団体の生の声を聞いたマスコミ等により、実態はどうなっているのかを探るドキュメンタリー番組などが多く作成されていた。けれどそれらを見て知れば知る程、様々な問題点があると気付かされる。

 そうした現実の中で、秀人はせっかく与えられた環境と自らの経験を生かし、出所者達の居場所づくりの取り組みを続けていきたいと考えていた。

 会社が軌道に乗れば、現在働いているような年齢の人達だけではなく、未成年者や非高齢者の出所者達にとって必要な環境づくりにも手を広げたい。そうした構想を持つようになったのだ。その為日々忙しく働き、走り回っていた。

 そんな慌ただしい状況の中、年はいつの間にか明けて春も終わり蝉が泣き始めた頃、かつて茂田から伝言を預かり訪ねて来た瀬良が、突然現れた。彼の表情が以前会った時より暗かったため、嫌な予感がした。

 向こうから秀人を訪ねて来たにもかかわらず、なかなか口を開かなかった為、恐る恐る尋ねた。

「茂田さんに、何かあったんですか」

 彼は頷いた。

「一週間前に亡くなった。既に火葬なども済ませ、兄さんの遺言通り墓は建てず、故郷の寺にお願いして永代供養の手続きもした。今日は初七日だ。法事など特別なことはしない。また亡くなったと君に知らせるのは、全てが終わった後にして欲しいと頼まれていた。俺が受けた兄さんからの、最後の伝言だ。今日はあの人があの世に向かう日だから、手だけでも合わせて冥福を祈ってやってくれ。それだけでいい」

 そう言い残し、すぐに立ち去ろうとしたので、秀人は慌てて引き留めた。

「そのお寺はどこにあるのですか」

 彼は立ち止り、振り向いて場所を教えてくれた。そのお寺には身寄りのない人達が、合同でまつられている場所があるらしい。茂田はそこに眠っているという。

「わざわざ知らせて頂き、有難うございました。会社がもう少し落ち着いたら、必ずお参りに行かせてもらいます」

「そうしてやってくれ。兄さんは、最後まで君を気にかけていた。本当は死んだ後も全ての手続きが終わり、君の周辺がもう少し落ち着いた段階で知らせてくれと頼まれていたんだ。あの人は頑張っている君の様子を聞いて、嬉しそうにしていた。死ぬ間際には、笑っていたくらいだ。思い残すこともなく、満足できたのだと思う。だからこそ今の君なら、兄さんの気持ちを分かってくれるだろうと思ってね。それ故俺の勝手な判断で、今日伝えることにしたんだ」

「そうでしたか。有難うございます。今日は茂田さんの事を考えて、感謝と哀悼あいとうの祈りを捧げたいと思います」

「君ならそう言ってくれると思った。兄さんも喜んでくれるだろう」

 そう呟いた瀬良の目には、涙が溜まっていた。その姿を隠すように背を向けた彼は、そのまま静かに立ち去った。秀人は彼の姿が見えなくなるまで、頭を下げて見送った。

 以前茂田を見舞った際、彼はいつ亡くなってもおかしく無いほど病状が悪化していると聞いていた。それでも彼の言いつけ通り、秀人が今できる事をしっかりとやり遂げなければ、再び顔を合わすことは躊躇われた。中途半端な状態で見舞えば、彼に叱られると思ったからだ。

 後ろ髪を引かれたことは否めない。それでも会わなかったのは、自分なりの意地だった。余命宣告から結果的に二年も長く生きながらえたのも、彼なりの強い思いがあったに違いない。

 もしかすると秀人が会社をなんとかしようとしている姿を、少しでも長く見守ろうとしていたのかもしれなかった。そう考えると、悲しんでばかりはいられない。秀人は知らぬ間に頬を伝っていた涙を拭い、心を新たに決心した。

 傾きかけていた会社がようやく立ち直り、秀人もなれない業種の仕事にようやく馴染み周辺が落ち着くまでさらに一年の月日が流れた。そこでようやく休みをもらい、茂田が眠っているお寺へと足を運ぶことが出来た。その日は彼の命日だった。

 夏の日差しが照り付ける中、住職に永代供養の碑が立っている場所を尋ね、その際茂田との関係を聞いた。そこには彼の昔の仲間達も、何人か納骨されているという。

 身寄りがない者が亡くなり、引き取り手もいないと分かると、本来なら自治体が費用を負担して火葬、埋葬される。その段階で彼は名乗りを上げ、審査を経てこの寺の住職と連絡し、埋葬の手続きを行ってきたそうだ。もちろん費用は彼が出していたらしい。

 しかしそうした手続きをした人はかつての盗人仲間に限らず、他にもいたという。例えば虐待に遭っていたり、犯罪等により亡くなったりした人達の中にも身内などから見放され、誰も遺体を引き取りたがらない場合は、彼が責任をもって引き取っていたそうだ。

 さらに彼の死後もそうした手続きに使われるよう、一部の資産がお寺に寄付されたらしい。また残りの多くは、犯罪被害者やその遺族を支援する団体に寄付されたとも聞いた。恐らく彼の弟分である瀬良が、彼の意志を引き継いでその後の手続きをしていくのだろう。

 ちなみに彼が残した他の遺産は、弁護士を通じて警察に届けられたそうだ。余りにも古く、時効を過ぎたものも多くあったそうだが、それでもその中のいくつかは犯罪として立件できたものもあったという。

 また虐待を受けていた者も、そうした証拠を元に保護されたり、改めて加害者に損害賠償や慰謝料の請求を求めたりする等、様々な形で活用されていると新聞などの報道でも取り上げられていた。

 もちろん表向きは茂田の名前を伏せられていたが、このご時世である。誰がどこから探り当てたのかネットでは実名が出された上、伝説の盗人が残した最後の仕事として話題になっていた。

 中には誹謗中傷の類もあったけれど、多くは様々な憶測が含まれていたものの好意的な意見や美談として語られていた事に、秀人は安堵したのである。

 施設にいた頃に何度となく耳にしたが、彼は長い間犯してきた罪を理解していた。その為、偽善と言われようが自分が生きている間はもちろん、死んだ後もできるだけ償いをしたいと言っていたことを思い出す。茂田はまさしく、それを実行したのだ。

 秀人は手を合わせ、彼が生きてきた人生を想像しながら感謝の気持ちを心の中で述べ、涙を流した。その上で彼の思いを決して無駄にせず、瀬良と同様にできるだけ引き継ごうと誓ったのである。

 図らずも自分のような出所者や訳ありの社員を雇い入れる会社を、父から受け継ぐ機会に恵まれた。これを機に社会復帰しようと頑張る人達の支援体制を整え、再犯者を生み出さない居場所づくりに取り組む試みを、叔父と一緒に行ってきた。

 こうした取り組みをさらにしっかりとした形にし、差別や生きづらさのない社会創りに少しでも貢献しようと、目下努力し続けている。今は出所者などに留まっているが、いずれは自分が詐欺を働いた相手への償いとして、高齢者に対する居場所づくりにも取り組みたいと考えていた。

 これらの目標を成し遂げることが、今後の自分の生きていく上での役目だと思っている。茂田が六十年以上も空き巣を続けざるを得なかったのは、生まれた時代の責任でもあると思う。それは悲しいかな、今でもそう環境が変わったとは言い切れない。

 善と悪は表裏一体であり、誰でもいつどこで悪とされる側に落ちるかもしれないのだ。しかし過ちを犯したとしても、人は本気でやり直そうと思えばきっとできる。どん底の中で明るい未来を思い描ける環境を用意し、全ての人間は過去を価値に変えることも可能なのだと伝えていきたい。

 さらに間違いを犯した自分自身が人の役に立つ行いをすることで、茂田と同じく最後には笑って死ねたら良いと考えていた。

 蝉の声を聴きながら、秀人はそんな思いを持ちつつ彼と別れを告げたのである。(了)

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見える橋を目指して しまおか @SHIMAOKA_S

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