第二章

 七時半には、用意された朝食を皆で食べ終えた。九時を過ぎるとほとんどの入居者達が仕事に出たり、職業訓練や体力づくりやレクレーションなどの日中活動をしたりする為、施設からいなくなる。

 その頃を見計らい、宅配業者が荷物を取りに来る予定だ。引っ越しと言っても、部屋の中のベッドや机、棚などは施設に備えつけられた物である。個人の持ち物と言えば、衣服などほんの少ししかない。後は手荷物として自分で運べば良かった。

 それでも段ボール箱に詰めたものを業者に渡した後は、部屋を掃除する必要があった。後は事情を知っている一部の人達とこっそり別れの挨拶を済ませれば、名古屋駅から新大阪へと向かう新幹線に乗るだけだ。

 しかし作業の合間にも、健の死体が発見されていつ警察がやってくるか気が気でなかった。茂田も同様だったはずだ。朝食時に顔を合わせた彼はテレビでニュースを見続けていた。さらに施設に備えられていたパソコンを立ち上げ、ネットなどで話題になっていないかをチエックしていたらしい。

 ようやく支度を整えた秀人は、相沢達への挨拶を終えて駅に向かった。その途中の道で茂田が待っていた。どうやら仕事を一時的に抜け出してきたらしい。

「今の所まだ、奴の死体は発見されていないようだ。ニュースにも出てない。だから安心して大阪へ行ってこい。だけど着くまでの途中、手袋と靴と服の処分を忘れるな」

「はい。それらは全部、他の物と別にして手荷物の中に入っています。新大阪の駅に着いたら捨てて、他の物を買い揃えるつもりです」

「それでいい。じゃあ元気でな。これからしばらく余程のことがない限り、お互い連絡は取り合わないでおこう。少なくとも警察が動きだしたら、絶対にダメだ。お前はまず大阪で仕事を頑張って、一日でも早く生活を安定させることだけを考えればいい」

「分かっています。大変お世話になりました。有難うございました」

 頭を下げた秀人と茂田は最後に握手を交わし、そこで別れた。最寄りの地下鉄の駅から名古屋駅へと向かい、そこで事前に取っていた新幹線の切符を発券し、改札を通ってホームに立った。

 やっと目的の電車に乗り込んで席へと座った秀人は、大阪に着くまで窓の外を眺めながら、ずっと昨夜の件について考えていた。

 秀人は健を突き落とした犯人が、やはり茂田だったのではないかと思い直していた。なぜならあの時間のあの場所に、第三者がいたと考えるのは相当無理がある。誰かがビルの階段を下りたと言ったのは彼だ。しかし秀人は全く気付かなかったし、見ていない。

 もし彼が言った通りだとしても、どのような理由だったのかが不明だ。そうなると、茂田が誤って突き落とした、と考える方が筋は通る。

 おそらく彼は秀人を心配し、いつまでも脅し続けている健に説教でもしたのではないだろうか。そこで口論となり、カッとなった健が彼を突き落とそうとしたのかもしれない。

 しかし茂田は小柄だが、半世紀以上空き巣を続けてきた人だ。身のこなしには自信があるだろう。過去に三回しか捕まっていないというし、それも最初の二回は十代で未熟な頃だったと聞いている。そこから七十になるまで逮捕されずにいたのだから、伝説の窃盗犯と呼ばれているのも頷けた。

 だから咄嗟に身をひるがえすかした所、勢い余った健が誤って落ちたのではないだろうか。高身長の健からすれば、柵も腰辺りまでしかなかった。錆びついて、所々ちていた個所もあったはずだ。そんな所へ体重をかければ、バランスを崩したっておかしくない。

 その後屋上に上がって来た人の気配を感じ、茂田はビルの中にでも隠れたのだろう。それが秀人だと確認し、少し様子を見ていたのではないか。そこで死体を発見したと気付き、下手に騒がれてはまずいと思って声をかけたのかもしれない。

 もしあの時、茂田と会わなかったら自分はどうしていただろう。やはり通報していたかもしれない。それを食い止める為、警察は信用してくれないから逃げようと提案したのではないか。

 といっても、秀人は彼を告発する気など全くなかった。秘密を知っている健が死んでくれたのだ。もう脅される恐れもなく、心を痛める必要もない。一度は覚悟していただけに、嬉しい誤算だった。

 それに大阪という縁のある地へ移り住めるようになったのも、全て彼のおかげだ。将棋を指している時、相談したからこそ今の自分がある。その時の事を秀人は思い出していた。

 秀人の父の照島まさるは、今や年商数百億、従業員は百名を超える建築土木会社を、一代で築き上げた社長だ。しかし幼い頃より父を嫌っていた為、祖父母が亡くなり家に戻らざるをえなくなった秀人は、中学卒業後に家を出た。

 その後悪友達の家を転々としている内、先輩達からの誘いに乗って犯罪の手助けをした為に逮捕されたのだ。しかもそれが老人を騙す、オレオレ詐欺の受け子だったから最悪である。祖父母には頭が上がらない程世話になった。にも関わらず、彼らと同年代の人々から大事な老後のお金を騙し取ったという事実に、秀人は愕然とした。

 あくまで使い走りの一人だったとはいえ、犯した罪の重さは後悔した所で簡単に消えるものではない。逮捕された時には亡くなった祖父母の顔が浮かび、これでもう馬鹿な真似をしなくて済むと、胸を撫で下ろしたのも事実である。

 健や仲間について黙秘したのは、秘密を守る為でもあったがそれだけでは無い。深い反省を踏まえ、敢えて罪が重くなるよう黙秘したというのが、もう一つの理由だった。

 秀人が少年院から出た直後、父から一度だけ連絡があった。しかしそれは息子を心配してではない。単なる保身の為である。

「お前、警察に余計な話なんかしていないだろうな」

「何も喋っていないよ」

「家の事情を話した友人がいると、以前言っていたな。そいつとまだ付き合いがあるのか」

「ねぇよ。もうあいつらとは手を切るつもりだ」

「そうしろ。お前が逮捕されてから、早百合さゆりは毎日のように泣いている。久森ひさもり達もそうだ。お前は俺だけなく、あいつらが忘れたがっていた過去を思い出させた。小さい頃からあれだけ口煩く、前科者にだけはなるなと言い続けてきたのに、馬鹿な真似をしたものだ」

 父はともかく、母や母方の叔父達については胸が痛んだ。黙っていると話を続けた。

「もちろん会社も迷惑をこうむった。俺の周りでは大変な騒ぎだったよ。マスコミは連日のように追いかけてくるし、一時は売上も落ち込んだ。未成年だったから名前は伏せられていたし、会社の経営と直接関係ないから今はようやく落ち着いたがな。それでもお前のせいで、決して少なくない損失を受けたのは間違いない。被害者達と示談をし、必要以上の金も払わなければならなくなったんだ。それは分かっているだろうな」

「ああ。だからもうあいつらとは縁を切るし、二度と家には帰らないつもりだよ。これからは自分一人で生きていく。会社の跡を継ぐなんて考えてもいないし、他人の振りをしてくれて構わないから」

「言われなくてもそうするつもりだ。二度と照島の敷居しきいまたぐことは許さん。しかしお前がいくら関係を切るといっても、俺達が産んだ息子という事実と罪を犯した過去は消せない。マスコミや世間の目は、犯罪者のお前をずっと追い続けるだろう。俺がいくら関係ないといっても、周りはそう見てくれはしない」

「分かっているよ。だから大人しくするって言っているだろ」

「当たり前だ。今度また事件でも起こしたら、今度こそただではおかないからな。お前だけ苦しめば済むと思うなよ」

「しつこいんだよ! 分かったって言っているだろ!」

 強引に電話を切った秀人は、その後父の口効くちききにより更生保護施設への入所が決まったのだ。そこで住む場所が確保され、食事も提供された。その上相沢が骨を折り、働き先まで紹介をして貰えたのである。

 一口で言ってしまえば簡単だが、今に至るまでは相当苦労した。いくら少年院で自動車整備について学んでいたからといって、実際の現場で働く人達と比べれば少しかじった程度の素人と、そう変わらない。そんな人間を雇う余裕がある工場を探すだけでも、大変だったと聞いている。

 施設では、出所者の受け入れを支援するいくつかの企業と提携していた。それでも数はそれ程多くない上、条件に合うかどうかとなると難しいのが現状だ。秀人の場合も前科者に理解のある自動車整備工場が、いくつか候補には挙がっていたらしい。

 けれど今は新しく人を雇う余裕がない所や、既に資格を保有している人でなければ採用は難しいと返答されるなどして、なかなか難航した。それでもいくつかの伝手を辿り、ようやく新人でもいいからと受け入れてくれたのが、昨日まで働いていた工場だった。

 この間の就職活動で、秀人は一度罪を犯した者にとって社会に出て働くことが、いかにハードルが高いか身をもって体験した。しかしそれは今になって考えれば、とても有意義な経験だったと思う。親に反抗し、家を出た事自体は後悔などしていない。それでもお金を稼いで自活するというのは、どれだけ大変なのかが身に染みて分かった。

 あんな父親でも、自分で事業を立ち上げ大きな企業にまで成長させたという事実に関しては、並大抵な努力をしなければできなかっただろうと今なら理解できる。

 人間としては別だが、社会人としては尊敬せざるを得なかった。母や自分を育てるだけでなく、叔父達や百名以上の従業員とその家族の生活を支える基盤を作ったのだ。その努力と実力は、さすがに認めなければならない。

 秀人は懸命に働いた。そして前科者への冷たい仕打ちや差別の目にも少しずつ耐えられるようになり、最近になってようやく自分一人でやっていける自信を持ち始めたのだ。もう少し落ち着けば施設を出て、借りられる家を探す所まで来ていた。

 しかし度重なる誘いをかけてくる健だけが邪魔だった。その件で苦しんでいる時に救ってくれたのが、将棋相手の茂田だ。

 ある日指している時に何気なく相談すると、状況を理解してくれた彼は、自分も同じ境遇を経験していると話し始めた。さらに他の施設へ転出すればいい、と教えてくれた。しかも陰では、健を追い払う手助けさえしてくれていたと、後に知ったのである。

 彼に頭が上がらない秀人は、今後どうすればいいのかを考えた。健が落ちたのは、廃ビルと廃ビルの隙間で目立たない場所だ。周囲に人気はなく、上手くいけばあと数日は見つからないかもしれない。だがいつかは発見されるだろう。

 死んだ人間が健だと分かれば、いずれ警察は秀人との関係に気付くはずだ。しかも死体のあった場所の近くに、住んでいた施設がある。そこにいないと分かれば、大阪まで追いかけてくるに違いない。

 事情聴取された場合、そこで自分の無実を証明できるだろうか。秀人が触った手すりなどには、手袋の跡が付いているだろう。足跡だって残っている。着ていた服の繊維などが、胸倉を掴んだ彼の手に付着しているかもしれない。

 またバイクのメットには間違いなく、秀人が被った形跡が残っているはずだ。事情聴取の際にDNA採取を強要されれば、間違いなく一致する。そうなれば茂田が言ったように少なくとも彼が亡くなった日の夜、バイクに乗った件は隠せない。施設に向かう道中で、どこかの防犯カメラに映っている可能性もあった。 

 そうなった場合は正直に話すとしても、廃ビルには行っていないと白を切り通せるだろうか。髪がほとんどない茂田と違い、秀人の毛が落ちている確率は高い。

 別の日に行ったと嘘をついても、間違いなく怪しまれるだろう。茂田以外には見つからないで施設を抜け出し、無事戻れたはずだ。しかし冷静に考えれば、アリバイが認められるとは思えなかった。

 施設の職員が常駐しているとはいえ、部屋は個室で防犯カメラの設置も無い。気付かれないよう、こっそり抜け出せるのは確かだ。警察がその点に気付けば、そう簡単には容疑者から外さないだろう。

 だとすれば、素直に廃ビルで起こった事実を話すしかないのだろうか。それとも茂田の存在については黙っておき、一人で行ったと証言すべきだろうか。

 いや、普段あの廃ビルの屋上へ他の誰かが上っていたかどうかは知らないけれど、警察が現場検証をすれば、複数人の足跡が検出されるはずだ。健と二人だけで会ったと言えば、逆に疑われるかもしれない。

 一度嘘をつけば、それを取りつくろう為に嘘を重ねざるを得なくなる。しかし警察の尋問のしつこさを経験している秀人は、その難しさをよく理解していた。よって下手に誤魔化すより、何も知らないと口をつぐむ方がまだましだ。受け子として捕まった時も、そうして切り抜けてきた。

 だがあの時は、健や先輩達と繋がりがあるものを一切所持していなかったし、証拠も残していなかったからできたのだ。今回の場合、前のようにはいかないだろう。といっても、茂田はあの時履いていた靴を処分しているはずだ。秀人が馬鹿正直に話せば、逆に何故捨てたのかと疑いが深まってしまう。

 そこでまた考えた。本当にそうだろうか。自分も靴は廃棄するつもりでいる。引っ越しを機に、新しく買い替えたと言えば通用するだろう。

 現物さえなければ、捨てる程古かったかどうかまで、警察では分からないはずだ。明日には埼玉へ移る茂田の場合でも、同じことが言える。ならば彼があの場にいた件は、隠しておいた方が良いかもしれない。

 それに彼の話が本当だったとすれば、あの場にいた三人の他に誰かがいたことになる。そいつの足跡も、現場には残っているはずだ。つまり茂田については黙っておき、秀人以外に健の仲間があの場に二人いたかもしれないと証言すれば、突き落したのはそいつらだと主張できる。その方が辻褄は合うだろう。

 しかしそこで何故警察に通報しなかったのかと追及された時、どうするか。関わり合いたくなかったから、と答えればいいのだろうか。ビルで健に会ったと認めても、一度立ち去った後で彼が落ちたのは事実だ。

 よって彼が死んだ事自体知らなかったと言い張れば、信用して貰えるだろうか。もう一度屋上に上がった件は、足跡が自分のものだと分からなければ通用するかもしれない。

 そう考える一方で、あの時茂田に従ったのは正しかったのかと疑問に思った。けれどあのまま警察に通報していたら、彼が突き落としたという証拠が見つからない限り、秀人が犯人にされてしまうかもしれなかったのだ。

 それに警察が例え茂田が犯人だという証拠を掴んだとしても、ビルから落ちたのは揉め合った末の事故、または秀人を助ける為にやったのだと主張すればいい。心配して跡をつけてきたのは、本当だからだ。もし彼が警察に逮捕されたなら、その時は出頭して正直に話し、情状酌量を願い出るしかない。

 だが明日にも茂田は、埼玉の施設へ移る予定だ。もしそれまで死体が発見されなければ、余程の証拠が残っていない限り、彼の元へ警察の手が及ぶとは思えない。彼ほどの経験をもってすれば、逃げおおせられるだろう。

 それに健が死んだのは自業自得だ。あいつを生かしておけば、いずれ彼は秀人の家へ向かい、父親を脅して金をせびる可能性もあった。だからこれで良かったのだ。そう思うようにした。

 そこで新大阪駅に着いた秀人は、大阪施設長の和久と顔を会わせる前に手袋と靴や服をゴミ箱に捨て、彼との待ち合わせ場所へと向かったのである。



 茂田は秀人が大阪へ発った翌日、相沢の誘導により荷物を運び終え、埼玉へと向かった。その電車の中では、ずっとあの日に起こった件を考えていた。

 幸いまだ古山田の死体は発見されておらず、騒ぎにもなっていない。冬とはいえ、屋外の空気にさらされているから腐敗は進む。だがこの時期における名古屋の朝晩の気温差は、十度以上あった。つまり日が経つにつれ、死亡推定時刻が絞り難くなるはずだ。 

 そうなれば、この地を既に離れた秀人が疑われる確率も低くなる。さらに古山田と関係の薄い自分が、目を付けられる可能性も生じ難い。その為少しでも事件の発覚が遅れるよう、茂田は祈った。

 死者に対して失礼かもしれないが、秀人から聞いた限りでは今後生きていてもろくな事をしないタイプの人間だ。かつての窃盗仲間もそうだったが、残念ながらこの世にいない方が良い悪党は必ず存在する。自分が犯した後ろめたさを払拭ふっしょくしようと、彼はそういう奴だったのだと言い聞かせた。

 またあの忌々しい山岸やまぎしから遠ざかる作戦に成功し、ひとまず安心する。だが大阪から名古屋まで追いかけて来た彼の事だ。いずれ埼玉にも現れるだろう。しかし自分は歳で、体調も崩している。その頃には、もうこの世に居ないかもしれない。

 そこで問題になるのはこれまで盗みに入った際、手に入れた物の処分だった。考えが全く無い訳ではない。基本的には全て警察へ届けるつもりだが、一部だけは秀人に渡そうと思っていた。彼ならいずれ役に立ててくれると期待していたからだ。

 施設で彼と出会ったのが偶然でないとはいえ、不思議な因縁だった。将棋を指しながら直接彼の口からこれまでの生い立ちを聞いた時、天の導きとしか考えられなかったものだ。

 これまで犯した罪の裏で自分がやった行為は、やはり正しかったと初めて思わせてくれた。さらに長い間重ねてきた己の罪を、少しでも償う機会を与えられていると感謝した。

 将棋は奥深いものだ。最近は若い有力な棋士の登場によりブームとなり、スマホなどで手軽にできるゲームとしても人気らしい。だが真剣に取り組めば取り組むほど「考える」ことや「想像」しなければならない手が増える、とても厄介なものだ。

 今の時代は少しでも分からなければ、ネットの検索で答えが簡単に得られる。その為「考え」たり「想像」する行為が、少し面倒なものになりつつあるのかもしれない。

 しかし将棋は九×九マスの盤と四十枚の駒を使って一局を指す組み合わせのパターンが、十の二百二十乗とも言われる。十の十乗が百億だから、天文学的な数字だ。その為どういう作戦で行くかにより、指し方も多岐に渡る。

 相手の出方によっては、戦法を変えるなど対処方法も千差万別だ。さらに数手、十数手先を読んでいかに相手を詰ませるか、または詰ませないよう相手の一手の意味や狙いを「考え」「想像」しなければならない。

 それは無限の広がりを持つ。自分のそれまでの経験と価値観を元に、得られる情報から自分の頭だけで組み立て、勝ちに向かう為の次の一手を指すのだ。

 しかも出て来た情報、つまり相手の一手を簡単に鵜呑みしてはならず、常に疑いあらゆる場面を想定し、次なる行動を取る。それは実社会の生活にも通じる道理だった。

 戦後の混乱期で十三歳の時、空き巣の師匠である滝野たきのに拾われた茂田はそう教わった。将棋を学べば窃盗の技術の取得以上に、生きていく為の能力も身に付く。とても大切な多くの知識や知恵を得られる行為に繋がると諭され、駒の動かし方から指導を受けた。

 それから空き巣専門の窃盗を六十年以上続け、師匠の言葉が嘘ではなかったと身に染みた。実際あらゆる場面で、突発的な問題が起こった際の対処にとても役立った。加えて様々な可能性を想定しながら、侵入する為に「考え」「想像」してきたからこそ、自分の身を守ってこられたのだ。

 師匠を中心に窃盗で生活をする仲間は、時に十数名を超える集団になっていた。しかし滝野は、滅多に複数で盗みに入ろうとしなかった。

 せいぜいまだ経験の浅い者が盗みに入る際、狙った家の周辺に仲間を配置し、見張りをつけて見守る程度しかしない。ターゲットが大きな屋敷の為に、一人では手に余ると相談された時だけ複数人で押し入ったケースが、まれにあったくらいだ。

 けれども基本的に盗みは自己責任であり、仲間に迷惑をかけてはならず、その分儲けは全て自分のものという考え方を持っていた。集団を組んでいたのは、あくまで盗みの技術や経験、情報を共有して効率よく盗みができるようにする為だったらしい。

 しかし一番の目的は、生い立ちが複雑で孤立しやすく、凶悪な罪を犯す危険性がある奴らの居場所を作る為だったのだろう。さらには逮捕されてもできるだけ罪が軽く済むよう、人を傷つけない空き巣専門の窃盗犯として育てる為だったようだ。

 よって滝野は、盗みに入った先で人に出くわしたとしても決して危害を加えないよう、日頃から弟子達に厳しく言い聞かせていた。さらに盗みの標的はできるだけ裕福な家を選び、なるべくあくどい儲けをしている噂がある相手を狙うよう指導していた。

 理由の一つは、一度に多くのお金が得られ効率が良いだけでなく、盗みに入られた相手が生活に苦しまないようにする為だ。自分達が生きる為に必死な環境である事情を踏まえた上で、同じ思いを他人にさせてはいけないというのが、師匠の教えだった。

 もう一つは同じ盗みを働くなら善人からより、悪人達の金を奪う方が罪の意識も少なくて済むとの考えからだろう。その上、悪人達の稼いだ金は表へ出せないものがあるからか、例え盗まれても警察に届け出ない場合があった為でもある。

 もちろん危険な奴らに、追いかけられるリスクもあった。しかしそれを軽減する為に知恵を出し合い、または情報を共有したり日々盗みの技術を向上させる為の勉強をしたりすることが、徒党を組んでいる利点となっていたのだ。

 それに空き巣の仕事は、毎日繰り返せるものではない。一度成功し稼いだお金で暮らしながら、堅気の仮面をかぶりつつしばらくのんびりと過ごすか、次なる目的の情報を集めたり勉強したりする日々の方が多かった。

 だから普段は、真っ当な職に就いている者も少なくなかった。茂田もその内の一人で、新聞配達や廃品回収、ごみの収集などの仕事をしながらターゲットを探し、住む地域も中部地方や関西を中心に転々としていたのである。

 人によって多少考え方が違ったけれど、多くは師匠の教え通りに必要最小限の稼ぎで贅沢をせず、できるだけ穏やかな毎日を過ごしていたと思う。だからこそ将棋を指す時間は最も有意義だというのが、滝野の考え方だった。

 しかし彼が三十年以上前に亡くなり集団も散り散りになってから、茂田は仲間と将棋を指す機会が激減した。その代わりに通ったのが、カルチャースクールの将棋教室や総合福祉センターだ。六十を過ぎると、老人福祉センターにも足を運ぶようになった。

 カルチャースクールだと、授業料などのお金が掛かる。その分暇を持て余す裕福な家庭の人と接する機会が多く、空き巣の対象先を探す為にも有効だった。

 けれど悪人はあまりいない。それでも金持ち同士のネットワークがある為、噂好きの人達の話を聞いていれば、時折ターゲットになりそうな情報を手に入れられた。

 総合福祉センターは費用が掛からない分、カルチャーセンターよりはそれほど裕福で無い家庭が多く、盗みに入る先の情報は少なかった。それでも将棋が思う存分指せた。そこで頭を鍛え腕も磨きながら、師匠の教え通り適度な暮らしをしつつ暮らしてきたのである。 

 しかし寄る年波には勝てない。老人福祉センターに出入りできる年齢となった最初の頃は、まだ大丈夫だと思っていた。体も仕事の為に日頃鍛えていたから、過信していたのだろう。健康診断なども、録に受けてこなかったのが災いした。

 しかも盗みに入った時、突然体調が悪くなったから最悪だ。集中力が欠けていたらしい。侵入した形跡を上手く消せなかった為、茂田は逮捕されてしまったのである。

 幸か不幸か収監された際、健康診断を受けたおかげで大病に罹っていると判明し、空き巣から引退せざるをえなくなった。その為出所した後は更生施設の世話となり、定期的に病院へ通いながら社会復帰の為、堅気の仕事を斡旋して貰ったのである。

 この時初めて施設というものの世話になったが、そこには様々な罪を犯した奴らが集まっていた。しかも驚いたのは、割合としては自分と同じような高齢者か未成年の若者が、最も多く占めていたことだ。

 超高齢者社会だからなのか、経済的な問題から生活苦に陥り社会と馴染めないまま、何度も罪を繰り返す再犯者が多い為らしい。

 同じく若者も再犯率が高いようだ。周囲から爪はじきにされて生きる希望を見いだせず、悪友達からの甘い誘いに乗ってやすきに流れる者が多いからだろう。

 別の意味で薬物中毒者も再犯率は高いが、そう言った人々は異なる種類の専用施設に集められるそうだ。正式には更生保護施設と総称で呼ばれているが、厚生施設の他に救護施設や医療保護施設、授産施設や宿泊提供施設などと細分化されている。

 だが大阪や名古屋の施設もそうだったように、複数の役割を持つ場所もあった。その歴史は明治二十年に静岡で起きた悲しい出来事から始まったのだと、大阪の施設長だった和久から教わった。

 かつてあらゆる罪を重ねたある一人の男が、監獄の職員達の熱心な指導により心を入れ替え真人間になると誓い、監獄から釈放されたそうだ。しかし十年ぶりに家に戻ると、彼の妻は別の男性と暮らしていたという。

 止む無く男は親戚を頼ったがやがて追い出され、宿無しの身になってしまった。せっかく更生を誓ったというのに親族からも見放された男は、結局絶望して自ら命を絶ってしまったのである。

 そうした話を聞いた実業家の金原きんばら明善めいぜんという人物が地域の協力を募り、明治二十一年に監獄から釈放された人を保護する施設を設立したらしい。それが「更生保護施設」の始まりだという。そこから全国に広まり、今では全国で百を超える施設があり、収容定員も二千三百人余りにまでなったそうだ。

 それでも問題は多々あり、その中で近年最も懸念されている事の一つが再犯率の高さである。これまで茂田は十代で二度捕まったが、施設の世話は受けなかった。

 何故なら、師匠を含めた仲間達がいたからだ。出所した後も住む場所や食料を分け与えてくれる人がいて、孤独にもならず生きる希望が持てたからこそ、苦しい時代を生きてこられたのである。

 しかし今回初めて施設に入った茂田は、現在の状況を施設長や職員から聞いて納得した。茂田自身も社会に出た後、結局以前の仲間の元に戻り再犯を繰り返して来た口だ。そうなってしまう犯罪者達の心理は、痛いほど理解できた。

 しかも今は若者の人数が減少し、高齢者の割合が増えている。そんな中で高齢者の犯罪率と再犯率が、年々高まっているというのも致し方ないだろう。そうならないよう、施設で働く人達が賢明にサポートをしてくれているようだが、それも限界があった。

 多くの元犯罪者は茂田のような意志が固いものばかりではないし、これまでの長い人生で磨き上げて来た特殊技術を持ち、または隠し財産を保有している訳でもない。

 社会に出て苦労するより、屋根付きの安全な場所に三食付きで税金を支払うことなく生活できる堀の中にいた方が、余程住みやすく居心地が良いと感じる高齢者が多くなったのも無理はなかった。

 それでも罪を犯した者の中には真摯しんしに反省し、社会復帰を果たそうと努力している者もいる。その一人が秀人だ。彼は悪友や先輩達にそそのかされ、詐欺の片棒を担がされた。それを心から悔いていると、施設の職員達や本人の口から聞いた。身内との間にも、複雑な問題があると耳にしている。

 そうした理由もあってか一日でも早く自立しようと、収容されていた少年院では自動車整備の資格を取る為の勉強と実技を学んでいた。よって院を出た後、施設の紹介で整備工場での働き口を紹介して貰い、日々真面目に働いていたのだ。

 茂田は自分の特技を生かして大阪の施設で鍵職人の仕事を紹介され、名古屋へ来てからも同様の仕事を始めたばかりだった。そんな環境だったからこそ、孫のような年齢の彼が頑張っている姿を見て気にかけ、陰で応援していたのである。

 そんなある日のことだった。仕事が休みで外は激しい雨が降っている時、茂田は気晴らしのつもりで施設に備えられていた将棋盤と駒を使い、同じく棚に置かれていた本を手に詰将棋をしていたのだ。

 すると同じく仕事が休みだったらしい秀人が興味を持ったようで、少し離れた場所に立ち将棋盤を見つめていたのである。そこで思い切って声をかけた。

「君は将棋が指せるのか」

 すると彼は小さかったがはっきりとした声で、はい、と答えた。相手の実力にもよるが、一人で詰将棋をするより実際に指した方が面白い。時間は十分にあり、長く会話する機会も生まれる。そこで断られても良いと思いながら誘ってみた。

「こんな爺さんが相手で良ければ一局、やってみるか」

 嫌がられると覚悟していたが、意外にも彼は喰いついてきた。

「いいですか。お願いします」

 いざ指してみると、茂田には及ばないものの彼はなかなか筋が良く、実力もあった。また何より真剣でかつ将棋を指すのが楽しいらしく、時折笑顔を見せた事が驚きだった。

 茂田はこれまで、五十以上も年が離れた若者と会話を交わした経験などほとんど無い。またいざ彼と話すきっかけを掴んだとはいえどう接すればよいか分からず、黙々と将棋に没頭していた。

 だが時折独り言を呟く彼の言葉に反応し、一度話しかけてみたのである。

「どうした。何か気になることでもあるのか」

 すると彼は顔を上げ、目を真っすぐに見つめて答えた。

「いえ、そうじゃなく懐かしいなあと思って。先程指された手なんか、僕のお爺ちゃんが得意にしていたと思い出したんです」

 そこからお互い初めて名乗り、彼が将棋を覚えたきっかけなどを聞いたのだ。そこで彼は祖父に教えられたから、茂田のような初対面の年寄りと指すことにも抵抗がなく、話にも応じられるのだと納得した。

 それからはお互い暇ができれば将棋に誘い、指しながら日頃の何気ない出来事を話したりして打ち解け始めた。互いの犯罪歴や過去についても話せるようになり、やがて茂田は彼から悩み相談を受けるようになったのだ。

 それまでの会話で、彼の複雑な家庭事情は聞いていた。冷静を装いながらも、激しく動揺する自分に気付いた。なんとか心を落ち着かせようとしたが、彼の過去の人生に起こった詳細を知れば知るほど、やはり放ってはおけないとの思いが強くなっていた。

 よってこの子には一日でも早く、必ず無事に社会復帰させたいと考えるようになり、自分が出来る事ならなんでもしようと誓ったのである。

 彼が健という悪友に付きまとわれて困っていると聞いた時、別の施設に移るようアドバイスをしたのもその為だ。自分の周りに、山岸の影がちらつき始めていた時でもあった。この頃から自分の財産の一部を受け渡す相手は、秀人しかいないと考えていた。

 しかしそれらを正しく使う為には、健以上に山岸の存在が邪魔だった。茂田が亡くなった後、隠し財産の一部が秀人に引き継がれているともし奴が知れば、今度は彼からそれらを奪おうとするだろう。それだけは避けなければならない。

 昔のあいつは、それほど厄介な奴ではなかった。一体いつからあのような人間になってしまったのか、と茂田は思いを馳せた。

 山岸と出会ったのは、茂田が空き巣専門の窃盗集団の頭をしていた滝野に拾われた時だ。一つ年上の彼は兄弟子で、当時は年齢も近く親に捨てられた境遇も同じだった為、とても可愛がってくれた。

 茂田とは対照的に、当時としては珍しく身長が高く、逞しい体つきをしていたからか、とても頼りがいがあった。十代の若い頃に二度ヘマをして捕まったが、その時も骨を折って色々と世話をしてくれた恩人でもある。

 しかし徐々に仕事をこなしていく間、いつからか茂田の方が才能を開花させグループの中でも頭角を現し、仲間から一目置かれるようになった。対して彼は警察に捕まるケースが多く、今は前科七犯のはずだ。

 執行猶予が一回、その後は二年、三年、五年、七年と十三年の合計三十年。人生の約半分は刑務所暮らしをしていた計算になる。そのおかげで犯罪者仲間との繋がりが増え、顔は広くなったらしいが、いつも金銭には困っていたようだ。

 対照的に二十歳を過ぎて約五十年余り足がつくこともなく、着実に成果を残し伝説の空き巣との名声を得ていた茂田は、一財産を築けるまでになった。そんな弟弟子を、彼はいつしか嫉妬し始めていたらしい。

 特に大きなきっかけとなったのは、師匠の滝野が七十五歳で病死したことだろう。多くの弟子に見守られる中、滝野は死ぬ間際の病室で言った。

「俺の跡は茂田が継いでくれ。頼んだぞ」

 突然後継者に指名され驚いた。それはまだ、四十歳になったばかりだったからでもある。他にも自分より年が上の先輩方が、多数いたのだ。山岸もその一人だった。

 その頃から彼は茂田を目の敵にし始めたようだが、それは明らかに逆恨みとしか思えなかった。それに過去の功績や人望もあった為に後継指名を受けたものの、人を束ねてまとめる力は、滝野よりはるかに乏しかった。

 さらに時代も変わり、徒党を組むメリットが薄くなっていたからだろう。既にその頃の滝野の弟子達の多くは、各々がバラバラに活動をし始めていた。よって山岸が五回目の逮捕で刑務所に入った後、集団を引き継いだ三年目に茂田は解散を宣言せざるを得なくなったのだ。

 しかしそれがさらに山岸の怒りを買い、茂田を批判し始める原因となった。なぜなら当時は集団を組んでいれば仲間が逮捕された場合、出所後の生活を補助する仕組みがあった。それが無くなった為、刑務所生活が長かった彼などは大きな損害を受けたからだろう。

 また茂田は、現在の状況に至るきっかけとなった事件を思い出した。もう四十年近くも前になる。三カ月ほどかけて下調べした、二階建ての大きな家に侵入した時の事だ。部屋の数は、少なくとも六つ以上あった。

 家族構成は大人が四十代半ばで詐欺まがいの会社を経営しているTという男と、その片棒を担いでいる二十代後半の妻。子供は二人いて上は八歳の男の子、下は五歳の女の子の四人であり、犬や猫など動物を飼っていない点も把握していた。

 Tは平日の朝六時半過ぎに家を出て帰ってくるのは早くて十時、遅いと十二時を過ぎる。土日は家にいるか家族と外出するか、付き合いでゴルフに出かけるかしていた。

 妻は朝七時半頃小学二年生の息子を玄関先で学校へと送り出した後、下の娘を車で幼稚園に預けてそのまま男と同じ会社へと出社していく。土日の動きは男に合わせてまちまちで、平日の帰りは毎晩六時を過ぎていた。

 その間に子供達は帰宅していたが、下の娘を幼稚園に迎えに行くのはTの母、つまり子供達の祖母の役割だった。二時半頃家に送り届けて小学校から息子が帰ってくるまでは家にいて、三時前後に帰宅した頃少し離れた自分の家へと車で戻って行く。

 通常は母親が帰ってくるまでは二人で留守番をしていたが、時折祖母が子供達を連れてそのまま出て行く場合もあった。

 以上の情報から、少なくとも平日の朝八時から昼の二時まで、家には誰もいなくなるとの調べがついていたのである。

 当時はホームセキュリティーや、防犯カメラのようなものなどなかった時代だ。鍵と高級住宅が立ち並ぶ地域における、近所の目だけが唯一の砦だった。その為茂田にしてみれば、格好の標的だった。

 下見の時と同様サラリーマンを装い、十二時を過ぎれば家にいる主婦達なら食事を食べ終わり、昼ドラを見ながら寛いでいる人が多い時間帯を狙って目的の家へと近づいた。そうして人目に付きにくい隣の家との間にある細い路地に入り、前もって確認していた勝手口の窓の扉を静かに開けた。

 この家に狙いを定めた理由の一つは、そこの鍵をいつも掛けていないと知っていたからでもあった。入り口は少し狭く様々な台所用品などが置いていた為、ここから侵入する泥棒などいないと踏んでいたのだろう。

 しかし普段から柔軟を毎日欠かさず行っていた茂田にとって、そんな隙間を潜り抜けるのは容易たやすかった。実際行動に移した時も、全く問題は無かった。できるだけ窓ガラスを割って鍵を開けるなど、乱暴な手段は使いたくない。それにピッキングもせずに済めば、それだけ早く侵入できる。

 おかげで難なく家の中に侵入し、部屋の間取りを把握した。外見は和風の家だが、中身は洋風の造りだ。一階は広い広間と台所の他に、仏間や客間がふすまではなくドアで区切られていた。

 最初に一階をざっと覗く。だが金目の物は夫婦の部屋にあると睨み、物色する為二階へと上がった。タイムリミットまで、約一時間以上ある。慌てる必要は無い。

 そう思いながら念のため足音を立てないよう、ゆっくりと階段を上がったその時だ。茂田は居るはずのない、人の気配を感じた。一気に緊張が高まり、身を固めて耳を澄ませた。

 空き巣にとって一番恐ろしいのは、いないと思っていた家人と出くわすことだ。見つかれば大声を出されるか、下手をすれば攻撃されてしまう。俊敏さに自信はあったが、臆病で人を殴ることなどできない茂田にとって、これほどぞっとする状況はない。

 しかも厄介なことに相手が手を上げた時点で、体が固まり動けなくなってしまう癖があった。そうした性格も手伝って、強引で力任せな押し込み強盗ではなく、空き巣専門の盗人となったのである。

 しかし小心者のため慎重に行動するからこそ師匠から目をかけられ、上達も早かったようだ。よってこの仕事は天職だと思っていた。

 家へ侵入した茂田が違和感を覚えた感覚は、間違えていなかったらしい。しばらくじっとして動かず全身の神経を尖らせていた所、どこかの部屋からうめき声のようなものが耳に届いた。間違いなく誰か、または何かがいる。普段なら、咄嗟に逃げ出していただろう。 

 だがその時だけはそうしなかった。なぜか危険を感じなかったからだ。明らかに様子がおかしく、声の主は苦しんでいるようにも聞こえる。もしかして急病で倒れているのかもしれない、と自分の立場を忘れ心配になった。それほど異常なうなり声だったのだ。

 しかしもう一度冷静になって考えた。家には誰もいないはずだ。朝一にTが出勤し、次に小学生の息子、幼稚園に通う娘を連れた母親が出ていく様子を、この目で確かめている。

 三カ月に及ぶ下見の間、他に家を出入りしたのは幼稚園から娘を連れて帰る祖母だけだった。彼女が帰宅する場所や、夫と二人で住んでいることも調査済みだ。この家の子供達の祖父とみられる男性もまだ仕事をしており、毎朝家を出て夜も八時頃に帰宅する習慣も確認している。

 もしかすると茂田が見張っていなかった昨夜の時間帯に、祖父の体調が悪くなるなどして、祖母と共にこの家で休養しているのだろうか、とも想像した。それならば祖母も家の中にいるはずだろう。

 しかし家の中で読み取れる気配は、一か所からだけだ。例え眠っていたとしても、茂田にはそれとなく分かる。これまで何百と繰り返し盗みに入った経験から、磨き上げた感覚には自信を持っていた。

 それならばこの声の主は一体誰だろう。もしかすると看病していた祖母は、一時的に買い物か何かで外出しているのかもしれない。その間に祖父の容体が急変した可能性もある。本当に苦しんでいて命に係わるような状況だったなら、救急車を呼ばなければならない。

 といって自分が連絡すれば、空き巣に入ったとばれてしまう。やはりここは何もせず、逃げるべきだろう。いや待て。もし祖父の調子が悪ければ、二階ではなく一階の仏間か客間で休むはずだ。しかし先程それらの部屋を覗いた時には、誰もいなかった。

 そう思った時、一際ひときわ大きな声で叫び声がした。といっても、茂田だからこそ聞き取れた程度の音量だ。隣近所まで響くようなものではない。ぼんやりくぐもった感じからすると、防音がしっかりした部屋の中から漏れ聞こえてくるような感覚だ。

 そこで茂田は声の主がどのような状況にあるのか再び気がかりとなり、好奇心とも呼べないこれまでとは種類の違った意識を持ち、家の中を捜索し始めた。金目の物がどこの部屋のどの辺りにあるかは、これまでの場数を元にした嗅覚が頼りになる。

 しかし本来なら、察知した瞬間に避けてきた人の気配を探り当てる行為は、全く逆の行動だ。それでも危険を感じ取る能力を活用する点は変わらない。万が一の場合に備え、いつでも逃げだせる態勢をとりつつ足を進めた。

 二階にはドアが五つあった。普通に考えれば夫婦の部屋と子供部屋だろう。これほど大きな家なら、子供部屋は一人ずつで夫婦の部屋もそれぞれ別にあり、書斎があってもおかしくない。これまでの経験値からすれば、現金が置いてある確率が高いのは書斎か夫婦が使う部屋だ。

 いつもなら、そこから探り始めるが今回は違った。当然声の主は、少なくとも夫婦の部屋にはいないだろう。もちろん子供部屋から聞こえてくるとは思えない。つまり五部屋の中で、客間のような全く違う使われ方をしている部屋があるはずだ。

 再び神経を集中し、気配を探りながらそれぞれのドアの前に立った。夫婦が使う部屋や子供部屋と思われる場所は、扉やドアノブと廊下の傷などからここだろうと見当がついた。 

 だがそれぞれの場所からは、やはり何も感じられない。茂田は首をひねった。先程の声や気配が気のせいだったのかと思うほど、家の中は静かだ。

 そこで、次に書斎と思われる部屋の前に立った。せっかくここまで来たのだから現金を探す目的もあったが、ここだけ何となく他の部屋とは別の空気が漂っていたからである。本来なら危険な匂いと言っていい。よって通常なら近づかない場所だ。

 しかし今回だけは違う。茂田は静かに息を吐き、ドアノブに手をかけて音を立てないよう回した。鍵はかかっていなかった為、押せば中に入れそうだった。よってゆっくり扉に力を加える。入ってみると予想していた通り、中はTが使用しているらしい書斎だった。 

 ベッドのような寝具はなく、代わりに大きな机が窓に向かって置かれている。横の壁には天井まで届く棚で敷き詰められ、中にはぎっしりと本が並んでいた。机の後ろに当たる部屋の中央部分は、小さなテーブルと二人掛けのソファが左右に設けられている。

 大きな窓には白い覆い越しに日が差し込んでいた。閉まっている為良く見えないが、カーテンを開ければ外の庭が見えるはずだ。ぼんやり見える緑の色は、屋敷の塀に生い茂る草木だと思われる。さぞかし良い景色が眺められ、ゆったりと寛ぎながら仕事ができる場所なのだろう。

 だが奇妙だったのは、本のかもし出す独特な匂いとは別の異臭が漂っていた点だ。香水のようなものでなんとか誤魔化しているようだが、居心地の良いはずである空間にはそぐわない雰囲気が感じられた。

 そこで茂田は、右側の壁の一角にある棚に目を向けた。一部だけ観音開きの扉が設置されたその場所には、おそらく金庫が入っているはずだと、空き巣の目が教えてくれる。しかし耳は別の場所を探っていた。反対側にある左側の壁から、僅かに人の気配がしたのだ。

 けれどもそこには本棚しかない。茂田はゆっくりと近づき、周辺をぐるりと見渡した。こういった場所に隠し扉がある家は、何度か入った経験がある。

 あくどい商売で金を稼いでいる輩をターゲットにする場合が多い為だ。そういう奴らは間違いなく、人目に着かない場所へ金を隠す習性がある。ここの主も同じだろう。

 だが今は意味合いが異なった。この向こうには、お金ではなく人がいるかもしれない。しかも気配を感じた為、死体ではないだろう。それならば、生きたまま閉じ込められているはずだ。よって犯罪の匂いがした。頭の中で警告音が鳴る。危険な領域に、足を踏み入れてしまった意識はあった。

 それでも身に及ぶたぐいではないと、本能が察知したらしい。なぜかここで逃げてはいけないような気がした。誰かが開けろと、腰抜けの茂田の背中を押しているようだった。

 思い切ってここだと思う個所を押すと、見事に本棚がガクッと音を立てて動き、僅かな隙間が生じた。その瞬間、先程から耳にしていた呻き声が今度ははっきりと聞き取れたのだ。間違いなく人がいる。しかも相手は病人のようだ。棚を動かすと隠し扉が見え、それを押し開くと、最初に異臭が鼻を突き刺した。

 これが部屋に入ってから気になっていた、奇妙な匂いの正体らしい。次に奇声が耳を襲った。とはいえ獣の類ではなく、明らかに男の人が発した声だ。恐る恐る入り中を覗くと、そこには三畳ほどの空間があり、病院などで置いてあるようなベッドが備えられ、人が横たわっているのが見えた。

 しかし頭が向こうを向いていたので、顔は見えない。よく観察すると、どうやらその人はひものようなもので、ベッドに縛り付けられているようだ。強烈な臭いを発しているのは、糞尿ふんにょうだと分かった。

 なぜこんなところに人が閉じ込められているのかと疑問に思った茂田は、ビクビクしながらもその人物の近くに歩み寄った。そこで枕元の周辺に置かれた、食べ物や飲み物の容器を発見する。そして横たわっている男の顔を覗き、ようやく理解ができた。

 単に拘束している訳ではなく、隔離されているらしい。おそらく精神を病んでいるのだろう。茂田は急いで部屋を出て扉を閉めた。それでも呻き声が聞こえる。すぐにでもその場から逃げ去ろうと、一瞬考えた。だがそこで一度立ち止まる。

 どうしてこんな隠し部屋に、彼は閉じ込められているのか。ここは金に困っている家庭ではない。専門の病院へ入院させれば、手間もかからないはずだ。そうしないのは何故だろう。またこの男は一体誰なのか。ここに住む奴らと、どういう関係なのかが分からない。

 年齢は五十代前後に見えたが、病と隔離生活によるものなのか痩せ細っている為、実年齢はもっと若い可能性もある。そうなるとTが四十代後半なので、兄か弟かもしれない。

 自分が使う書斎の奥に閉じ込めている状況から、少なくとも彼の身内には違いないだろう。外聞などを気にして、病院へ入院させることを避けていると考えれば納得もできる。

 だが全くの第三者だとすれば、完全な犯罪だ。いや身内だったとしても、このような扱いは人権を無視した監禁であり、罪に問われるだろう。

 一九八〇年代だった当時、特定の宗教団体から脱退させる為に一定期間信者をマンションやホテルの一室へ監禁し、脱退させる手法が話題になっていた。他にも国内だと、某ヨットスクール事件がある。

 海外ではアメリカでスクールバスから二十六人の子供と運転手を誘拐し、地中に埋めたトラックの中で監禁した事件なども起こっていた。その後だと女子高生コンクリート詰め殺人事件や新潟少女監禁事件、北九州監禁殺人事件といった想像を絶する凶悪事件が続いた時代だ。

 しかしまだこの頃の日本では他人を監禁するといった事件が少なかった為、身内である可能性が高いと茂田は判断した。それならば下手に首を突っ込むより、本来の目的を優先すべきだと思い直したのである。

 一度そう割り切れば、あとは慣れたものだ。金目の物がある場所を的確に探り当て、足がつきにくい貴金属や現金ばかりをかき集めた。そしてものの十分もしない内に、一千万は下らない収穫を得て屋敷を後にしたのである。

 これだけあれば、しばらく生活には困らない。次のターゲットを探し、下調べをする時間も十分取れる。といっても逮捕されては困る為、素早くその土地を離れつつ警察がどう動くかの確認は、逐次ちくじ怠らないようにしていた。

 ネットなどがまだ普及していないその時代の情報源は、まず新聞だ。もちろん住所は転々としていた為定期購読などしない。もっぱら駅などで購入し、盗みに入った家が警察に連絡したかどうかを確認するのだ。もし通報したなら、どう捜査し始めているかを探ることにも使えた。

 だが結局Tの家の主は、警察への届け出をしなかったらしい。テレビはもちろんの事、新聞でも全く取り上げていなかった。念の為に後日家の周辺も探ってみたが、捜査している様子は皆無だった。

 しかしこういうケースは良くあり、特別珍しくない。茂田が狙うのは金持ちだが良からぬ噂があるなど、真っ当な仕事で稼いでいない家が主だ。そういう場合、警察に届けると脱税や裏稼業での稼ぎがばれてしまう恐れがある為、黙殺せざるを得ないのだろう。もちろんその効果を狙って、わざとその手の家を標的にしていたからでもある。

 けれども今回に限り、通報しなかった理由はいつもと違う気がしていた。金の出所を探られたくなかったことも事実だろう。だがそれ以上に、警察が家の中を捜査すれば人を監禁していると気付かれ、公になってしまうと恐れたのではないか。

 ただ全ての空き巣事件が、新聞に掲載されるとは限らない。また盗まれていると気付くのが遅れ、届けるまで時間がかかる場合も有り得る。今回だと監禁している男を余所に移してから、警察に駆け込む可能性もあった。その為いつものように油断せず、その後も動きが無いか探りを入れていた。

 しかし犯行後に、本人が周囲をうろつくのは危険だ。そこで頼りになるのが同じ師匠に学んだ仲間の一人である瀬良せらだった。六つ年下の彼とは同じ将棋という趣味を持っていたので気が合い、互いに何かあれば協力し合う仲である。

 それにかつて彼が二十代の頃に二度目の逮捕で刑務所に入っていた時、師匠の指示もあって経済的に困っていた彼の母親の面倒を、茂田が見たことがあった。

 彼の父親は十八歳の時に召集され、戦地で片腕を失ったが無事生き残って終戦を迎え、日本へと帰還した。彼は赤紙が来る前に結婚をしており、出征前に一人、帰国後に二人の息子を授かった。三番目の末っ子が瀬良だ。

 傷痍しょうい軍人として受け取れる恩給で何とか暮らしていたようだが、生活は苦しかったという。戦中はもちろん、戦後も食べるだけで精一杯だったのだろう。さらに片腕の為、碌な仕事にも就けなかった父親は、徐々に荒れていったらしい。

 やがて精神の異常もきたしはじめ、一日中寝込むことが多くなったそうだ。そんな家計を支える為に母親は夜の仕事を始め、法を犯す行為もし始めたという。そうした環境で育った子供達もまた、自分の食い扶持を得る為に盗みを働いていた。瀬良が兄達の行為を真似るようになったのも、当然の事だったに違いない。

 しかし瀬良が十五歳の時、父親が病死した。その翌年に愚連隊から暴力団と名を変えた組織に属していた兄達は、抗争に巻き込まれ相次いで亡くなったのである。度重なる不幸に働き詰めだった母親も、とうとう心が折れたのだろう。体を壊し、それまでのようには働けなくなった。

 そんな母と二人きりになり、一人で細々とした盗みを続け生活を支えていた彼と知り合い、師匠に紹介したのが茂田だ。その後彼の兄弟子として、世話を焼くようになった。それを恩義に感じたのか、出所後の彼は何かと茂田の役に立とうと、いろんな手助けを自ら買って出るようになったのだ。

 そんな彼に依頼したのが、Tの家でその後何か変化があるかを探る役目だった。これは瀬良が空き巣に入った場合でも、余程の事がない限り同じ仕事を茂田は行っていたからでもある。

 ただしこうした補助的な役割をしている間は自分の仕事ができない為、互いに経済的な余裕がある時に限られた。もちろん多少の駄賃は支払われるものの、空き巣に入って稼ぐ金と比べれば僅かだからだ。

 しかし今回家から盗んだ金が多く、隠し部屋にいた人物の事が妙に気がかりだった為、瀬良にはいつもより手間賃をはずんだ。

「こんなに貰って良いんですか」

「実入りが良かったからな。それに今回は、いつもと違った面からも探って欲しい」

 茂田はT家で目にした状況を説明した。それを聞いた彼は首を傾げた。

「兄さんは、何が引っかかっているんですか。その男が誰なのか、どういう訳で閉じ込められているのかを知りたいって意味じゃないですよね」

「そこまでは考えてない。だけど何か起こりそうな気がしてしょうがないのさ」

「何か、ですか。殺人事件とか別の犯罪が絡んでいるとか。でもそれは私らに関係ありませんよね。それともまだあの家から、金を引っ張ろうと考えているんですか」

「もう一回盗みに入る気はしない。それに一度被害にあった家は、その後相当警戒するだろうから危険だ。しかしどうしてもひっかかって、スッキリしないからお前に頼むんだ」

 自分でもよく分からない感情を説明できず困惑する茂田を見て、彼は納得したらしい。

「了解です。何が起こるか分からないけれど、あの家が今後どうなっていくのか見ておけばいい、ってことですね」

「ああ、妙な仕事を頼んで申し訳ないが、やってくれるか」

「兄さんの頼みなら、聞かない訳にはいきません。任せてください。それにあの近辺は他にも金持ちの家がいくつかありそうです。ついでに入れそうなところがあるか、下調べを兼ねて行かせてもらいますよ」

 彼の好意に甘えて茂田は金を渡したが、それから三カ月ほど何も音沙汰がなかった。基本的に何か動きがない限り報告しないのが、暗黙のルールだった。その為茂田はT家についてすっかり忘れ、そろそろ別の標的の下調べでもしようと動き出したある日の事である。

 朝、茂田は近くの売店でいつものように新聞を買って驚いた。なんとあのT家の事が載っているではないか。しかも内容は、虐待の疑いで逮捕されたとの報道内容だった。どうやら懸念していたことが、現実になったらしい。

 記事によればTが経営する会社に脱税の疑いがかかり、その一環でいわゆるマルサと呼ばれる国税局査察部による強制捜査が社長宅に入ったという。その過程で隠し部屋の存在が発覚し、監禁されていた男を発見したそうだ。

 茂田が想像していた通り、その人物はTの弟だった。どうやら彼はかつて良い大学に入り一流会社へ就職していたらしく、T家でも自慢の子だったという。だがある時から精神を病み、会社に出社できなくなったそうだ。どうやら多忙な上に、上司から今でいうパワハラを受けていたらしい。

 その為家に引き籠るようになったが、両親や兄は周りに知られることを恐れたようだ。そこで海外赴任していると周囲には伝え、元々良からぬ金を隠す為に作っていた部屋を利用して、監禁生活をさせていたという。

 警察に保護された時点で相当衰弱しており、今は意識不明の重体らしい。Tは脱税の証拠も見つかり、監禁、虐待、殺人未遂の容疑も加わって逮捕されたというのだ。

 詳しく事情を知りたいと瀬良に連絡を取ったところ、彼はすぐに飛んで来た。

「すみません。兄さんに頼まれて二カ月位は結構な頻度で見回りをしていたんですが、何の動きも無かったので、ここ一カ月は少し回数を減らしていました。最近、あの家の周辺で妙な人間がうろついているのは何となく気づいていましたが、余り気に止めていなかったところへ急な動きがあったようで、報告が間に合いませんでした」

「そうか。探っていた組織は査察のプロだ。そう簡単に、調査していると分かるような動きなどしないだろう。気付かなくてもしょうがない。下見の回数を減らしていたのも幸いだった。下手をすれば、お前が目を付けられていたかもしれない。前科もあるしな」

「しかし驚きました。兄さんが気にしていた通り、あの家はやはり問題があったんですね」

「そのようだ。近所の人間もあの家に弟が住んでいたなんて、全く気付いていなかったらしい。お前が調べても同じだったのか」

「はい。兄さんが下調べされていた通り、婆さんやたまに爺さんが出入りするくらいで、子供二人と夫婦の四人暮らしだとばかり思っていた、と言う奴らばかりでしたよ。変な匂いがするだとか、声が聞こえたという話も全く聞きませんでした」

「その辺りの対策は、万全を期していたようだな。俺も家に入って、何となく気配を感じたくらいだ。書斎に入ってようやく匂いと声が聞こえてきた程度だから、消臭や防音対策には相当気を使っていたんだろう」

 第一報が出た後の新聞や週刊誌などで追加情報が流れた以上の情報は、瀬良から何も得られなかった。彼は恐縮していたけれど本職が探偵でもないし、周辺調査の経験も茂田と比べれば劣る。下調べを三カ月した自分も気づかなかったのだ。その為気にするなと何度も慰めた。

 またここまで公になれば素人がこれ以上下手に近づいては危険だからと、調査を打ち切るよう伝えた。それでも茂田はその後もテレビのニュースや週刊誌などから情報を得ながら、引き続きこの件に関心を持ち続けていたのである。

 すると事件発生から一月ほど経った頃、保護され入院していた弟が亡くなったとの記事が出た。よってTは殺人未遂から殺人容疑に切り替えられ、再捜査されたのだ。

 茂田は衝撃を受けた。隠し部屋で男を発見した時から、胸に秘めていたものが溢れ出した。あの時助けを呼ぶべきかと思い悩んだ。しかし身の程を弁(わきま)え見なかったふりをした結果、一人の人間を見殺しにしたのである。

 最初から全く気にしていなければ良かったが、家を出た後も釈然とせず瀬良に調査依頼までしていたのだ。ならばその時点で警察に通報しておけば、もっと早く彼は発見されて命が助かったかもしれない。

 そう考えだすと、後悔の念が押し寄せて来た。そこまでする義理は無い、所詮自分は単なる空き巣なのだと思えれば、気は楽だっただろう。しかしそれが出来なかったのである。

 茂田は終戦直前に生を受け、親に捨てられ食うや食わずの生活を経て滝野に拾われた。その後弟子入りし、空き巣家業を続けて二十年余りの月日が経っていた。師匠に助けてもらっていなければ、完全に野垂死のたれじにしていたはずだ。

 実際周りには、そういう子供達や大人が沢山いた。だからだろう。真っ当な人生だとは言わないが、どうにか今まで生きて来られた自分の境遇を考えた時、おこがましくも他人の命でさえおろそかにはできない、と思うようになっていた。

 師匠である滝野の教えが、身に染みていたからかもしれない。生きる為に他人様の物を盗んで暮らすのだ。それだけで罪深い事をしていると常に自覚しろ。そう耳が痛いほど聞かされて育った。

 さらに決して他人を傷つけるような真似はするな、ましてや自分が助かるために命を奪おうなんてしてはいけない。罪を犯しているのだから、捕まる時は悪足掻わるあがきせず大人しくしろと、何度も繰り返し釘を刺されていた。

 十代の頃は未熟だった為に二度逮捕され、苦しい時期もあった。だが茂田が二十歳を超えた頃の六十年代後半からいざなぎ景気が始まり、周囲には小金持ちが増えて空き巣家業も順調になった。

 おかげでその日暮らしの生活から抜け出し、蓄えを持てるようになり余裕が生まれた。女遊びにはまった経験もある。だが家業から足を洗う気はなかった為、家庭を持とうなどとは思わず、早くから諦めていた。

 そうして師匠の教えを守る上で犯罪者にも五分の魂があるとの思いから、ここ十数年はできるだけこの世の中をよくしようと考えるようになった。そこで空き巣の標的を、裕福な家庭の中でも良からぬ金を稼いでいる輩に絞りだしたのである。

 そのような縛りを設けても、師匠や仲間から教わった新しい技や情報を身に着け、入手する努力は欠かさなかった。結果その後は一度も逮捕されずに済んでおり、危ない目にあったこともない。

 だからこそ自分の犯してきた罪を、少しでも社会に還元しようという気持ちが大きくなっていたのだ。そんな中で今回の出来事は、茂田にとって大きなおりとなって残った。今まで自分がやってきた行為は何だったのか。単なる自己満足に過ぎなかったのではないか。

 そう思い悩んで辿り着いたのが、その後悪者の家から金を盗むだけでなく、その家庭で行われている悪行の証拠を掴むことだった。その使い道は様々である。あくまで自分は空き巣専門の窃盗犯であり、脅迫や詐欺まがいの犯罪に手を伸ばしたいとは思わなかった。

 長年における師匠の教えもあったが、それだけではない。兄弟子の中で師匠に逆らって好き勝手なことをし、何度も逮捕されている山岸という男がいたことも影響している。

 茂田より一つ年上で少し先に滝野の弟子になっていた彼は、空き巣専門、人を傷つけない、貧しい人間からは盗むな、盗みに入った家の事情に首を突っ込むな、などの師匠からの教えを当初は守っていた。

 しかし彼が二十二歳の時に留守だと思って入った先に人がいた為、初めて逮捕された頃から心変わりをしたのだろう。初犯で執行猶予が付いたにも関わらず、翌年押し込み強盗の真似をして再逮捕され、実刑になった件がきっかけだったのかもしれない。

 それからは出所しても手っ取り早く金を稼ごうと、貧乏人だろうが誰だろうが手当たり次第盗みに入り、恐喝まがいの犯罪までし始めた。実刑三年、その次は五年と刑務所に入った時には、さすがの師匠も我慢ならず出入り禁止にしたのだ。

 そのような悪しき手本が近くにいたため、茂田は実直に教えを守ってきた。しかしその信念があの事件以降、揺らぎ始めたのである。盗みに入った家の事情に首を突っ込むなという教えは、何か余計な事を知ると情が移ったり、または恐喝など別の犯罪に繋がるネタを仕入れる可能性があったりする為だったのだろう。

 あくまで空き巣専門で、お金のあるところからしか盗まない、という矜持きょうじを師匠は持ち続けていたに違いない。茂田もこれまで、下手な同情は身を滅ぼすと思ってきた。

 しかし監禁されていた男を目撃していたにも拘らず放置した為、救えたはずの人間が亡くなった事実に目を瞑ることは難しかった。本当にあれで良かったのか。家庭の事情を知った上で首を突っ込むか否かは、場合によるのではないかと思い始めたのである。

 その頃師匠は七十一歳と高齢でほぼ現役から退いており、茂田は三十六歳と脂がのっていたタイミングでもあった。よってその頃から教えに背き、侵入した先の家から金目の物以外に、裏情報があれば盗むようになったのだ。

 過去を振り返り懐かしんでいた茂田だったが、まずは埼玉にいて自分のできることは何かを考えた。そしてかつての仕事仲間と連絡を取れないか。そして大阪にいる秀人を見守り、かつ山岸の動きを封じ込められないだろうかと思いを巡らせたのである。

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