第12話 友達

「おみゃあら、中々やるようだの!」


 無数のドローンやゲニンバチの残骸が散乱する中で、場違いに間の抜けた声が響き渡る。

 宙に浮かぶ奇妙な鉄仮面……ゴーム博士の声だ。

 一連の戦いを中空から眺めていたその仮面は、声色に僅かな不機嫌を滲ませつつも称賛の言葉を贈った。


「ハッ! 次はアンタの番かよ、ゴームセンセイ。エエッ?」


 ヒールターンがドミノマスクの下から鋭い視線を飛ばし、挑発する――――けれど、ゴーム博士はそれを一笑に付した。


「ふん、たわけたことを! 俺様が直接手を下すほどのことでもにゃあでよ。お前さんたちはもう、用済みっちゅうワケだな」

「……用済み?」

「そうだ。アシュラ・リッキーの奴も、船守たちを逃したようだしの……今日んところはこんぐりゃあで勘弁しといたるでの! あばよだよな!」

「あっ、オイ!」


 時代錯誤の高笑いが周囲に響く。

 同時に、宙に浮かんでいたゴーム博士の鉄仮面はゆっくりと薄らいでいき、やがてその姿を消してしまった。いかなるからくりか、なんにせよ立ち去ったということで間違いないらしい。

 もとよりゴーム博士自身はまともに戦う気も無かったのだろう。あくまで本分は研究者ということか。この戦い自体、洗脳装置の具合を確かめるための試運転でしかなかったのだろう。

 念のため残党や伏兵がいないことを確認してから、二人は顔を見合わせる。


「……マジに帰っちまったな」

「……みたいだね。どうしよう。博士の言うことを信じるなら、船守さんたちは無事らしいけど」

「どうするもこうするも、とりあえずここに居座るワケにもいかねーだろ」

「それはまぁ、確かに。アシュラ・リッキーさんも来てたみたいだし」


 にべもないが、道理である。

 船守たちがどうなったのかはわからないが、なんにせよこの場所は敵に割れている。ゴーム博士たちを撃退したとはいえ、いつまでもここに残る理由も無いだろう。船守たちを取り逃したアシュラ・リッキーが拠点の様子を見に戻ってくる可能性だってあるのだ。この拠点は破棄して、どこか別の場所に行く他は無い。


「こういう時のための符牒は決めてあっから、さっさと行くぜ。それともひとりで残るか?」


 爆発四散したハイドマンの残骸を軽く改めながら、ヒールターンはからかうように笑った。


「まさか。……わかった。行こう」


 ひとりで残って、なにができるというわけでもない。

 ヒールターンに同行することに、なにか抵抗があるわけでもない。

 そのまま、廃ビルを出ていくヒールターンを追いかけつつ。


 ……最後に一度だけ、ビルを振り返る。

 草也がこの世界に飛ばされてから、ほとんど全ての時間を過ごしてきた場所だ。決して快適な空間とはいえなかったが、思い入れや愛着が無いと言えば嘘になる。足を鈍らせる理由があるとすれば、その一点。

 まぁ今となってはヒールターン(と草也)の乱暴な戦いによって半壊状態になってしまったが……それでも、あるいはだからこそ余計に、巣立ち・・・を強く実感させた。


 恐らく二度と、戻ってくることはあるまい。

 この揺り篭を飛び出して――――草也は、忍者になるのだ。

 視線を切って駆け出せば、もう後ろを振り返ることはなかった。

 見上げる昼間の太陽は、分厚い雲に遮られていた。




   ◆   ◆   ◆




 ――――それで結局どうするのか、とヒールターンに問えば。


「一旦マーリンサンの店に顔出してから、テキトーにしばらくブラついて時間潰すぞ」


 という返答がなされたので、そういうことになった。

 奇しくも二度目の街歩きなわけだが、あの時一緒に歩いていた船守と違ってヒールターンはなんというか……目立つ。

 なにせ彼女は2mをゆうに超える異常巨体の持ち主なのである。

 いくらこの街を包む結界の力によって忍者の異形が記憶されることは無いとはいえ、それも一般人に限っての話。

 ニンジャイーターの手勢に追われている現状を鑑みれば、あまりヒールターンが大手を振って出歩くべきではないと思うのだが。


「いーんだよ。アイツらの本命は船守サンだからな」

「そういうものかなぁ」

「そーいうもんだ。まぁ心配なら警戒はしとくこった。女とデートだからって気ィ抜きすぎんなよ? ダハハ!」

「ぐえっ」


 ゲラゲラと笑いながら、ヒールターンは草也の背をバシバシと叩いた。痛い。蛙が潰れたような声が出てしまった。

 当たり前だが彼女はものすごく力が強い上に乱暴なので、こういうちょっとしたボディランゲージにも十分な威力があった。忍者で無ければ骨ぐらいイっていたかもしれない。


「……君らさぁ。そうやって純情な男子の心をからかって遊ぶの、良くないですよ」


 自分の背中をさすりつつ、草也は改めてヒールターンを見やる。

 ヒールターンは(これは草也もそうだが)いつの間にか忍者装束を脱ぎ去り、私服に着替えていた。

 彼女も草也と同じ出自タイプの忍者なのだから、同じように忍者装束を解除・・できるのは当然のことだろう。

 しかし思えば、忍者装束でない彼女を見るのはこれが初めてのことだった。


 常に目元を覆っていたドミノマスクの下の素顔は、予想通り荒っぽい印象でこそあったが、大型の肉食獣を思わせる獰猛な美しさがあった。

 丈の短いシャツは鍛え上げられた腹筋を大胆に晒し、ワインレッドのレザージャケットとダメージジーンズがパンキッシュな雰囲気を見る者に与える。その胸は豊満であった。

 総じて、“ワイルドな美女”と評するべきであろう。

 2m超の異常巨体も、彼女の魅力を損なっているとは思わない。


「アー? ……ダハハッ! そーいや船守サンともデートしてたなァ。悪いな、今回は船守サンと違ってガサツなデカ女でよォ!」

「痛い、痛い! 悪いと思うならその背中叩くのやめてもらえます!?」

「ダハハハハハッ!!」


 ゲラゲラと笑いながら、ヒールターンは草也の背をバシバシと叩いた。痛い。

 やめろと言ってやめる人種ではないのだ! むしろ面白がって余計に強く叩くタイプである。理不尽なる暴君ジョックに抗議は通じない。

 まぁ悪意ではなくそういうコミュニケーションなのだと理解もしているが。困ったものである。


 そんなわけでそんな風に、巨体のヒールターンと共に周囲の視線を集めながら街を歩き……やがて人目のつかないところから下水に潜り、彼女の先導のままに進んでいけば――――


「よっ! ドーモ!」

「おやヒールターンうじ。珍しいでござるな」

「ゲロッパ! ドーモドーモ! ヒールターンと……Kもか! よく来たな!」

「……どーも。お邪魔するね」


 辿り着いたのは、マーリンの店であった。

 恐らくはヒールターンや、目の前のレンブラントのような異形の忍者がこっそりと入店するための裏口なのだろう。地下に隠し通路のようなものがあり、そこから店に入ることができた。

 言われてみればレンブラントが普通に表から入ってくるのは無理だ。

 いくら結界による認識阻害があるとはいえ、二足歩行の喋るカエルが天下の往来を堂々と歩くのは騒ぎになりすぎる。ヒールターンの比ではない。

 下水を通って飲食店に入るのは衛生的にどうかとも思ったが……


「忍法『よごれ落とし』!」

「ぐわーっ!?」


 ……流石は(?)忍者、その辺りのケアも万全らしい。

 サルトビが掛け声と共に手を振り上げるとどこからともなく突風が吹きすさび、草也とヒールターンの汚れを吹き飛ばした。

 原理は不明だがそういう忍法なのだろう。便利。

 そのまま改めて店の中へ進めば、前回と変わらないメンツが管を巻いている。


「おーおー、今度ァヒールターン引っかけて来たのかい色男。中々隅に置けねェじゃねェの」

「アー? アタイとヨロシクやっといて隠れて浮気かよKサンよォー?」

「うおお修羅場ッスか!!」

「僕でさぁ! 遊ぶのさぁ! やめてくれないかなぁホントに!?」


 隙あらばからかってくる忍者どもに抗議しつつ、カウンター席へ。

 定位置らしい席で煙管を吹かす五右衛門は、ヒールターンと一緒になってからからと笑っていた。

 ……途端にどっと疲れがやってきて、思わずため息が漏れる。

 思えば、ゲニンバチのような雑兵を除けば……初めて忍者をこの手で倒したことになる。

 ハイドマン。

 ……決して弱敵ではなかった。ヒールターンがいなければ、やられていたのは草也の方だったかもしれない。

 ほんの数刻前には、あの機械忍者と死闘を繰り広げていたのだ。緊張の糸が途切れれば、疲労を感じるのも仕方のないことだろう。


「なにかあった、という風情だな」


 腕を組んで訊ねてくるのは、相も変わらず全裸の店主マーリン。カウンター越しとはいえ目の前で全裸仁王立ちは圧がすごいのでやめてほしい。


「わざわざ遊びに来たというわけでもあるまい。聞いてやろう。なにがあった?」

「あー……」


 ちら、と視線をヒールターンへ送る。

 草也の口から話すこともできるが、マーリンの店に来ることを選んだのはヒールターン。

 彼女の中で、話したいことか話すべきことが決まっているのだろう。

 草也が勝手にベラベラと喋るものでもあるまい。

 ヒールターンはその判断を肯定するように頷くと、どっかと席に座って椅子を軋ませながらカウンターに身を乗り出した。


「壊すなよ」

「まともな椅子なら壊さねーよ。……ネタと首だ。ゴームセンセイに襲われた」

「……ほう。ゴーム博士を倒したのか?」

「逃がしちまった。残念ながらな。だがちょっと、奴の新兵器の方が問題でよォ」


 今度はヒールターンが、五右衛門とレンブラントに目配せする。

 お前たちにも関係のある話だ、という言外のアピール。

 店内の空気が僅かに張り詰める。

 一拍置いて、ヒールターンは話を続けた。


「電磁波で忍者を洗脳して操る装置、だってよ。今はロボにしか効かねーが、その内改善して生身の忍者も洗脳できるようになる予定だそーだ」

「チッ……催眠程度珍しくもないがな。ゴーム博士の肝いりとなれば問題か」

「ハイドマンサンだった」

「……あ?」


 ……草也がハイドマンの名を最初に聞いたのは――――彼らの口からだった。


「ハイドマンサンが操られて、襲いかかってきた。だからアタイとコイツで倒した」


 ヒールターンの言葉は端的で、しかしそれを真顔で語る姿には、有無を言わさぬ真実味があった。

 五右衛門たちの視線が草也に向いた。真贋を問う視線であることは明白だった。

 草也は重々しく、首を縦に振った。


「……ほんとだよ。自我はほとんど残ってなくて……いや。言い訳だね、これは」


 ハイドマンは殺してくれと懇願していた。

 僅かに残った自我で、呻くように懇願していた。

 それがはずかしめを嫌ったからなのか、仲間のためを思ったからなのか、己の責務に殉じたいがためだったのかは、草也には見当もつかない。草也はハイドマンのことを知らなくて、ちゃんと話したことも無いのだ。そんな草也が彼の末期を語るのは、ひどく不誠実なことのように思えた。


「ヒールターンさんの言う通り、操られて襲いかかってきたハイドマンさんを僕たちで倒した」


 それが事実だ。

 あった出来事を全て伝える方が、誠実な態度だったろうか?

 草也には判断がつかなかった。

 ヒールターンもまた、続きや詳細を語ろうとはしなかった。

 その代わりに、ヒールターンは懐に手を入れ、カウンターの上にてのひら大の円盤状物体をコトリと置いた。


「……証拠がいるなら、一応持って来たぜ」


 それはハイドマンのマークが描かれた、彼のパーツだった。先ほど脱出する前にこれを回収していたらしい。

 洗脳装置の存在を間接的に証明する物証として――そして、彼の遺品として。

 そういった意図であることは、草也にもわかった。

 当然、他の面々にも伝わっただろう。


「ニンジャイーターに与する忍者を討伐した者には報酬が与えられる――――だったよな、マーリンサンよ。この場合、条件的にはどうなる?」

「……ハイドマンが訳もなくお前たちを襲うとは思えん。お前だけならともかく、そこの新入りがいるなら特にな。支払おう」

「ハ! 正当な評価ドーモ。信用されてるね」

「……どちらの意味でもな」


 神妙にハイドマンのエンブレムを見つめたマーリンが、それを手にして店の奥へと入っていく。金を取りに行ったのだろう。

 ……その姿を眺めていると彼の尻を直視することになると気付いたので、草也はそっと視線を逸らした。奥へと入る時は尻で済むが、出てくる時はだ。それは避けたかった。


 そうして視線を逸らした先で、五右衛門と目があう。

 五右衛門は相変わらず、飄々とした笑みを浮かべながら……けれどふと、視線を落とした。手元。琥珀色の液体が注がれたグラス。


「……ハイドマンはよ」


 五右衛門はどこか遠くを見ていた。

 どこか遠く。

 それはおそらく、過去の記憶という意味での。


「気取り屋で気難しいやつでよ。……二言目には『愚かな人間どもめ!』っつって……」

「ゲロッパ! おいらは人間じゃないけどなっ!」

「ああ……だからかお前さんとは結構ウマが合ってたよなぁ、レンブラント。お前さんは、馬じゃなくてカエルだがよ」

「馬はウマニンジャーの担当だもんね!」

「違ェねぇや」

「………………。」


 冗談めかした物言いが。

 故人を偲ぶものであることは、草也にもわかった。

 それだけで十分だった。

 十分にわかった。

 十分に伝わった。

 そこにいた、ということがわかった。

 そこにいたのだ。

 ここに。

 あのハイドマンという忍者は、きっとここにいたのだ。

 ここにいて……二人の軽口に、悪態をついていたのだ。

 そしてそれはもう、永遠に失われたのだ。

 草也は強く、強く拳を握りしめた。

 ぎりりと音がするほどに、強く。

 爪が手のひらに食い込むほどに強く、強く握りしめた。

 静かに食い縛った歯は、やるせない怒りのためだった。

 誰に対しての?

 自分への。

 そして――――――――――――


「なぁ、K。ヒールターンも」


 ……意識が引き戻される。

 いつの間にか五右衛門は、草也のことを真っ直ぐに見据えていた。

 青みのかかった、黒い瞳。

 吐き出す紫煙が僅かに視線を遮り、だからこそその瞳の真っ直ぐさが浮き彫りになっているように感じた。

 思わずに緊張が走る。

 その緊張が十分に行き渡ったのを確認してから、五右衛門はくしゃりと破顔した。


「――――――――ありがとうよ」


 その言葉に一瞬、呆気に取られて――――冷えた怒りが、また拳に力をくべた。

 なぜ、自分がこんなに怒っているのかわからない。それでもどうしようもないほどの怒りが、たった今、冷えながらに胸の内で燃えているのがわかる。鬼の面が嗤う声が、どこからか聞こえた気がした。ヒールターンは黙っている。

 草生は半ば絞り出すように、努めて怒りをその言葉に乗せないように注意しながら、疑問を返した。


「………………どうして、お礼なんか」

「……悪ィな、気ィ遣わせちまって。……あいつは……元々、傲慢な人類に反旗を翻したロボットなんだそうでよ」


 創作物で無限に取り上げられた題材のひとつ、ロボットの反乱。

 彼の……ハイドマンの世界は、そのようなものであったらしい。

 ロボットという新たな隣人を、使い捨ての労働力として酷使する人類への反乱――――ならば人類への憎悪は、ひとしおであったことだろう。


「だから、ありがとう・・・・・なのさ。……プライドの高いあいつが、誰かの……それもニンゲンのいいなりになって戦わされる、なんてよ。よっぽど耐えがたいことだったと思うからな」

「………………………違う」


 違う。

 違う。違くない。けれど違う。

 そうじゃない。彼の心は。そうじゃなかったはずだ。

 草也はそれを知っている。

 だってあの時ハイドマンの言葉を聞いたのは、草也だから。


「違う?」

「いや……確かに……そうだったかもしれない。……多分そうだったんだと思う。君たちの方が彼については詳しいはずだし……僕は彼のことを知らないし…………でも」


 言葉に詰まる。

 草也はハイドマンのことを知らない。

 だからこれを彼の真意であるかのように語るのは、どこか不誠実であるようにすら思う。

 けれど、ここで黙り込んでしまえば、彼の言葉は永遠に消えてなくなってしまう。

 それはもはや、草也が誠実かどうかなど、どうでもよくなるほどに許しがたいことだった。



「…………彼は、“友に刃を向けたくない”と言っていたよ」



 ――――――――殺してくれっ……!! 拙者は、拙者の刃はいずれ友にも向けられるだろう……それはあまりに耐えがた、がた、が、ガガッ――――――――


 ……あの言葉を、覚えている。

 邪悪な忍者に操られ、自由を失い、無様な尖兵に仕立て上げられた彼が望んだのは、確かに死による開放だった。

 けれど、けれどその望みは己のプライドのためではなく――――友と戦いたく無いからだと、彼は言ったのだ。

 さして知りもしない、彼からすれば憎悪すべき人間に対して、言ったのだ。

 それこそ、恥も外聞もなく。

 きっと、それ以上に大事なものがあったから。


 五右衛門は一瞬、驚いたように目を丸くしてから……すぐに目を細めて、苦笑した。


「………………そうかよ、あのポンコツ野郎」


 悪態には、ありったけの親愛が込められていた。


「友達だなんて……これまでひとっことも言わなかった癖によ。ほんとにどうしようもねェポンコツ野郎だぜ!」

「でもさ! おいら、ずっと思ってたよ! ハイドマンは友達だって!」

「カッ! ばっきゃろい……俺っちだってずっと、そう思ってたよ。今だって、そうさ。だろ?」

「ゲロッパ! あったりまえじゃんかっ!!」


 ああ――――――――



 ――――――――――――憎い。



 ごう、ごう、ごう。

 なにかが吹き荒んでいる。

 草也の胸の中で、なにかがびゅうびゅうと渦巻いている。

 それは酷く粘着質で、重たくて、燃えるようで、冷たくて、叩き付けるような、ナニカ。

 鬼の面が嗤っている。

 ハイドマンの顔がフラッシュバックする。

 家族の顔がフラッシュバックする。

 船守の顔がフラッシュバックする。


 ふつふつ。

 ちりちり。

 ごうごう。


 音がする。

 拳を握り固め、奥歯を噛み締める音とは別の、なにかが。


 けれど――――それは今、彼らの前で見せるべきものではない。

 かれらの懐旧に水を差すべきものではない。

 努めて、努めて冷静に、沸き上がる激情を内心で宥める。

 この激情の出所がどこで、正体がなにかはわからないが――――――――


 ………………本当に?


「――――あんまり思い詰めんなよ、Kサン」

「ヒールターンさん…………うわっ!?」


 思考の渦に深入りする直前に、ヒールターンがくしゃりと草生の頭を乱暴に撫でる。大人が子供にするように。

 それがなんだか妙に気恥ずかしくって……それでもう、胸の中に吹き荒れる怒りがどこに過ぎ去ってしまったことに気付いた。


「よくわかんねェけどよ。笑え笑え! そんな怖い顔したって、誰も喜ばねェーよ」

「……君たちはさぁ。僕の自尊心とかそういうの……もうちょっと気を遣ってくれていいと思うんだけどね!」

「ハ! ワリィ、ワリィ」

「はぁ…………………。……ありがとう、ヒールターンさん」

「なんのこったよ。ヒヒ」


 ……気を、使ってくれたのだろう。

 草也がこの、正体不明の憎悪に飲み込まれる前に。飲み込まれないように。

 深呼吸をひとつ。

 すると丁度、店の奥から人影ひとつ。


「……なんだ、暗いぞ貴様ら。人の店の空気を勝手に陰気にするな。営業妨害だぞ」


 マーリンの声。

 反射的にそちらに顔を向けて――これがよくなかった――みれば。


「ウワァァァァーーーーーーーッしまった全裸だ!!!!!」

「油断したッスねKさん」

「注意していても対応できなければ無意味でござるぞKうじ


 全裸のマーリンがから出てきた。

 最悪であった。

 この店はまともにシリアスも続かないというのか。尻は出ているが。やかましいわ。


「そもそも俺っちたち以外に客いねェだろ」

「空気もなにも無いよね」

「出禁にするぞ貴様ら」


 やはりというか、五右衛門たちは慣れた様子である。ヒールターンはゲラゲラ笑っている。マーリンは不満げである。不満げに、カウンターの上に札束を無造作に乗せた。


「まったく……報奨金だ。受け取れヒールターン」

「あいよ。ついでにこれ、船守サンが顔出したら渡しといてくれ」


 札束を受けとって軽く改めてから、いつの間に折ったのか、鶴の折り紙を渡すヒールターン。手紙を折り紙にして贈る、古典的かつ風流な風習だ。粗暴なヒールターンのイメージにはあまりそぐわない行動だったため、草也は内心で少し驚いた。


「…………慈善事業ではないんだぞ、この店は」

「じゃあハイ」

「………………………………………………………………………了承した」


 渋るマーリンに、札束から一枚の万札を抜き取って渡してフィニッシュ。

 折り紙を預かって客に渡すだけで一万円。……正式に金額を決めたわけでもないサービスと思えば、破格の報酬である。マーリンは屈辱に顔を歪め、しかし渋々と折り紙を受け取った。この人ほんとに商売とか向いてないんだなって思った。


「うしっ! じゃ、行くぜKサン」

「……ああそっか。ここで待つわけじゃないって話だったね」


 マーリンの店に顔を出してから、テキトーにしばらくブラついて時間を潰す……という話だった。本命は船守だから大丈夫、と言っていたが……追われている身で、本当にそんな不用心な振る舞いをしていいのだろうか?

 そう視線で問えば、ヒールターンは愉快げに笑い飛ばした。


「いーんだよ。向こうの本命は船守サンで、アタイらの本丸も船守サンだ。アタイらが目立って向こうの注意を引く分には、デコイになって丁度いいぐらいだろ。な?」

「…………そうか。そうだね」


 極端な話で言えば――――ヒールターンと草也は、船守の抱える戦力・・だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 ヒールターンはどうかわからないが、草也が持っている情報というものは無に等しい。つまり、客観的に言うならあまり大きな価値の無い駒であり――――船守が拠点を襲撃されて立て直しを強いられている現状、囮として相手の注意を引けるなら万々歳、ということなのだろう。それは傭兵という、自分の立場をよく理解しての立ち回りなのかもしれなかった。


「つーわけだ。邪魔したな、オメーら」

「ゲロッパ! 気を付けてなっ!!」

「ああ……レンブラントさんも、五右衛門さんも、気を付けて」

「おー。……なんかあったら声かけな。お前さんには恩もできたし、聞くだけは聞いてやらァな」

「…………ありがとう。覚えておくよ」

「またのお越しをお待ちしてるッス! いざゆけボウケンシャ!」


 重たい鉄の扉をくぐり、長い階段を登って外に出る。

 いつの間にか陽は随分と傾いて、すっかり夕暮れになっていた。

 うら寂れた路地に、紅い光が強く差し込んで長い影を作っている。

 街中には派手な格好の学生や不健康そうな顔つきのパンクスが行き交い、ヒールターンの巨体にぎょっとした反応を見せてから――――すぐにそれを飲み込んで、それぞれの日常へと帰っていく。結界の作用が十分に効いているということだろう。彼らは忍者の異常性を記憶できない。

 草也は手で眩い西日を遮りながら、隣(というよりはか?)のヒールターンへと視線を向けた。


「それで…………適当にブラつくって、どうするんだい?」

「アー? ダハハッ!! それ言わせるか? 罪な男だねェオメーもよっ!!」


 ……嫌な予感がする。

 ヒールターンは大型の肉食獣を思わせる鋭い歯を剥き、笑みを作った。

 決してフレンドリーなものではない。

 それはきっと、捕食者の笑み。

 ぐ、と彼女が腰を折って草也の顔を覗き込む。

 近付く顔。

 鋭い眼つきが、大写しに草也の瞳を捉えている。

 思わず一歩退こうとすれば、その大きく筋肉質な腕を肩に回され、逃げ場を奪われた。


 というか、近い。

 近い。

 船守の肢体は透き通る陶磁器を思わせるような儚さとしなやかさを併せ持った淫靡であったが、ヒールターンのそれは凡そ真逆であると言っていい。

 即ち、重く、力強く、ただひたすらに肉厚な暴力的肢体。

 大きな手には確かな力強さが宿り、けれどその奥に女性らしい柔らかさが混ざる。

 上から覆いかぶさるように覗き込む姿勢は、まるで彼女に直接包まれているかのような圧迫感があった。


 そして、まぁ、その、あれです。

 当たってる。

 当たってますヒールターンさん。

 肩を寄せられるとその、当たるんですヒールターンさん。

 ものすごい弾力で重力に抗う豊満が、肩に当たってるんですヒールターンさん。

 硬い。けれど柔らかい。

 仮に草也が全力で押し込もうと、暴力的なまでの弾力でもって押し返して存在を主張してきそうなそれ。


 たったこれだけで、捕食者と被捕食者の関係を刻み込まれている感覚。

 顔を赤くして逃れようとする草也にサディスティックな笑みを向け、ヒールターンは草也の頭を掴み――ほとんどヘッドロックに近い状態と言っていい――まるで死のように、耳元で囁いた。




「――――――――――――デートと洒落込もうぜ、ダーリン?」




 ……助けてくれ、船守さん――――!

 草也の声なき祈りは、どこに届くともなく。

 そこまで同じ流れにすることないじゃん、というイベントが始まろうとしていた……!

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奈落忍法道テンペスト 斧寺鮮魚 @siniuo

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