エピローグ
日に日に国内の情勢は不安定になっていった。
私はニェウシ夫人と共に隣国のドトール共和国を経由して飛行機に乗り、その旧宗主国である第四神聖王国へと逃れた。
獣人や魔族の少ないこの国では、却って差別が少なく、私のような人種平等を叫ぶ自由主義者は正義の人として歓迎された。
――私は、あなたのように簡単に命を捨てるつもりはありませんからね。
ニェウシが活動家として貫き、そしてその思想に殉教したのなら、私は小説家としての本分を徹底しよう。
ペンを握れば言葉は奔流のように溢れ、鋭く刺すような批判はあらゆるレイシストを怯えさせた。読者に語り掛ければ想いは心の隅々にまで伝わり、どうして同じ人間を虐げるのかと嘆けば人々はその通りだと共感する。
私には彼のような怜悧さも熱狂もなかったが、誰よりも柔らかな神経を持ち、誰よりも読み手に家族のごとく語り掛けることができるという自負があった。
それはいつか、彼が私の作品を褒め称えてくれた日以来の矜持であった。
また、そうした仕事と並行して、私はもうひとつの仕事を進めていた。
彼の伝記を書くのである。
夫人への聞き取りを重ね、ニェウシが残した原稿の全てに再び目を通し、一切の過ちがないように書き進めた。
だが、私はそれが国際社会の求めているものではないと気付いた。
世間は「気高き獣の悲劇」に感動し、そうして人種隔離政策への怒りを強くしたのである。
私は伝記を改題し、またニェウシの穏やかさや弱さを綴った部分を全て削除した。
「彼の死体は暴行を受けてなお美しいままだった」と嘘を吐き、その功績ばかりを並べ立てた。
君が活動家として殉じたのなら、私もまたそれに報いなければならない。
例えそれが、無二の友人の真実を歪めて伝えることになったとしても。
ああ、私は君の親切を、不器用さを、情けなさを、そして何よりその優しさを知っているというのに!
だが、きっとそれが、君が望んだ「差別のない世界」を作ることになるだろうから。
数年後、アーサー=ニェウシの生涯を描いた『気高き獣の闘い』によって私は国際的な栄誉を与えられた。
何でも「人種差別に立ち向かった勇敢な人々の姿を描いた、弱者への共感と人道的精神に満ち溢れた筆致に対して」らしい。
どうしてか、ちっとも嬉しくはなかった。
私は己の本分に忠実に、ニェウシの伝記ではなく小説を書いたのだ。
それなのに、澱んだいらだちばかりが募った。
今となっては政府の主導による人種差別政策は過去の歴史となった。
だが、未だに隣人をその血によって憎む者は多い。
だから、私は再び筆を執った。
アーサー=ニェウシは空想的な英雄などではなく、私たちと同じような泣きもすれば笑いもする普通の青年だったのだと伝えるために。
相手を獣人だから、魔族だからと一括りにして個人の性質を見ようともしないからろくも知りもしないのに憎み合う。それが世界中で指摘されるようになった今、私がするべきことは、偶像としての君ではなく、個人としての君を語ることなのだ。
幸運なことに、私は寿命が尽きる前にこの仕事を終えることができそうだ。
君にも、昨年亡くなったカサンドラ夫人にも心置きなく会えるというものである。
――あなたのいくつもの側面を全て受け止めるほどに、カサンドラさんは度量の大きい人でした。笑顔が素敵で、あなたにはもったいないくらいのひとでしたね。私も彼女には大変助けられました。
今度こそ、絶対に手放してはいけませんよ。
私ももうすぐそちらに向かいます。あなたのお陰で非常に密度の濃い人生を送ることができました。あなたという得がたい友人を得たことは、私の生涯の誇りです。
2001年3月19日、ブラガの自宅にて
クリスティーネ=スタイン筆を擱く。
『気高き獣の闘い』に寄せる追想 藤田桜 @24ta-sakura
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