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第二回遼遠小説大賞で『ハルピュイア』がPz個人賞をいただきました

0.目次
1.はじめに
2.反省会
3.解説
4.舞台裏
5.おわりに

1.はじめに

こんにちはー、藤田桜です。

先日、結果と講評が発表された第二回遼遠小説大賞https://note.com/tatsuinoradio/n/n2d0206b8ba4fで、
拙作の『ハルピュイア』https://kakuyomu.jp/works/16818093072795034854
Pz個人賞をいただくことができました。わーい、ありがとうございます!
講評でも色々褒めていただいたりしましたよ! あと座談会で何度か言及していただいたりしちゃってね!

個人的に思い入れの深い企画なので、こう、目に見えやすい形で評価をいただけたのすっごい嬉しいんですよね。結果発表の太字を眺めながらニコニコしています。
でも同時にちょっと悔しい。『ハルピュイア』の限界点というか、もっとこういうことができてたらなーっていうのを痛感させられたから。

この近況ノートは、『ハルピュイア』の反省会・解説・舞台裏紹介として書かれたものです。
あくまでおまけなので「絶対読んでね!」みたいなものではありません。「これが正解だー!」みたいなものでもありません。けっこう長文にはなると思いますが、のんびりとした姿勢で読んでいだだければ幸いです。拾い読みとかでも全然構いませんので……。

2.反省会

第一の反省点として「限界を超えられなかったなぁ」というのがあります。
辰井さんに「極致」とまで言っていただけたのはすっごい嬉しいんですが、それは同時に一つ壁にぶち当たったということでもあると思うんですよね。
この作品はもっと遠くに行けたんじゃないかと思う。
でも実際『ハルピュイア』を限界突破させよう、となったとき、どんな手段が取れるかって考えても今のところ浮かんでくるものはありません。
だから今はまだ威勢だけ良くぴいぴい鳴いているだけになるんですが、もっと精進しなければ、と思いました。色々読んで、実験して、糧にして。何かしら見つけられるように。『ハルピュイア』をもっともっと遠くに飛ばしてあげられるようになりたいです。そして読んでくれた人を驚かせたい。この子を想像を遥かに超えるような作品にしてあげたかったのです。

第二の反省点は「もうちょっと入れるべき情報があったんじゃないか」。
これについてはシンプルに、この構造だとやりにくいことをむりやり実現するための筆力が足りなかったのではないかと睨んでいます。
南沼さんから「乱れた句読点と点在する不自然な空白、逆書きの文章……記憶への侵入と共有、追体験の描写という命題を負ってなお、これらは作品をほぼ読み辛くさせるだけの小手先のフックに過ぎない」のではないかという指摘がありました。
このような評価になった原因は、本文内でコンセプトの必然性を示し切れなかったがゆえではないかと分析しています。
黒石さんも「フックが多すぎると、感じるところもありました。■が多くなってくるところは、記憶というテーマがあるにせよ、他のもののような構成的、物語的必然性が多少弱いように感じたところでもあります」ってふうに仰られたりもしていましたし。
私としては、どのノイズも物語の中におえる当然の理屈として発生したものばかりだと思っているんですよね。ウーゴによってぐちゃぐちゃにされた記憶は見るに堪えないものとなっていく。出血によって壊れていく記憶は、覚えていたはずの彼らの息遣いや大切なひとたちの名前を失っていく。文章が損なわれることそのものに意味があるんです。
でもこれ、フィーネウス側からは明言がないんですよね。フィーネウスの記憶が今こうなっているよー、という情報は挟み込まれるウーゴの発言と、文章のみだれからしか得ることができない構造になっているんです。だから、こういったノイズがあることの必然性が十分に示されていないように見える。
多分きっと恐らくMaybe、それが評議員さんによって書き方に対する是非が分かれた原因の一つになっているんじゃないかなぁ、と推測を立てている次第です。

評議員の方々の間で可読性が話題に上げられていましたが、私はほとんど度外視していました。せっかくの遼遠なので、そこはもう信じてやりたい放題やろう、と。なんなら『ハルピュイア』は「読みにくくなること」と「本来の文章が損なわれていくこと」を物語のギミックのメインに据えていますからね。
唯一恐れていたのは「誰がどんなに読み込んでも、必要な情報がそもそも書かれていないので何も得ることができない」みたいな事態に陥ることです。そこはめっちゃ気にしました。なので講評を読んだときの安心もひとしおです。「よかったー! およそ汲み取っていただけてる!」

構成とか「血=記憶」のアイデアとかの評判が良かったのも嬉しいですね。どれもうんうん悩んだ末に「これだ!」とひらめいたものなので。
Pzさんが音楽的なところで褒めてくださったのも良かったーって思う。
ポテトマトさんが1ページの良さに気付いてくださったのも個人的に嬉しいところ。そう、そうなんです。この作品はそうであるべきだった。

3.解説

まず、ネーミングの法則性から説明していきましょう。
なぜこの作品が『ハルピュイア』なのか、主人公の名前がフィーネウスなのか。
評議員のみなさん多分気付いてくださってるんですけど、だいたい分かっている前提で講評が書かれているので「何?」ってなってる読者さんは絶対いる。

多分分かるひとは一発で分かるんですがフィーネウスの名前は、古典ギリシアの予言者であるピネウスから取りました。半人半鳥の怪物ハルピュイアの被害者として知られる人物です。Phが音韻変化してフィーネウス。
ちなみに藤田が参考にしたのは『アルゴナウティカ』です。まあでもインターネットで検索しても情報は出てくるんじゃないでしょうか……。
ピネウスは未来の記憶を濫用したことで罰としてハルピュイアに苦しめられることになったわけですが、フィーネウスは過去の記憶を自分勝手に扱ったことによってウーゴに思い出を踏み躙られることになるわけですね。
だからもし後日譚があるとすればウーゴによって囚われたフィーネウスを、ゼテスとカライスが救うことから始まるんでしょうね。

あとストリゴイという概念についても説明しておくべきでしょう。吸血鬼は伝承によっては時として鳥の姿をしているのですが、それがストリゴイ。魔女の側面も持った存在です。確か東欧のどっかの方の言い伝えだったんじゃないでしょうか。
ゆえにこの小説において「ハルピュイア」とは「餐を穢す鳥怪」という意味以外に「吸血鬼に似ていながらそうでないもの」すなわち「ただの化け物」という意味があります。フィーネウスはオリヴェイラの祝福に応えられるような存在にはなれなかったし、ウーゴは彼が恋して理想を抱いた美しい吸血鬼とは似ても似つかない存在になってしまった。だからハルピュイア。

あとフィーネウスの呼び方について。
杜松の実さんが「第二回遼遠小説大賞の感想」https://note.com/asattenomiti/n/ne7e6f69229e9
で考察してくださっていたんですけど、これは逆に考えていただいた方がすっきりすると思います。
「なぜイシュネナとミシェル&クロードはフィーネウスをフィーネウスと呼ばなかったのか」
イシュネナにとっては彼はあくまで弱虫な幼馴染のフイネなわけですし、ミシェル&クロードにとっては彼はただの孤独な少年フィートなわけです。彼らはフィーネウスのことを「吸血鬼」という遠い存在として見ずに、近い存在として見れる関係性を築けていた。それが呼び方の違いの理由です。

ちなみに登場人物の名前が古典マヤ語、スペイン語、イギリス語、フランス語とごっちゃなのは、そのまま彼らの役割の違いから来ています。

4.舞台裏

吸血鬼小説を書こう、と思ったのはコルタサルの『吸血鬼の息子』と『組み立てモデル/62』という小説に触発されたからです。
『吸血鬼の息子』は水声社さんから邦訳が出ていますね。『対岸』って短編集に収められています。多分TLには刺さる人がけっこういる本じゃないかな。で、この短編がとても好みだった。こういうのもっと読みたいな……。
で、『組み立てモデル/62』についてですが、邦訳、なんと、ありません! ラテンアメリカ文学の紹介書から断片的ですらない情報を啜れるだけです。しかもこれが本当に吸血鬼伝承を題材とした小説なのかどうかは、いまいち分かりません。木村榮一さんだけが「吸血鬼伝説に題材を取った実験小説」って言ってるかんじなんです。他の翻訳者さんたちはそんなこと言ってない。でも読みたい! なのに読めない! ならもう自給自足しよう、吸血鬼小説書こう、となったのが始まりです。

あと記憶の話を書こうと思ったのはちょうど見ていたTRPG配信の影響です。

【高生卓】「」なんてね【#CoCなんてね】
https://www.youtube.com/watch?v=53XHP9cYXLM&t=6986s
(2024/8/23参照)
【高生卓】未完成漂流記1冊目【#おかえり未完成漂流記】
https://www.youtube.com/watch?v=_RnTwG3nAKA&t=6212s
(2024/8/23参照)
【高生卓】楽園のアノニマス【藤岬兄弟】
https://www.youtube.com/watch?v=9hteH7DlwRQ
(2024/8/23参照)
【高生卓】カタシロ【#アタシロ青】
https://www.youtube.com/watch?v=zQQL85T8Tqg
(2024/8/25参照)

メチャクチャ最高ダカラ興味アッタラミテミテネ……上カラ順番ガオススメネ……

あの頃は毎晩のように彼らのことを考えて泣いていました。
「記憶」はもともと興味があるテーマだったので、どこかしらのタイミングで絶対に書きたいなと思ったのです。ラテンアメリカ文学とかでも頻出しますしね。

そして開催された第二回遼遠小説大賞。
頭のなかで全てのピースが瞬く間に嵌まっていきました。気分は天才です。

吸血鬼についての主な参考文献はブラム・ストーカーの『ドラキュラ』と平賀英一郎さんの『吸血鬼伝承 生ける死体の民俗学』。レ・ファニュの『カーミラ』は一応読んだんですけど、かなりアイデアが固まった後でのことだったので……。でも「美しい吸血鬼」というイメージは、近いものがあるので、影響を受けたものの源流の源流を辿っていけば行きつくこともあるかもしれません。

ちなみに最初考えていたタイトルは『夜のみだらな鳥』でした。これホセ・ドノソじゃなくて私が考えたことになんねーかなーと思いながら、構想をまとめていたのを覚えています。結局『ハルピュイア』の方がしっくり来たのでそっちに落ち着いたのですが。

形式面での影響はエレナ・ガーロの『トラスカラ人の罪』と『未来の記憶』、フエンテスの『アルテミオ・クルスの死』、コルタサルの『石蹴り遊び』と諸短編が大きいですかね。こうして並べてみると、記憶テーマの作品が多いなー! あと、絶対に欠かすことができなかったのは超有名ボカロPいよわさんの曲です。特に『クリエイトがある』とか『黄金数(2024 ver.)』。音楽的なところでめちゃくちゃ影響受けました。

PzさんにSound Horizonとの共通点を指摘されたときは愕然としました。執筆中は全く意識してませんでしたがそういえば藤田桜はサンホラが大好きです。Revoさんの曲にインスピレーションを受けたオムニバスを書いたこともあります。少なくとも普段からああいう曲に慣れ親しんでたがゆえに『ハルピュイア』の形式を選べたというのは全然あり得る話でしょう。Pzさんが慧眼すぎてちょっと怖い。

あと影響を受けていたものといえば……DECO*27さんの『ゾンビ』ですね。けっこう触発されました。湿度感みたいなところで。

鮎川ぱてさんの『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』も執筆中に読んで影響受けましたね……。ハチさん、ひいては米津玄師さんの曲について論じるさいに、歌にも言葉にもならない声を音楽に入れることについて書かれたんですけど、分かりやすい例で言うと『Lemon』の「ウェッ」とかですね。耳ざわりのいいハミングでもないし、ちゃんと意味のあるラップや語りでもない。でもそれは言葉にも歌にもならない確かな嗚咽として存在している。

『ハルピュイア』は「目障りな書き方だからこそ出せるかっこよさとか表現ってあるんじゃないかな」と思ってあの書き方を選んでいます。リズムの主導権を奪われていく語り、複線的な文章、塗り潰された言葉。

5.おわりに

5000文字近い近況ノートにはなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

まずは最高な企画をしてくださった辰井さん、ポテトマトさん、南沼さん、Pzさん、黒石さん、本当にありがとうございました!
参加できて本当に良かったです!

そして『ハルピュイア』読んでくださったみなさん、ありがとうございました。感想だけじゃなくて星とかハートで反応くれたのもかなり嬉しかったです。あとくれなくてもPvが回るので読んでくださったのは分かっています。こんなにたくさん読んでもらえるとは思ってなかったから、嬉しかったです……。

また語りたいことがあったら近況ノート書きますね。

ではごきげんよう! ありがとうございました!

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