久遠の待ち合わせ

土御門 響

縁の糸

 私は人によく似た見目の妖でした。森の気から生まれた木霊のような妖。

 森の陰気から生まれた私は臆病で、ずっと隠れて暮らしていました。

 けれど、そんなある日のこと。


「……あれは」


 猪狩りをしていて、怪我をした狩人を見つけました。

 私は重傷のその人を可哀想に思い、逝くにしても生きるにしても、傍で見守ってあげたいと思いました。

 今思えば、彼の気にその時から既に惹かれつつあったのだと思います。

 森の霊気で傷を癒すと、彼は奇跡的にも息を吹き返し、目を開けて、私を見ました。人によく似ていても、私は所詮妖もの。嫌われてしまうと思い、姿を消そうとしました。けれど、彼は私の袖を掴んで


「お前が、俺を救ってくれたのか?」


 と問うてきました。

 私は無言で肯定しました。すると、彼はまだ癒え切っていない身体を起こし、丁寧にも頭を下げたのです。


「妖の娘。俺は猪に突かれて、死を覚悟した。こうやってまた起きているのは、お前のおかげだ。礼を言う」


 随分と義理堅い人のようでした。

 彼は森の出口近くにある小屋で独り、狩りを生業に生計を立てているそうで。


「恩は返さねばなるまい。俺は一度、家に戻るが、必ず礼をしに来るからな。その時は逃げずに、俺に顔を見せてくれよ」


 何でも、私はずっと怯え切った蒼白な顔をしていたそうで、彼は私によく言い聞かせなければ逃げられそうだと感じたそうです。

 その数日後、彼は本当に戻ってきました。私が住処にしている大樹の根元で、彼は貝の首飾りをくれました。


「お前、この森の妖なら、海を見たことがないと思ってな。以前、日雇いで漁をした時に、記念に拾っておいたものだ。嫌でなければ、受け取ってくれ」


 私は贈り物をされたことなんてありませんでしたし、思わず泣いてしまいました。彼は、酷く狼狽えましたが、私が喜んでいるとわかると、安堵したように笑いました。

 その日から、彼はよく私の顔を見に来ました。森の外の話を彼は沢山聞かせてくれました。

 私は聞いているだけでも楽しくて、彼が来る日を待ちわびるようになりました。

 そんな逢瀬が数年続いた、ある日。


「……俺の、嫁になってはくれないか」


 柄にもなく緊張した様子で、彼は私に切り出しました。彼には家族がおらず、妖を娶って文句を言ってくる者はいない。人里離れたこの森で、死ぬまで共に暮らしていきたいのだと。

 私は目を見開きました。彼は人で、私は妖。どんなに惹かれ合ったとしても、結ばれることはないと勝手に思い込んでいたのです。

 けれど、彼は本気でした。

 私は、この永い生の中で、生き物としての幸せを享受してみたいと思いました。


「……私で、よろしければ」

「お前じゃないと駄目だ」


 そして、私と彼は夫婦となったのです。


 ***


 しかし、私達は異なる種族であるからか、一向に子が成せませんでした。私は申し訳なさで何度も謝りましたが、彼は私がいればそれでいいと笑ってくれました。

 そして、あっという間に彼は老いてしまったのです。

 私は妖。時の感じ方が人とは大きく異なります。彼にとっては一生でも、私にとってはどんなに幸せな時間も一瞬に過ぎないのです。

 老いた彼は言いました。


「……来世でも、夫婦になろう」


 それは、独り置いて逝く私を寂しがらせないための言葉だったのでしょう。しかし、唯一愛した人の寿命を受け入れられなかった私は、愚かにもそれを真に受けてしまったのです。


「待っています。遥か未来の、その時まで」


 彼は一瞬だけ、発言を悔いるような顔をしましたが、私の嬉しそうな顔を見ては、何も言えないようでした。

 彼は、穏やかな顔で、静かに息を引き取りました。私の膝の上で眠る彼の死に顔は、若い頃の面影を確かに残していました。


 私は、永い時を待ち始めました。

 季節がいくつ巡ったのか。天変地異が起きようとも、周囲の環境が変わろうとも、私は静かに彼の再来を待っていました。


 そんな、ある年のこと。


「……あの魂の色は」


 木々のてっぺんから森の近くを歩く若い男女を見かけました。男性の魂。その色は、彼のものと酷似していました。

 男女は森の入り口まで来ると、男性の方が何やら真剣に女性に言葉を告げています。


「……嗚呼」


 近くで見て、確信しました。男性は、彼の生まれ変わりでした。

 しかし、男性は私の存在に気付きもせず、連れの女性に結婚を申し込んでいました。


「……そう。そう、よね」


 来世でも、夫婦に。

 そんなことは不可能です。人間の魂も心も、時の流れと共に移り変わるもの。輪廻の先のことなんて、誰が約束できましょうや。

 刹那、私の首を飾っていた貝の首飾りが耐えかねたように砕けました。彼との縁の終わりを告げるように、あっさりと粉々になりました。

 私はそのまま森を飛び出しました。

 そして、薄らと噂に聞いていた村はずれの陰陽師の元を訪ねたのです。


「死にたい、と?」

「はい」


 件の陰陽師は、人と妖を差別せず、対等に扱うことで妖の中でも有名となっていました。

 私の願いに陰陽師は瞬きましたが、私の哀しみに暮れた顔を見て、全てを察したようでした。


「数年に一度は、其方のような妖が来るよ。……来世では、愛した人間と同じ存在になりたいと、ね」


 それは叶うかわからない。それでも、久遠の命を捨て、輪廻の果てに賭けるかい?

 陰陽師の問い掛けに、私は力強く頷きました。

 永い時間を待つしかない存在であるくらいなら、一度死んでやり直してみたい。


「お願い致します」


 陰陽師は静かに頷きました。そして、両手で印を組ました。

 陰陽師の祝詞を聞きながら、私は目を閉じました。


「どうか」


 貴方は幸せな今生を。


「どうか」


 来世は人に、なれますよう。


 薄れゆく意識の中で、私は切実な願いを彼方に馳せたのでした。

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久遠の待ち合わせ 土御門 響 @hibiku1017_scarlet

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