ソメイヨシノの作り方~化猫の飼い方

せきやひろし

第1章 前兆

第1章 前兆-1

「……っ!」

 激しい頭痛によって、私の睡眠は中断された。寝覚めとしては最悪の部類である。

 ベッドから身を起こし、ほぼ無意味と知りつつも痛む部分を手のひらでぐりぐりする。

 側頭部がズキズキと脈動するように痛むことから考えると、頭痛の種類は偏頭痛か……昨夜の夜更かしのせいかな?……などと考えつつ、枕元の携帯端末を確認する。

 画面の数字は、朝六時ちょっと前の時刻を表示していた。

 日によって多少のブレはあるものの、普段から自然と目が覚める時刻だ。


 夜更かしして、しかも目覚まし時計も使っていないのに目覚めの時間が変わらない、と言うのは便利と言えば便利なのだが、頻繁に夜更かしする身としては睡眠不足にならないか心配になることもある。それなら夜更かししなければいい、と思われるかもしれないが、調べ物に没頭してしまった時など、気付いたら日付が変わっている、と言うことが結構な頻度で起きているし、興が乗りすぎた場合は、そのまま朝を迎えてしまうこともある。

 我ながら改めるべき悪癖だとは思うのだが、調べ物などの過程で生じる新発見があまりにも楽しいために、改善に至っていない。


 昨夜もまさにそのパターンで、唐突に、何でもない言葉が気になって、それについて調べ始めたところ、いつの間にか知識の迷宮に迷い込んでしまっていた。迷宮内の散策が一段落したところで時計に目をやったところ、時刻が深夜三時に迫っていたので慌てて就寝したのである。それなのに今朝は六時前に目が覚めたのだから、昨夜の睡眠時間は三時間ほどしかなかったことになる。ナポレオンならともかく、ごく普通の女子中学生である私にとって、三時間と言う睡眠時間があまりにも短いものであることは言うまでもない。

 このようなことをほぼ毎日続けているにも関わらず、これまで睡眠不足が原因と思われる不調に見舞われたことがなかったため、夜更かしに対する忌避感や罪悪感が薄れていたのは間違いない(夜更かしが悪癖であることを理解しつつもなかなか改まらない理由の一つがこれである)。


 そこへ来て今朝の頭痛だ。ついに許容量を超えちゃったのかなぁ? と言う思いと、こう言うのにはもっと何か前兆のようなものがあるんじゃないの? と言う思いが交錯する。

 もちろん、頭痛の原因が夜更かしである、と言うのは単なる推測に過ぎず、全然違うものが原因である可能性もあるが、状況的に十中八九は睡眠不足が原因と見ていいだろう。

 とりあえず、現時点で起きている頭痛だけでも何とかしなきゃ、と行動を起こす。

 痛みそのものは耐えられないほどではないが、鬱陶しいのは間違いない。


 痛み止めを飲むため、薬箱が置いてある居間へ行くと、父がテレビの経済ニュース番組を見ていた。

「あ、お父さん、おはよ……」

 普段通り挨拶をしたつもりだったが、頭痛のせいか、声に力が入らない。当然、その異変は父にも気付かれることとなった。

「ああ、おはよう……何だか声に元気がないな? 具合でも悪いのか?」

「ちょっと頭痛がね……夜更かしが祟ったのかな……」

「頭痛? 珍しいな。念のため熱も測っておきなさい」

「ん、そうする……」

 どうにもしゃっきりしない受け答えになってしまったが、これは寝起きである上に頭痛も重なっているのだから致し方ないだろう。

 ただ、父が「珍しい」と言っていた通り、私が頭痛などで体調を崩すことはめったにない。普段から体調管理に気をつけている……と言う訳ではないのだが、ここ数年、風邪程度のものも含めて病気らしい病気に罹ったことがない。今朝のような頭痛が起きるのもずいぶん久しぶりだ。もっとも、体調不良と無縁なのか、と言われればそんなことはなく、女子特有の不調には人並み以上に悩まされている。


 十四歳の私でも使える鎮痛剤であることを添付文書で確認し、用法用量通りに服用。薬箱には体温計も入っていたので、父に言われた通り念のため体温も測ってみたが平熱だった。やはり寝不足が原因か。


 いったんベッドに戻って安静にしていると、薬が効いてきたのか痛みが和らいできたので、朝のルーチンワークを再開した。

 昨日のうちに今日の準備は一通り済ませてあるが、念には念を入れてもう一度確認する。提出物を忘れていないか、やり残している宿題はないか、筆記用具は問題なく使える状態になっているか、授業や課外活動で使う道具などは揃っているか……一通り確認したところで、昨日のうちに予習しておいた分をもう一度見直す。ほんの十二時間程度の間隔でしかないが、時間を空けて反復して覚えることで、記憶を強化できる……らしい。もっとも、授業中であれば教科書やノートはいくらでも見られるので、無理に記憶しておく必要もないのだが、ここでしっかり記憶しておけばテスト勉強の手間を最小限に抑えられるのだ。


 私は、自発的に行う〝学習〟は好きだが、少なからず何らかの強制力を伴う〝勉強〟は大嫌いなので、勉強の手間を減らす、と言うのは最重要課題の一つだ。そのために予習復習をはじめとして、日々の積み重ねを欠かさずに行っている訳だが、そのせいで周囲からは勉強好きの優等生と思われてしまっているのは皮肉としか言いようがない。

 再予習を済ませ、教科書やノート、筆記用具などを通学カバンにしまい込む。ここで改めて時間を確認すると、六時半を少し回ったあたりだった。頭痛関連でいろいろ時間を取られた割にはいつも通りの時間に終わったな……などと思いつつ、大きく伸びをした瞬間、突然世界が大きく揺らいだ。


 地震⁉ と思って身構えたが、部屋の中のものが動いている様子はない。また、体感ではかなり大きな揺れを感じたのに、携帯端末には地震発生に関する通知などは来ていない。念のためSNSなども確認してみたが、地震のことを話題にしている人は見当たらない。

 何が起きたんだ? と思って部屋の中を見回したところ、再び世界が揺らいだ。ただ、今回の揺らぎは先程よりはずっと小さく、ちょっと揺れたかな? と言う程度だった。どうやら頭痛のみならず、めまいまで発症しているらしい。幸いにしてめまいの程度はそこまでひどくないようなので、落ち着くまで椅子に座って目を閉じてじっとしていることにした。


 しばらくそうしていると、部屋のドアがノックされ、ドア越しに母が話しかけてきた。

「お父さんから聞いたけど、具合は大丈夫? 朝ご飯はどうする?」

「あー……うん、大丈夫。朝ご飯も食べられると思う」

「そう? じゃあよしのの分も準備しておくわね」

「うん、ありがとう」

 私がそう答えると、母の足音が去っていった。

 なお、よしの、と言うのは、状況的にお分かりとは思うが私の名前である。フルネームで書けば染井由乃。読み方は……日本を代表する桜の品種と同じである。そのせいでお花見シーズンには名前関連でいろいろいじられることも少なくない。

 それはともかく、母が朝食を準備してくれている以上、あまりグズグズしてもいられない。

 身支度を調えて食卓へ向かう。食卓では先に来てテレビを見ながら朝食を摂っていた父が、私を見て声をかけてきた。

「お、来たか。見た感じでは大丈夫そうだな」

「うん、何とかね」

 私の席には、既にトーストと目玉焼きが並べられていたので、席に着いて食事を始めた。

 テレビを見ていた父が「お、この辺で起きてる通り魔事件のことをやるぞ」と言ったので、食事をしつつテレビにも意識を向けると、この周辺でここ一ヶ月ほどの間に発生している連続通り魔事件について、専用の枠を設けて伝えていた。

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