第2章-邂逅-3
私は、「少しだけ考える時間を下さい」と言って、取り急ぎ理解できる範囲内で状況の整理をすることにした。
まず、仔猫が瀕死の状態であるため、一刻も早く仔猫を動物病院に連れて行き、治療を受けさせなければならない、と言うのは、この状況が始まった時から変わっていない。
そして、仔猫を瀕死の状態に追い込んだのが、私の目の前にいる女性であることは、女性本人がそのことを認めている以上、そこも間違いないのだろう。
ただ、女性は元々仔猫を瀕死の状態にするつもりではなく、不手際でこんなことになってしまったらしい。そう言う状況も想定して、女性は仔猫を回復させるための手段も用意していた、とのことだが、そうであれば仔猫を動物病院に連れて行くよりも、女性になんとかしてもらう方が早いのは間違いない。
女性は仔猫が瀕死の状態のままでは自分の目的を完遂できない、とも言っていた。なので、仔猫が回復することは、女性にとっても意味があることなのだろうし、回復させる手段がある、と言うのも嘘ではないのだろう。
問題は、わざわざ用意しておいた手段を「想定外の事態が起きたおかげで、それらの手段は使わずに済みそう」と言った点である。
そんなことを言うからには、女性が言う「想定外の事態」が、仔猫を回復させるためにプラスの状況であるのは間違いないだろう。それも、女性があらかじめ準備しておいたものよりも優れているものである可能性は高い。
だとしたら、それで仔猫を回復させ、最低限でも瀕死の状態ではなくすことが、〝女性の話を聞く〟ための最低条件だろう。まずはその確認からだ。
一回、深呼吸をしてから女性に問いかける。
「お話を伺う前にいくつか確認したいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
「いいとも。何でも聞いてくれたまえ」
「では、一つ目ですが、仔猫が瀕死の状態であることは、えーっと……ジングウジさんが望んでいる状況ではない、と言うのに間違いはないですね?」
「その通りだよ」
「二つ目。仔猫が瀕死の状態では、ジングウジさんの任務が達成できない、と言うのも間違いはない?」
「そうだ」
「三つ目。仔猫が瀕死の状態になることを想定して、仔猫を回復させる手段を用意している、と言うのも確かですね?」
「うむ。簡単なものから複雑なものまで、何種類か用意してある」
「でも、想定外の事態が起きて、それらを使わなくても良くなった。これも間違いないですね?」
「ああ。正確に言うと、想定外、と言うか、うっかり忘れていただけなんだがね」
ここまでは予想通り、と言うか、女性の発言をなぞっているだけなので、こうなって当然である。
重要なのはこの次だ。
「以上の話から、〝想定外の事態〟と言うのは、仔猫を回復させるのにプラスになる状況であると推測できますが、それで合っていますか?」
「その通りだ。正直言って、私が用意していたどんな手段よりもはるかに効果が高い。おそらく、既に効果は出ているはずだ」
「では、その想定外の事態を活用して仔猫を……って、既に効果が出ている⁉」
ここへ来て、予想外の展開となった。
女性が言う〝想定外の事態〟が既に効果を発揮している?
だが、私が仔猫を抱き上げてから、女性は一切仔猫に触れていないはずだ。
それなのに「効果は出ている」とはどう言うことなのだろう?
訳が分からずに私が戸惑っていると、女性はちらりと腕時計に目をやった。
「君と私が出会ってから、既に五分ほど経過しているね。私が見た限りでは、君がそいつを抱き上げたのもだいたい同じタイミングだから、君がそいつに接触してからもほぼ同じ時間が過ぎている、と考えても問題はないはずだ。こう言うのは実際に見てもらう方が早いからね。論より証拠、って奴だ」
そう言って、女性は私が胸元に抱えている仔猫を指さした。
「私の推測通りであるなら、そいつは既にかなり回復しているだろう。ほんの数分前は瀕死の状態だったと思うが、今なら普通に寝ているのと変わらない状態になっているはずだよ」
そんな馬鹿な、と思いつつも、私が仔猫の状態を確認すると、ハンカチにくるまれた仔猫は、私が抱き上げた時と違い、呼吸は安定し、乱れていた毛並みも綺麗に整い、艶さえ出ている。表情も苦しそうなものではなくなり、幸せそうな寝顔になっている。試しに軽くつついてみたが、よほど深く眠っているのか起きる気配はない。
これなら、女性が言ったように、仔猫が普通に寝ている状態にしか見えない。これが数分前までは瀕死の状態だったのだ、と言っても、信じる人はいないだろう。
とりあえず仔猫が瀕死の状態ではなくなったのは確かなようだし、それは非常に喜ばしいことなのだが、私は混乱のただ中にいた。
人間も含め、動物の子供は基本的にケガの治りが早いと言われている。私自身もまだ子供の範疇に入るためか、ケガをしてもすぐに治ってしまう。だが、そうだとしても、たった数分で、しかも特に何か手当をした訳でもないのに、瀕死の状態の仔猫がここまで回復するはずがない。
状況があまりにも異常なせいか、考えれば考えるほど訳が分からなくなってくる。
思わず女性の方を見ると、女性は満足げな顔をしつつ、「どうやら私の推測通りだったようだね」と言い、私はそれに対して頷くことしかできなかった。
女性はテーブル付きのベンチに腰を下ろすと、「繰り返しになるが、この先は話が長くなるからね。話を聞く気があるなら、君もベンチに腰掛けたらどうかな?」と言って、テーブルを挟んだ向かい側に座るよう勧めてきた。
女性の言葉を受け入れる前に、改めて状況を整理する。
ほんの数分前までは〝瀕死の仔猫を一刻も早く動物病院へ連れて行く〟ことが最優先事項だった。
だが、現状では仔猫の容態は安定していて、普通に仔猫が寝ているだけ、と言われても信じられるレベルだ。実際の容態がどうなのかは詳しく検査しないとなんとも言えないが、少なくとも見た目上は特に問題がないように思える。
万が一仔猫の容態が急変したとしても、女性が回復手段を用意しているのだから、それを使ってもらえば最悪の事態は避けられるだろう。
最大の懸念点が解消された以上、女性の誘いを断る理由はもはや存在しない。
逆に、女性の誘いに乗る理由を考えてみると、こちらでは積極的な理由が見つかった。
あまりにも不可解なことが起きていて、私の理解力が全く追いついていないため、状況を把握している女性からあれこれ説明してもらわなければ気持ちが落ち着かない。
もちろん、不可解な状況を不可解なまま放置して、何も見なかったことにする、と言う選択肢もあるだろう。だが、私の好奇心がそれを許さない。何か気になることがあると、それについて納得がいくまで調べないと気が済まないのが私の性分なのだ(昨夜の夜更かしがまさにそのパターンだった)。
女性の誘いを断る理由がなく、むしろ、積極的に受け入れる理由があるのであれば迷うことはない。私の体調もいつの間にか良くなっており、めまいも頭痛もなくなっていた。いつまた再発するか分からない、と言う不安はあるが、しばらくの間話を聞くだけ、であれば問題はないだろう。
私が座ると女性は改めて自らの名前を名乗り、名刺を差し出してきた。
受け取った名刺には、「内閣府 政策統括官(防災担当)付 政策統括官補佐 神宮寺 美晴」と書かれていた。
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