第5話 ありふれた、鍋準備

 彩人が手に下げている袋には、近所のスーパーで安く売られている鍋の素と、恐らく鍋に入れるのであろう食材が入っていた。

「えーっと・・・これって一応鍋用の食材なんだよね?」

材料を確認するや否や、アカネが控えめにそう言った。

「そうだけど、何か問題でもあったか?」

「いや、まあいいんだけど」

どうかしたのかと思って見ると、アカネの顔は少しばかり引きつっていた。そういえば、彼女はきのこ類が苦手だった。やっぱり椎茸を買いすぎてしまっただろうか。


「それで、これって何の鍋なの?」

「寄せ鍋にしようと思うんだ。魚介類を多めに買ってきたし、人参とかタマネギとかも入りそうだし・・・」

カレーの具材を鍋に転用すること自体に少し無理があるだろうと思っていたが、悪くなさそうだ。試してみてもいいかもしれない。

「まあジャガイモはさすがに入らないだろうから、フライドポテトにでもしようか。それじゃあ、気を取り直して・・・寄せ鍋を作ります!」






 寄せ鍋を作るのはかなり簡単そうだった。食材をいい具合に切って、湯に鍋の素を入れて煮込むだけ。僕は人参を薄い輪切りにしていく。隣では藍川さんが春菊や椎茸、タマネギをスムーズに切っていく。紺色のエプロンのポケットから、几帳面に畳まれたハンカチが覗いている。

「もうすぐ人参切り終わるけど、何か手伝うこととかあるかな?」

「それじゃあ、豆腐をお願いしてもいいかな」

OK、と返して豆腐のパックを手に取り・・・柄にもなく気取った返事をしたような気がして、急に恥ずかしくなる。そんな気持ちを繕うように、豆腐を切っていく。力加減が分からず、ちょっとくずれた。


 一方、手前の調理台の彩人とアカネは鶏肉ひとくち大に切ったり、タラの小骨を取り除いたりしている。彩人は機械みたいな速さで鶏肉を切り終え、ビニール袋からそこそこ値の張りそうな海老のパックを取り出し、殻をてきぱきと剥いていった。彩人のやつ、いつの間に海老なんか入れたんだろうか。ともかく海老まで入るなんて、豪勢な鍋になりそうだ。


 食材の下ごしらえが終わったら、鍋の素を入れる。みりん、酒、醤油を適量注いだら、鶏肉、タラ、海老、にんじん・・・といった感じで、次々に食材を投入していく。

「鍋は3人に任せるよ。僕は鍋用の薬味とフライドポテトを作っておくから」

と言って、彩人は腕をまくる。


 ふつふつと音が鳴る。最後に春菊と、少し不格好な豆腐を入れる。すっといい香りが立ち込める。彩人の方にもその匂いは届いていたようで、満足そうに頷きながらポテトを揚げている。腹の虫が鳴くのを押さえるように、左手を腹部に当てている。その隣では、アカネが彩人の薬味づくりを手伝っている。

 蓋を閉め、鍋の調理がひと段落ついたところで僕は座り込む。家庭科室の丸椅子がきいきい音を立てる。



「お疲れ様」

―――澄んだ声。振り向くと、藍川さんが丸椅子に腰を下ろし、一息ついていた。

「皆で飲もうと思ってお茶を持ってきたんだけど、今淹れちゃおうか?」と彼女が尋ねる。

「ありがとう、僕も手伝うよ」

と返事すると、彼女は優しく首を振った。

「いいの。さっきの買い出しで荷物とか、持ってもらったし」

そんなこと気にしなくても、と言いかけてやめる。彼女なりに、僕らに馴染もうとしてくれているのかもしれない。

「それじゃあ、お願いします」

藍川さんの気遣いに呼応するように、少し緊張したトーンで言う。彼女はうん、と小さく答えて、鞄からお茶の入ったボトルを取り出す。家庭科室の棚から、4つグラスを持ってきて、さっと洗って、お茶を注いでいく。


 お茶がグラスに注がれる音だけが、僕の耳に入ってくる。藍川さんの丁寧な仕草を見ているだけの僕は、1時を知らせる時計の音すら気に留めなかった。僕はただまどろむ様な心地で、背筋を緩やかに丸めて丸椅子を軋ませていた。

向こうの調理台では、上手く揚がったポテトに塩が振られ、皿に盛られていく。

全てのグラスにお茶が注がれる。僕は藍川さんにありがとうと一言礼を言い、グラスのお茶を3分の1くらい飲む。



「・・・私、不安だったの」

躊躇いのような少しの間を置いて、彼女は言った。多分、僕だけにしか聞こえていなかった。僕は続きの言葉を待ったが、彼女の影の差した表情から感じ取れる心情は『新しい学校でうまくやっていけるか』といったような不安の水準を超えていることに、何となく気が付いた。

「そうだったんだ。・・・僕らは藍川さんともっと仲良くなりたいと思ってる。だから藍川さんも、気兼ねせず一緒にいてくれると嬉しいよ。もちろん僕だけじゃなく、あの2人ともね」

僕は当り障りのない言葉を、だけれども本心を話す。彼女に差していた陰りはゆっくりと晴れていき、誰にも聞き取れないほど小さく「ありがとう」と言った、そんな風に記憶している。

 ・・・やはり僕らは、彼女のことをまだ何も知らない。それが今だからと、やがてそんな風に言えることを願いながら、結露し始めたグラスのお茶をゆっくり飲み干した。






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