その花札が意味するものは
烏川 ハル
その花札が意味するものは
消費者金融を経営していた
六十歳を祝うパーティーが開かれていたのは、東京の郊外にある別荘だ。カードゲームが好きな彼は、
事件の翌日、捜査にあたっていた警察が、滞在客のうち四人を一室に呼び出す。招待客の中で、死亡推定時刻にアリバイのない者、つまり容疑者たちだった。
「みなさん、お集まりいただき、ありがとうございます」
よれよれのワイシャツを着た男が話し始める。顎には無精髭も目立つような冴えない風体であり、警察の人間という雰囲気ではなかった。
「あなたは、いったい……?」
疑問を口にしたのは
「これは失礼。私は
明田山探偵は、チラリと部屋の隅を見やる。そこに立つ
「素人探偵というやつですか。まるで昔の探偵小説ですな」
「何の権限も持たない、非公式のアドバイザーですか? ならば、あなたの話に付き合う義理はないのですね?」
権三に続いて、すらりとした体型の女性が眉をひそめる。四人の中で一番若い、二十代前半の
「まあまあ、不二子さん。そういう言い方は
「そうですわね。どうせ私たち、疑われてるんですから」
白い歯を見せた青年、
「いかにもな人選ですものね。アリバイはなく、でも動機はバッチリの四人だなんて」
もう一人の女性も口を開く。不二子と背丈は同じくらいだが、年齢も体重も少し上。丸い顔立ちの
「ありがとうございます、木南さん。アリバイや動機の有無に関して承知しておられるのであれば、私も話を進めやすい」
「隠しても仕方ない話ですからな。しょせん私たちは、金原さんに良い感情を
権三も認めた通り、彼ら四人には動機があった。招待客の大半と同じく、金原氏の金融会社から借金して困っていた者たちだ。
膨れ上がった利子に苦しめられて、金原氏を殺したいほど恨んでいたに違いない。それでも招待に応じたのは、金原氏の機嫌をとれば返済の便宜を図ってもらえるかもしれない、という淡い期待が理由だった。
「僕たちが甘かったんです。自業自得ですよね、多額の借金なんて」
「甘かったのは、のこのこ出向いてきたことですわ。まさか、ゲームの相手をさせられるだけなんて……」
「君たち若者は、まだ良いではないか。若者ならば、ああいう遊びも理解できるのだろう?」
不二子と武蔵に対して、権三が苦笑する。
「私にはサッパリわからん、あの
「そう、その花札です」
容疑者たちの会話に、明田山探偵が割って入った。
「みなさん、知っていますか? 亡くなった金原氏は、その花札の一枚を握りしめていたのです」
「念のため最初にお断りしておきますが、これからお見せするいくつかのカードは、証拠品そのものではありません。同じ商品を用意しただけなので、触ってくださっても結構です」
「いくつかのカード? 金原さん、何枚も手にしていたのか?」
「心臓を一突きで即死だった、って聞きましたけど……。そんな余裕あったんですか?」
権三と武蔵の言葉に対して、明田山探偵は首を横に振る。
「犯人は『即死』と思ったでしょうね。実際ほとんど即死でしたが、引き出しからカード一枚を取り出す程度の余力はあったようです」
「一枚?」
「そうです、寺川さん。金原氏はカードゲームが好きでしたから、部屋の机には当然、カードのコレクションも入っていた。その中の一枚を、最期の瞬間、手にしたのです。犯人を示すために」
探偵の『犯人を示す』という言葉で、その場の雰囲気が変わる。
殺人事件の容疑者であることを、改めて四人が実感したのだろう。ハッと息を飲む音も聞こえるくらいだった。
「いわゆるダイイングメッセージというやつですな。いよいよもって探偵小説みたいだ」
「現実的じゃないですね。回りくどいやり方で示すのは」
権三と武蔵が口では余裕の態度を見せると、明田山探偵は軽く笑う。
「名前を書き残しても、犯人が戻ってきて消すかもしれない。小さなカードを手に隠すのは、案外合理的なのですよ。そして、これがその一枚です」
「ほう、『芒に月』ですか。絵柄的に最も有名な花札ですな」
探偵が取り出した一枚を見て、坊主頭の権三が顔を曇らせる。
「通称『ぼうず』。つまり、私を告発しているのですか?」
その場がシーンとなるが、すぐに探偵が静寂を破った。
「安心してください、寺川さん。山の絵が坊主頭みたいに見えることから、そういう異名もありますが……」
明田山探偵は『芒に月』を右手に持ったまま、左手で懐から別の一枚を取り出す。
カラフルな絵柄の漫画的なイラストであり、坊主頭の男が青いローブ姿で杖を振る場面だった。
「……もしも坊主頭を示したいなら、こちらの方が相応しいでしょう?」
「『No.569 僧侶』。昨日の
ちょっとした知識を披露する武蔵。
「ふむ。ならば金原さんが言いたいのは坊主頭ではない。つまり私は、わけわからん
「そうなりますね。そもそも『芒に月』に描かれているのは山であり、元々のモチーフは富士山だそうです」
探偵の言葉で、皆の視線が一人に向けられる。
富山不二子。
姓が『富士山』三文字のうち二文字から成り、名にも『ふじ』を含む女性だった。
「今度は私ですか……」
不二子は表情を暗くして、絞り出すような声で呟くが、
「いやいや、それも誤解です」
明田山探偵が即座に否定する。
また別の一枚を取り出すが、今度はカードゲームではなかった。
「『富士山』の意味ならば、こちらの方がわかりやすいでしょう」
「ほう、懐かしい」
権三が反応したように、それは彼が子供の頃、とある食品メーカーのふりかけに同封されていたもの。有名な東海道五十三次の日本画が、手のひらサイズのカードに収められたシリーズだった。
探偵が手にする一枚には、ちょうど富士山が描かれている。
「金原氏のコレクションとして、これも机の中にありました。『芒に月』よりも直接的です」
続いて探偵は、月絵に顔を向けた。
「先に言っておきますが、『芒に月』に描かれている丸いのは、もちろん月の絵です。だからといって、あなたを告発するつもりもありません」
言いながら明田山探偵が見せたのは、再び
今度も武蔵が反応を示す。
「『No.123 月の女神』、それなりのレアカードです。なるほど、月絵さんを示したければ、金原社長はこれを使うでしょうね」
「探偵さんは、一つ一つ可能性を消しているようだが……」
「そうなると、残りは野田さんね。『芒に月』の一枚に、野田さんを意味する部分、あったかしら?」
権三と不二子の言葉で、皆の注意が武蔵に向けられる中、明田山探偵が大きく首を横に振る。
「それはないと思いますね」
「良かった……。僕だけは、疑われずに済んで……」
ホッと胸を撫で下ろす武蔵に対して、探偵は意味ありげな笑みを見せた。
「安心するのは、まだ早いですよ」
「……えっ?」
「野田さん自身が、最初に言ったじゃないですか。回りくどいやり方で犯人を示すのは現実的じゃない、って。あなたのおっしゃる通り、花札の絵柄に意味なんてなかったのです」
「ちょっと待て。ダイイングメッセージは案外合理的と言ったのは君自身だぞ?」
やや語気を荒げる権三だが、明田山探偵は落ち着いて答える。
「だから意味があるのは、花札そのものです。描かれている絵柄ではありません」
「何が言いたい……?」
「死に際の金原氏に、カードを選んでいる暇はない。だから彼の行動も『花札ならば何でも良かった』と考えるべきでしょう。そもそも花札というものは……」
いったん言葉を切って、明田山探偵は少し話を遠回りさせる。
「警部に呼び出された時、ちょうど私は、この近くの博物館を訪れていました。昔の屏風絵が飾られていましてね。秋草や月、東国を示す記号の富士山などを題材とした、美しい構図でした」
「あら。まさに『芒に月』みたいじゃないですか」
「その通りです、不二子さん。花札の『芒に月』も、同じモチーフが由来だそうです」
明田山探偵は、にっこりと笑う。
「江戸時代に人気だった『武蔵野図』は、風情あふれる武蔵野の原野を描いたものです。特に『武蔵野図屏風』が有名ですが、『芒に月』に代表されるような花札も同じモチーフです。だから花札は『武蔵野』とも呼ばれるのです」
東京の郊外といっても、この辺りも武蔵野台地の範疇だ。その点を明田山探偵が意識したのは、博物館で武蔵野関連の展示物を見た後だったが、今はそこまで告げる必要もなかった。
視線を一人の男に固定して、フルネームで呼びかける。
「カードゲーム好きの金原氏ならば、花札の別名も知っていたはず。花札で『武蔵野』という言葉を示せると考えたはず。そう思いませんか、野田武蔵さん?」
「……こじつけだ。証拠も何もない、与太話だ」
「証拠探しは私の領分ではなく、警察の仕事です」
表情を歪める武蔵に対して、明田山探偵はあっさりと返していた。
「でも警察の方々は優秀ですからね。こうして私がお話ししている間に、あなたが泊まっている部屋で、何か物的証拠を見つけたかもしれません」
根拠の薄い発言だったが、それは間もなく現実となるのだった。
(「その花札が意味するものは」完)
その花札が意味するものは 烏川 ハル @haru_karasugawa
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