夜
鳥も街も静かに寝静まっていた。護衛と共に漆喰の地面を蹴って、ある貴族の家まで向かった。それはこの事件の黒幕である、イツァムナーフの父親の屋敷だった。
「お待ちしておりました。どうぞ中に」
少しだけ考えさせて欲しいということで、先に到着していたイツァムナーフに手引きされて正面と裏口から侵入する。表情は暗がりでよく見えない。
「……いいのかい? 君の肉親だろう」
「いいんです。私で悩んで、私で決めたことですから」
「――そっか」
たった一言、「行け」と指示を出した瞬間、何十人もの戦士の足音が敷地を脅かした。イツァムナーフの父親は押しとどめようとしたが吞み込まれ、すぐに地面に倒されて青ざめた顔で叫ぶ。
「裏切ったか、この恩知らず! 馬鹿野郎!」
「……すみません、父上」
彼は謝罪の言葉にいっそう歯をきしらせて、涙を流しながら床を殴りつけた。
邸宅中がくまなく捜索される。やがて護衛のひとりが声を上げた。戸棚から姿を現したのは何枚もの樹皮紙。大仰なまでの達筆が彼の性格を象徴している。そのうちの一枚を取って内容を読み上げた。
『既に神聖王の血統は地に堕ちた。やつらにこの国を任せていてはいずれ滅びるだろう。なら、だれが政を担うべきか。我らだ。我ら良識ある人々が協議によって、最善の判断を導いていくべきなのだ。さあ、黒曜石の鏃を研げ。共に立ち上がって、正義の声を上げようではないか』
「まさか君が反乱を企てているなんてね。言い訳はあるかい?」
どこかに逃げ道はないかとでも言うように周囲を見渡していたが、やがて諦めたのか項垂れて、
「……あなたより王にふさわしい者はいくらでもおります」
「そうかもね」
「なら――」
「それでも君は罰を受けるべきだ。神聖なる王の領分を侵そうとしたのだから。せめてもの慈悲に、名誉の死を遂げさせてあげよう。でも、それだけだよ」
「……堕ちた身のくせに、傲慢な」
きっと彼は聞かせるつもりなんてなかったんだろう。けれど呟きは何の因果か僕の耳にまで届いてしまった。幼い頃からよく顔を合わせていたひとだ。だからこそ、余計に胸が痛かった。
仕事を終えて自室に戻るとベッドの上に倒れ込む。召使いに声を掛け、夕食の予定の変更を求めた。
「今日はあまり食欲が湧かないから
意外なことに、食事を持ってきたのはイツァムナーフだった。静かに僕の隣に腰掛ける。もし君が来た目的が暗殺だったら助かる術はないな――。冗談にでも一度そう思ってしまえば怖くなった。君にまで裏切られてしまえば、僕はいったい何をよすがにすればいい?
「ねえ」
「なんでございましょう」
「君は、何があろうと僕の側にいてくれると言ったね」
「ええ」
確かな答えが欲しかった。絶対に見捨てられないという証が欲しかった。
「こんな僕でも? もう誰からも神の血統であることを望まれない。何の富も名声も残っていない。そのせいで君に苦労を掛けるばかりなのに、どうしてここまで慕ってくれるの?」
「あなたのことが大好きだからですよ」
そう微笑むイツァムナーフの口からは、美しい細工の施されたぎざぎざの歯が覗いている。後ろ髪を束ねる貝殻のアクセサリも、柔らかな産毛の生えた耳を彩るピアスも、愛おしいと同時にどこか恐ろしかった。
本来なら僕はこの言葉に満足しなければならないんだろう。けれどイツァムナーフの伏せた目が、寝具の縁を握りしめた指が、僕に不安を抱かせた。
もやもやしたまま匙を口に運べば、少し温くなった粥が身に沁みる。――そして、君の優しい声が鼓膜を撫でる。
「美味しいですか?」
「うん」
――もしかしたら、僕は誰からも見放されることよりも、君を失うことを恐れているのかもしれない。花の咲くような笑顔を見て思ったのはそれだった。ああ、情けない。縋るばかりで何も返せないだなんて。
「君は、いつまでなら僕を信じてくれるかい?」
また弱音が漏れたのを後悔したときにはもう遅かった。イツァムナーフは寂しそうな震えた声で答える。
「あなたが神さまじゃなくなったら、私は誰のために生きればいいんですか」
「……きっとすぐ次の王が現れる。地上の神様なんていくらでも代わりはいるさ」
「――嫌ですよ、そんなの」
かろうじて口にすると、そのまま泣き出してしまった。
「ねえ」
嗚咽を漏らすばかりで答えはない。
「君のためなら、僕は何にだってなってみせるよ」
ティカルの未来がどんなに暗いものだったとしても、僕は小さな神でいつづけよう。この世界で頼れるものはもうお互いひとりしかいないんだ。なら、迷うことはないだろう。そう覚悟を決めてイツァムナーフを抱きしめた。
窓を見やれば、夜は更けていく。
明星戦争のあとで 藤田桜 @24ta-sakura
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