混乱


「私なら、例え首を刎ねられたとしても叫んだだろう、我々は決して貴様らに屈しはしない、と!」


 激怒のあまり宮殿に殺到した貴族たちを相手に、クック・バラムが演説を行っている。情けない講和を結んできた故国の王子を非難しているのだ。

 彼らが要求するのは僕が継承権を放棄することと、複数の神官の合議による統治を認めること。身振りと共に 垂れ下がった耳朶を貫く金の飾りが揺れ、歯に埋め込まれた翡翠の細工が鈍い光を放つ。


「良識ある同胞よ、あの臆病者を廃せ! あの売国奴を引きずり下ろすのだ!」


 混乱を治めるためにも僕がどうにかせねばなるまい。イツァムナーフは袖を掴んで必死に首を振っている。その艶やかな手の甲に触れると、そっと引き離した。――大丈夫、乗り切ってみせるよ。


「――これは何の騒ぎだい?」


「さあ出たな、裏切り者、蛇の奴隷め!」


「そんなことを言われる覚えはないね」


「カラクムルの前に頭を垂れ、誇りを失った愚か者は誰だ? 貴様ではないか!」


「今は雌伏の時だ。奴は条件を呑まなければ再びこの地を蹂躙すると言った。若く勇敢な戦士たちのほとんどが殺されたのも顧みず、安全な場所から無謀な主張をするほうがこの国の害になると思うけどね」


「そもそもワク=チャン=カウィールが勝利していればこんなことにはならなかった! やはり王家の存在が間違っていたんだ!」


「いいや。彼ほど賢明で武勇に優れた戦士を君は知っていたかい? ――知らないだろう。それなのに、君が指揮をしていれば勝てただなんてこの場の誰も思うはずがないよ」


「黙れ! 屁理屈ばかり捏ねよって!」


「――慎むべきなのは君の方だ。誰に口を聞いていると思っているんだい」


 そう言った瞬間に夕焼けの空の中、日の輪が遠い山並みに触れて重々しいオレンジ色の光を放った。僕はちょうどそれを背にして立っている。別に奇跡が起こったわけではない。この宮殿はこの時間帯にここから見れば、そうなるように作られている。

 だが、幸い彼らは知らなかったようだ。どよめいて、わずかに後ずさる。


「神罰を受けたくなかったら帰るといいよ」


 誰かが悲鳴を上げて逃げ出すと、それにつられるように貴族たちの群れは瓦解した。最後に残ったクック・バラムは忌々しげな顔をして、地面に唾を吐くと走り去っていった。


「殿下!」


 イツァムナーフが泣きそうな顔をしながら抱き着いてくる。落ち着くまで髪を撫でてやると、照れくさそうに「失礼しました」と姿勢を正す。


「ですが」


「うん」


「こんな無茶はもうおやめください。兵は僅かですがまだ残っています。彼らは御身のためなら身を挺してでも動くでしょう。ですから、御自らを駒にしようとしないでくださいませ」


「分かったよ、もうしない」


「……なさるんですね」


「ごめん」


「ええ、でも、大切なひとのためにできることが何もないというのは、つらいものです」


「……ごめん」


 その時、宮殿へと続く階段の下の方から拍手が聞こえた。ひどく枯れて乾いた音だった。見ればひどく腰の曲がった老人が付き添いの者の手を借りてのぼろうとしている。若い頃大柄だったため、歳を取るにつれて体が歪んでいったのだ。彼こそがイツァムナーフの父親だった。僕らの方も駆け寄って、半ばくらいで合流した。


「今までどこにいらしてたんですか!」


「すまないね。中々人ごみを抜けれなくて。お前と殿下の危機にも馳せ参ずることができず…… ですが、あれは見事でしたな! まさにぎゃふんと言わせてやったという感じがいたします。何よりも、ご無事にお戻りになられたようで。誠に喜ばしいかぎりでございます」


「ありがとう。君の方こそ大変だったんじゃないか」


「またそうやって甘やかして! 殿下、父はこう見えて全く元気なんです。その癖こんな緊急時に限って遅れてきて……」


「ははは、そう言われては何も言い返せんなぁ。ですが殿下、わたくしは誓って申します。やつらより早く御身をお迎えできていれば、こんなことにはさせませんでしたのに!」


「心強いね」


「身に余るお言葉、感謝申し上げます」


 しばらく話をした後、彼は帰っていった。イツァムナーフに「一緒に行くのかい?」と訊くと、「いいえ、今日はあなたと一緒におりとうございます」と。


 宮殿に戻る途上、今回の騒動について考える。いくらこの講和が無茶な内容だからといって、あんなに大人数が押し掛けるわけがない。きっと僕らがカラクムルに留められていた頃から計画されていたんだろう。


 ふと、くしゃりと何かを踏みつける感覚がした。拾い上げてみれば、粗末な樹皮紙に檄文が書かれている。王政を壊して、貴族による政治を行おう、といった内容のもので、その筆跡には見覚えがあった。


「殿下、これは――」


「信じたくはないけど、そうみたいだね」


 思わず顔をしかめる。

 凍えるような夜風が僕らの肌を刺した。

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