明星戦争のあとで

藤田桜

敗戦


 ――僕らの一族はかつて神の末席に名を連ねていたというのに、このざまは一体どうしたことだろう! 今では蛇の王国カラクムルに膝を折るばかりか、破壊された神殿や碑の再建も許されず、先祖の代から受け継いできた翡翠や黄金は奪われて。


 ただ、どうしても父の遺骨だけは取り戻したい。


 カラクムルの都を治める《空の観測者》は我らがティカル王国を征服するために、卑劣な裏切り者の末裔たるカラコルと同盟を結んだ。

 先王ワク=チャン=カウィールは連合軍に敗れて捕虜となり、やつらが崇める神の喉を潤すために、処刑台の上で黒曜石のナイフをもって切り刻まれたという。宮殿の隣に建てた小屋に埋葬するつもりらしいが、その際に腕の一本だけでも持ち帰れないものか。

 神聖王としての名誉を失った挙句、異国の地で誰にも弔われずに忘れ去られるなんてあまりにも酷だ。


 幼少からの腹心であるイツァムナーフを伴って《空の観測者》に謁見を望めば、両手を縄で縛った状態でなら構わないということなので渋々それに従った。


 王座で僕らを待っていたのは見上げるような巨漢だった。僕が言えた義理ではないけれどまだ若く、歳の頃は三十を越すか越えないか。野心に満ちた瞳が炯々と光っている。

 冷ややかに僕らを睥睨する男は、その燃えるような肌をジャガーの皮衣で包み、鎖骨には大粒の翡翠を転がし、おびただしいほどにケツァールの羽根を結んだ冠を被っている。


「――発言を許そう。何の用だ?」


「父の亡骸を、こちらで引き取らせていただけませんか」


「ならぬ」


「そこをどうか……! すべてとは申しません、どこか体の一部だけでも――」


「王墓を建てるための骨が欲しいのであろう? そのようなことを認めるわけにはいかん」


「ですが、神聖王の墓所がないだなんて、そんなことがあってよいものですか」


「あれはもう神などではない。ただの負け犬だ。葬儀の必要もあるまいよ」


「……いくらなんでも聞き捨てなりませんね」


「――己の立場が分かっておらんのか? 殺されたくなければ黙れ」


 そう言われてしまってはもう口を噤むしかない。

 彼は伺候する貴族に指示を出しながら本題を話しはじめた。


「ティカルが捧げるべき貢納についてだが、この樹皮紙に書いてある。決して一つも誤魔化すでないぞ」


 そこにはおびただしいほどのカカオ豆や翡翠、ケツァールの羽根にエイの尾骨、ウミギクガイや劇場型の陶器……まるで思いついた順に高級品をしたためていったように見える。馬鹿正直に支払えば王宮には何も残らなくなるだろう。


「こんなことが罷り通るとでも?」


「呑めぬというなら再び軍を率いて蹂躙するまでよ」


 今のティカルにはろくな戦力が残っていない。幾多の死地を潜り抜けた老兵も、活力に満ち溢れた若者もみんな殺されてしまったから。もう一度ことを構えるならば抵抗もできずに滅ぼされるだろう。


 結局、その日は従う他なかった。


 あまりのやるせなさに肩を落としながら門を出ようとすると、物陰から猿のような笑みを浮かべた男が現れる。《空の観測者》の付き人だった。


「取次ぎをして差し上げたんだから、志のひとつくらい欲しいものですな」


 身に着けていた純金の腕輪を渡せば、「おおこれはなかなか。逸品ですな。人助けはするものです」と唾を飛ばす。そのまま去ろうとしたところ、追いかけてきてまで耳元に囁くのは、


「次はパチューカの緑色黒曜石でも持っておいでなさい」


 まるで面白い冗談でも言うかのような声色だった。だが、そんなもの易々と用意できるわけがない。むりやりに笑顔をつくって応えると、彼は満足した様子で何度も頷いた。


「くれぐれもお忘れなきよう」


 神殿や宮殿が密集する丘を降りて、賑やかなカラクムルの市場を抜けていく。しばらくすると菜園が見えてきた。家々の周りにはリュウゼツランやトウガラシが植えられており、まるまると肥えた七面鳥が呑気に鳴いている。


 そこまでくると気が緩んだのか、イツァムナーフは憤然として拳を振り回し、歯をぎりぎりときしらせて叫ぶ。


「信じられません、本当に! ああ憎たらしい。あの無礼者め」


「情けないものだね。あそこまでされて何も言えないなんて」


「こんな国が長くつづくものですか! ええ、ええ、そうですとも。今にティカルは再興されます。その時はやつらの喉元にがぶりと食らいついてやりましょう!」


「あんまり大声で叫ぶものじゃないよ。誰が聞いているから分からないんだから」


「失礼いたしました」


「だが、どうしたものか。何もかもが僕らの邪魔をしているみたいだ」


 いちど不安を言葉にしてしまえば、途方に暮れて悲しくなる。俯いたきり頭は重くて上がりそうにない。

 ふと手首に温もりが触れた。イツァムナーフが何か言おうとしては躊躇っている様子でいたが、やがて覚悟を決めたのか、花が咲くように微笑んでみせた。


「私がおります。何があろうと、御身の側を離れるつもりはありません」


 嬉しかった。君だけは僕の味方でいてくれるのかと思うと、塞いでいた胸が晴れ、希望の光が射したような気がした。


「ありがとう」


「いえ、当然のことを申し上げたまででございます」


「ふふ」


「……恥ずかしいじゃないですか。笑わないでください」


「うん。笑わない笑わない」


「笑っているじゃないですか」


「ごめんごめん。――よし、それじゃあ帰ろうか。僕らの祖国ティカルに」


「ええ」


 カラクムルの外には鬱蒼とした森が広がっている。晴れの時は蒸し暑く、雨が降れば恐ろしく冷えるのだ。鳥や猿のけたたましい鳴き声もどこか恐ろしい。両国の間に道は整備されていないので、ティカルに着くまで数日は掛かるだろう。


「結局、護衛のひとりもなしに帰らされるとはね」


「……ええ、流石に私も少し疲れました」


「負ぶろうか」


「え? いえ、そんな、畏れ多い」


「いいのいいの、誰も見ていないし」


 頬をイツァムナーフの髪がくすぐる。

 いつもは清流のように艶やかなのだけれど、ここ最近の苦労のせいですっかり傷んでしまっていた。

 己の無力が恨めしくて、唇の先を噛みしめる。


「殿下」


「どうしたの?」


「ありがとうございます。背中、あったかいですね」


「うん。これなら夜も越せそうだ」


 滝のように打ち付ける豪雨を木陰でやりすごし、びしょ濡れになって這い出せば、ふたりともあんまりに情けない様子だったので、思わず笑ってしまった。

 携帯していた明かりを灯してから硬い地面に横たわれば、イツァムナーフが、僕の胸に額を当てるように身じろぎをした。――せめて君だけは無事に帰さねばなるまい。そっと後頭部に触れて抱きしめる。


 明け方、己の体が五体満足なことを確認するとほっと息を吐いた。獣に食いちぎられていてもおかしくなかったんだ。イツァムナーフはまだ起きそうにない。微かな音を立てて眠っている。


 いつの間にか燻ってしまっている火を吹き消して、敷いていた布に付着した土を払おうとしたとき、声を掛けられた。


「おはようございます」


「おはよう」


「……どうにか生きていられましたね」


「うん。これじゃ心臓が持ちそうにないよ」


「全くです」


 歩きつづけている内に疲弊し、足はじくじく痛むようになった。日を経るごとに口数も減り、とうとうイツァムナーフは立ち止まって泣き出した。

 どうしたらいいのか分からなくなって、おろおろとしながら背中をさすってみたり頭に手のひらを当ててみたり。しばらくすると落ち着いたのか、顔を上げて真っ赤になった目元を見せた。


「……申し訳ございません。みっともないところをお見せしました」


「大丈夫?」


「ええ、歩けます」


 それから数刻ほどしてティカルの都は姿を現した。多くが打ち毀されたとは言え、全く跡形もなくなったわけではない。それが何だか希望のように思えて、後ろを歩くイツァムナーフの手を取って微笑んでみせた。


「もうすぐだよ。僕らは、帰ってきたんだ」

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