ミルクティーを飲みながら

寺音

ミルクティーを飲みながら


「寒っ」

 車の運転席から降りた途端、予想外の寒さに襲われ身震いした。薄いシャツごしに冷えた空気が突き刺さってくる。

 三月とは言え、夜はまだ冬の寒さが残っているようだ。先程コンビニで購入したミルクティーの缶だけが、じんわりと良介りょうすけの手を温めていた。


 サークルの食事会帰り、良介は友人を下宿先まで送っていた。

 その車内で地元の夜景スポットが話題に上がり、何故かノリで立ち寄ることになってしまった。灯の少ない山道をグネグネと登って行き、一応場所を区切っただけの簡易的な駐車場にたどり着いた所である。


 深夜だからか季節柄かそれは全て空いていた。一台だけしかない自動販売機の灯りも、少し弱々しく見える。

 夜景スポットと言うよりは心霊スポットの様な印象で、寒さも相まって良介は早くも来たことを後悔し始めた。


英志えいじ! ごめん、寒いから先に行ってる!」

 しかしせっかくここまで来たのだから、と。良介は車内でスマートフォンを弄る友人英志に声をかけ、先に駐車場から続く数十段程の階段を足早に登った。


 登り切ると大学のゼミ室くらいの狭い高台があった。真っ暗だった視界がぼんやり明るく見えている。駆け寄って柵越しに街を見下ろすと、白、オレンジ、緑、無数の光が集まって天の川のように光り輝いていた。規模は小さいが、これは地元で有名だと言うのも頷ける。


「おお! 思ってたよりすげぇ」

 車内にいた英志も追いついてきたらしい。気がつくと良介の隣で柵に左肘を預け身を乗り出していた。

 右手にはブラックの缶コーヒーが握られている。柵は丈夫そうであるし彼の胸くらいの高さがある。落ちる事はないと思うが、良介はつい声をかけてしまう。


「気をつけろよ。本当に心霊スポットになるぞ、ここ」

「そんなにドジじゃねぇよ。って、え、心霊スポット? 夜景スポットじゃなくてか?」

 心霊スポットは良介の印象だ。何でもない、と手を振り否定すると、英志は怪訝そうにしながらも再び夜景へと視線を戻した。



 しばらく二人並んで夜景を見つめる。夜風が山の木々を擦る音が聞こえる程静かだ。ハァと軽く息をついた後、不意に英志が口を開いた。


「良介、お前の初恋の女ってどんなの?」


 やけに唐突だ。夜景スポットに感化されたのだろうか。

「英志。よりによって、夜景が綺麗なスポットで男二人で恋バナって……何か虚しくないか?」

 良介は困って眉を顰めた。

 そもそもノリで来てしまったが、二人きりでここにいるということ自体が奇妙だというのに。


「良いだろ! ってまさかお前、二十一にもなって初恋もまだとか言わねえよな」

 そう言って英志は、ビールを飲むようにぐっと手に持った缶コーヒーを呷った。黒のライダースジャケットと黒のパンツ、そして染めた金髪にはそれが驚くほど絵になっていた。


 そういうわけじゃないけど、と呟きながら良介はミルクティーに口をつける。その甘さと温かさは、体の芯まで沁み渡って寒さを和らげてくれる。

 だから彼はそれが好きだった。


「そうだなあ、とっても優しい子だったな」

「うわ。好みのタイプ聞かれて、とりあえず無難に答える時のヤツじゃん! 何の面白みもねえ」

 その言い草に良介は怒るでもなく、ひどく柔らかく苦笑した。その笑みは自嘲のようでもある。そのまま、黒く大きな瞳で英志を見つめた。


「……僕は結構そういう子に弱いんだよ。で、英志は?」

「おれぇ!?」

 話を振ると、彼は大袈裟に顔をしかめて声を出した。

「言い出しっぺは英志だろ。どうだったんだ? やっぱりお前のことだから、美人でスタイルのいい女の子とかかなあ」

 良介は黒ずくめで目つきが鋭い英志を眺めた。彼の隣に立つ女の子を想像しながら。


 英志は一瞬目を泳がせたように見えたが、すぐニヤリと大袈裟に笑った。

「もちろん、そういう女は周りにたくさんいたぜ。だけど、初恋は髪がさらっさらで綺麗な子だったな。こう、すげえ触り心地が良い感じの」

「へえ、意外」

 良介は目を丸くして感嘆の声を上げ、手元のミルクティーに口をつける。隣の英志も今度は静かにコーヒーを傾けた。飲み干したのか、トンという軽い音を鳴らし柵の上にそれを乗せる。


「で、他は」

「え? まだこの話続けるのか」

「当たり前だろ。こうなったらトコトン行こうぜ」

 英志は空の缶コーヒーを指で弄びながら、意地が悪そうに歯を見せて笑った。


 良介は少し肩をすくめて、再び自身の記憶を探る。恋の思い出は、後から思い返せば全てとても温かくて、少しくすぐったい。


「そうだな。皆、優しい子だったなあ」

 優しく心に入ってきて、どんな冷たさからもどんな痛みからも、守ってくれようとする。まるで今飲んでいるミルクティーみたいな。


 英志は芝居がかった仕種で溜息をつき、項垂れた。呆れている様にも馬鹿にしている様にも見える。

「優しけりゃ何でも良いのかよ。お前チョロそうだもんな」

 英志の口の悪さは相変わらずなので、今更腹も立たない。誰でも良いわけじゃないよ、と良介は笑いながら言った。


「とか言って、英志も好きになった女の子は、全員似た様なタイプなんじゃないか?」

 英志はふと空き缶を弄る指を止めた。僅かに目を伏せて、ふうと息を吐く。


「——そうだな、俺が惚れたのは髪の綺麗な子ばっかりだった」

「ほらやっぱり! 人の事言えないじゃないか」

 良介は得意げにころころ笑って、ミルクティーの最後の一滴を飲み干した。そのタイミングで英志が柵から身体を離し背を向けた。


「あれ? 帰るのか、英志?」

「寒いし、新しいコーヒー買ってくる。駐車場に自販機あったろ?」

 彼は背を向けたまま、空の缶コーヒーを軽く振って見せる。

「そうか。じゃあ、ついでに」

 自分の空になった缶を差し出すが、英志はこちらを見もせず自分で行け、と吐き捨てた。

「優しくないなぁ。ついでじゃないか」

 冷たいなぁ、と呟く良介の言葉を聞き流し、英志の背中は遠ざかっていく。

 良介は呆れ笑いを浮かべて、彼が階段下に消えて行くのを見届けた。


 そして夜景に視線を戻す。相変わらず街はキラキラ輝いていて、どこも温かな光で満ち溢れている。良いなあ幸せそうだなあなんて、暢気なことを思う。


「やっぱり、どう考えても英志と恋の話なんて似合わないよなあ」

 良介はそう呟いてくすくすと笑う。初恋のことなんて思い出したからか、心がぽかぽかする。

 そのまま瞳を閉じて彼はそっと、口と心に残る甘ったるさを噛みしめた。




「……信じられねえ」

 帰って来た英志は良介の様子を見て愕然と呟いた。彼は柵の上で腕を組み、それを枕にしてぐっすりと眠っていたのだ。


「こんなとこで寝れるか? 普通」

 しかしそう呟く彼の瞳は、呆れながらもひどく優しげだった。英志は着ていたジャケットを脱いで良介の肩にかける。

 身体が冷えていくのも構わず、英志は背を柵に預けて立つ。

 そして空を見上げた。

 数えられるほどしかない星が闇空の中白く光り、彼の吐く息も夜の闇に白く溶けていく。


 英志はバツが悪そうに、右手で自分の髪をガシガシとかき回す。

 ふと、何か思い立った様にその手を止めた。視線を眠る良介に落とす。自分のジャケットを被せた肩は、規則正しく上下している。


 ぎこちない動作で良介の頭に片手を伸ばした。一瞬髪の毛に触れただけの指先がビクリと大袈裟に震える。何度か彼の暢気な寝息を聴いてから、もう一度髪に触れた。

 染めたのか地毛なのか、少し茶色がかった髪は思ったよりもゴワゴワしていた。そっと旋毛の辺りから指を差し入れそれをすいていく。

 くんっと耳の後ろで指が止まった。

 英志は泣き出しそうに笑った。

 しかしその目は、抑えきれない程の温かさをはらんで。


「髪、ちゃんと手入れぐらいしとけよ」

 そうしたら、と、英志は誰にも聞こえない微かな声で、そっと呟いた。


「さっきの言葉、嘘にしなくてすむのによ」


 英志は良介の髪から素早く手を離すと、パンツのポケットから先程買ってきた飲み物を取り出した。それはコーヒーではなく、ミルクティーだった。彼は缶を開けてそっと口をつける。


 ブラックコーヒーの後のそれはひどく甘く喉に沁みて、少し痛かった。

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