第十四話 大原や 小塩の山も 今日こそは…
八七六年(
四月十日の
応天門の炎上ぐらいで騒いだのが嘘のように、もっと大規模な放火がつづいている。民家を焼く小規模な放火も、ひんぱんに起こる。
都は焼け跡と、水害による
大極殿が燃えてから、やっと
高子の
業平は五十一歳。睦子の寂林は少し歳上で五十三、四歳のはずだ。
「女御さまは、大原野神社へのお参りを楽しみにしておいでです。これからは外出も難しくなられるでしょうから」と寂林。
「どうしてでしょう」と業平。
「帝が
「こんなに早く?」と業平。
「ご病弱です」と寂林。
「それは、色々とお辛かったでしょうねえ。大原野神社に
「ご一緒されたいでしょうねえ。帝は宮城の外にお出かけになったことが、ほとんどございません」と寂林。
「お気の毒です。早く退位なさって、ご自由に過ごされますことをねがっております。それでは皇太子さまが即位されますか」と業平。
「そうなりますでしょう。
大原野へ参る日は人も多いでしょうから、親しくお話しをする機会もないでしょう。
業平さま。あなたの晴れ姿を、わたしは
つぎは、いつ、お会いできるのやら…」と寂林。
「色々ありましたねえ」と業平。
「はい。はい。楽しかったですねえ。
もう一度、生まれ変われるとしても、わたしは、おなじ方々とお会いしたいですよ」と寂林。
「わたしもです」と業平。
「かならず、また、お会いしましょうね」と寂林。
「はい。現世か来世で…きっと、また」と業平。
このところ右大臣の
皇太子が自分が即位した八歳になってから、清和天皇は強く譲位をのぞむようになった。もう少しと引き留めているが、もともと丈夫な体質ではなく、即位の事情を知ったときに苦しまれたので、やめたくなるのも無理もないと基経も思う。
そのうえ天候の不順、作物の不作、どんどん広がる放火。大極殿の再建には着手したが先行きの見通しは暗い。二千人余りもの死者をだした水害の被害者の家族と、水害で壊れた三千軒以上の家屋の再建を支援する余裕もない。
壊れたのは民家だけでなく、一町ごとを囲んで都の景観を保っている
国庫に金がないのは平安京に移ってからズーットのことだが、とくに
だが清和天皇が譲位したら、即位する幼帝に代わって政務を執る人が必要になる。
それでも、どうすれば、左大臣の源
そして、どうすれば、良房の
基経と清和天皇が話し合っているのは、このことだ。
高子が、業平を護衛につけて大原野に行きたいと言ってきたときに、基経は「これだ!」と膝を打った。
業平と親しく話すようになったのは、
去年、基経が四十歳(数え歳、満三十九歳)の祝いの
都は飢えと水害と放火でボロボロになっている。庶民は不満を
でも幼帝の母后の高子には、有名すぎる元彼がいる。その業平は、良房の被害者として同情を集める
高子と業平。人々が好んで口にする恋歌の二人に、庶民の気をそらす
ただ基経がのり気になって清和天皇にも話していることは、高子にも悟られないようにした。基経が絡んでいることが分かると、業平がヘソを曲げるかも知れないからだ。
基経の四十歳の祝いのときも「おめでとうございます」と言いながら、業平はこんな歌を詠んだ。
桜花
(桜の花よ たくさん散って 老いが来る道を 分からなくしてくださいよ)
藤原氏は芸術的な感性は高くないが、これは、どう読み解いても、一時的に華やぐ桜でかくせても老いへの道は消えませんよ。へーえ。もう四十ですか。ずいぶん年をとりましたねえと、からかわれただけだろう。
美しく
高子は皇太子の母で従三位をもらったが、いまの肩書は清和天皇の女御。清和天皇は皇后を立てなかったので、三后とよばれる皇后、皇太后、太皇太后のどれでもない。大原野へも女御として私的に行くから、おおげさなことは控えなければならない。
高子自身は民衆のまえに姿をみせないから、高子の代わりになる車を基経は色々考えてつくらせた。車の工夫を考えているあいだ楽しかった基経は、
時康親王は
沢子女御は、基経や高子の母の
宗康親王も人康親王も亡くなってしまったが、残った時康親王は温厚な人柄を慕われて皇族の
「わたしも、まいりましょう」と
「わたしも母は藤原氏ですから、一度は大原野神社に
二品
お
基経は渋い顔を作りながら、せっせと野宴の設営や、食べ物の配送の準備をした。
公式行事ではないが
春宮の女御の私的な
ところが当日は、日の出のころから人々が朱雀大路に詰めかけた。行列に加わる
春宮の女御の行列が、朱雀門から出てきた。
最初に
一番手の控えめな茶色の濃淡の
「どなたの、お車でしょう」と見物人がヒソヒソと話す。
たいがいは、なぜか事情通がいて鼻高々に説明するのに見当のつく人がいないようだ。だが、その牛車が、両脇を
見たこともない大きな黒牛が車を引いている。きれいにそろった太い二本の角が重々しげに天をつき、動くたびに黒光りする筋肉が盛りあがる。牛は
牛車の先頭を行く大きな黒牛は、牛飼い
そのあとに、
「親王さまだ」とだれかがささやく。車は身分によってちがうから、この車の主は太上天皇か三后か皇太子か身分の高い親王だ。
そのあとに
基経が考えて用意したのは、青紫の糸毛車の右側面のうえに白い月をあしらった車で、反対の面は月の光を受けた
その糸毛車のすぐ横を、灰色まだらの胸の厚い馬にまたがった近衛の中将がつき従っている。五十一歳になったが、だれに聞かなくても一目で分かる
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身一つは もとの身にして
春の月の夜に恋した人が乗る、秋の月を思わせる糸毛車につき添って、在五さまが行く。業平の乗る馬は
四条辺りでは、奈良から来て、業平の邸のサンセイたちの棟を宿にしている、仏師の
業平の横を歩くサンセイとモクミが笑顔で答える。業平も首をまわして微笑みかけた。このころから、どよめきは歓声にかわった。
七条では、岡田
信濃からもどってきていた
守平はヒョイと車から顔をだして、剛や栧や小鷹やホウに手をふった。黒牛を、みごとに引いて、しばらく都で話題になった犬丸も兄たちに笑顔をみせる。
大原野では、
(大原の神々も 今日だけは むかしのことを 思いだしているでしょう)
言葉の流れが心地よく
「神代のこと」は「むかしはね」というときにも使うから、高子と業平の恋のことか、過ぎた時代のさまざまな出来事か、ほんとうに神さまの世のことか、あいまいで分からないところが業平らしい。しかも過去のことをすべて、神代のことと祀り上げてしまう
歌を詠んだ人たちに、高子は用意してきた褒美の品を与えた。業平の歌はおもしろがって、糸毛車に招きよせて特別に自分の着ていた衣を与えた。
漢詩が尊ばれるようになってから、貴人が和歌に特別な
そのすぐあとの十一月十八日と十九日に行われた
そして十一月二十九日には、
このとき
自費で修業道場を建設中だった
「ずっと体調が悪く、政務につくことが耐え難かった。しかし災害が続き天下は安らかではない。そのことを考えると、ますます体が弱っていく。朕も幼いときに即位して、助けるものがあって政が執れた。皇太子は幼いが、補佐するものがいれば政を行えるだろう。左大臣の源
上に立つものが多いときは下が苦しいという。だから太政大臣という職を止めて、それに付属する諸経費をはぶき、基経を
四十歳の藤原基経は、右大臣のままで幼帝に代わって政務をみる立場に立った。
そして清和太上天皇は、そのまま染殿を御座所とした。
国に大きな変わりがあるときに、報告を欠かさない天皇家の陵がある。報告するのは十陵と決めていて、血統が代わった
藤原
ほかに良房は藤原四墓を選んで、十陵とおなじ扱いをしていた。
良房が亡くなったときに基経は、良房の墓を加えて五墓として、五墓は国とは関わりなく藤原氏が守るようにした。
良房の黒い記憶を早く消してしまいたい基経は、清和天皇の譲位がきまると、まず文徳天皇の
勅使に選んだのは
十二月二十九日。明日は来年という歳の瀬に、大江音人は業平と二人で
「広い!」と業平がはしゃいでいる。
「はじめてか」と音人。
「
勅使は天皇の名代だから、唐庇車を使って供も多い。長く弁官をつとめた音人は、数えきれないほど勅使も務めた。武官で位階の低い業平は、勅使の経験が少ないから車のなかの広さと装飾に興奮している。
「これだけ広いと六人は乗れますね。歌合せもできます」と業平。
「この車を使われる方は、そんなに詰め込まれるのを好まれない」と音人。
「
「業平。いくつになった?」
「想像しただけです」
「まったく
父の
「本主先生も、わたしを導くことには、失敗されたのではないでしょうか」と業平。
「同じことをしても、受け皿がちがえば色も変わる」と音人。
「そうですねえ。おなじように愛しても、それを大切に思ってくださる方と、足りない部分だけを並べたてる方がいますからね。
ああいうのは皿の代わりに
心が
すると新しく入ってくる愛も腐ります。
生きているだけで多くの人が愛を与えてくれるのに、それが分からないとは、なんとも寂しいですねえ」と業平。
「どういう
「皇位に立つ機会を失くされて、失意のままに山里に隠れられたと言われていますけど、わたしにはロクロを回しに小野へ行ったり、都に帰ってきたりして、すごく楽しそうに見えます。
仕えるものは人の数にも入らない
「業平。親王のことは心のなかでご報告して、口にしたり、ご寮のまえで歌を詠もうなどという気を起こさないでくれよ」と音人。
「これだけ広いと横になれるかな。ちょっと、失礼」と業平。
「在五中将。今日は勅使だから、頼むから大人しく座っていろ。お座り! ナリヒラ!」と音人がどなった。
八七七年(
一月三日に、
豊楽殿は、朝堂院の西隣にある宴会用の施設で、即位した天皇は九歳。のちに
高子は
左大臣は源
このとき二品
一月二十三日に、業平の盟友で、歌の仲間で、
前年の十一月二十九日に、伊勢斎王の
紀有常は、政府の中核から追われた紀氏へ和歌への道を
有常が亡くなったときに、まだ五、六歳になったばかりの親戚の子が二人いた。
有常の従兄の孫になる子で、のちの
この二人も従弟同士で、成人してから
その
六歌仙のなかでも有名なのが、
そして、
貫之は、業平の歌を「その心余りで言葉たらず、しぼめる花の色なくて、匂い残れるがごとし」と批評する。菊の花などは、盛りがすぎて色の変わった花を、もっとも美しいと愛でて香りを楽しむ時代だから、仙人と認めたうえでの、この評が酷評かどうかは世人定めよ、だろう。
古今和歌集のなかでも、業平の歌は
弘道王と藤原保康が、
でも見守りたい人がいる恬子内親王は、六十五歳まで強く静かに生きていく。
三月八日。皇太夫人の高子は、染殿にくらしている清和太上天皇をたずねた。
染殿は一部を改良して、太上天皇の後院の
このとき、清和太上天皇は二十七歳。高子は三十五歳。重荷をおろした太上天皇は、高子を歓迎した。
清和院には
この日の宴は夜中まで盛りあがり、高子は夜半に内裏に戻ることになる。
酔って夜中に内裏に帰還した皇太夫人は、この人しかいない。。
青春のころは、語りつがれる歌とともに業平との恋に燃え、成熟した
自分のために人生を活かすのが難しかったときに、藤原北家の娘という枠のなかで生まれた高子は中傷や非難を恐れなかった。善祐と恋をしていたときは
ただし
高子の息子の
散位で従五位下の源陰の息子の
次の天皇は仁明天皇の皇子で、皇族の重鎮だった
高子と善祐の恋を裁いた宇多天皇は、光孝天皇の子になる。
高子は
陽成天皇が即位した年(八七七年・
四月に
参議で従三位、
だが音人は、大嘗会の十五日まえの十一月三日に六十六歳で亡くなった。
「めずらしく、疲れたと言っていたようです」と
「働きすぎでした」と
枕元におかれた愛用の品のなかから、業平は使い古した小袋をとりあげた。
「いつも肌身につけておりました。なにを入れているのか聞いても教えてくれませんでした。業平さまは、ご存知ですか」と玉淵。
糸の
「いいえ。存じません。秘しておられたのなら、このまま、ご一緒に送ってさしあげましょう」と業平。
「はい。まじめで偉すぎる父でした。でも、もしかしたら父にも、若いころに秘めた恋の一つもあったかもしれませんね」と千里。
「そうかもしれません」と業平。
「それを大切にしていたのなら親しみが増します」と玉淵。
音人の葬儀には
現役で亡くなった大江音人は、
その子孫は、博士、大学頭、東宮博士などの数々の学者と漢詩文の名人をだす。大江
八七八年(元慶二年)。
去年の
一月十一日。業平は左大臣の源
大臣の邸の大きさは二町までと決められているが、河原院は六条四坊十一町から十四町までの四町(約六万平方メートル・一万八千坪余り)を占める広大な邸だ。
去年の暮から正月にかけて、左大臣の融が辞表をあげてきた。右大臣の基経が
まだ十歳の陽成天皇が勅書をつくるわけがなく、左大臣に留まるようにとの
勅書をを読みあげたあとで業平が席を立つと、「すこし、話してゆかれませんか」と融にさそわれた。
融は、嵯峨天皇が臣籍降下させた源氏の八郎。
この河原院の庭には、海水を焼いて塩にする釜が供えられている。
塩は命をつなぐもので労働者の給金にもなる。いまは銭が流通しているが、まだ物々交換は行われている。稲穂と塩は、銭と等しいものだった。それは地球のどこでもおなじでサラリーの語源はラテン語の塩だ。
日本には、庶民の下に売り買いされる
塩釜を庭につくって難波の海から海水を運ばせて燃やし、それを客に見せる融の趣味は、ただの金持ちの見せびらかしとしか業平には思えない。
まえに業平が、河原院へ菊の宴に招かれて詠んだ歌がある。
(いつの間にか 塩竈(宮城県塩釜)に来てしまったらしい 朝の風のない静かな海で 釣りをする人に 寄って欲しいものです)
菊の宴で塩釜を詠むことが人を食った行為だし、招待してくれた人への感謝など欠片もない。融は業平が
勅使としての役が終わったので、業平は下座にまわって座った。
相手は正二位の左大臣だから格がちがう。融は五十五歳。業平は五十二歳。嵯峨源氏は、業平の父の阿保親王の従弟になる。
「おや。塩釜はいかがされました?」と庭をながめて業平が問う。
「やめました」と融。
「それは、また惜しいことです」と業平。
「このごろ何をしているのかなと思うことがありまして。生きているときは短いですねえ」と融。
「そのように、お気の弱いことをおっしゃいますと、わたしも辛くなります」と業平。
「在五どのは自由でうらやましい」と妙にしんみりと融が言った。
「わたしのように取るに足らない年寄りの、なにをうらやましいと言われるのか。
どうぞ、これからもお導きください」と少しだけ融が可哀そうになったので、業平はチョットだけ気持ちも入れた。
母の
四十九人も兄弟姉妹がいるのは、どんな感じなのだろう。そのなかから三十二人が臣籍降下されて源氏にされるのは、どんな気持ちなのだろう。
わたしに、そんなに大勢の子がいたとしたら、いくら一字名前でも全部は覚えられない。どの子が、どの母親の子なのかも、ゴチャゴチャで分からない。
そんな父親失格の嵯峨天皇の血を誇るだけで、人生を過ごしてしまったのならチョットだけ可哀そうかもしれない。
あの子の親は
このあと融は、
仕事に力を発揮して、着実に階位を昇ってくる源氏もいる。文徳天皇の第二子で、
三月になってから、出羽の土地の人たちが
むかしから関東と東北地方には独自の文化圏があった。それを大和政権が侵略して征服しようとしたが、完全に制圧できていない。
都から派遣されていた
そして六月のはじめに、
六倍近い兵を動かしながら簡単に敗けるのは、官兵が租税の代わりに徴兵した農民の次男、三男で、軍事訓練をうけてなく「いざ戦!」となると、さっさと逃げてしまうからだ。
職業軍人といえるのは、競技会のためにでも日ごろから
広く諸国に武勇のものを求めたが、集まったのは、たったの二百六十人だった。
この大事の最中の七月十七日に、基経は
余震が何日もつづく大地震が関東で起こったあと、出羽の戦は終息した。
この九年後の八八七年(仁和三年)に、基経は
この時から藤原北家という呼び方はなくなり、
つぎの八七九年(元慶三年)五月八日に、
九月九日には、
右京二條の辻に、目立たないように車を止めて
左京四条の辻のかたわらにも、サンセイとモクミを従えた車が、ひっそりと止められていた。
いろいろな思いを抱く人々が見守るなかを、斎王の行列が行く。
斎宮の輿のつぎに、伊勢まで送る
行平も万感の思いを抱いていた。
十月八日には、
十月二十四日に、出家した
八歳で即位してから、在位中に宮城の外に出たのは、たったの数回。それも自分が生まれた
いくら内裏が広くても、その囲いのなかだけで、清和天皇はカゴの鳥のように暮らしてきた。
奈良に行くと伝えると、基経が「危ないから供を連れて行ってください」という。
「いいや。大丈夫だ。放っておいてほしい」と伝えると、今度は天皇の
近習や動物と遊んでいる陽成天皇が気を利かすはずがないから、清和太上天皇も勅をだして送られてきた近衛をかえした。勅の打ち返しだ。
そして行平と藤原山蔭だけを連れて、清和天皇は牛車で奈良までやってきた。
行平の娘の
「ここが国のふるさとだと思うと、深く感じ入るものがある」
はじめての遠出で血色が良くなった清和太上天皇が、行平に同意をもとめるように顔をむけた。行平は言葉が出なかった。
あの木の陰に
そこの日だまりで
サンセイとモクミも、
みんな若くて…みんな楽しそうで…なつかしくて胸と腹が
真如の封識が、生死が分からないからと切られるのは、それから数日後だ。
八八〇年(元慶四年)。
業平は、有常が残した紀氏の娘を、邸にあずかっている。
去年の暮れに、胸が強打されたように痛くなって倒れたことがあるので、古女房の
陽が落ちるとき、西の空が
花が輝きはじめた。白い花も、黄色い花も、紫紺の花も…。この世は本当に、なにもかもが美しく
胸の奥をわしづかみされるような衝撃をうけたときに、業平は安心してサンセイ(山精・山の霊)と、モクミ(木魅・木の精)という名の二人の老舎人の腕のなかに倒れ込んだ。
最初の発作が起こったときに業平が詠んだ歌がある。とても分かりやすい歌だ。
ついにゆく 道とはかねて
(いつか逝く道だと聞いていたが 昨日今日とは思ってもいませんでしたよ)
五月二十八日。
完
(作者注)年は西暦を使っているが、月日は史書に合わせた旧暦を使っている。年齢の分かる人は、その年の誕生日が来たらなるはずの満年齢を使った。生没年不明の人は創作した。
参考文献
「日本三代実録」 武田祐吉・佐藤謙三訳 戎光祥出版
「文徳天皇実録」 藤井譲治・吉岡眞之監修・解説 ゆまに書房
「日本後紀」上中下 森田悌 全現代語訳 講談社学術文庫
「続日本後紀」上下 森田悌 全現代語訳 講談社学術文庫
「六国史」 坂本太郎著 吉田弘文館
「平安京の住まい」 西山良平・藤田勝也変著 京都大学学術出版舎
「平安前期の家族と親戚」栗原弘著 校倉書房
「新版伊勢物」 石田穣二訳注 角川ソフィア文庫
「大鏡」 武田友宏編 角川ソフィア文庫
「平安京の暮らしと行政」中村修昭著 山川出版社
「牛車」 桜井良昭著 法政大学出版局
「やまと花万葉」 写真・中村明巳 文・片岡寧豊 東方出版
「平安王朝の五節の舞姫、童女」服籐早苗著 塙書房
「病が語る日本史」 酒井シヅ 講談社社会学文庫
麗しき歌人 在原業平 中川公子 @knakagawa
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