余儀なく休むことになり、ネットが繋がらない所にいました。
戻ってきて再可動をしたのですが、これからは長岡京遷都。
長岡京の記録はあいまいで、桓武天皇が国史を消去して平城天皇が復元したと紆余曲折を経たために、訳が分からなくなっています。
そのうえ、これまでの登場人物の次世代の要人が揃うのもこの時代なので四苦八苦しています。
晴れた日に久しぶりに、桂川、木津川、宇治川が合流して淀川になる大山崎を訪ねました。今は川の上を高速道路が通っていますが、確か1963年ごろでも、ここには橋がなく、渡し船が行き来していました。男山八幡のふもとには遊郭があり、黒瓦に朱色の土壁、建物の下層部に色とりどりのタイルが貼られた特殊な町並みが造られていました。わずか六十年前には確かにあったはずの光景ですが、今は泡沫と消えてしまいました。
町並みや地形は時代によって変わります。
桓武天皇が長岡に都を移したのは、1230年も昔で地形が違います。仲麻呂の乱では、現在の二倍はあったと言う琵琶湖の地形がつかめずに描けませんでした。
大阪府も京都府も台地以外は湿原だったという桓武天皇の時代を思い描きながら、そこに新都を造ろうとした新帝に心をはせています。