第四話 若月湊はジャック・オ・ランタンを脅す

 若月わかつきみなとは大いに溜息をついた。

 さっぱりとした雰囲気の、しっかりした樗木おうちぎ真那まなは良き隣人であった。そうだと思っていたのに、まさか野良の妖精をほいほい家に上げてしまうような迂闊な人だったとは思ってもみなかった。

 それだけじゃない。「立ち話もなんですから」と言って、こんな遅い時間に隣人の男──つまりは湊のことだが──を一人暮らしの自分の部屋に招くなど、危機感というものが足りないと言わざるをえない。湊の方に何かをしてやろうという下心はないし、できることなら良き隣人関係を継続することを望んではいるのだけれど、そういう問題でもないだろう。

 さらには、驚くべきことに、真那の部屋にはカボチャが三つ──いや、カボチャの妖精が三体もいた。湊が抱えている緑のカボチャで四体目だ。一体などやたら大きい。カボチャというのは確かに瓜の仲間なんだな、と思うような大きさだ。

「集めてるんですか、カボチャ」

 湊の言葉に、真那は目を見開いて慌てたように首を振った。

「そうじゃないんです。最初はこの子だけだったんですよ。でも、翌日見たら一体増えていて……そこから毎日増えて」

 真那は抱えていたカボチャの妖精を、他のカボチャの隣に並べて置いた。どのカボチャも、どこか間の抜けた笑顔のような顔で、ふわふわと光っている。

「俺も、置いて良いですか」

「あ、どうぞ。そのつもりで上がってもらったので……すみません、突然。今日は増えないなと思ったら、若月さんが抱えてたから……迷っちゃったんですかね」

 真那はそう言って、なんだか小さい子でもあやしているみたいに、湊が抱えているカボチャをよしよしと撫でた。妖精相手に何やってるんだこの人は、という言葉は心の中に押しとどめた。

 湊が抱えていたカボチャを他のカボチャに並べて置くと、その緑のカボチャは瞬きするように光った。

「おいていかないで! ぼく そのひとのほうがいい!」

 その声に、湊は取り繕うことも忘れて顔をしかめた。腕にかけていたビニール袋を持ち直すと、周囲のカボチャも次々に光を瞬かせ始めた。

「あ このひと おかしもってる!」

「おかしくれないと いたずらするぞ!」

「おかし! おかし だせ!」

「となりのへやのほうが いいにおいするの ぼく しってるよ! このひと おかし いっぱいもってる!」

 キャーキャーと声を上げるカボチャたちに、真那が慌てて飴の袋を掴んで、そこから小包装になった飴をとつずつカボチャたちの前に置いていった。林檎、檸檬、葡萄、ソーダ。ガラス玉のように輝くカラフルなそれに気をとられたのか、カボチャたちは静かになった。

「ひょっとして、せっせとお菓子をあげてるんですか?」

 湊の質問に、真那は笑って頷いた。

「ええ、可愛いでしょ。いたずらするぞーなんて言ってるけど、光るくらいしかしなくて害もないし、可愛いから食べさせてあげたくなっちゃって」

「いや、そんなだから増えてるんじゃないですかね」

「増えたのも、最初はびっくりしたんですけど、でもやっぱり可愛いから良いかなって」

「良いわけないでしょう」

 湊が眼鏡の奥で目をすがめ、真那がそれに対して何か言いかけたとき、カボチャたちがまた騒ぎ始めた。

「おかし たりない! もっとよこせ!」

「そうだそうだ!」

「そいつがもってる おかしもだせ!」

「いたずらしちゃうぞ!」

 真那は床に並んだカボチャたちと湊を見比べて、それから湊が手に持っているコンビニのビニール袋を見た。透けて見える様子から中身を察した真那は、両手を合わせて湊を見上げた。

「若月さん、それお菓子ですよね。カボチャのために買ってきたんですか?」

 いつも真那と顔を合わせるときには、良き隣人の表情を取り繕っていた。けれどもう湊の顔にその仮面はない。

 湊は自分でも驚くほど冷たい声を出してしまった。

「はあ? そんなわけないでしょう。なんで俺が野良妖精のために甘い物をくれてやらないといけないんですか」

 いつも穏やかな湊の冷たい表情に、真那は瞬きをして湊を見上げた。怯えているでもなく、ただぽかんと、何を言っているのか理解できないという様子だった。

 その表情を見て湊は、これまで持っていた「しっかりしてそうな隣人」という印象を改めようと思ったのだった。


   ◆◆◆   


 樗木おうちぎ真那まなは、考えた。

 アパートの自分の部屋。四体のカボチャ。それから隣人の若月わかつきみなと

 今まで真那は、湊を穏やかなお隣さんだと思っていたのだけれど、どうやらそれは彼の一面だったらしい。それはそうだろう。真那だってただの隣人にそこまで踏み込んだ面を見せるつもりはない。

 部屋に上げたのだって、カボチャたちのことがあったから──そこまで考えて、真那は床に並んだカボチャを見る。カボチャたちは相変わらず光を瞬かせながら「おかし!」と騒いでいる。

 湊を見上げる。湊は眉をしかめてわざとらしく溜息をつくと、真那を見下ろした。

「ともかく、俺はもう行きますね。カボチャは無事送り届けたから、もう用事は済んだでしょう」

 湊の言葉に、カボチャたちの騒ぎが大きくなる。

「おかし よこせ!」

「にがすな!」

「おかし おいてけ!」

「いたずらするぞ!」

 真那はカボチャたちに「待って、ちょっと待って」と言ってから、湊の袖を掴んだ。

「あの、お金は払いますから、そのお菓子を譲ってもらえませんか? なんなら、今から同じもの買いに行ってきますから!」

「買いに行くんなら、新しく買いに行ったのを食べさせたら良いじゃないですか。これは俺が食べたくて買ってきたんです。離してください」

「だって買いに行くのを待たせるの、可哀想じゃないですか! そもそも、緑の子は若月さんが拾ってきたんですよね!?」

「拾いたくて拾ったわけじゃないですよ! うちのドアの前にいたから、どかそうと持ち上げただけです! 邪魔だったんですよ! こんなことなら投げ捨てておけば良かった!」

「そんな! 可哀想ですよ!」

「そうだ そうだ!」

「かわいそう なんだぞ!」

「おかしをだせ!」

「いたずらするぞ!」

 真那の言葉に乗っかって騒ぐカボチャたちを振り返って、真那は飴の袋を掴んだ。

「待って。ちょっと待って、今お菓子あげるから」

 湊はその横顔を見て一段と大きな溜息をつくと、持っていたビニール袋を床に置いて、それから両手を真那に向かって伸ばす。

「ちょっと失礼」

 湊の右手が真那の肩を掴んで後ろから抱き寄せる。左手は真那の両目を塞いだ。突然のことに、真那は体を固くした。飴の袋を取り落として、床に飴が散らばる。透き通った甘い色が周囲にきらきらと輝きをばらまいた。

 それに構わず、湊は真那の耳元に口を近付けた。甘いにおいに眉を寄せる。

「こんな魅了チャームに引っかかるなんて」

 そう呟いてから、耳にふうっと息を吹き込んだ。

「ぁ、ん……」

 熱い息吹が体に入り込んでくる感覚に、真那はびくり、と体を揺らして声を漏らす。その反対の耳からもやのようなものが抜け出るのを湊は睨み付けて、真那の体を解放するとその靄を右手で掴む。

 真那はわけがわからないまま、力が抜けたようにその場に座り込んだ。熱の残る耳を手でふさぐ。

 尻尾を掴まれたもやは、甘いにおいを撒き散らしながら、湊の手から逃れようとびくびくと動いていたけれど、湊が低い声で「食っちまうぞ」と言ったら、しゅんと消えてしまった。

 空っぽになった右手を開いて、カボチャたちの前にしゃがみこむ。カボチャたちに顔を近付けて、口角を釣り上げて三日月の形になった口で「騒ぐと食っちまうぞ」と言った。

「くっちまわないで……」

「なかみ ないよ……」

「おいしくないよ……」

「あくまだ……」

 カボチャたちはこれでしばらく大人しくなるだろう。湊が振り向けば、魅了チャームの影響が抜けてぼんやりとした真那が、湊を見上げていた。


   ◆◆◆   


 若月わかつきみなと樗木おうちぎ真那まなに引き止められた。それを振り払うこともできずに、結局敷物の上に腰を降ろして、紅茶なんかを出されてしまっている。

 カボチャたちは湊に対して口々に「はろうぃん おわれば いなくなるよ」「おいださないで」「できれば おかしもほしい」「ちょっとだけ」と言った。真那の部屋で真那の問題なので、その後のカボチャの処遇は真那に任せることにした。

 カボチャたちはしばらくの間ひそひそと何かを言い合っていたけれど、湊が顔を向ければ、ぴたりとお喋りをやめて静かになった。

 真那はローテーブルにマグカップを二つ置くと、湊に向かって頭を下げた。

「今回はお騒がせいたしました。解呪もありがとうございました」

「ああ、いえ……重くなる前で良かったですね」

「はい。でも、軽いものだったから、かえって気付けなかったみたいで」

 真那は両手で抱えたマグカップに口をつけて紅茶を一口飲んだ。香り豊かな渋みをこくりと飲み込んで、少しの間ためらうように中のお茶を見詰めて、それからそっと湊を見る。

「わたし、仕事の関係で精霊と話をする機会があるんですけど……それでなんだか、仕事関係なく話せるのが楽しいなって思ってしまったんですよね。すごく可愛いなって思ってしまって」

「その時にはもう、魅了チャームされてたのかもしれないですね。まあ、悪意のある性質タイプじゃなくて向こうも無意識っぽいから、これ以上は害もないと思いますけど」

 湊の声に、真那は恥ずかしそうに目を伏せて「うう」と呻いた。

「それでも若月さんまでこうして巻き込んでしまって……本当に、大したことがなくて良かったですけど。お恥ずかしいところを……」

 紅茶の香りの湯気のせいか、羞恥のせいか、真那の頬は赤らんでいる。いつもは理知的に輝いている瞳も、今は伏せられた睫毛の向こう。湯気に彩られた睫毛が頬に影を落としていて──その顔に疲労の色を見て、湊は溜息をついた。

「お疲れだったんじゃないですか?」

「え……?」

 湊の言葉に、真那はきょとんと顔を上げた。

 真那の場合は魅了チャームの影響もあったのだろうが、忙しすぎるとかえって疲労を自覚しにくくなる。身に覚えがある状況に他人事と切り捨てるのもできなくて、湊はつい親切心を出してしまった。このくらいは良き隣人の範囲だろう、と頭の片隅で自分自身を納得させる。

「疲れて弱ってたから、惑わされやすい状態だったんだと思いますよ。まあ、疲れてることに関しては俺も人のことは言えませんけど……お仕事、忙しいんですか?」

「そう……そうなんです。ちょっと……月末までにやらないといけないことがいくつかあって」

「俺も同じですよ。大変ですよね、月末って」

 湊は傍に置きっ放しだったビニール袋から、ハロウィンの装いをしたかぼちゃプリンを取り出して、ローテーブルの上に置く。

「疲れてる時は甘いもの食べたくなりますよね、どうぞ」

 部屋の隅でかぼちゃたちが「ずるい」「たべたい」と騒ぐ声は、湊がちらりと視線をやればぴたりとやんだ。

「え、でも……この前もチョコレートをいただいてしまって、そのお礼もまだなのに。それにご迷惑をおかけしたのはこちらですし、そんなにいろいろしていただくわけには」

「まあ、迷惑ついででしょう。消費期限見ないでたくさん買ってしまったんで、今日明日で食べないといけないものがいくつかあるんですよ」

 真那は瞬きをして、湊の隣のビニール袋を見た。ぽかんと口が開く。

「え、あれ、ひょっとしてそれ、お一人で食べるんですか……?」

「それは、まあ、一人暮らしですし。さすがに今日全部は食べないですけど。あ、それに今日夕飯食べ損ねたんで、その代わりもだから」

「え、夕飯食べずに……?」

 眉をひそめた真那は、身を乗り出すと真剣な眼差しで湊を見上げた。今度は湊が眼鏡越しに瞬きを返す。

「あの、ご飯はちゃんと食べた方が良いですよ」

「それはまあ、甘いものだけ食べるのは不健康だなとは思うんですけど、食欲もあまりなくて」

「それで食べないでいるとどんどん胃が弱っちゃいますよ! そうだ、コンビニので申し訳ないですけど、おにぎり食べます? わたしもご飯食べそびれてて、ちょうどこれからなんですよ」

 湊が止める隙もなく、真那はテーブルの上に乗っていたコンビニのビニール袋から、おにぎりだとかサンドイッチだとかサラダを取り出して並べた。

 おにぎりの具は定番の焼き鮭。それから豚の角煮。牛肉しぐれ煮。チキンライス。サンドイッチはハムと卵のサラダ。サラダのパックにだって、こんもりとしたレタスの上にカリカリになったベーコンが乗せられている。

 並んだメニューを見て、湊はぽかんと口を開いた。

「これ、夕飯ですか? 一人で……?」

「あ、いや、さすがに夜に全部は……明日の朝の分もあるんです。最近自炊する元気なくて」

「でも、その……随分と肉が多くないですか?」

「え……」

 湊の視線を追って、真那は自分の夕飯を眺めて首を傾けた。

「でも、疲れたときって、お肉食べたくなりません?」

「夜のこの時間にはあまり」

「じゃ、じゃあ、明日の朝にでも食べてください!」

「朝から肉もちょっと……」

「え、じゃあ若月さん何食べて生きてるんですか?」

「甘いものを」

「そんなのカボチャたちと変わらないじゃないですか」

 真那は信じられないものを見るような目で湊を見上げた。湊は理解できないものを見るような目で真那を見下ろした。二人とも不可思議なものに出会ってしまった気分で、しばし呆然と見詰め合うのだった。


   ◆◆◆   


 樗木おうちぎ真那まなはハロウィンらしく生クリームで飾られたかぼちゃプリンを受け取った。

 若月わかつきみなとはハロウィンに何も関係のない焼き鮭のおにぎりを受け取った。

 床に散らばった飴は拾い集めてカボチャたちに。カボチャたちは「あめ!」「あまいの!」「きらきら!」「いたずらしないよ」と喜んでいた。

 事態は解決して、湊は真那の部屋を出る。二人はまた良き隣人の関係に収まったけれど、それぞれが受け取ったかぼちゃプリンと焼き鮭のおにぎりは、その距離感を少し逸脱するものだったかもしれない。






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