第三話 樗木真那はジャック・オ・ランタンに出会う

 樗木おうちぎ真那まなは、魔術師である。

 新宿駅から何駅目が最寄りのビルにある<ことわりと若木の魔術師>という集団に所属して、悪魔や精霊との契約を維持管理メンテナンスするのが仕事内容だ。

 もっぱらの悩みは、<月と物語りし悪魔>が管理する<暁の記録の書庫>についての契約をどうするか──いや、それだけじゃない、十月末が期日の契約がいくつかある。その内容を見直して、新しい契約書を用意して、引き続き契約できるように交渉しないといけない。それから、普段は一ヶ月に一度の儀式で満足していた精霊が急に機嫌を悪くして、慌てて対応してなんとかその場は収めたものの、また同じことがあったら大変なので原因を探っておきたい。

 さらには普段は大人しくしている精霊たちが、最近はやけに騒がしい。

 落ち着きなく騒ぐ精霊たちの様子を見て、訴えを聞いて、お腹が空いただとか空気が悪いだとか眠いだとか狭いだとか、そんな言葉に細々と応えるだけでかなりの時間を使ってしまう。言われた通りにやるだけでは、毎日時間を使うばかりなのはわかっていても、今はじっくりと話を聞いて原因を探るための時間がない。

 自分の段取りが悪いせいだと、真那は溜息をついて、コンビニで買った厚切りベーコンサンドを急いで食べる。

 毎日毎日、精霊からの突然の呼び出し、悪魔との交渉、過去の契約書を確認して新しく作り直しと、自分が何をしているのかわからない状態が続いていて、食事の時間も惜しむようになっていた。

「休憩はちゃんと取った方が良いぞ。ミスの元だ」

 隣の席の鏑木かぶらぎ秀隆ひでたかにそう言われて、真那はウェットティッシュで指先を拭きながら頷いてみせた。

「わかってます。合間にちょっとずつ、細切れにですけど、ちゃんと休んでますから」

「精霊たちは少し放っておいても良いんじゃないのか?」

「放っておいたら放っておいただけ、後の対応が大変になるので……」

 真那の言葉に、秀隆は「そうだよなあ」と伸びをした。

「俺も手伝えたら良いんだけど」

「大丈夫です。鏑木さん、それ月末までですよね。他の人もそれぞれ余裕ないのわかってますし、<暁の記録の書庫>に関する魔法陣の書き換えもしてもらってますし。それにまだ大丈夫です。今月末の契約だけなんとかなってしまえば、あとはなんとかなりますから」

「なんともなってないだろ、それ」

 真那の言葉に秀隆は苦笑すると、机のマグカップを持ち上げて、一口飲む。

「根本的には人が足りてないんだよなあ。求人はかけてるらしいけど、早くても年明けだろうな。来年の春くらいまでには、環境ごとなんとかしたいよなあ」

「まあ、でも、今はとにかく目の前のことをなんとかします」

 大丈夫ですと笑う真那に、秀隆は少し心配そうな視線を残す。それでも真那がすぐに本を開いて集中を始めたので、秀隆も自分の仕事に戻った。


   ◆◆◆   


 真那の帰宅時間は、当然のようにだんだんと遅くなっていった。コンビニの袋をぶらぶらとさせて、冬のような冷たい空気の中を歩きながら、仕事の集中でのぼせてしまったような頭を冷やす。

 しん、と静まってはいるものの、灯りが漏れている家の窓も多い。暗い夜だけれど、暖かに見える光はそこかしこにぼんやり光っている。

 植え込みの暗がりの中のそれと目が合ったのは、そんな帰り道だった。

 最初は猫でもいるのかと思ったのだけれど、どうも様子がおかしい。やたらとニコニコとして見えるその顔は、目だけでなく口元までぼんやりと光っている。近付いて見ても、やっぱり動物には見えない。でも確かに顔だった。

 丸い目が二つ並んで、その下ににっこりと笑うような口。どこを見ているかわからないのに、確かに目が合ったと感じる。

 近付くと、輪郭がはっきりしてきた。それは、かぼちゃだった。オレンジ色の西洋カボチャ──パンプキン──そう、まるでカボチャ頭と呼ばれる妖精の顔のような──そこまで考えて、真那ははたと気付く。そうか、もうじきハロウィンだった、と。

 真那が気付いた瞬間、目の前のカボチャから声がした。

「とりっく おあ とりーと」

 その声を聞いて、真那はそれが飾りなどではなく、本物の妖精なのだと気付いた。気付いた時にはもう手遅れだった。

 真那は何度か瞬きをした後に、首を傾けた。その反応が気に入らなかったのか、目の前のカボチャ──ジャック・オ・ランタンは目の光をちかちかとさせた。

「あれ ことば わからない? おかしくれないと いたずらしちゃうぞ」

「あ、ごめん。言葉はわかるんだけど」

 そう言って、真那は手に持っていたビニール袋を持ち上げた。

「今はお菓子持ってなくて。オムライスおにぎりとか肉巻きおにぎりじゃ、お菓子にならないよね? あ、サンドイッチもあるよ。具はチキンと卵だけど」

「おかし ない? じゃあ いたずらだ!」

 舌足らずの子供のような声に、真那はしゃがみこんでその顔を覗き込んだ。

「ちなみに、どんな悪戯をするつもり?」

「え? ええっと……うーんと」

 目の光の色をふわふわとさせながら、カボチャは悩み始めてしまった。真那は膝を抱えてカボチャ頭の言葉を待つ。契約が関わっている精霊や悪魔に比べたらなんて気楽な会話か、と疲れた頭でなごんでしまった。

「ひかる! すんごくひかるよ!」

「夜中にすんごく光るのは、確かに困る人がいるかもね」

「でしょでしょ だから おかしちょうだい」

「わかった」

 真那は立ち上がると、目の前のカボチャを持ち上げた。

「わ! なにするの! おとさないで! おちたら われちゃう!」

 突然のことにきゃーきゃーと騒ぐカボチャをしっかりと両腕で抱えて、真那は歩き始めた。

「落とさないよ。今はお菓子持ってないから、家においで。貰い物だけど、美味しいチョコレートがまだあるから。他にも何かあったかなあ。飴くらいはあったかも」

 真那の言葉に、カボチャ頭の言葉がぴたりとやんだ。何か考えるように光がふわふわと瞬いてから、小さな声を出す。

「ちょこれーと? ほんと?」

「そう。とっても美味しいやつだよ。一緒に食べよう。そうしたら、悪戯はしない?」

「おかしくれるなら いたずらはしないよ」

「じゃあ、家に来る?」

「うん ちょこれーとたべる いくよ」

 こうして毎日の仕事で疲労していた樗木真那は、ついうっかり妖精を拾って帰ってしまったのだった。


   ◆◆◆   


 若月わかつきみなとは悪魔のしもべである。

 新宿にほど近い渋谷区のビルを拠点にした<月と物語りし悪魔>という集団に属している。月末に向けて今日も忙しい。

 来月から契約を変えたい、やめたい、契約に合わせて組んだ魔法陣がうまく起動しない。次々やってくる契約相手からの連絡を受けて、原因を探って、場合によっては悪魔にお伺いを立てて、契約を見直したり結び直したり、謝ることも謝られることもある。

 困っている契約相手の相談に乗って無事に解決できた時は嬉しいし、直接に感謝の言葉をもらうことだってある。やりがいのある仕事だとも思っているけど、最近はいささかストレスフルだやりがいがありすぎる

 契約書の束をデスクに置いて、脇にあったチョコレートをと欠け口に含む。ビターチョコは口の中でその体温に抵抗するように渋みを振りまいた。それを舌の上で転がすと、ゆっくりと柔らかくなって、口の中に香りが広がってゆく。苦味の中に隠れていた甘さが、柔らかく溶けた中から姿を見せる。

 舌の上で存分に柔らかくしてから奥歯でまだ硬く残っている部分を噛む。歯応えは薄れて、チョコレートはもう湊にされるがまま、ずぐりと歯の蹂躙を受け入れる。ぐずぐずに甘く溶け落ちたチョコレートを存分に口の中で堪能して、喉を流れ落ちる感覚に目を細めて、思考を仕事の話に切り替える。

 今は<ことわりと若木の魔術師>との<暁の記録の書庫>に関わる契約について考えないといけない。古い契約だ。相手の魔術師も、きっと全貌を知らないまま維持管理メンテナンスしているのだろうと、感じられた。

 できるならもう少しサポートできたら良いのだけれど、時間がそれを許さない。それに、全貌を知らないのは湊も同じだった。

 契約書を引っ繰り返しながらパソコンのメモ帳サービスに要点をまとめる。

 <暁の記録の書庫>の参照には制限がある。契約によって、書庫の中でも参照できる本と参照できない本に分けられている。それは<理と若木の魔術師>も把握していたし、そのための契約も結ばれていた。

 今回の問題は、その参照のページ数に制限があったことだ。そのページ数の制限を、担当の魔術師も、湊も把握していなかった。司書の悪魔だけが把握していて、契約の通りに<理と若木の魔術師>からの参照を拒否した。

 <理と若木の魔術師>からは、その制限のページ数を増やすことはできないかと質問されている。それは<暁の記録の書庫>を管理している悪魔にお伺いを立てなければならない。その返事はまだないが、それが可能なら新しい契約書を用意して契約を結び直せば解決する。

 駄目だったらどうするかは──<理と若木の魔術師>の方で考えてもらうしかない。

 もう一つ、制限を超えた<理と若木の魔術師>に対して司書の悪魔が「手続きが間違っている」と返したらしい。それのせいで、魔術師たちは原因を探るのに苦労した、とご意見をいただいてしまった。

 正直、湊もそれのせいで最初に判断を誤ったので、司書の悪魔に「なんとかしてくれ」と言いたくもなる気持ちはよくわかる。その時点で「制限のせいだ」とわかっていれば解決はもっと早かったのだ。

 司書の悪魔にご意見を伝えることを考えて、従順な悪魔の僕たる湊は、もうと欠けチョコレートを口に含んだ。

 悪魔には悪魔の考えだとか何かがあって動いている。それでも、その知恵や知識を利用するために、契約によってお互いを縛ることで、なんとかやり取りしている。ご意見の内容によっては、その辺りの深い契約を書き換える必要も出てくるかもしれない。そもそもそれが書庫の悪魔たちに受け入れられるかはわからない。

 きっとそれは、なかなかに大変なやりがいのある仕事になるだろう。

 すぐに手をつけられるかもわからないけど、とにかくご意見だけはまとめておこう、とメモ帳に追記する。


   ◆◆◆   


 仕事の頭脳労働で疲弊し切った湊は、夜のコンビニで衝動のままに甘いものを買い込んだ。野暮ったい眼鏡、髪の毛は疲労を表現するようにいつもより乱れている。猫背を一層ひどくして、コンビニの棚を眺め回す。

 ハロウィンが近いからだろうか、かぼちゃのパウンドケーキだとかかぼちゃプリンだとかが並んでいた。かぼちゃ色のプリンの上には白いクリームが綺麗にくるりと渦を巻いて、その上にカボチャの形のビスケットとコウモリの形のチョコレートが乗っかっている。

 栗や薩摩芋も並んでいた。和栗のモンブラン、栗羊羹、スイートポテト、栗と紫芋のモンブランというのは色合いも綺麗だった。紫芋のドーナツの色合いも綺麗なものだ。

 林檎を使ったものもあるし、キャラメル風味も良い。ナッツの歯応えも捨てがたいし、もちろん、チョコレートを使ったものも外せない。チョコレートそのものだって、季節限定の味が様々に並んでいる。

 消費期限を見ずにカゴに放り込んで、店舗の自動ドアから出たところで、ふと冷静になった。消費期限が短そうなものもいくつかあった。帰ったらまずはそれを確認しようと考えて歩き出す。

 この時期ハロウィン間近のせいか、甘いものを持って歩いていると視界の端で何かを期待するような小さなものが動き回るのが見える。

 湊は見ない振りをして、家路を急ぐ。うっかり野良の妖精や精霊なんかに懐かれでもしたら後が面倒だ。対応を間違えたら呪われでもしかねない。甘いものをお裾分けなんかした日には、きっと際限なく集まってきて手に負えなくなってしまうだろう。

 とにかく湊は疲れていた。家に帰って甘いものを食べるんだという気持ちで、アパートまで辿り着く。そして、自分の部屋のドアの前にぼんやりと光る顔のついたカボチャの姿を見て、野暮ったい眼鏡のレンズ越しに目が合ってしまって、大きな溜息をついてしまった。

「とりっく おあ とりーと!」

 子供のような声で、そのカボチャが言った。丸い二つの目、にっこりと笑うような口。無視しようにも、ドアの真ん前にいるせいでどかさないと自分の部屋にも入れない。

 次善の策として、湊はそれをただのかぼちゃとして扱うことにした。緑色の硬いかぼちゃを両手で抱えて持ち上げる。

「やめて! こわい! おちたらわれちゃう! たすけて! だれか!」

 舌ったらずな子供の声で騒がれると、悪いことをしている気分になってしまう。このまま騒がれ続けると近隣の住人にあらぬ誤解を受けそうでもある。思わず廊下に叩き付けたくなる気持ちを抑えて適当に廊下の端っこにでも置こうかと思ったとき、突然に隣の部屋のドアが開いた。

 そこには、隣人の樗木おうちぎ真那まなが顔を覗かせていた。もしかしたら子供の声を聞いて事件性のある事態を想像して様子を見にきたのだろうか、と想像を巡らせて、湊は焦った。

「あ、あの、これは」

 湊が何から言うべきか迷っている間に、真那は湊が抱えているカボチャを見て、ぱっと明るい顔になった。

「こんばんは、若月さん、それ拾ったんですか?」

 そう言った真那の腕には、オレンジ色のカボチャが抱えられていた。湊が抱えているのと同じくらいの大きさで、やっぱり同じように顔があって、ぼんやり光っている。

 どうしてこの人は野良の妖精を家に上げているんだと思って、湊は盛大に溜息をついた。






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