第百七十二話 威迫
永禄二年(1558)六月下旬 摂津国芥川郡 飯盛山城 三好 長慶
「どうぞ」
「頂くでおじゃる」
儂が点てた茶を差し出すと、二條太閤殿下が受け取って飲み始めた。茶席にいるのは儂と一族の日向守長逸、家臣の松永弾正、それと殿下の付き人としてお見えになられた広橋権大納言様、勧修寺権中納言様だけだ。毒見役はいない。毒見役不要とされる程度には信頼をされているのだろう。まぁ儂が此処で太閤殿下を殺めたところで何の益もない。
「如何にござりしょうや」
「うむ。結構な手前でおじゃる」
太閤殿下がすっきりとした御顔で茶碗をお返しになる。世辞かもしれぬが、不味いものには不味いと仰せになりそうな御方だ。まずまずの評価は頂けたのだろう。
「さて用向きは何でござりましょう。内々の話とのことでありましたが」
太閤殿下から茶碗を受け取って次服を用意する間に問いかける。付き人の広橋権大納言が"殿下に問うとは無礼な"と言いたげな顔をしている。全く……顔に感情がお出になる分かりやすい御方よ。まぁ儂と太閤殿下とでは官位の差がありすぎる。咎めるような顔を浮かべる権大納言様のお気持ちもよく分かる。だが、この洛中の支配者は誰か。其れを二人に分からせる。……いや、お二人とてそれは分かっているはずだ。力を背景にあえて無礼を働く。其れが何処まで許されるものか……儂の力を試し、そして思い知らせるのも時には大事よ。
「人払いは済んでおじゃるかの」
太閤殿下が涼しい御顔で儂に尋ねてくる。随分と勿体ぶるでは無いか。余程内密の話のようだ。
「ご安心下さいませ。我らの他に聞いている者は一切ありませぬ」
儂の代わりに日向守が応じると太閤殿下が鷹揚に頷かれた。
「勧修寺」
「はっ」
「こなたから説明してたもれ」
「承知しておじゃりまする」
太閤殿下の言葉に勧修寺権中納言が頭を下げて応じた後、私達に向かって姿勢を整えられた。
「太閤殿下は関白殿下の解任をお考えであらしゃいます」
「!!」
「解任ですとっ!」
「なんと!」
儂は声こそ出さずに済んだが、同席している日向守と弾正が声をあげて驚いていた。
「左様。公方が御所に戻り、畿内の実力者たる三好家を筆頭にしてようやく洛中に平穏が訪れようとしておじゃりまする。斯様な中、近衛様は遠国の大名と仲良うして畿内へいたずらに不安を齎しておりまする。此の様な行いをなされる方が果たして今の関白に相応しいのか……斯様に思うところがおじゃりまする」
勧修寺権中納言が儂の目を捉えて話しかけて来る。太閤殿下の御顔を覗くと、儂に流し目をくれていた。
"お前はどう思っているのか"
そのように問われたような、試すような視線に思わず唾を呑む。
「しかし解任などという事が出来ましょうや」
当たり障りのない返しをして相手の出方を伺った。
「武家執奏というのはご存知でおじゃりますかな」
広橋権大納言様が鼻に掛けたような物言いで問い掛けてきた。全く知らぬわけではないが、此処に集う公卿達ほど詳しいわけではない。其れに問い掛けた御仁は知らぬと応える事を望みのようだ。
「いえ、あいにく存じ上げませぬ」
儂の応えに広橋権大納言様が満足気な表情を浮かべて勧修寺権中納言様の顔をご覧になった。鼻に付く物言いに些か腹が立ったが、満足に知らぬ事は致し方無い。ここは素直に教えを乞うことにしよう。
「是非にお教えくだされ」
「かつて鹿苑院殿が公方であらしゃった頃に何度かされた事でおじゃる。幕府は権勢を背景に朝廷の人事へと介入しましてな。時の院や帝、公家の多くが嘆いた様でおじゃる」
儂の願いに勧修寺権中納言様が言を放って応える。
しかし、朝廷の人事に幕府が介入と申したか?
鹿苑院の頃といえば南北の争いが終わって将軍家の力が隆々としていた頃か。確かに当時の将軍家の力ならば出来るやも知れぬ。だが今は……。
「今の幕府に斯様な事が出来るとは思えませぬ。其れに今の公方様と関白殿下は縁戚にありますれば、斯様に強引な運びに同意するとは思えませぬ」
「だからこそ修理大夫殿、貴殿の出番でおじゃる」
儂が意見を具申すると、広橋権大納言が居丈高な物言いで相槌を打つ。
「某の出番とは?」
問い掛けながら太閤殿下の御顔を覗くと不敵な笑みを浮かべながら儂の顔をじっと見返して来られた。
「六角が家督候補の倅に官位を求めて来ている。何、話を振ったのは麿なのだが左京大夫が面倒な事を申して来ておじゃってな」
太閤殿下が眉をひそめてお話になる。本当に困ったという御顔ではない。どちらかといえば状況を楽しんでおられるように見えた。
「禁裏で叙位の儀を行いたいと申しておるのよ」
「禁裏で叙位の儀を……それはまた公方様が何と仰せになるか」
「左様。であるからの、まずは叙位の儀については朝廷で進める。古式に則った儀式ならば、銭の都合さえ付くのならば表立って反対する者はおるまい。殆ど準備が出来てから公方に確認することとしよう。問題は儀式の挙行が決まった後じゃ。何分久々に行われる叙位の儀でおじゃるからの、何かと人々の思惑が絡んで洛中が物騒になっては困る。そこでな、叙位の儀に向けた期間だけ三好家に京の警護を命じようと思うておるのじゃ」
「京の警護!」
日向守が驚いた声を上げると、“うむ”と太閤殿下が鷹揚に頷かれた。横に控えている弾正も驚いた表情をしていた。儂も驚いたが今回も声は上げずに済んだ。しかし洛中の警護とは、完全に幕府の仕事ではないか。それに思惑が絡んで物騒になるとはよく申したものだ。儂の目の前にいる御仁が尤も物騒な事を企んでいるというに。
期間が限られているとはいえ、幕府の仕事である京の警護を三好に担務させる。其の状況を作ってから関白解任を幕府に持ち込むというところか。そして幕府に交渉、いやこれは脅迫だな。“これ以上幕府の面子を潰されたくないなら武家執奏に協力しろ”“さもなくば常の警護も三好に任せるぞ”とでも迫るのであろう。恐ろしい事を考える方よ。公方様とてそこまでされては首を縦に振らざるを得まい。
三好としては禁裏の争いに巻き込まれ、幕府からの怒りの矢面に立つことになる。だが家格が上がり、太閤殿下の覚え目出度くなるなら悪い話ではない。どうせ幕府からは元より目の敵にされているのだ。
「……京の警護、しかとお受け致しまする」
「左様か。それはようおじゃった」
儂の返答に太閤殿下が満足そうな表情を浮かべて応じられた後、“そうでおじゃった"と呟かれて広橋権大納言様へと視線を向けられた。太閤殿下の視線を受けて広橋権大納言様が持参なされていた茶箱から小包を取り出された。
「修理大夫の茶席に手土産がないのも悪いと思うてな。菓子を持参したのを忘れておじゃった」
太閤殿下が大事な事を忘れていたという御顔で言を放つ。
全く……白々しい御顔よ。大方儂の回答を得てから出すつもりだったのであろう。
「殿下から菓子を頂けるとは修理大夫、望外の喜びにございまする」
「ただの菓子では無いぞ。最近カステーラとかいう南蛮の菓子が流行っておるであろう?あの生地を少し工夫して薄くしたものを餡に包ませたのじゃ。此れがまた旨うての。広橋、修理大夫に一つくれてたもれ」
広橋権大納言様が包を取って儂に差し出される。恭しく受け取ると、餡がきつね色の生地に包まれた菓子の姿があった。カステーラは儂も食した事がある。確かに餡と相性は良いかも知れぬ。
「太閤殿下ご発案の菓子でありますか」
「うむ。そうでおじゃる」
太閤殿下が応じながら食するように促してくる。日向守や弾正が毒見を案ずる表情をしたが構わず黒文字で切り取って口に運んだ。カステーラよりもしっとりとした生地の食感に、こした餡のさっぱりとした甘みが丁度いい。
「美味しゅうございまする」
「でおじゃるか。ほほほ、それはようおじゃった」
儂が褒めると太閤殿下が笑みを浮かべられた。日向守や弾正にも食するように進めると、公卿達と揃って口に運んだ。皆が笑みを浮かべながら美味だと口にしている。
「太閤殿下が菓子の発案までなさるとは思いませなんだ」
「たまたまじゃ。偶然思い付いたのじゃ」
儂の言葉に殿下が扇子を口元に運んで“ほほほ"と笑みを浮かべられる。
「これは世に広がる品かも知れませぬ。銘はもうお決めであらせられますのか」
「うむ。そうじゃの。どうしてくれようか」
太閤殿下が扇子を顎に当てられて思案される御顔を浮かべる。
二、三回扇子で軽く顎を叩かれた後、急に笑みを潜めて儂の顔をご覧になった。
「御所巻……。此れが良い名かも知れぬ。どうでおじゃる。修理大夫」
刺すような視線が儂の顔を捉えていた。
永禄二年(1558)六月下旬 美濃国厚見郡井之口 十三屋 長井 道利
「お待たせいたした」
店の者が待ち人の来訪を告げに来たかと思うと、すぐに待ち人が現れた。少し息を上げている。
「それほど待ってはござらぬ。お気に召されるな」
儂の言葉に日根野備中守が安堵した様な表情をしながら腰を下ろした。
「此の店は隼人正殿が差配をしているところで?」
備中守が部屋を一瞥しながら儂へと問い掛けてくる。此の男も何かと黒い事に手を染める事が多い。何か気になる事でもあるのだろう。はてさて儂の腹を探ってきたか。まぁ目の前の男とはこれからも長い付き合いになる。手札の一つ位は披露しておいたほうが良いかも知れぬ。
「如何にもそうじゃ。儂の手の者が長らく差配している。表向きは櫛屋となっておるがの。誰かに話を聞かれる心配には及ばぬ。ゆるりとされよ」
「うむ。隼人正殿がそのように仰せになるなら大丈夫であろう。安心致した。しかし中々繁盛しているようにござるな」
備中守が表玄関の方を向いて笑みを浮かべる。
「甲斐の方で物がよう売れておる。何、此れは其処元とて同じであろうて」
「うむ。まぁ、そうでござる」
儂の問い掛けに備中守が笑みを浮かべて応じた。
甲斐の武田が今川と戦を始めて以来、美濃から信濃、甲斐方面へ荷の動きが活発になっている。儂は御家と武田家が盟約を結ぶ前から武田のご当主とは懇意にしていた。今回の荷動きの利を最も受けているのは儂と言えるだろう。十二分に利を得ているが、荷動きを滞らせること無きよう骨も折っている。その事で武田大膳大夫様からも個別に書状が来ている位だ。この点、目の前の男も中々抜け目がない御仁だ。目を掛けている店から幾らか上前を取っている噂がある。ここ最近も……。
「新しく店を開きたいと上方の商人が申して来て、幾つか御屋形様へ取次をしたようでござるな。私欲を得るためでは無いものだと信じている」
「はっはっはっ。無論の事でござる。いやなに、商人達は利に聡うての、美濃で商いをすれば儲かると思うた商人達が御屋形様へ井ノ口出店の嘆願に参った。朝廷も幕府もお相手するのには湯水のように銭が掛かる。此度利を得たのは御家の為であって決して私利私欲のためではござらぬ」
備中守殿が儂の問いにはっきりとした口調で応える。自信を持った声色だ。確かに此の御仁の働きで御屋形様は屋号を賜り、伝灯寺は勅願寺となった。今や伝灯寺は洛中の古刹である南禅寺と同格扱いだという。御屋形様の事を不義不忠の太守と非難していた快川国師も此の現状には驚いていよう。此度の本題も此れよ。
「さて、そろそろ本題をお聞き致そう」
儂の表情が変わった事を察してか備中守殿が姿勢を正して問い掛けて来た。
「甲斐の大膳大夫様から文が来た」
「ほぅ」
「犬山におられる快川国師の事よ。大膳大夫様は国師を甲斐に招きたいと思し召しじゃ」
「快川国師を甲斐に……。これまた如何なるお考えなのであろうかの」
「分からぬ。此れは儂の邪推にはなるが、大膳大夫様は今川との戦で些か久遠寺と対立したと聞く。法華宗の力を禅宗の力を使うて抑えたい。法華宗を抑える事が叶う程の高僧を甲斐にまで呼ぶのは難儀だが、丁度国を出ている僧がいる、そのようにお考えなのかも知れぬ」
「成る程の。それで今川領となった尾張に師がおるゆえ我が一色に取次を願いたいということか。一色と今川は敵対こそしておっても、表向はまだ戦をした訳ではござらぬからの」
儂の推測をすぐに理解した備中守が納得したような表情を浮かべる。流石に御屋形様の側へと仕えているだけはある。頭の切れは悪くないようだ。備中守の視線に頷いて応えた。
「今川との交渉を一色が担うのは良かろう。堂々と今川に使者を出せるというのは今川領を探るのに都合が良い。問題は快川国師であろうな。師が美濃に戻らず甲斐に向かうのを承知されるかじゃ。もしご承知頂けるのなら一色にとってもありがたい。尾張におられて美濃の寺院を差配し、火種になるより甲斐に向かってもらったほうが美濃に平穏が齎されるばかりでなく、武田殿に恩も売る事になる。重畳じゃ」
「同意でござる」
「大膳大夫様は御屋形様の協力が得られるなら快川国師に信書をお出しになるおつもりのようじゃ」
「なるほどの。しかしどうしたものか。再び幕府にお願いするのがよいだろうか」
「いや、世俗からの命では快川国師を逆撫でしかねぬ」
「それはそうかもしれぬが……。隼人正殿には何かお考えがござるのか」
「此処は照天祖鑑国師に願うのがよろしかろう」
儂が洛中は妙心寺におはす長老の名を出すと、備中守殿が"なるほど"と呟きながら鷹揚に頷いた。照天祖鑑国師は伝灯寺の開祖となった別伝師の師にあたる。御屋形様が美濃国寺を建立するため妙心寺に僧の派遣を依頼すると、照天祖鑑国師は別伝師を送って来たのだ。御屋形様は新たに建てられた伝灯寺を美濃国一の寺院と定めるなど別伝師に厚遇をもって応えられた。些か厚遇が過ぎるとは思わぬでも無いが、態々美濃に下向してもらった高僧に応えるのは当然と言える。だが、事は静かに進まなかった。従来から美濃にいた快川国師を始めとした禅宗の僧たちが異議を唱え出したのだ。
快川国師の訴えに怯んでか、妙心寺はあろう事か別伝師の僧籍を外す等との沙汰を出された。この仕置に御怒りになった御屋形様が自ら上洛なされて朝廷と幕府へ訴えられた。御屋形様の働きもあって伝灯寺は勅願寺となり、公方様から喜悦との御内書まで賜った。そろそろ妙心寺にも改めて態度を明確にしてもらおう。
「それは妙案じゃ。御屋形様に貴殿の意見を上申致そう」
備中守が御屋形様の名を出してくる。さながら己が立場を強調するようでもあった。
備中守と儂の利害は一致している。此処で対立する必要は無いが、後塵に拝する必要もない。
「うむ。よしなに頼む。甲斐の武田大膳大夫様へは一先ず儂が文を書いておこう」
大膳大夫様の名を使うと、備中守の眉が微かに動いた後、ゆっくりとした口調で"お頼み申す"と告げられた。
海道一ノ弓取リ 葉室 貫之 @Hamuro_Tsurayuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。海道一ノ弓取リの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます