鷹の話

邑楽 じゅん

鷹の話

「鷹の巣とりってどんな話だっけ?」


 そんなことを言い出したのはもうじき高校を卒業するころのことだった。

 突然何を言い出すのだろうと思い、僕は読んでいた本を閉じて彼女の方を見る。


「は? まず、なんだよ。それ?」

「うーん。なんか、急に思い出したんだよね。たぶん教科書に載ってたんだよね」


 そういいながら、彼女は考えをめぐらせ始めた。

 やがて、なにかをひらめいて僕を見た。


「そうか、あなたの話ね!」


 なにやら嬉しそうに僕の顔を指差してくる。

 彼女の笑顔は、とても謎で理解不能だ。


「静かにしろよ。他の人もいるのに。先生に怒られるよ? それに僕の話? 鷹の巣なんか取ったことないよ。都会生まれだってのに」

「そうじゃなくてさ、ほら。あなた、なにか大事なことを忘れてない?」

「大事なこと?」

「そう。あなた、とっても大事なことがあったじゃない。それのせいでほら……」


 そこで言葉を切って続きを急かしてくる彼女。

 だが彼女の言う意味が未だ理解できず、僕もしだいに焦れてくる。

 読書に集中したいっていうのに。


「そもそも、鷹の巣とりってどんな話なんだか僕は知らないって。教えてくれよ」

「えーっと、なんというか、男の子が五人居てね、鷹の巣を取るっていうよりは、見に行こうねって話なんだけどさ」

「男友達と鷹なんか一緒に見に行ったことないよ。野球か何かの隠語?」

「そうじゃなくて、その途中で男の子の一人がね、杉の木から落ちちゃうの。そしたら男の子がおうちが分からなくなって」

「事故のせいで?」

「そう。それでみんな心配するんだけど、落ちた後に男の子が言ったひとことが、皆の中でブームになるの」

「なんか怖いなそれ。落ちた後って悲鳴? それとも恨みとか最期の言葉? 家がわからなくなるって、まさか幽霊になったとか死んだとかのホラーじゃないよな」

「全然違うよ。もっとあったかいお話だよ。それにあなたと一緒でしょ?」


 僕は学校の校庭に埋まっている樹から転落した。

 ある日、ふと窓から樹を見ると、子猫が降りられなくなっている。

 慌てて僕は脚立を寄せて、樹をよじ登り始めた。

 子猫は僕に助けを求めるどころか、樹皮に爪を立てて器用に滑り落ちていくし、僕はそのはずみで足を滑らせて地面に落ちていくし、散々だった。


「でも僕が見たのは鷹じゃなくて子猫だよ。それにケガの後遺症もないし、今は身体の調子も戻ったし、記憶が無くなったりしてないんだけど?」

「うそだよ。あなた、おうちが分からなくなってないの? ちゃんとおうちの方向は言える?『あっちー』って」

「うそってなんだよ。僕んちはあっちでもこっちでも無くて、住所だってスラスラ言えるってば」

「あなた、お名前は? 三ちゃんって言わないの?」

「いったい三ちゃんって誰だよ、僕の名前は城戸きど航平こうへいだっての」

「でも、ある意味、ケガがなかったんだから、お話の三ちゃんと一緒よね?」


 彼女は腕を組むと、突然に大きくうなずきだした。

 何に納得したんだかよくわからないが、さすがにここでの僕の唯一の娯楽である、読書の時間まで邪魔されると困る。

 僕は苛立ちを隠さず少し強めの声で彼女を注意した。声量には気をつけつつ。


「いい加減にしないと、先生に言い付けるぞ」

「イジワル。別にあたしが気になったんだから、聞いただけなのに。あなたが入院した理由を聞いた瞬間に、絶対に鷹の巣とりの子だって思ったんだから」


 僕はもう彼女を無視して読書を再開することにした。

 すると、近くに座った背の小さなおばあさんが彼女に声を掛けてきた。


「あら、鷹子たかこちゃん。元気?」

「た、鷹子ちゃん……?」


 僕は驚いて本を閉じると、おばあさんの顔を見る。

 すると目が合ったので僕が会釈すると、おばあさんも頭を下げる。


「あのね、おばあちゃん。この子が鷹の巣とりの子だったんだよ。ちゃんと樹から落ちたし、ケガもしてないの。すごいよね、お話と一緒なのよ!」

「そうかい、本物が見つかって良かったねぇ、鷹子ちゃん」


 嬉しそうに報告する彼女とおばあさんのやり取りを聞いて、僕は近くへと寄る。

 そしておばあさんに声を掛けようとした時だった。


「やあ、城戸くん。ここに居たんだね」

「あっ、先生。読書したくて勝手にここに来て、すいませんでした」


 それは担当医の先生だった。

 先生は回診の時間なのにベッドを空けていた僕を怒ることなく、談話室までやってくると手を振ってくれた。


「ケガの状態も問題なさそうだね。もう退院してもいい頃じゃないかな?」

「ほんとですか? ありがとうございます」


 先生に頭を下げた僕だったが、気になることがあって白衣の裾を引いて少し離れた場所に移った。


「すいません、あの子が鷹の巣を取る話をしつこく聞いてくるんですけど……あと、近くにいるおばあさんは、あの子のおばあちゃんですか?」

「あぁ、『鷹の子』だね。隣のおばあさんは入院患者で彼女のおばあちゃんじゃないよ。彼女の存在はこの病院じゃ有名かな?」


 先生は彼女に慈しみの目を向けたまま、でも声を抑えて喋り出した。


「あの子はちょっとした事件に巻き込まれてね。記憶を失っているだけじゃなくて、少しばかり幼児退行してしまったんだ。その発端はご家族にあったんだが……それが原因かわからないけど、家も住所もわからなくなってね。とにかく憶えているのはどういうわけか『鷹の巣とり』の話だけさ。それで他の入院患者さんも『鷹子ちゃん』って呼んでるんだよ。彼女の本名は三田みた望海のぞみちゃんだ」


 それを聞いた僕の頭は混乱して、一気に熱が出そうだった。

 実は杉の木から落ちた『三ちゃん』は彼女だった。

 そして記憶を失くしていたのも彼女。

 だけど、憶えているのは鷹の巣とりの話だけ。


 先生は膝を曲げると、おばあさんの隣に座る彼女に笑顔で話しかける。


「鷹子ちゃん。どうかな、今日の調子は?」

「先生。あたし、鷹の巣を取ったあの男の子に会えて、すごく嬉しかった!」

「そうか。それはよかった。なにか一緒に思い出したことはないかな? 例えばキミの名前とか、おうちとか?」

「あたしのおうち? ……えっとね、あっちー!」


 彼女は、自宅の方角と合っているのかもわからない窓の外を指差す。

 本気か冗談かもわからず、自分の言葉でけらけらと笑い出した彼女を見守っていた先生は、また笑顔で彼女の頭を撫でる。


「そうか、じゃあまたいっぱい本を読んで、ゆっくりしようね」

「うん、先生またね!」


 僕は何故だか居たたまれなくなった。

 この場に居るのも嫌だし、もうじき退院をするという自分の事もなんだか悪い奴のような気がして、彼女に視線を向けるのすら気の毒に思ってしまった。

 でも、彼女は屈託のない笑顔で手を振って来た。


「三ちゃん、また会おうね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鷹の話 邑楽 じゅん @heinrich1077

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ