理解はするけど納得はしない~頭と心は別物ですから
公社
理解はするけど納得はしない~頭と心は別物ですから
『ホルスト・アルトマン 宰相府勤務を命ずる』
「旦那様、これは……」
「とうとう最終手段に出たか……」
王都から届いた異動辞令に、妻が心配そうに私に問いかける。
「お受けになるのですか」
「致し方あるまい」
ホルストはアルトマン男爵家の次男。学生時代は優秀な成績を修め、卒業後は王都でエリート官僚の道を進むものと誰もが感じていたが、思うところあって地方の役所勤めを歴任して早や十数年。その実務は学生時代の評判に違わず優秀で、勤めた先々で数々の成果を上げて、彼が赴任する地方から上がってくる税収が目覚ましく増加していることから、有能な役人として中央の官僚からも改めてその才を評価されることになった。
爵位を持たぬ元男爵家の次男とはいえ、それだけの才を地方に留めておくのはもったいないと、王都に招聘する声が上がるものの、ホルストはその度に他の地方や都市の課題、問題点を的確に指摘し、次はそこへ赴任させてほしいと願い、学園を卒業して以来一度も都へは帰っていないのだ。
それでも毎度赴任先で結果を残すものだから、中央へ来いという声は止まらない。中でも若くして首席政務官を務め、次期宰相と目されるゲントナー侯爵が招聘に執心し、赴任先の任期が終わるたびに宰相府へ来いと声をかけるがホルストは首を縦に振らない。なぜならば、都へ戻りたくない理由がこのゲントナー侯爵に会いたくないからだ。
「宰相府の命令で私が動かないからと、陛下の名を使うとは……あやつめ、どこまで私を苦しめる気なのだ」
「宰相府ということは、王都で……あの方の下で働くということですよね」
「今回は陛下の勅命だ。断っては逆臣の誹りを受けるやもしれん」
役人の人事は本来宰相府の権限であるが、ホルストが毎回理由をつけては受け入れないので、今回は国王の勅命という形でやってきた。さすがの
「旦那様、ご無理だけはなさいませんように」
「無理をせずとも向こうから無理がやってきて、ストレスでハゲてしまうかもしれん。先に謝っておく」
「髪の毛が無くとも旦那さまの魅力は私が一番よく分かっております。そのくらいで愛情が無くなるわけありませんよ」
「ありがたいことだ。私は良き妻に恵まれた」
こうして王都への引っ越し準備が始まる……
◆
「ホルスト、久しぶりではないか。元気にしていたか」
「侯爵閣下もご健勝のようでなによりです」
「なんと他人行儀な……昔のようにリヒャルトと呼べ。学園で切磋琢磨した仲ではないか」
「お気遣い痛み入ります。されど、公の場で上下の別は弁えねばなりません」
宰相府への登庁初日、周囲への挨拶をそこそこに済ませたホルストの元にゲントナー侯爵リヒャルトが久しぶりの再会を喜ぶようにやってきたが、元々この男が原因で王都行きを拒否していたわけで、ホルストの反応は良く言えば礼に則った、悪く言えばかつての学友に対しているのに至極渋いものである。
リヒャルトはそれを予想していたようで、喜びに溢れた表情が一瞬曇ったものの、気を取り直して近いうちに君の王都帰還を祝って侯爵邸で歓迎パーティーを開くからと誘いをかける。
「地方から招聘された者は、毎回そういった歓迎会を開くのですか?」
「いや、そういうわけではないが……君は特別だ。なにしろ……」
「ならば遠慮いたしましょう。他の者が受けていないものを私一人が享受して、贔屓と見なされても敵いませぬゆえ」
リヒャルトが言葉を言い切るよりも早く、その提案を断るホルスト。
「お前……まだあのことを根に持っているのか……」
「過去のことをいつまでも引きずっていると思われるとは……見くびらないでいただきたいですな。あれは終わった話。事情もよく理解しています。ですが……かつてのように戻ることはあり得ません。故に私は貴方から離れて都を去った。それは何度もお伝えしたはず、正直に言えば今回も勅命でなければ来たくはなかった」
「ホルスト……」
「ご心配なく。仕事で手を抜いて、貴殿に対して仕返しをする気など毛頭ありませんから」
その冷めた声に対し、何も返せないリヒャルトを一瞥すると、用件がそれだけならばこれにて失礼いたしますと頭を下げ、ホルストはその場を立ち去ってゆく。
「まったく……執念深いな」
リヒャルトの呟きは誰の耳に届くこともなく空中に霧散してゆくのであった……
◆
「軍需物資の手配はいかがいたす?」
「辺境伯領に隣接する各家から税の代わりに現物で供出させます」
「それでは中央の税収が落ちぬか?」
「それについては金銭より割高な率で供出するよう、各家から了解を取り付けております。その分中央からの物資供給が減りますので、結果的に支出は抑えられるかと」
「よく了承させたな」
「なに、相場の変動傾向などを考えれば、彼らにとって手間の少ない方法ですから」
王都で勤務してから1年。既にホルストは宰相府に欠かせぬ人材として、宰相本人からの信頼も厚くなっており、今では上級官僚だけが集う政策会議にも呼ばれて、様々な議論を交わすまでになっている。
「さて、今日はこのくらいでよかろう。ああホルスト、お主はちと残れ」
「はっ」
会議が終わり部屋に一人残されたホルストは、近日開かれる宰相の子息の婚約パーティーに参加するよう申し伝えられる。
「お主がそういう場に出たがらないのはよく知っている」
貴族が集うパーティーに、官僚とはいえ爵位もない身分が出るわけにはとホルストは断りたかったが、宰相に機先を制された。
「ほかの役所にもお主の名が轟いておってな。皆そなたと話をしたいそうだが、生憎と社交に出てこぬからワシにどうにかしてくれと依頼があってな。無爵とは申せ、元は男爵家の者。出るのに不都合はあるまい」
「しかし……」
「そなたが社交に出たがらぬ理由も分かっておる。だがここはワシの顔に免じて出てはくれんかのう」
「分かりました……」
ホルストは渋々了承するが、同行する妻が心配であるという。
「奥方は平民の出であったか……だがそなたの妻なれば、不調法ということはあるまい」
「それはもちろんです。私には過ぎたる良い妻ですが、実は……」
「なるほど。それではあまり長居をさせられぬな。ならばそなたが一通り面通ししたところでさっさと帰って構わん」
「それでよろしければ」
参加の話がひと段落したところで、宰相が話題を変えてくる。
「ところで、そなたは爵位を受ける気は無いのか?」
「ありません。男爵家の出ではございますが、平民暮らしが長く続きましたので、今一度貴族に戻れと言われても困ります」
「それは……やはりリヒャルトとの一件が原因か?」
ホルストが返事に困ったような、その話題に触れてくれるなと言っているような難しい顔をしているので、自身が振った話であるのに、宰相も思わず「言わずともよい」とこれを宥める。
「お主自身には辛い思い出であったとは思うが、あれもまた貴族の習い。それは理解しているであろう」
「それはもちろん」
「功績ある者に相応の位を与えねば、信賞必罰が崩れることも理解しておろう」
「それは……そうですが……」
「リヒャルトも悪い男ではないが、ちと自身の思い通りにするため、事を強引に運ぶ気があるから、そなたが距離を取ると判断したことは間違いではないし、無理に仲良くせよとも申さん。だが功績に応じて貴族の位に返り咲くことは、それとは別に考えておいて損は無かろう」
宰相の気遣いには深く感謝する。だがその過去の経緯には人には言えぬ裏事情があって、それこそがリヒャルトを忌避する真の原因であるため、ホルストの心からもやが晴れることは無かった。
◆
「やはり宰相家のパーティーともなると規模が違いますね」
「ああ。地方の役所の歓送迎会とはわけが違う」
宰相家のパーティーに招かれたホルスト夫妻。特に妻デルマはこういった高級なパーティーに出た経験が無いので、あちこちに目をやっては、ほぉ~、へぇ~と感じ入っている。
「デルマ、さすがに行儀が悪いぞ」
「申し訳ございません。見るもの何もが新鮮でつい……」
「今日は私目当ての客が多いようだから、あまり一緒に付いてやれそうにもない。とりあえず知り合いの奥方にお願いしてはいるが、あまり動き回るな。もしそれでも居心地が悪ければさっさと退散するから遠慮なく言えよ」
「お気遣いありがとうございます」
二人で会話をしていると、ホルストの姿を見つけた同僚が遠くから声をかけてくる。
「早速呼ばれたか。すまんが行ってくる」
「お気をつけて」
こうしてパーティーの間、ホルストはひとしきり質問攻めに遭い、デルマは遠目でその姿を微笑ましく眺めていたが、やがてゲントナー侯爵が夫人ではない若い女性を連れて夫に話しかけ始めたのを見つけると、急に顔が険しくなる。
(何を話しているの……)
夫がリヒャルトを忌避する理由は妻も知っており、故に彼女も関わりたくない相手だと思っている。何を話しているのか気になるが遠くて会話は聞こえず、もどかしい思いをしているところへ思いもよらぬ人物から声をかけられる。
「失礼、ホルストの奥方様かしら」
「貴女は……」
(リヒャルトの奴め、時間がないと申しておるのに長々と引き止めおって!)
話がしたいという面々と一通り顔合わせを済ませ、妻のもとに戻ろうとしたときに、リヒャルトが話しかけてきたことを苦々しく思うホルスト。彼一人ならばいつものようにつっけんどんな対応でよかったのだが、生憎と彼と共に若いご婦人が同行していた。
そのご婦人はとある伯爵家の未亡人。半年ほど前に婿養子の夫を亡くし、バタバタしていた家中の混乱を収めるために、王命でホルストが伯爵家の財産の差配を任されていたという縁があって、そのお礼かたがたやってきたと言われれば、冷たくあしらうわけにもいかなかったのだ。
(デルマはどこだ……あれは!!)
人ごみをかき分けて妻の姿を視認すると、その横には見知った女性の影。デルマに何をか話している姿を見て、ギリギリと歯ぎしりが聞こえてくるほど苦虫を噛み潰したような顔で近づいてゆくホルストに、彼に話しかけようとしていた周囲の者もギョッとした表情でそそくさと道を空ける。
「デルマ待たせたね。用件は済んだから帰ろう」
「旦那様、もうよろしいのですか?」
「ああ。宰相閣下も承知している。さあ行こう」
「ホルスト、ちょっと待ってよ」
目の前にいる女性など眼中にないと言った口ぶりで、妻を連れて帰らんとするホルストの行方を遮るようにご婦人が声をかけてきた。
「久しぶりに会ったというのに随分と冷たいじゃない」
「これは侯爵夫人。妻に気を取られて夫人がおられることを見落としておりました。ご無礼を」
目の前にいたのに見落としていたとはこれ如何に。といった感じで、夫人に対する接し方が侯爵に対するときと同等レベルの無愛想さのホルストであるが、夫人の方もさもありなんといったところのようで、構わずに話を続ける。
「我が家での歓迎会をお断りになったとか。どういうつもりでしょう」
「そこまでしていただく理由がございませんので」
「まだ根に持ってるの?」
「閣下にも同じことを言われましたが、そのようなつもりは毛頭ございません。それより……妻と何を話しておられたのでしょうか」
「昔馴染みのよしみでホルスト様の行く末を奥様とお話ししていただけよ」
居丈高に語る夫人の表情と、妻の顔色の悪さを見比べるホルスト。元々妻は体調に不安があり、それこそが途中退席を願った理由ではあるが、妻の顔色は
「もうお帰りになるの?」
「申し訳ございませんが妻の体調が良くありませんので」
「そう……それはお大事に。奥方様とはいずれまたお話しする機会もありましょう」
「下っ端役人風情にお気遣いなく。ではこれにて」
帰りの馬車の中は重苦しい雰囲気が漂う。
「何を言われたのだ」
「旦那様とどこで知り合ったとか、どうやって結婚したのかと……」
「なんと……そなたを覚えておらなんだか」
当たり障りのないようにはぐらかしておいたと言うデルマ。しかしホルストはそれだけでそのように顔色が悪くなるはずがないだろうと確認する。
「子がおらぬことを誹られました」
「余計なお世話だ!」
「旦那様、お怒りを鎮めてくださいませ」
「すまぬ。それで、私の妻には相応しくないとかなんとか申しておったのか」
「そこまでは……」
デルマは言葉を濁すが、それらしいことを婉曲的に言われたことは想像に難くない。好いて娶った相手を悪し様に言われたが、仮にも相手は侯爵夫人。おいそれと文句を言うことも出来ないし、そもそも関わりたくない相手なので、ホルストも怨嗟の言葉を吐く以外に怒りのぶつけようが無い。
「やはり行くべきではなかったな……」
「申し訳ございません。私が不甲斐ないばかりに」
「原因を作ったのはあいつらだ。デルマには何の落ち度もない。あまり気に病んでは体に障るゆえ、ゆっくり休んで綺麗さっぱり忘れよう」
「はい……」
デルマの目に宿る一筋の涙に、改めて彼らへの怒りが湧くと共に自分が妻を守るんだという決意を新たにするホルストであった。
◆
「いきなりどういうことじゃ!」
「かような騙し討ちに近い所業、いくらなんでもあんまりです。こちらは大人しく暮らしていたいのに、何故にここまでかき乱されねばならんのか。役人勤めをしている限り縁が切れぬなら、いっそのこと野に下ります!」
宰相家のパーティーからしばらくしてのこと、憤怒の表情で職場に現れたホルストは、周囲が止めるのも聞かず一目散に宰相の執務室へ向かうと、机上に勢いよく退職願を叩きつける。
これにはさしもの宰相も泡を食って、いかなることかと、憤懣やるかたないといった表情のホルストを宥め事情を聞きだすと、先日伯爵家から養子入りの打診があったという。
「ユンカー伯爵家、閣下もご存じですな」
「おお、婿殿が亡くなられてお主が財産管理に手を貸した家じゃな」
「そこの奥方から婿養子になって家を継いでくれと申し出がありました」
「誰に?」
「私にです!」
宰相もそんな馬鹿な話があるかと仰天した。息子を養子にというならば分からなくはないが、生憎と彼にはまだ子はいない。つまり婿養子の話は他でもない妻帯者のホルストに対して向けられたものだからだ。
「私もおかしな話だとユンカー伯爵夫人に問いただしたところ、ゲントナー侯爵の紹介だと仰る」
「リヒャルトが!?」
伯爵夫人が言うには、ホルスト夫妻には子がいないから離縁して婿入りすれば問題ないし、跡目で揉めることもない。何より有能な婿が来れば伯爵家も安泰だと紹介されたとのこと。
「それは伯爵夫人もお前を婿にすることにまんざらではないということだな」
「そういう問題ではありません。デルマと離縁するなど、私が了承するわけがないでしょう!」
しかもあのパーティーの晩、デルマは侯爵夫人から「子を成せないのなら貴女から離縁を申し出て、彼を解き放つのも1つの選択肢では?」などと言われていたらしい。
「我が家のパーティーでそのようなことが……」
「伯爵夫人と引き合わされたのもあの夜のことです。てっきり閣下もご存じだったのかと」
なにしろその前に爵位がどうのという話を受けていたものだから、ホルストは宰相も一枚噛んでいたのかと勘違いしていたわけだ。
「待て待て、ワシも初耳じゃ。たしかにそなたに爵位をという話はしたが、奥方と離縁を迫るような馬鹿な話をするわけがなかろう」
「ではこれはゲントナー侯爵の独断ということですかな」
「ともかく当事者を集めて話を聞かねばならん。後日、侯爵夫妻を召喚するゆえ、そなたも夫人とともに同席せよ」
「御意にございます」
<数日後>
「みな揃ったようだな」
ホルストは恐縮している。何故ならば小役人ごときの退職願のために、わざわざ国王が事情を聞こうと同席しているからだ。
「ホルスト、そして夫人。固くなることはない」
事は伯爵家というそれなりの規模の貴族の後継にかかわる話であり、一方の当事者が侯爵であることも含めて、自身が話を聞かねば収まりがつかないだろうから気にするなと、ゆったりとした口調で二人を安心させようとする国王。
「してリヒャルトよ、ホルストを婿養子に推挙した理由は」
「はっ、彼は優秀な官僚でありますが、爵位が無いため今以上の地位に就けるは難しく。されど、伯爵となれば高い地位にてその見識が国の役に立つものと愚考し……」
「なるほど。本当にそれだけか? 宰相から話は聞いているぞ」
そう言うと国王はホルストとリヒャルトの因縁について聞いた話を確認し始める。
侯爵夫人リーナは、元々複数の国を股にかける大商家の娘であった。その気さくな人柄が学園でも人気の的であった少女はホルストと恋仲になり、いずれは結婚して家業を手伝うという約束をしていた。
だがこれに待ったをかけたのがゲントナー侯爵家。当時財政が厳しい状態であった侯爵家は、リーナの実家から資金援助を受ける代わりに、彼女を後継者であるリヒャルトの正妻として迎え入れることとなったのだ。
男爵家の次男と侯爵家の長男では敵うはずもないし、何より二人は仲の良い友人であった。故にホルストは友ならばリーナを幸せにしてくれると信じ身を引いた。という昔話である。
「故に友の恋人を奪った形になったリヒャルトは引け目を感じ、その罪滅ぼしにと。そういうことであろう」
「ご賢察痛み入ります」
「ホルスト、リヒャルトはこのように申しておるが」
「それとこれとは別でございましょう」
国王は己の推察から、過去の小さなしこりが尾を引いて大きな隔たりになったのではないかと問うが、ホルストはこれを真っ向から否定する。
「私も元は貴族の端くれ。婚姻がいかなるものかは存じております。当時の侯爵家の事情も、迎え入れられた夫人の事情も理解しており、それに不平不満を申すつもりはありません」
「ホルスト、ならば何故私を避ける!」
「頭では理解していても心では納得できぬこともあるのです。不仲で別れたわけではない相手が、友と思った男に抱かれ仲睦まじくしている姿を、否応なく見せられるのは辛いものです」
ホルストはだからこそ距離を置くために地方の官庁を回ることにしたのだと言うが、そんなことはお構いなしとばかりに、自分には贖罪の機会も与えられないのかと嘆くリヒャルト。
「私が貴殿の自己満足のために付き合う必要があるのですか? こちらが距離を置きたいと申しているのですから、関わり合いになりたくないのだなと感じてそっとしておいてくださればよいものを」
「だがそれでは私の気が済まぬ!」
「だから! なんで貴殿の気を紛らわすために私が犠牲にならねばならんのですか! リーナに続いて、デルマまで私から取り上げるつもりですか!」
「二人とも落ち着け! 陛下の御前なるぞ」
リヒャルトの発言にイライラが募るホルストも自然と怒鳴るような物言いになったため、宰相が慌てて二人を制する。
「ホルスト、そこまでの物言いをするからには、実はほかにも理由があるのではないか?」
二人の間に割って入り、己の顔をジッと睨みつけられながら放たれた宰相の言葉に、ホルストは何かを感づかれたかとその様子を窺うと、笑いながら「ジジイを甘く見るな」と返された。
「前から叙爵を頑なに嫌がっておったし、今も冷静なお主が珍しく激高しておる姿を見れば、これは何かあると思わないほうがおかしいわい。今まで誰にも言えぬことだったのであろうが、ここにはワシらしかおらん。思うところがあるなら余さず述べよ」
そういわれては隠し通すことも出来ないと、ホルストは今まで話すことの無かった真実を語り始める。
「リヒャルト俺は知ってんだよ。リーナが俺と結婚の約束をしている間柄だと知りながら、お前が裏で手を出していたのをさ」
「な、な、何を馬鹿なこと言ってんだ!」
「そうよホルスト、何かの間違いだわ」
夫妻は必死にそれを否定しているが、ホルストはある日二人が校舎の裏庭で抱き合ってキスをする場を見てしまったのだという。
「爵位も無く下っ端役人で一生を終わるアイツより俺のほうがいい暮らしが出来る。だっけか、リヒャルト?」
「言ってない、そんなこと言ってない!」
「頭でっかちの俺よりリヒャルト様のほうが何倍も素敵。だったよな、リーナ?」
「違う、違うのよホルスト」
証言に対して違う誤解だと繰り返す二人だが、次第に証拠はあるのかとこちらを責めるようになってきたので、仕方なく他にも証人はいるんだぞとホルストは言う。
「デルマだよ。彼女が教えてくれた」
その言葉に、何故ここで妻の名前が出てくるのだと訝しむ二人の姿に、本当に何も覚えてないんだなと呆れるホルスト。
「あの子、1年下の後輩だぞ。本当に覚えてないみたいだな」
デルマは学園の後輩で、ホルストと共に生徒会活動に従事していた。
そんな彼女がある日のこと、リヒャルトとリーナが仲睦まじくしているところを偶然目撃。先輩にとっての婚約者と友人の情事を本人に話すべきか迷ったものの、それからも何度となく二人が一緒にいる姿を見てこれは怪しいと確信し、二人がよく現れる時間を調べたうえでホルストとともに現場を確認したのだと言う。リヒャルトとリーナの婚約が発表されたのは、それから間もなくのことだった。
「ホルスト、それはまことの話か」
「残念ながら私と妻が見聞きしただけなので、証拠はどこにもありません。故に陛下がどちらの言をお信じになられようとも、臣が異議を申し立てることはございません」
「ではもう1つ。それが真実だったとして、何故言わなかった」
「リヒャルトには裏切られましたが、御父上には大変お世話になりました。要らぬことを騒ぎ立てて、婚約が破談となるのは私の望むところでは無かったからです」
ホルストが真実を言わなかったことで、自分たちの都合で婚約解消となったと思った両家は賠償金を支払うとの申し出をしたが、彼は丁重にお断りをした。表向きには二人の門出を邪魔したくないという建前だが、本音は二人から金を恵んでもらうのが嫌だったからということ。
「真実を知らぬ両家の当主に男爵家へ借りが出来たと思わせる狙いもあったので、あえて言わなかったとも言えますな」
「ホルスト、貴様!」
「侯爵閣下は何を怒っておられるのか。貴殿は先ほど浮気などデタラメだと仰っていたはず。そうであれば今の話は友のために身を引いた友情の美談で済みましたでしょうに。自己満足のために私と関りを持とうとしたせいで、この話を出さざるを得なくなったのです」
ホルストが言う通り、浮気の事実が無かったとしても彼が婚約解消となったことに変わりはなく、当然賠償金という話になる。頭がお花畑のリヒャルトは、彼に浮気の事実を把握されていたことなど露知らず、賠償金を断ったのは真に友情からくる思いやりだと思い込み、なんとか償いをしたいと本気で思っていたからこその行動だったのだ。
だがホルストは違った。婚約解消は仕方ないとはいえ、浮気されていたという事実は許せるはずもない。
それでも世話になった侯爵家の名誉のため、ただひたすら二人に関わらないことで秘密を守ろうとした。そして関わり合いにならないでくれというサインをリヒャルトに向けて出し続けていたのに、相手がその想いを汲み取ることなく関わろうとしてきた。それも出世させるという自己満足の償いの代償として、愛する妻と離縁するなどという馬鹿げた提案で。
「デルマは私が心配だからと学園を卒業してすぐ、私のもとへ来てくれたんだ。放っておいたら仕事に没頭しすぎて死んでしまうんじゃないかってね。健気じゃないか」
「実際にあの時の旦那様は死にそうな目をしていました」
「そんなに酷かったかい?」
「自覚がないなら尚更そういうことです」
仕官を果たし地方の官庁でバリバリ仕事をしていたホルスト。1年目の新人とは思えぬ鬼気迫る仕事ぶりに、裏事情を知らぬ周囲は失恋の痛手を忘れようと必死なのだなと見ていたが、1年後にデルマが訪れたときには今にも死にそうな淀んだ目をしていたようで、このまま一人にはしておけないと彼女が甲斐甲斐しく世話をするようになり、紆余曲折を経て晴れて夫婦となったのである。
「そんなの……ただの同情心じゃないのよ!」
「お前が言うな!」
弱みに付け込んだだけではないかと言うリーナに対し、どの口がそれを言うのかと激昂するホルスト。まだ仲の良い友人であった頃には一度たりとも見ることの無かった、彼の内なる一面をまじまじと見せつけられた侯爵夫妻は返す言葉もなく黙り込む。
「貴様らが……デルマの何を知っていると言うのだ。辛いときには助け合い、苦しいときには支えあい、嬉しいときは共に分かち合った、私にとってただ一人の妻だ! 出世のために離縁して、それで私が喜んで貴様らに感謝するとでも思ったのか。恥を知れ!」
ホルストの怒気に気圧される侯爵夫妻。それでも何とか声を振り絞り、「子を成せぬ妻に何の価値が……」と呟くリーナの声に宰相が即座に反応した。
「ん、誰が子を成せぬと? デルマ殿は懐妊しておるぞ」
パーティーへの出席を打診されたときに言っていた妻の不安とはこのこと。少し前に妊娠が判明していたのだ。
「だからあのとき『妻の体調が良くない』と申し上げたはず。悪阻ですよ。もっとも、あの日は夫人の言葉の方が余程体に堪えたみたいですがね……」
そう言うと、リーナの眼前にグイッと顔を突き出して、「随分と悪し様に言ってくれたな」と睨み付けるホルストに向かい、国王が「ならばそなたはこれからどうしたいのか」と問いかける。
「私は侯爵ご夫妻との関わりが断てればそれ以上は何も望みません。無論、伯爵家からの申し出も無かったことにしていただきたいですが」
「それで良いのか?」
「元より私事の話。公に罰を与えて欲しいとは思いません」
更に言えばリヒャルトは自分への対応こそ間違えていたが、元は才能のある人物なので、こんなことで彼のキャリアを無駄にしたくないというホルストの言葉を、国王は只々黙って聞いている。
「相分かった。リヒャルト、リーナ聞いたな。道は違えどもかつては友であった者の想いを余は尊重する。それを無駄にするでないぞ」
「……ははっ。ご温情に感謝いたします」
◆
こうして騒動は決着を迎えた。あくまでも私事の諍いであるからというホルストの願いにより、侯爵夫妻はその場で国王から内々に叱責を受けただけで終わった。
のだが……人の口に戸は立てられぬもの。ホルストが啖呵を切って退職願を叩きつけたことや、彼が宰相府から別の官庁に異動したこともあって、侯爵夫妻の結婚にまつわる話や伯爵家の婿養子の話が、噂の噂レベルで囁かれるようになっていった。
公には何の処分も無いものの、これらの噂は侯爵家や夫人の生家に小さな棘として刺さるには十分で、その程度で屋台骨がぐらつくまでは行かずとも、暫くは頭痛の種となるであろう。
国王の心象も悪くなったであろうが、後はリヒャルトとリーナのこれからの努力次第。二度と私的に会うことは無いが、彼らの将来に幸多からんことを願うホルストであった。
〈それから5年後〉
「おと〜さま〜、おしたくができました〜」
「おお二人共よくできたね。偉い偉い」
あの後、デルマは男女の双子を出産。ホルストは子の成長を待って、再び地方の官庁勤めに戻った。
ただ、かつてと違うのは一役人としてではなく、長官として。
中央での功績を認められ、彼は男爵に叙爵されたのだ。最初こそあの一件の迷惑料代わりにくれるのだと思い拒否していたが、宰相から「お前が受けねば後に続く者がやりにくくなる」と言われて渋々受けることにした。
しかし管理職となったおかげで、彼の所掌する範囲が格段に広がり、長官として初めて赴任したこの地でも今まで以上に目覚しい成果を上げた。そして、今まさに次なる赴任地へと向かう途中なのだ。
「おと〜さま、つぎはどこのまちにいくのですか?」
「次は海の見える街だよ」
「うみ〜!」
「うみ〜! うみ〜!」
「ほら、二人共お父様の邪魔をしてはいけません」
「は〜い」
はしゃぐ子ども達を窘めるデルマ。その大きく膨れるお腹には、新たな命が宿っているところだ。
「デルマ、次の赴任地に着いたら、リヒャルトに手紙を書こうと思う」
あれから侯爵夫妻とは約束通り一切の交流を断った。一度だけ彼らから届いた手紙は、これまでの非を悔いた詫び状であったが、今に至るまで返事は書けずにいた。それを書くという夫に、妻はどういった風の吹き回しでしょうと問う。
「子供を持つ親になって、昔のことにずっと縛られるのも良くないなと少し思ってな。会いたいとは思わんが、手紙の一つでも送ってやるくらいは、な……」
「よろしいかと思います。いずれ都に戻る日も来るでしょうから」
「いや、都には戻らんぞ。あそこの水は性に合わん」
「あらあら、宰相閣下が泣きますわよ」
かつてはリヒャルトから度々王都へ招聘の声がかかったが、今では宰相から度々「戻ってこ〜い」と声がかかっている。掛け値なしで仕事を手伝って欲しいのだろう。
「リヒャルトには悪いが、もうしばらくは都に戻らん口実に使わせてもらう」
「旦那様のご随意に」
「苦労をかける」
「何を今更。そのつもりで妻となったのです。地の果てまでも共に参りますわ」
この後もホルストは長年地方官庁の長官を歴任し王国の発展に貢献。後世「地方行政の神」と呼ばれるようになるのだった。
「おと〜さま〜、はやく〜」
「ハイハイ、今行くよー!」
理解はするけど納得はしない~頭と心は別物ですから 公社 @kousya-2007
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