順番
木曜日、双海真二の葬儀と、ちょうど死んで一週間と言う事で初七日がまとめて行われた。
と言っても参列者は、私と武川さんと三村さん夫妻だけ。いや正確に言えば刑務所にいた時の看守さんと五味啓太郎を逮捕した警察官がいたが、その二人を含めても六人だけ。
久美も桃井さんもいない。
本来ならば喪主の役目を果たすべき私はその役目を三村さんに丸投げしてその他大勢状態。
涙がまるで出て来ない。一週間前に見た時もそうだったが、十八年間親として接して来た人間とは思えない位別人になっていた。
遺影の写真もまたしかりだ。看守さんの話によれば撮られたのは四年前、出所した時だと言う。
まあもっとも、悲しみがあるにせよないにせよ一週間も経てばある程度心も落ち着くと言う物であるが、それにしても三村さんの顔は異様だ。
まるで本当の父親の葬式であるかのように悄然とし、かつその悲しみを必死にこらえているような顔をしている。
「昔っから仕事仕事だって言って勝手に私と遊ぶ約束を反故にして、勝手に人の部屋に入って来て勝手に人の携帯とか見に来て、それで勝手に人殺しになって、それで勝手に死んじゃって、いつだって勝手なんだから」
それがまごう事なき本音であり、私なりの弔辞だった。唯一無二の親族として弔辞をお願いしますと言われた所で、これ以上の物は思い付かなかったし、そんな気にもならなかった。
「さすがナンバーワンホステスさん、気配りが行き届いてますね」
「最近どうも仕事が少なかった物で、つい……」
私にようやく活気が戻って来たのは、退屈極まりない葬式と初七日を終えて会食になってからだった。
私は葬儀場の人を差し置いて接客業の本気を見せてやると言わんばかりに水を得た魚の如く振る舞った。
「あらそう、昨日も仕事でしょ?帰ったのは多分今朝の二時とかじゃなかった?」
「いつもの事ですし」
「まあねえ、仕事熱心なのはいいけどたまには少し休んだ方がいいわよ」
「この七日間で今日と一昨日も含めて五日も休んでるんですよ、それに明日も休みなんでしょう?もう十分休みました」
「ああそうなのね、じゃあ来週の休みは定休日の日曜だけでいいわね」
「もちろんです」
仕事でもしないとやっていられないと言う気持ちがある。
(もう何もかもおしまいにしたい、後は六角さんの親類縁者を見つけて……)
何一つ償いをせず勝手にこの世を去った人間の尻拭いを終えなければ、私はその人間と同じろくでなしになってしまう。それだけは嫌だった。だからこそ、その為の伝手を見つけるまではゆっくりしている暇はない。
だが私がそう決意したのを感じたかのように、看守さんや三村さんの旦那さんと話をしていた武川さんがこちらに話を向けて来た。
「それで光江ちゃん、あなたお酒は?」
「いえ結構です、私プライベートでは飲まないんで」
「そう、あなたって本当に身が固いわよね。ホステスにしておくには実に惜しいわ。この世界に引きずり込んだ私が言うのも何だけど」
「いえいえ、私は続けられる限りホステスを続け、武川さんの為に」
「武川さんの為に……ねえ。あなたお客様を何だと思ってるの?」
「それはもちろん、お客様は私たちの手をもって日頃の疲れを癒してあげるべき大切な存在で……」
「じゃあ自分は何なの?」
「私は双海光江、クラブ123所属のホステスです!」
「ちょっと武川さん」
「あら失礼、この子は昔っからこうやって真面目なんで、だからこそ人気ナンバーワンなんですけど」
そしてこうやって簡単に手玉に取られてしまった。人間としての貫録の差か、接客業としてのキャリアの差か、それとも八年間の付き合いが成せる業だとでも言うのか、あっと言う間に私は武川さんのペースに絡め取られ、お酒を一滴も飲んでいないのに耳まで赤くしてしまった。
翌日、火葬が行われた。私は唯一の身内として箸で遺骨を取り、骨壺へ放り込んだ。
事前に三村さんと打ち合わせをした通り、その遺骨は全て共同墓地に埋葬され、費用も三村さん持ちである。私は最初に供養料及び二年間分の会費として十万円を支払い、それが三村さんとの手切れ金にもなるだろう。
「結局、今日も昨日もこの六人だけね」
「そうですね……」
「まあ、因果応報って奴じゃない?」
「因果応報ですよね」
「もうどうでもいいんじゃない?あなたに対しても」
もし普通に野垂れ死んでいたら、葬式さえも行ってもらえなかったであろう人間にしては随分と恵まれた葬られ方だったと思う。
それでも人殺しなんぞせずに真っ当に生きて公務員をやっていたら、もっともっと多くの人間がやって来てくれてその死を悲しんでくれただろうなと思うと言わない事かと言う気分にもなる。
「それにしてもね、まああなたも人の子だしね、そんな汚い事をさせるつもりはなかったけれど、三村さん夫妻には私の方から名刺を渡しておいたわ。それで、あなた今貯金いくらぐらいあるの?」
「こんな所で唐突に何を」
「いや突然気になっちゃったのよごめんね」
「えーと、確か1000万円ほど」
「あのね、使いなさいよ何かに」
武川さんは実に抜け目がない。従業員の父親の葬式と言う場を利用してまで自分のクラブの存在をアピールし、売り込みを図っている。
だがそういう人が火葬場帰りのバスの中でお金の話をするなどどういう事だろうか。正直に答えて武川さんを沈黙させた私も悪いのだろうが、何を思ってここでそんな事を言って来たのかわからない。
しかし実際問題、その1000万円を何に使ったらいいのかわからない。豪奢な服も靴も、派手な化粧品や香水も、全て商売道具。腹筋のマシンだって似た類の物。
「あのね、私だって本当は結婚したいのよ、でも今さらこんな糖が立った四十七の女を欲しがる男なんていると思う?」
「そんな謙遜しなくとも、武川さんは色気と話術がありますし、それにクラブを立派に経営していますし」
「そういう方向にばかり進んで来た結果、私は今の今まで独身なのよ。あなたもいい年なんだからそろそろいい人を探しなさい」
「そう言われても」
「ったくもう、光江ちゃんはいつまで十七歳のつもりなの?あなたはもう二十六なのよ。地位もキャリアも現金もそれなりに手に入れて、他に何かする事はないの?」
「えーと…………」
実際、1000万を超える貯金を自分の為に使う気は全然起こらない。あくまでもこの貯金は自分の中の誠意を示す為の指標。それを病気や怪我などののっぴきならない事情でもない限り勝手に取り崩すなど怠惰その物であり、何よりの禁忌である。だからこれまでの八年間貯金額を増やす事はあっても、引き出した事はなかった。
次の日は久しぶりの仕事、それもフルタイム。
「明日は日曜で定休日なんだけど、何か予定はあるのかい?」
「何もありません」
「それじゃ思いっきり飲み明かそうじゃないか」
久しぶりにと言えば、この日は九日ぶりに市川さんと顔を合わせた。相変わらず市川さんは羽振りがよさそうで、今日もたくさん注文してくれる。
「市川さんの所って繁盛しているんですね」
「しっかしさー、この前ちょっと危ない事もあってね」
「危ない事って」
「実はライバル企業から首を切られたと言う奴がうちの会社に来たんだけどさ、それがとんでもない奴でな」
「何かデータを壊しちゃったとか」
「壊すよりもっとひどい事をな」
「まさか産業スパイ……?」
「そうなんだよ、うちの機密情報盗んで元いた会社に伝えようとしたらしいんだよ。そのせいで先月なんか三件もそいつが元いたとこに出し抜かれちゃってさ。まあとっさに解雇したせいで被害はそこまでで済んだっぽいけど………………ったく油断も隙もないよ」
喰うか喰われるか。それが資本主義社会であり、競争社会と言う物だろう。その為にはありとあらゆる手を使って自社の利益を高め、またライバル企業の利益を奪おうとする。
もちろん産業スパイと言うのは正しくない手段ではあるが、考えておかねばならない話でもある。
「それでさ、哀れなのは人事部の連中だよ。産業スパイを見落とすとは何事だとか言って幹部から怒鳴りつけられ、それで他の部からは冷視されるしで青菜に塩だよ」
「大変ですね……」
「…………ったく、女は怖いよね」
「女は怖い?」
「いや何、その産業スパイが女だったんだよ。情報についての真偽は俺のとこには上がって来てないけど、人事部長を色気でたぶらかしたらしくてさ」
「ハニートラップですか?」
「ああ。三十二で人事部長になったせいか仕事はできるが恋愛経験がとんとなくてな、それであっさり引っかかちまってな。光江ちゃん、付き合ってる男はいるのかい?」
「いえ」
「おいおいまだかよ、俺一年でこの質問二十回ぐらいしてるぞ。一体いつから付き合ってないんだ?」
「十年前……」
実際は二十六年だ。中高一貫の女子校に入っておいて彼氏を作るのは難しい。
高校の頃になるとクラスにも何人かいたようだが、私の様に恋愛に関心の薄かった人間が彼氏を作るなど不可能だった。
初恋そのものは小学校の時に教師に一目ぼれして済ませたが、三年生になった時にその教師が結婚した事により終ってしまった。
「するってーと高校の時以来かよ……ったくどいつもこいつも阿呆ばっかだな、こんないい女をほっとくなんてよ」
「いい女だなんて、おだてないで下さいよ」
「おだててないっての。でさ、好きな男ってどんなタイプよ」
「えーっと………………ガンジーですかね?」
「おいおいそいつは流石にジョークだろ、ガンジーって」
「いやその、非暴力不服従ってかっこいいかなって」
「まあまあ、いいネタを聞かせてくれたお駄賃をやろう。ママ、シャンパン2本追加」
もし私と結婚し、そして私が子どもを産めばどうなるか。
夫やその子供は、人殺しの娘婿や孫と言う負債を背負って生きて行く事を強いられる。絶対に下ろす事が出来ない大荷物であり、人生を生きるに当たってマイナスになりこそすれプラスにはならない。そんな目に遭うのは私一人で十分であり、他者に味合わせるような下賤な真似をしたくはない。
久美は隣のテーブルでぶつけられた同じ質問に対して伊達政宗と言って受けを誘っていた。最近の戦国時代ブームで理想の男性は戦国武将とか言う女性が増えたらしいけど、私は理解できない。
何せ、戦国武将と言うのは人殺しが生業である。確かに現代と違って殺されなければ殺されるような時代とは言え、全身に返り血を浴びた人間から平和や正義を聞かされても虚構にしか思えない。
(私は五味啓太郎と言う人間を恨む気にはなれない、でもそれは私が殺人犯の父親によって人生を狂わされた娘と言う、特別極まりない環境の人間だから。
普通の仲良く過ごして来た家族が、家族の一員を殺した人間に対して悪感情を抱かない訳がない)
どうして被害者である自分たちは不幸なままなのに、加害者は幸福になるのか。あまりにも理不尽な話である。
もし私が六角さんの親類縁者だったら双海真二の事を憎むし、そして許さないと思う。
「なあ光江ちゃん」
「どうしたんですか市川さん」
「恋愛したくないの?」
「…………はい」
本音を覆い隠してもしょうがなかった。今の、いやあの時からずっと私に許されているのは武川さんへの恩返しと、六角さんの親類縁者に対するお詫びを行う事だけ。
そしてまず何より六角さんの親類縁者に詫びて許しをもらわねば、武川さんへの恩返しはいいとしても自分一人の幸せの為に動くなどと言う自分勝手極まる真似は出来ない。
「どんなこっぴどい男に出会ったんだい?ったく大変だよねホステスって職業は」
「いやその……」
「あー悪いね、俺ってば無神経な事言っちゃってさ。ママ、ここにおつまみ二人前追加」
骨身を削ってお金を稼いでいると言えば聞こえはいいが、実際は自分の殻に閉じこもって弱みを覆い隠して逃げ回る滑稽な姿を見せて同情を引いているだけの話であり、馬鹿にされても全く反論できない。
しかし六年もホステスをやればそんな負の感情を覆い隠す事にも慣れてしまう物で、その後私は内心の劣等感と罪悪感を心の奥底にしまい込みながら市川さんを含むお客さんの応対を終えた。
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