加害者家族兼被害者家族

「買い物の途中だったんですか?」

「はい、そうでして……」

「三村さん、こちらが双海光江さんです」


 また昨日の警察官だった。しかも今日は一人の女性を連れて私の家に来ている。


「初めまして、私は三村和美って言います」

「双海光江です」


 三村と言う底の厚い眼鏡をかけた私と同い年ぐらいの女性が丁重に頭を下げると、警察官は話がまとまったらお願いしますと言いながら去って行った。


「出来合いのお茶しかありませんけど」

「ありがとうございます」


 それで三村さんを先にテーブルの椅子に座らせてペットボトルの緑茶をコップに注ぎ、すみませんお待たせしてと頭を下げながら小さな冷蔵庫に買って来た物をしまい込み、そしてようやく三村さんの向かいの椅子に腰を下ろした。


「随分ときっちりとしたお部屋で羨ましいですね。私の家などはもう……」

「物がないだけですよ。私123ってクラブに勤めてるんですが、衣装だけでかなりのコスト取られちゃって余裕なんてなくて」

「ああすみません、それで用件なんですが」

「どういう用件でしょうか」

「双海真二さんは、確かに双海光江さんのお父様なんでしょうか」

「一応そうですね」

「では、私に真二さんの遺体を引き取らせては頂けないでしょうか」

「はぁ…………」


 初対面でいきなり人の父親の遺体を引き取りたいとはただ事ではない。私はその言葉を聞いて溜め息を吐いたきりしばらく硬直した。


「父とどういう関係だったんです」

「いえ、その……単にですね……」

「すみません」

 あんな人間の遺体を引き取ってどうしようと言うのだろうか、埋葬でも行おうと言うのだろうか。

 一体何をやらかせばそんな親密な関係になれるのか。

 人を人殺しの娘にまで貶めた挙句出所してなお人に迷惑をかけようと言うのかと言う苛立ちで、硬直が解けた私の口からは喧嘩腰その物の口調で言葉が吐き出された。三村さんの狼狽ぶりを見て慌てて謝ったものの、依然として不可解な気持ちは消えない。


「よろしいでしょうか、実は昨日の夜八時半ごろ……」

「何があったんです」








 その日、三村さんは仕事が長引き帰宅が遅れてしまっていたらしい。


「それで一刻も早くうちに戻ろうと思って、あの人を待たせたくなくて」


 結婚してまだ三ヶ月だそうだ。さぞお互い燃え上がっていてできる事ならば一秒たりとも離れたくないのだろう。


「それで裏道を通ったら、変な男に出くわしまして」

「変な男って」

「三十歳ぐらいの、夜でもわかるぐらい目が大きくて歯並びが悪くて耳が大きな男が、いきなり私の前に立ち塞がって来てですね、何だよ姉ちゃんこんなとこでとぼとぼ歩いてとか言いながら近寄って来て、それで」


 そこで突如三村さんはハンカチで口を押さえた。私がつわりですかと聞くと三村さんは口を押さえて苦しそうにしながら頷いた。


「……失礼しました。それでですね、今から帰る所なんで邪魔しないでくれますかって言ったらその男はまだ夜はこれからだぜ、家に帰ろうだなんて堅苦しい事言わずにさ、俺と一緒に遊んでくんねえかって……そしてちょうどその時、さっきのようなつわりの症状が起きてしまいまして……そうしたら」


 その瞬間、やはり夜でもわかるぐらいに男の顔が紅潮したそうだ。

 ナンパ同然の文言を言ってくるぐらいだから、男に彼女はいなかったのだろう。


 その彼にとって目の前でつわりを見せられると言う事は、自分が目を付けた女が既に人様の物になっており、かつその腹の中にその人様の精子を宿した何者かがいると言う事を見せられているのに等しい。


 そして、夜中にいきなり帰り道を塞いでまで声をかけようとする男が、それで何だもう遅かったのかよと諦めてくれるほど潔いはずもない。


「何だお前、そのつわりってのは俺に対する嫌味か?」


 男はそう言いながらナイフを懐から取り出し、大きな目を据わらせながらにじり寄って来たと言うのだ。


「俺のプライドをスパイク靴で踏み躙りやがった罰として俺のもんになれ、それが嫌なら財布の中身を全部寄越せ。死にたくねえし、殺したくねえだろ?」

「…………それで」

「その時です、ゴツンと言う音がしてその男が怯んだんです。後ろを見ると男の人が早くお逃げなさいと叫んだので脇目もふらずに逃げ出したんです」

「まさか」

「はい、その後の事は耳でしかわかりませんが、どうやらその男が邪魔しやがってとか言いながらナイフで真二さんを刺していたようで……それで警察官の人が駆け付けて来た時にはすでに出血多量でひん死の状態で」



 その後病院に運ばれて程なく死んだらしい。


 この辺りでなんとなく話が分かった。要するにこの三村さんが襲われている所にたまたま出くわしたあの男は、持っていた何かを三村さんを襲った男に投げ付けて怯ませ、そして三村さんの身代わりのように襲われて命を落としたと言う話のようだ。


「警察の方によると財布の中に保険証が入っていたそうです、それで身元がわかりまして、あのもしもし」

「すみません、お腹の赤ちゃんは」

「大丈夫です、問題ありませんでした」

「ところでつわりっていつぐらいから起きる物なんですか、私そういう知識がないので」

「妊娠ひと月からぐらいらしいですよ、それで三ヶ月ぐらいで消えるそうですが」

「それでですか……」

「はい、真二さんは私とお腹の中の子の命の恩人です」


 視線を三村さんの腹部に向け、話をつわりの方に向けたのは私の現実逃避だった。

 あの時、一人の人間の命と私の将来の大半を自分勝手に奪い取って私の目の前から去って行き、そしてこれまた自分勝手に二人の人間の命を守ってこの世から去って行った。全くどこまでもずるい男だ。


「旦那さんは」

「そちらさん次第だと言っていましたけど、おおむね前向きでしたよ。もちろん多少お金はかかるようですけど私とこの子の命の代金と考えれば」

「葬儀は」

「もちろん私たちの手でやりたいと思います」


 双海真二と言う男性が確かに自分とやがて生まれる子供、二人の命を守った事は間違いない。

 とは言え住所不定無職の人間の遺体を引き取り葬儀まで行おうなどあまりにも人が良すぎるんじゃないか。


「あの、三村さんは双海真二と言う人間が何をしたがご存知ですか」

「一応存じてはおりますけど、かつて刑務所に入っていらしたとか」


 警察で聞いたのだろうが、ここまであっさり言われると却って拍子抜けである。


「父が殺した六角平太さんの親族に対し、私は全く償えていません。私は父が逮捕されてから今まで全く連絡を取っていませんでしたが、おそらくは私と同じように何もできていなかったのでしょう」

「あの、それで……」

「ですから………………」


 ですからそんな人間の遺体を引き取ったら奥様の名前に傷が付きますとか、ですから私が実の娘として責任を取りますとかと言う言葉がどうしても出て来ない。

 双海真二と言う人間は三村さんにとってあくまでも自分とお腹の子の命を守ってくれた英雄であり、それ以外の何でもなかった。

 双海真二が一人の人間の命を奪い、実の娘である私の人生を大きく歪ませた事などは関係なく、ただただ素直に感謝の念を込めてこんな事を言っているのだ。


「……………えーと、申し訳ありません、あの…………光江さんは真二さんの遺体をどうしたいんです?」

「どうしたいって………ちょっと待ってください」


 本音の所を言えば、どこかにやって欲しかった。

 正直、私は死ぬまで二度とこんな男の顔など見たくなかった。だからこれまでと同じように、私の知らない所に追いやってそれっきりにして欲しかった。

 その点で言えば三村さんの提案は渡りに船だとも言えたが、それでも私は素直に頷く気にはなれない。かと言って自分が引き取るなどなおさらの事論外である。


「父が殺した六角さんの親族に当たりが付いて、私の手から償いができるまでは待っていただきたいと……」


 結局、そういう言葉しか口にできなかった。


「そうですか、良かったら私もお手伝いしますよ」

「……いえいえ、お手を煩わせずとも結構ですから……」


 三村さんの誠意には裏も表もなく、ただただ単に双海真二と言う人間を自らの手で安らかに眠らせたいと考えているだけだ。

 その純粋な思いに対して私は償いとか何とかいうもっともらしい理屈をこねて拒絶している。




 懲役五年。それが双海真二と言う人間が犯した殺人の罪に対し、日本国の裁判所が与えた処罰。それを終えれば、公的には罪を償った事になる。

 でも、だからと言って五年間牢屋の中にいただけで被害者の親族や親しい物に対しての償いができるかと言うと全く別問題であり、むしろ公的な償いが終わってからが私的な償いの始まりである。


(住所不定無職の人間の足跡を追うのがあんなに難しいなんて……)


 私だって六角平太と言う人間の親族を探そうとした事はある。でも彼の父母は九年前の段階で既に死んでおり、そして兄弟姉妹もいなかった。

 そして父母も一人っ子であり、それらの父母も既に泉下の住人だった。


 その事を警察から聞かされて以来、私は六角平太の親族探しを半ば諦めていた。


 四人の祖父母の兄弟姉妹及びその孫子と言う方向がない訳ではないが、親のいとこやその子供となると余りにも疎遠すぎる。六角平太の財産が死後どこに行ったのかわかれば良いのだが、行き場がある財産があれば住所不定無職なんかになるはずがない。

 それでも社会人になりお金ができた今ならば探偵なりを雇って追跡させることは可能なはずだが、それすらもせず私は仕事にかまけている。償う相手も見つけようとせずに償いの為の仕事を続けるなどお笑い以外の何でもない。

「そうですか…………では……………」

「あっいえいえ、手伝って頂けるのならばそれに越した事はないんですが、何せその、六角さんは、結婚していなくて、兄弟もいなくて、父親も母親も一人っ子でその上……」

 三村さんの心底からの真心を拒絶する為だけに、私は脳みそと舌を回転させていた。

「どうしてもダメなんですか」

「申し訳ありません、いろいろ唐突過ぎて……」

「わかりました…それではこの話はまたいずれ…………」


 私の何の意味もない一方的な拒絶に対し、ようやく音を上げた三村さんが席を立ち淋しそうに背中を向けた。

 だがその無念で膨れ上がっていたように思えた背中は私の安っぽいプライドにのしかかり、そして簡単にへし折った。


「いやいや、いいです、いいです!わかりました!お任せいたします!」

「そうですか、でも六角さんの」

「それは私の手で何とかします、三村さん、父の事はよろしくお願いいたします……!」

「ありがとうございます。ではまたいずれ」


 私は悪さを咎められた子どもの様に、慌てふためきながら了解の返事を下した。それに対しての三村さんの爽やかかつ穏やかな表情と来たら、正しく好対照だった。




 仮にも私は社会人であり、自分一人とは言え一家の主だ。それが死んだ親の処置すらまともにできないなど情けないにも程がある。


(武川さんに相談できればいいけどな……)


 今の私にとって寄りかかれる存在がいるとすれば武川さんしかいない。しかし、その前に問題なのは自分が何を望んでいるのか、正確な答えが出て来ていないと言う事だった。

 悪い奴ほどよく眠るとか憎まれっ子世にはばかるとかよく言うが、人間一人の命を奪った輩がこんなにあっけなく死んでいいのだろうか、しかも二人の命を救うと言う余りにも格好の良すぎる死に方で。

 無責任と言うより、神経の逆撫でではないか。


 双海真二と言う人間は既に死んでいる。だからこれ以上、自らの手によって評判が上下する事はない。

 さらに言えば、殺人犯と言う時点で世間的な価値は最低に近い段階まで落ちており、これ以上何をやってもそうそう評価が下がる物ではなかった。出所してからの四年間どこで何をやっていたのかは知らないが、また刑務所に入るような事をしていれば私の所にそれ相応の連絡は来るはずであり、それがなかったと言う事は一応まともに暮らしていたのだろう。その上にあの最期である。

 見知らぬ若い女性と、そのお腹の中にいる新たな命を守って死ぬ。

 命を無駄にするなとか何を今更中途半端に偉ぶってるんだとか文句を付けるのは勝手だが、少なくとも絵にはなる死に方ではあり、実際三村さんの心を掴む事に成功した。私や六角さんの親類縁者にまともに詫びる事もせずにだ。

 犯した罪によって悲しんだ人間への償いを、こちらが満足するまで続けて欲しい。身も蓋もない言い草ではあるが、それが被害者感情と言う物ではないか。もちろん程度と言う物はあるにせよ、殺人と言う罪を考えれば相当な要求をしてしかるべきだろう。


 人殺しの上にあの世へと勝ち逃げした卑劣な男を父に持ってしまった悔しさを晴らすべく、明日明後日も休みである事にかこつけて、私は店に来るお客さんのように酔っぱらって憂さを晴らしてやろうと思った。

 だが仕事以外で全く酒を飲んでいない私の家には一本も酒はない。水とお茶以外の飲料と言えば、武川さんが店のみんなに勧めてくれているライフウィズユー、通称LWYの健康ドリンクだけだ。仕方がないから買って来るかとばかりにドアを開けようとするや、またスマホが鳴り響いた。

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