被害者家族として、加害者家族として
五味啓太郎、三十一歳。職業、無職。
それが父を殺した男の身の上だった。
三村さんが言っていた通り、目が大きくて歯並びが悪くて耳が大きな男だ。
「本人は最初否定していましたが、返り血が付いた靴を見つけられて落ちましてね。まごう事なき双海真二さんの血液でした。
マンションの隣人曰く、酒が入ると夜中でも大声を上げて暴れ回り、素面でも頭に血が上ると手に負えなくなる事も多かったとか。そして危険ドラッグも五味の部屋にありました。二年前に会社を辞めてから今まで、まともに職にも就かずそういう有様だったようで」
私の心の中に、わずかに安堵の気持ちが芽生えた。殺人犯と言う悪人のせいで、まともな人間が犠牲になるのは正直嫌だった。
人の事を悪し様に言う趣味はないが、ナンパを仕掛けて相手が妊娠中だとわかると強盗に変じ、更に止めようとした人間を刺し殺すだけでも目一杯問題だが、私生活でもアルコールが入っている時ならばまだともかく素面でもやたらと暴れ回り、挙句危険ドラッグにまで手を出そうとするなど絶対に親兄弟に持ちたくない人間だ。うちのクラブでもそういう客は願い下げだ。
「先程マンションって言ってましたけど、家族の方は」
「別に住んでいます。そして父親は既に亡くなっていて、母親と弟は健在です」
殺人事件の加害者の家族と言う特殊な立場の先達として、何が言えるだろうか。と言っても、とりあえず父親が残した被害者家族への補償と言う名の負債を返さない事には大きな事は言えない。
だが同時に、双海真二と言う大罪人にふさわしい死に方を与えてくれたことに関して感謝もしていた。
自分が被害者家族への謝罪と補償を済ませていない事を棚上げにして、私は五味啓太郎の母と弟への面会を求めた。
説教を垂れるつもりも、謝罪を要求するつもりもない。ただ単に顔が見たくなっただけだ。もちろん、向こうとしてみれば一番会いたくないだろう人間から会いたいと言われた所ではいそうですかと言って来る訳がない。
「今は遠慮させてもらいたいと」
それが当然の反応だろう。私だって十八歳の時にそんな事を言われれば同じ返答をしたはずだ。だが実際、いつになったら向こうの心の整理が付くのかわからない。実際、私自身被害者の関係者と会うのを伸ばし伸ばしにして今の今までかかってしまっているのだ。
「五味啓太郎の母親と弟さんは双海真二と言う人間の身の上をご存じなんですか」
「服役していたと言う事については知っているようですが」
期待と言うほど明るい物ではないが、揚げ足取りと言うほど汚くもないはず。そういう願望を込めて、双海真二が犯した罪と私がどうしても会いたがっている旨を素直に伝えるように警察官に頼んだ。
「……それで、どうしてもとおっしゃっているんですか」
「はい、どうしても会いたいそうです」
それでも渋っていた五味啓太郎の母親、美奈子さんを警察官の口を借りて強引に説き伏せにかかった。相手が望んでいるか否かは関係なく、時にはこうやって強引に押す事を必要だと六年間のホステス生活で学んで来た。
「此度は何とお詫びを申し上げるべきか……」
半ばならず強引に面会を強いて来た私に対して、美奈子さんはそんな言葉を投げてよこして来た。定型句その物の口上だが、他に言いようがない。
実際、私だって六角さんの親類縁者に対してどういう口上で謝意を示すべきかわからない。
「私だってそうです。父が殺人を犯してから九年が経ちますが、実の娘として六角さんの親族並びにその関係者一同にまるで詫びる事が出来ていません。もし父に償いを果たす気があれば良かれ悪しかれ何らかのメッセージが私に届いてしかるべきなんですが、死ぬまで何一つ届けて来ませんでした」
「ご自分の犯した罪ゆえ、ご自分で何とかしようとなさっていたのかもしれませんね。それをうちの啓太郎は……」
「四年間、父が何をしていたのか私は知りません。はっきり申し上げれば、そのまま野垂れ死にしてこの世からきれいさっぱり消えてくれればそれが一番好都合でした。殺人事件の被害者になると言うのは私としては正直因果応報とも思いますけど、啓太郎さんと言う他人とその家族や関係者の皆さんを巻き込んでしまった事に関しては正直失望と同時に怒りを覚えました」
加害者側としては、被害者の事を悪し様には言えない。あくまでも自分の身内が犯した罪によって、被害者がこれから享受するはずであったプラスの要素を奪い去ってしまったと言う構図の方が世間的に言って好都合だからである。
身内にも余所にも厳しいならばまだともかく、身内に甘く余所に厳しくでは誰も受け入れてくれない。なればこそ殺人と言う最大限の罪を犯した身内を最大限に厳しく批判する事によって、自分の身を守っているとも言える。
「先程初めて双海真二さんが殺人犯であった事を知ったのですが、一体どんな理由で人を殺したと言うのですか」
「襲いかかって来た六角さんと揉み合った末に逆に刺してしまった、そう警察の方からはうかがっています」
「正当防衛にはならなかったんですか」
「なりませんでした、すぐに自首した訳ではなくいったん家に戻って来てから再びのこのこ自首した上、何より本人があっさり認めてしまったので」
私もそれ以上の事は知らない。
「それならば刑が五年で済んだと言うのも納得ですね。警察の方にうかがった所、最初のナンパは別にどうでもいいし、ナイフを持ち歩いていたのはまだ許せるとしても、相手が妊婦だった事を知るやいきなり強盗になり、それを阻止された逆恨みでの犯行と言う余りにもひどい形での殺害の上にやり方が執拗、かつ未だに反省の意志がまるでなく、この調子では終身刑まであるとか」
「そう言えば職に就いていなかったようですけど」
「ええ、実は二年前に勤め先の会社が倒産してしまって、矢部健康ってご存知ですか」
「名前だけは……」
矢部健康はライフウィズユーのライバル企業であり、うちのクラブにもたびたび売り込みに来ていた。
武川さんがうちはライフウィズユーに決めているからねと何度言ってもしつこく売り込みにやって来ては追い返されを繰り返していた。
「あの子は中学生の時から矢部健康のヨーグルトドリンクが好きでしてね、採用が決まった時にはそれはもうはしゃぎ回ってたんですけど……それで一応ヨーグルトドリンク部門を買収したライフウィズユーに入ったんですけど、そりが合わないとか言って半年で辞めちゃって、その後はほとんど仕事をせず、最近になってやっと始めたバイトも三ヶ月で辞めてしまったようで……」
中学校時代からの憧れであった会社が入社してからわずか七年で倒産してしまった。
しかもその憧れの会社を潰した挙句事実上の傘下に収めたライバル企業に務めるなど、希少種になりつつあるほどに愛社心の強かった人間にとってはこの上ない屈辱だろう。
「三村さんって言う女性に声をかけたのもナンパって言うより、幸福そうにしている他人が許せなかったのかなと思います」
「そうですか……」
間が悪い人間と言うのはどこにでもいるなと思う。
もし五味啓太郎が三村さんと会う前に父に出くわしていたら、少なくとも五味啓太郎は父を殺さなかっただろう。あるいは父の身の上を聞いて、自分はこの男よりはましだと言う、格好のいい形ではないにせよ明日への希望を抱き立ち直れていたかもしれない。人殺しの末にホームレス同然に成り下がった男にどうやったら嫉妬できるのか、私はわからない。
「そういう極めてつまらない理由で双海さんの父親の」
「いえいえ、さっきも言いましたけれど私は大して悲しくありません。ただ死ぬ時でさえなおあなた方に迷惑をかける様なダメな父親で申し訳ないと言うのが本音で」
死後の世界と言うのを信じていない訳ではない、ただし立派に生きた人間には天寿を全うして大勢の人間にその死を惜しまれながら死んで欲しいし、よそ様を踏みつけにして卑劣な生をたどった人間には、死を喜ばれるまではいかないにせよ死体を処理する程度の事務的なやり方をもって処置して欲しいと言うのが生きている人間の素直な感情のはずだ。
その後色々話し込んで家に帰って来た時には既に午後五時になっていた。
と言っても私にとって午後五時は、サラリーマンの言う所の午前六時だ。適当に鶏肉としいたけ、人参を炒めて出来合いの味噌汁と安物の炊飯器で炊いた茶碗一杯のご飯を口に運びながらスマホを眺めると、いつものようにメールがたくさん届いていた。
お客様からのラブコールに対する返事を怠ってはすぐさまお客様の減少に繋がる。一種の習慣であり、仕事である。それで今日は私が明後日も含めて突然三日連続の休みになったと言うせいか、私を心配するようなメールが多い。
「光江ちゃん、体は大事にね。また元気になってボクらを元気付けてよ」
「にんげんだもの しょうがいないよね ミッチーもいろいろさ あるんだよね」
「オレらのエンジェルみつえちゃん、チア・アップ!」
多数のメールに対し私は一つ一つ丁重に返す。一通返すのに一分もかけていない、これもまた六年間のホステス生活で身に付いた一つの特技なのだろうか。
メールを返信し終わってふと外を見ると、夕日がその立場を誇示するかのやけにまぶしく輝いていた。いつもならば美容院やその他を巡って態勢を整えてからこの夕日を見届けつつ職場に向かう物だが、今日はそれはない。
それでもいつもの休みならばスケジュールを組み立てるだのする事もあるのだが今日はそんな気力も湧かない。
仕方がなくテレビを点けると、自分が小学生の時にやっていたアニメが映った。主題歌は当然変わりキャラもずいぶん増えていたが、主人公を始めとするメインキャラは全然変っていなかった。
懐かしさと普段こんな時間にテレビを点けない物珍しさからか、テレビから離れて見ろと言う警告を無視してむさぼるように見てしまった。
………面白かった。新たに出て来ていたキャラクターはわからないなりに解釈して、その結果随分と楽しめてしまった。
最後にこのアニメを見たのはいつ以来だろうか、確か中学に上がる時にきっぱりやめたはずだから、十四年ぶりか。それなのにテレビの中のキャラクターたちはまるで時が動いていないかの様に振る舞い続けている。
チャンネルを変えると天気予報をやっていた。明日も明後日も晴れ、降水確率0%。次に雨が降るのは五日後だそうだ。もっとも、この二月においては珍しい事でも何でもない。ありふれた天気だ。それで大体終わったとばかりにテレビを切ろうと思ったものの、正直する事がない。やむなくあちこちチャンネルを変えながらいい番組はないか探してはみたが、どれも面白くない。
それでも放送されているのは、面白いと考える人間がいるからなのだろう。この時間から仕事を始める私から見れば新鮮なはずであり、実際そうだったのだがどうも琴線に触れない。おとといお客さんが話してくれたドラマの放映日が確か今日であったが、それは二時間以上後の午後九時からである。それまでの時間何をすればいいのだろうか。
もしこんな時、趣味があれば退屈しなかったのかもしれない。武川さんの言う通り、何か趣味でも見つけるべきかと思った。もちろんこれまでだって連休はあった、でもその時も適当に運動して適当に料理でも作って後は寝転んでで終わらせていた。本を読もうにも、家にあるのはファッション雑誌と古本屋で買って来た料理本ぐらいしかなく、あと家にある物と言えば服や化粧品以外では型落ちのせいで安くなっていた腹筋の道具しかない。
もちろん時間は潰せるが、それだけで二時間も持つはずがない。結局、スマホを手に取って無料でインストールされているソリティアをやってみたが、連戦連敗。都合三十回もやっておいて成功が二回。連戦連勝など期待はしていなかったが、それにしても勝てない。
こういう時、他の娘たちはどうしてるんだろうか。恋人とデートでもしてるのか、友達と遊んだりしているのだろうか。私には恋人はいないし、友達と言えば店の同僚ぐらいしかいない、と言うかどちらも全く作ろうとしなかった。いるとすれば久美だが、彼女は今夜仕事で暇人の相手をしている時間はない。
こんなに長い夜など、それこそあの日以来だ。
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