最終話
防護服とヘルメットを装着したミナモトたち七人は、ホバクラフト式のカートに乗り込んだ。屋根のないカートの固定バーにしがみつきそれぞれに顔を見合わせて叫ぶ。
「出撃!」
シューと音をたてて発進するカート。見送る大倉博士の姿が遠ざかる。
ヘルメットを通じて博士の声が響く。
「緑地帯の天候は良好だ。荒れた環境しか知らない君たちの世代にとって、青空を見上げる喜びは何ものにも替えられない経験となるはずだ。地球からのせめてもの贈り物として受け取りたまえ」
裂け目の最深部、緑地帯にたどり着く。
周囲が熱に解けるのと対照的に常温が維持された空間。降り立ったミナモトたちが、ため息を漏らした。
天空に広がる一面の青い空。生まれて初めて見る空の色に心が洗われる。大昔の人々はこの空を見ていたのだ。それにこの澄んだ空気はどうだ。草の香りが混じり、吸い込むとこれまでに感じたことのない安らぎが胸に広がった。これが本来あるべき姿なのだ。
全員がヘルメットと防護服を脱いでいた。自然の恵みを全身に浴びたいと全裸で飛び回る仲間を見ながら、ミナモトは視線を移した。
緑の草がぽっかりと無い場所がある。ゆっくりと歩を進めて確認する。
そこには、赤みを帯びて脈動する亀裂があった。
「これが、地球の……」
「その通り」博士の声が答える。メンバーの右目に装着されたモニターレンズが、それぞれの視覚を博士に送っている。「これが、地球の生殖器官だ。その数は君たちの人数と一致している」
驚きの声。
しかし、ミナモトだけが違う驚きの声をあげた。
「なぜだ?」
エルメスが微笑みを浮かべて立っている。戸惑うミナモトだが、すぐにそれが幻であることに気づいた。彼女の姿が半ば透けているのだ。
「……ミナモト」エルメスが言った。「あなたは命を粗末にしている。博士のくだらない口車に乗って、大切な命を無駄にする気?」
轟音が響く。赤く焼けた山肌が次々と崩落を始めると、周囲の大地が揺れた。
「時間が迫っている」ミナモトは幻のエルメスに言った。自分でも信じられないくらい落ち着いた声だった。「行く道は違ったけど、どちらも自分の選んだ道だ。これでいいんだよ」
「やめて、ミナモト!」
エルメスの抗議にももう動じない。ミナモトは、地球の生殖器官に視線を移した。
躍動するそれは、極上のフェロモンを発散している。たちまち抑え切れない精力が五体を満たした。
大地が裂けた。空から無数の稲妻が落ちて来る。周囲の変動から守っている半円形のドームもそう長くは持つまい。ミナモトは大地の亀裂に張りつき、自らの精を放つ準備に入った。
エルメスの幻は消えていた。
これで、いい。俺は未来の種を蒔く!
先陣を切ったミナモトに、他の六人が沸く。
「ナーバスだったミナモトが先陣とは、やってくれるね!」オーランドが笑う。
そこへエンゲルが突っ込みを入れる「笑っている間に俺が二番手だ」
「野郎、そうはさせない!」ふたりはもみ合って大地に飛びつく。
ピエールがゆっくり、ワンとタンの手を取って生殖器官の前に立つ。
「さぁ、あんたたち。双子よ。地球に双子を生ませるのよ」
その励ましにワンとタンは輝くような笑顔を見せた。
「あんたたち……」ピエールの瞳に涙が浮かぶ。「湿っぽい言葉は嫌いだけど……本当にありがとうね。楽しかったわ」
そのやり取りにジャクソンが泣いた。彼はピエールたち三人を抱きしめる。まるで殺された家族を抱きしめるように。
そして、七人の男たちが大地に張りついた。
◇◇◇
大倉は万感の思いでモニターをながめた。
必死で腰を振る七人の男たち。滑稽と笑えば笑え。間抜けというなら罵るがいい。
こちらは真剣なのだ。心から地球の声に応えようとしているのだ。
大倉は宇宙に逃げた人類に向けて通信を開いた。電波環境は悪い。誰にも届かないかもしれない。だが、言わずにはいられなかった。
「今、七人の名も無き男たちが、大地を相手に腰を振る姿を誰人も笑うなかれ。いや、笑う権利は逃げ出した君たちには許されないだろう。何故なら、彼らはこの地球と運命を供にするからだ。わかるかねこの意味が。彼らは命を捨てて未来を創るのだ」
地球に変化が起きた。大地のあらゆるものが天へと吸い上げられる。渦を巻く大気が宇宙に拡散し始めたのだ。
大倉は家族で写るフォトスタンドを手にした。
……お別れだ。幸せにな。
大規模な地震。耳を振るわせる地鳴り。大倉の作り上げた施設が倒壊する中、彼の叫びはやまない。
「愚かなる諸君。宇宙大の真実をその眼に焼き付けたまえ!」
数時間後。地球は巨大な発光球となり、燃え尽きた。
コロニーに移住した人類は、大倉博士やミナモトたち七人のことを忘れた。
消滅する地球を眺めながら流した涙は一時の感傷に終わり、ワインやビールで乾杯するその姿に、命拾いした者たちの安堵だけが残った。
その中のひとりエルメス・オルケテスは、その後も各コロニーへのボランティア活動に走り回り、ジミー・ハリソンの後押しもあって避難民ボランティアグループの中心者としての立場を得た。
数年後。
現代のマザーテレサと有名になったエルメスは、コロニー連邦共和国の初代大統領となったジミー・ハリソンと結婚。更なる不動の地位を得たのだ。
「エルメス」ジミーの呼ぶ声に、彼女は高鳴る胸を押さえた。
「緊張しているのかい?」
「ええ。なんだか、夢の中にいるようで」
エルメスはその手をジミーの胸に当てた。
「あなたは平気なの? 心臓は平気だと言っているようだけど」
ジミーは笑う。
初代大統領の就任式。これからジミーは、コロニーの全国民を前にして就任の決意とメッセージを送る。こんなにも晴れやかで責任ある舞台に立つことに、躊躇しないほうがどうかしている。
「心配ないさ。君は横に居るだけでいい。でも、国民の人気は君のものだ。そのおかげで僕は思いっきり仕事が出来る。頼むよ、マザーテレサさま」
さぁ、行こう。ジミーが手を取り促すのに従うエルメス。
赤い絨毯が敷き詰められた通路をゆく。
側近の者たちが忙しく駆ける中を、エルメスは見た。
通路に大きく切り出した窓の向こう。広大な宇宙空間に輝くものを。
「……あれは」
立ち止まったエルメスは、怪訝な目を向けるジミーを感じながらも、身内から湧き上がる震えを押さえられない。
あの輝きは……生まれたての星。まさか……そんなことが!
突然、側近のひとりがジミーに走り寄った。
「大統領。ただ今、報告が入りました」
「なんだ、暗殺計画でも発覚したか?」
「いえ、そうではありません。消滅した地球とほぼ同じ位置に、新しい星の誕生が確認されました」
「まさか」
「五つの観測所及び、宇宙開発局の正式発表です」
エルメスは窓に駆け寄った。
消滅した地球の残骸が霧のように広がっている。そのベールの向こうに、確かな存在としてそれはあった。
……ミナモト。
かつて供に暮らし、夢を語った男の顔が浮かぶ。
その笑顔はどこまでも純粋で、子供のような輝きを宿している。
その輝きがまぶしすぎて彼女は目を閉じた。だが、目をつぶってもその輝きは消えず、まぶたを射抜くほどの光が視界に溢れた。
ねぇ、エルメス。凄いだろ。本当だったんだ。俺、宇宙の真実を見つけたよ!
視界いっぱいの光が涙でぼやける。
子供のようにはしゃぐミナモトの声は、いつまでもエルメスの心に響き続けた。
ねぇ、凄いよね。凄いだろ。ねぇ、エルメス……。
未来の種が花開く。
人類の新たな歴史が開かれた瞬間だった。
おわり
地球ふたたび 関谷光太郎 @Yorozuya01
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