第2話
大倉は、計画のために自費を投じてオーストラリアのエアーズロックへ施設を建設し始める。その場所には、地球の生殖器官が存在した。
半円形のドームが四基。研究所、宿泊施設、訓練所に分かれ、最後の一基は生殖器官を被うように作られた、特殊素材の透明ドームだった。
大倉は黙々と準備をしながらも、自らの志に共鳴する者たちを探し始めた。それには、世界連盟会議の広報局が持つ移住情報サイトを利用した。世界の人々が、一番の関心を持ってアクセスするところだ。しかも情報は垂れ流しが目的で広報局の検閲、削除の心配がない。人材募集には最適だと考えられた。
その後、彼を軽蔑した科学者たちの多くが、一般市民を差し置いてコロニーへと逃げ出した事実が判明した。
その中に科学者たちと義父の名前を見つけてあ然とし、並んで妻と娘の名前を見つけた時には安堵した。
矛盾した感情に当惑しながらも、ついに世界連盟会議の連中までが優先的に移住し始めたと知って、憤りは頂点に達した。
なんと情けない奴らだ!
大倉はキーボードを叩いた。
「地球は自らの分身を産む準備をしている。その生理メカニズムは、命尽きる時に発動し、子孫を残すために地球の意思は動き出す。地球は待っている。子孫を残すための種を。それは人類に向けられたメッセージだ。地球は、われわれの種を必要としているのだ。その言葉の届かない哀れな者たちが早々に地球を捨てた!」
科学者や世界連盟会議の連中が早々と移住したことで、効率的かつ平等なはずの移住計画に貧富の差や社会的地位、人種や能力によってコロニー選択の優劣があることが表面化したのはすぐ後だった。
コロニーは建造された年代によって性能の差がある。技術的改良の結果だが、そこに住む者には大きい問題だった。しかもコロニーの置かれた空域にプライドという付加価値がつき、少しでも環境のいいコロニーに移住するため人々は必死になり始めていた。
各地で流血の争いが頻発した。
混乱の拡大を防ぐべく、世界連盟の軍隊が制圧に乗り出した。戦術ロボットで編成された重機動歩兵の連隊である。だが、世界的規模の混乱を制圧する余力はない。そのため彼らの制圧ターゲットはひとつに絞られた。
貧困層が集約するスラム街の一地域。
そこでの制圧を連隊に帯同したテレビカメラが撮影し、全世界に中継することで見せしめとするのだ。そのためには、派手な演出が必要だった。過剰なまでの市民に対する攻撃が、正視するのもおぞましい阿鼻地獄となったのはいうまでもない。
無残な屍が山を築くころ──世界に沈黙が訪れた。
人々を黙らせるのはいつも暴力だ。その現実に大倉の胸が痛む。根本的な問題を持ち越したまま、宇宙に移り始める人類が哀れでならなかった。地球での過ちを新たな場所でもまた繰り返すのだ。心ある者の姿はそこにはない。
まもなく広報の移住サイトが閉鎖され、大倉はメッセージを伝える唯一の場を失った。エアーズロックの私設でたったひとり、大倉は絶望に耐えた。
だが、気力の衰えは正直だ。病の痛みが日を追うごとに激しさを増し、嫌でも免疫力の低下を実感することになったのだ。
大倉は床に伏せることが多くなった。
このまま無為に死んでゆく自分を想像しては涙を流した。
そして、転機は突然やって来た。
──地球のために役に立ちたいが、オーストラリアへはどう行けばいい?
大倉のアドレスへ直接のメッセージだった。初めての反応に、大倉は興奮した。
「心配ない。わたしが自家用機で迎えに行く」
──すげえな! 自家用機なんてあるのか! だがこのご時勢に飛べるのか? 天候はむちゃくちゃだぜ。
「大丈夫だ。あらゆる環境に耐える特別機だ。惑星探査用の技術を応用している。木星でも飛べるぞ」
──グレート! リッチな科学者だ!
「とんでもない。今の残高は0だよ」
──いつでも行けるぞ! 迎えに来てくれ!
送信者の名はジャクソン。見せしめの攻撃を受けたスラムからだった。
スラムでの惨劇が思わぬ転機をもたらしたのだ。
その後、次々と心ある者たちが名乗りをあげた。大倉には、若者たちが大地から湧き出したように感じられた。地球の意思が導いたとしか思えない。なぜなら、地球の要求した人数が一人も欠けることなく、大倉のもとに集まったのだから。それは地球の生殖器官の数と同じ、七名の若者たちだった。
大倉から病の痛みが消えた。
◇◇◇
男たちに動揺がひろがっていた。漲る精力がいき場を無くして宙に浮いている。
みんなの足並みをまた崩してしまったことに、ミナモトは身を小さくした。
この日のために、二年もの月日を訓練に費やしてきたというのに、心のわだかまりをこの期に及んでもまだ払拭できない自分が情けない。理由はわかっている。
地球と接触する嫌悪感だ。
訓練の中盤まではみなと同じに、大地に対して漲る精力を示していたのだ。その興奮値は常にトップをキープおり、まさかその高揚感が突然のように失せてしまうとは、本人も思いもしなかったろう。
やがてミナモトは度々みなの足を引っ張る存在となっていた。
滅亡を迎えた時、この星はわれわれ人類に密かな要求をした。それは急激な変動の中のわずかな変化で示めされた。気が付いたのは大倉博士だけ。三年前、世界連盟会議での博士の発言はミナモトにとって衝撃だった。
新たな生命の種を蒔くという大倉博士の発想は、素晴らしかった。長く環境問題に携わってきたミナモトにとって、自分たちが食い荒らしてきた地球をいとも簡単に見捨てようとする姿は、無節操にもほどがあると思っていた。自分一人の力で何が出来るというでもなく無気力になりかけていた頃、博士の言葉を聞いたのだ。
あれは大型ビジョンを備えたカフェフロアだった。周囲に怒号と嘲笑が飛び交う中、ミナモトは耳をそばだててビジョンを見入った。
隣にはエルメスがいた。ミナモトと生活を共にするパートナーの女性である。
あの時の彼女がどんな表情でいたのか憶えていない。人権や環境問題に関する影響はすべて彼女から受けた。だから、自分と同じ気持ちでいるだろうと意識しなかったのだ。
大倉博士の発言を聞きながら、ミナモトは自分の言葉で理解した。
それは、生きとし生けるものすべてを育んでくれた地球に対する、せめてもの恩返しであり、早々と地球に見切りをつけた人類に、宇宙の真理を伝えることでもある。
ミナモトの志はこの時に決まった、はずだった。
「みんな……すまない」
ミナモトには精一杯の言葉だった。
誰もが掛ける言葉を探しているのか、しばらくは無言のまま、みなの目がミナモトに注がれた。その目に軽蔑の色は感じられない。彼らは心底ミナモトを心配しているのだ。それがまた、辛かった。
「なに気にするな」
黒人のジャクソンがいった。世界連盟の軍隊、ロボット機動歩兵からの制圧により、世界への見せしめとされたスラムで育った男だ。家族と友人たちを目の前で殺され、自らも歩兵のハンド・ブラスターガンによって両腕を吹き飛ばされた。さいわいに一命を取り留めたが、彼の両腕はサイボーグ技術によって造られたハイパーアームとなった。
彼はその両手を揚げて、腰を振ってみせた。「俺の弾頭はインテリじゃない。いや、そもそも誰だってインテリの弾頭なんか持っちゃいないさ。こいつは所かまわず本能をむき出しにしちまうんだ」
「そうだ!」陽気に言ったのはオーランドだ。
「そのためには考えすぎないこと!」
時代遅れの大道芸人。
ホログラフ・ビジョンが巷に溢れる時代に、生身の芸を残したいと街角に立ち続けた男。しかし、誰の関心も引くことはなかった。街には広告用に女たちのホログラフが踊り、テレビ、映画の中ではコンピューターによる、本物と変わらないCG俳優が生身の人間に取って代わっていたのだ。彼の出番はなかった。
「おいおい。それを口にしちゃダメだろ。メンタルは常に繊細なんだ」
いつもオーランドに突っ込みをいれるのはドイツ人のエンゲルだ。彼こそ、ジャクソンの義手の製作者だった。
スラムでの惨劇を知り単身医療活動に乗り込んだサイバテック医療の技術者。高度な外科技術を持ち、将来を期待された若き天才外科医だったが、やたらにサイボーグ手術をやりたがるために現場を干されていた。
スラムではそのうっぷんを晴らすかのように、自らの技術を片っ端から負傷者に施し、ジャクソンもその中のひとりだったのだ。
「彼なら大丈夫」オーランドは切り返す。
「繊細だけど強さも兼ね備えている。強くなければこんな無謀なミッションに挑んだりしない。最愛のひとと別れてまでね」
重い空気が漂った。オーランドはしまったと口を抑える。
まさに問題の核心を突く発言だった。ミナモトは無表情を装いながらも、渦巻きはじめた心の動揺に翻弄された。
またも吐き気がこみ上げる。
しかしそれは現実からの逃避でしかなかった。
地球から新たな星を誕生させる。なんと壮大で偉大な使命であることか。だがそれを、ひとりの女性への想いが邪魔をする。
「ミナモトに時間をあげましょうよ」
フランス人のピエールがいった。彼は、体は男でありながら心は女性だった。
性転換手術を受けて本物の女性になりたいと願ったが、下層階級の彼にはそんな余裕はなかった。場末の酒場で踊り子をしながら金を稼ぐが、儲けのほとんどは元締めに取られてしまい手元に残るのは生きるのに必要な分だけだった。
人生の生きる意味を見失い自暴自棄になりかけた時、広報サイトに大倉の言葉を見つけた。
「地球に新たな命を授けるのは君だ! 使命を果たす時が来たのだ!」
全身に電気が走ったと本人は言う。
「変な話、わたし心は女だけど体には立派なものがついているのよね。これは、使わない手はないって感じたの。男も女もない。わたしは創世記の神になるってね!」
ピエールは仲間からの信頼が厚い。母親のような存在と感じている者もいる。
彼の一言が、男たちに引き際を与えたようだった。
ピエールがミナモトに寄り添った。
「みんな馬鹿でしょ。あなたの彼女の話はご法度なのに。でも、悪気はないのよ。みんなあなたの気持ちを楽にしようとしただけ」
「大丈夫。わかっているよ」
「そう、なら安心」
ピエールのうしろに、二つの同じ顔が心配げに覗いている。双子のワンとタンだ。
「あんたたち」ピエールがワンとタンにいった。「ついて来なさい。わたしと一緒にイメージトレーニングよ。あんたたちには感じるの。地球に双子を生ませる可能性をね。ロマンチック!」
去り際にピエールの目がミナモトを捉えた。その目は、あとは自分次第よと伝えているようだった。
ここでやめれば二年間の苦労だけでなく、この優しき仲間たちを無駄死させることになる。その責任を感じればこそ、ミナモトの苦しみは果てしないのだ。
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