地球ふたたび
関谷光太郎
第1話
地球の寿命が尽きようとしていた。
地殻内部からの高熱が大地を蒸し揚げ、活力を失った海が味噌汁のように煮詰まっている。人類はすでに宇宙へと逃げ出した。残ったのは、テラズセブンと名づけられた七名の男たちと、稀代のマッドサイエンティスト大倉博士だけだった。
「君たちは地球を愛する真の勇者だ!」
この言葉のもとに集った七名の男たちの任務は、いよいよ最終段階を迎えた。興奮を抑え切れない大倉博士は拳をあげて叫ぶ。
「諸君、時が来た。この日のために君たちの苦労はあったのだ! どうだ、地球に欲情を感じるか? 大地に頬擦りしたいか? 見たまえ遥かに望む山なみを。まるで極上の女神が腰をくねらせ君たちを誘惑しているようじゃないか。見よ、わずかに残った湖とそして母なる大海を。あれは君たちを受け入れるために大地から湧き出した聖水である!」
その言葉に男たちの本能が猛り爆ぜた。満足そうに目を細める大倉だが、次の瞬間その表情が曇った。
一人だけこの輪に入れない者がいる。その男は苦悶の表情を浮かべながらも、なんとか使命をまっとうしようと葛藤していた。日本からやって来た、ミナモトという若者だ。ひたむきに任務をまっとうしょうとする彼を大倉は高く買っていた。しかし、その心に断ち切りがたいわだかまりが存在していることも知っている。
「ミナモト君。まだ、心が決まらないか?」
「い、いえ……」
苦しそうだった。大丈夫ですと笑顔でとりつくろってみせたが、いまにも嘔吐しそうなのは明らかだった。
「吐いて気持ちが切り替わるならそうしなさい。しかし、時間はもう無いのだよ」
生理的な嫌悪感は任務遂行の最大の妨げとなる。彼ら七人の任務は、地球とまぐわり新たな生命を生み出すことにあるのだ。ひとりでも脱落者が出たら失敗する。メンバーの補充など論外。世界のすべてが背をむけた荒唐無稽な自分の説を、命を賭けて実証しようとしてくれるのは彼らだけなのだから。
彼は決心した。
「……三十分待つ。その間に心の整理をつけなさい」
そう言うと、大倉は背を向けて立ち去った。
◇◇◇
プライベートルームに戻った大倉はイスに腰をおろした。
長く深いため息。
数年間の疲れが体を蝕んでいるのを感じる。今ここで立ち止まってしまえば、そのまま奈落の底へ落ちてしまいそうなほどの疲れだ。
この三十分間が最期の勝負となるだろう。これ以上の猶予はもう残されていない。地球の命脈はすでに限界点に達しているのだ。そして自分の命も限界が近い。
ピルケースから薬を取り出して錠剤を口に含む。全身に転移した病の痛みをごまかすための薬だった。
テスクの脇に置かれたフォトスタンドを見つめながら錠剤を噛み砕く。薬の苦味が、写真の中の家族へと繋がった。
妻と娘は別れの言葉も告げずに姿を消した。妻は高名な物理学者の愛娘。将来有望な大倉との結婚に反対はなかった。しかし、あの日。人類移住計画の発動が告げられる晴れの舞台で人生が変わったのだ。
「地球は生命体である。否、生物なのだ」
世界連盟会議の席上、大倉は叫んだ。
三年前のことである。
それは地球脱出の最終決定が下される場であり、世界に向けてライブ中継される中でのことだった。議題のすべてが終了し、代表の科学者たちの総括が始まると、順番がまわって来たのを待ちかねたように大倉は言った。
「生物であるこの地球には、繁殖能力がある。オーストラリア大陸に出現した複数の亀裂をご存知だろう。あれは単なる地殻の変動によるものではない。地球の持つ生殖能力を裏ずける厳かな示しであるのだ。その証拠に、亀裂は絶えず脈動しており、内壁からは汲めど尽きない泉が滲み出している。これは、地球が最期の時を迎えて、発情していることを示している。この現象が地球だけのものか、すべての惑星が持ちうる能力なのか、判断すべきものはない。だが、われわれは宇宙創世の奇跡を目の当たりにする、稀有な存在であることは間違いない。地球は新たな星を産む準備に入った! 人類は、これを無視していいのだろうか」
移住計画の科学者チームが大倉に非難の声をあげた。
「なにを考えているんだ! 科学顧問の発言とは思えない!」
「彼は錯乱状態にある! すぐにここから放り出せ!」
会議場だけでなく世界が唖然とした。世界連盟会議の目的は地球脱出のための効率的な方法と移住への対策を提示し、六百以上建造されたスペース・コロニーがそれぞれ十万人規模での収容が可能になったことを発表することだった。
コロニー建造は、数世代にわたる人類の大事業だ。人々が待ち望んでいたこの発表をフィナーレに、人類の英知が勝利したことを宣言する場となるはずだった。彼の発言がそれに水を差したのはいうまでもない。
大倉の前に、男が現れた。科学チームの中心者である彼は怒りの目を向けた。
「あれほど、くだらん持論は捨てろと言ったはずだ。人々の関心は地球の未来ではなく脱出への希望にあるのだ。おまえの荒唐無稽な話など論外。科学者にあるまじき妄想だ!」
「すまないと思います。しかし、やはり捨ててはおけない。これはわたしに与えられた使命なのです」
「使命だと? それは科学的根拠のないたわごとだ! 狂人の妄言に過ぎない! わたしの立場はどうなる。君を顧問のひとりに入れたわたしの立場は!」
「今ならまだ間に合います。移住計画をやめる必要はないのです。ただ、人材が欲しい」
「馬鹿を言うな。だれが滅びる地球とともに命をすてるか! もうご免だ! これまでの我慢も限界だよ。君の義父の顔を立てるのもこれまでだ!」
中継を見ていた全世界の人々が憤りの声をあげた。
轟々たる非難の嵐は中継局のネットを席捲し、局のメイン・サーバがパンクするほど吹き荒れた。
混乱する会場から叩き出された大倉をテレビカメラが追う。その姿が中継局から世界に配信された。科学界のみならず、人類の異端児となった瞬間だった。
ぼろぼろの大倉は人目を避けながら自宅へと帰った。
地下施設の住居棟。その一角にある大倉の家に多くの人々が集まっていた。
「な、なにをしている!」
声を発した大倉に気がつく者はいない。みな住居に向かって物を投げ込むのに夢中だった。大倉の住居はガラスが割られ、壁に大穴さえ開いていた。
中にいる妻と娘が危ない!
大倉が人波に飛び込もうとした瞬間、腕を取られた。
「離せ! 中に家族がいる!」
「心配はありません。ご家族はこちらで保護いたしました」
「誰だ、あんたは?」
「移住管理局のジミー・ハリソンです」
スーツ姿のハリソンはその長身から大倉を見下ろした。
「……管理局がなぜここに?」
「奥様の父上から依頼されました。すぐに保護してほしいと」
「妻と娘はどこだ? すぐに連れて行ってくれ」
「それは無理というものです。自分の立場はおわかりでしょう? 異端者となったあなたは、ご家族から愛想をつかされたのです」
「勝手なことを言うな! 妻と娘はどこだ!」
大倉はジミーに掴みかかった。しかし、素早い動きで大倉の手を払い、ジミーの拳がみぞおちにめり込んだ。
「ぐっ!」
前のめりに大倉が倒れた。
「あんたは捨てられたのだよ。大倉博士」
それまでの物腰が嘘のように、ジミーの態度が豹変する。
痛みに耐えてジミーの顔を見上げた。さげすみの表情が大倉を見下ろしている。
「奥様と娘さんからのメッセージは当然ない。当たり前だな。人類の裏切り者と家族でいたいはずがない。まあ、父上からはひとつあるが……聞きたいか?」
「……聞きたくないと言っても言うんだろう?」
ジミーが口の端をゆがめる。憎しみのこもった笑みだった。
「メッセージだ」ジミーが右足を引き、攻撃の姿勢をとる。「おまえは、糞だ!」
衝撃が大倉の顔面を捉えた。激痛で混濁した意識の中に妻と娘の顔が浮かんだ。
無表情なふたりの顔。
その時。自分と家族との間に大きな隔たりが出来たことを知った。
◇◇◇
大倉はコップの水を飲み干して、口に広がる薬の苦味を洗い流した。
写真の中で、妻と娘が笑っている。
未練を残す唯一の理由を失った。それは本当に腹が決まった瞬間でもあった。残された時間はもうない。大倉は悲しみを封印し地球と運命をともにする行動を開始したのだ。
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