第4話
もの思いから醒めたミナモトの体が震えた。
自分の心が萎えてしまった理由がここにある。そうだ、あのエルメスとの最後の別れの時。それ以来、このミッションに対する情熱が失われてしまったのだ。愛する人からの裏切り。エルメスの愛情がハリソンに移っていたことへの怒りと絶望。それが自分の心を苛んでいるのだ。
では、俺はどうすればいいのだ。
ミナモトはしばし呆然とした。だが次の瞬間、通信用のパネルスクリーンに飛びついた。
磁気嵐がひどくなっているが、果たして通じるだろうか。
コンソールのキーを操作して、回線を開く。スクリーンに砂嵐が映り、接続中の赤い文字が中央に瞬く。
繋がってくれ。
「こちら……臨時通信……管理……」
辛うじて繋がった。その奇跡にミナモトは声を限りに叫んだ。「こちら、地球にいるテラズセブンのミナモトだ。至急、回線をオープンにして通信を乞う。相手は、連邦政府移住管理局、ジミー・ハリソン付きの、エルメス・オルケテス」
もう一度、同じ言葉を繰り返して、相手の返事を待つ。
数秒後、返答があった。
「回線を……つなぎ……す。磁気あ……が強いため……数分で切れる可能……があり……す」
「急いでくれ!」
乱れる画面がしばらく続く。
唐突に映像が現れた。雑音と乱れぎみの画面だが、そこに映るのは確かにエルメスの姿だった。彼女はワイングラスを手に、パーティドレスを身にまとっていた。
「誰からかしら……相手の映像が見えないのだけど」
エルメスの顔は困惑している。どうやら、向こうの通信状態が良くないらしい。
ミナモトが呼びかけてみたが、反応がない。
「もしもし……誰なの?」
「どうかしたのかい?」
エルメスの後ろからハリソンが現れる。胸元のネクタイは緩められ、リラックスした表情を浮かべている。パーティ会場の喧騒も伝わってくる。
ミナモトは画面を見つめたまま無言だった。こちらの姿も声もエルメスには届いていない。言いたいことがあったはずなのに、もう言葉に意味がない。
エルメスが通信先を確認しようと、向こう側でコンソールをいじっている。
「……駄目ね、特定できない」
「なにかの間違いだろう。さぁ、俺たちの地球の最後を見届けよう。お世話になった故郷に乾杯だ」
ハリソンに肩を抱かれたエルメスの笑顔。それを最後に通信は切れた。
再び砂嵐が画面を占める。ミナモトは、まだそこにエルメスの姿があるかのように見つめている。終った……。ミナモトは自分でも驚くほど落ち着いていた。ゆっくりと息を吐き、通信をオフにした。
背後に人の気配を感じて振り向いた。そこに立っていたのは大倉博士だった。
ばつが悪いと表情に出ていたのだろう。博士はにっと笑って手を挙げた。
「なに、かまわんよ」
「すみません。わたしは……」
「たいした問題ではない。これから始まる未曾有の瞬間に比べればな」
大倉博士はミナモトの横に立ち、ポケットからタバコを取り出した。驚いた。まだタバコが存在しているとは。
「闇で売られている禁制品だ。法律で禁止されてから吸っていなかったが、最後の時のために取っておいた。君もどうかな」
丁重に断ると博士は笑った。
「エコロジストの君にとってタバコは環境破壊の排ガスと同じだったな」
火のついたタバコの紫煙が立ち昇る。ミナモトはその甘い匂いに意外な心地良さを感じた。味を楽しむ博士の横顔は、子供のような純粋さで満たされている。
「ミナモト君。真実は常に理解されないものだよ。地動説を唱えたガリレオ・ガリレイもしかり。中世のキリスト教社会では理解されずガリレオは糾弾された。彼に対する無理解と汚名返上には数百年が必要だった。真実とはその時代、時の変転によって変わる。それは、真実が変わるのではなく、人間たちの理解度の違いで変わるのだ。科学で言えば、現在の科学が解き明かす宇宙の真実はほんの一部でしかないのと同じだ。その一部を全部と捉える人間側の慢心が真実を知ることを遅らせる」
博士は口元をおの字に尖らせて、そこから煙の輪を作りだした。
「君に無理解を示した人たちも、十年も経てば知るだろう。自分たちの思っていたことが間違っていたという、真実に。人間とはそういうものだ」
人の性とは執着。博士の口癖だ。自らの経験や既成の思想に執着するあまり、その先にある真実に向かう勇気が持てない。真実とは常に反目が伴い、無理解との戦いがあるためだ。だから人は、その場の安息を選択するために冒険をさける。先覚者とはその安息に留まらない勇気ある者のことだと。
「わたしたちは、先覚者になろうじゃないか。それは自分の名声のためではない。次代の者たちのために」
ミナモトの精力に変化があった。しばらく感じなかった感覚が蘇る。
大倉博士は携帯灰皿を出してタバコをもみ消すと、憂いの表情を見せて言った。
「ただ残念なのは、君たちの尊い命を犠牲にしなければならないことだ。それだけが、わたしの心を苛む」
その瞳が曇るのを見た。ミナモトは大倉博士の本当の心情を知って愕然とした。博士もまた、葛藤を抱えていたのだ。
「わたしの体はね、病に蝕まれている。地球が滅ぼうと、宇宙へ移住しようとこの先はないのだよ」
「博士、まさか」
「その顔。君はすぐ顔に出る。わたしがひとりで死ぬのが嫌で君たちを道ずれにする。そのための嘘八百かもしれない。そう思ったかな?」
「そ、そこまでは……でも」
「わかっているよ。わたしには先がないからこそ、ここまで頑張れたと思っている。その執念が君たちに通じたのもこの病のおかげだとね。だが、君たちはどうだろう? この計画に賭けるに足るものがあるのだろうか。その答えを出さない限り君たちの命を粗末には出来ない」
そうか。自分の中にある不信はエルメスのことだけではないのだ。エルメスとの別れによって生じた人生への無常が、いつしかこの計画への不信へと変わっていたのだ。
博士はコンソールを操作して、映像データを呼び出した。大型の液晶画面に映し出されたのは、焼けただれた大地の一角に、切り取られたように存在する緑地帯だった。緑地帯は巨大な裂け目の奥に存在しており、そこだけが地球の崩壊と無縁な世界を形成している。まるで奇跡のオアシスだ。
「答えはこの光景だ。この場所に七つの亀裂が存在する」
……これが。
話だけの存在が今目の前にある。
いつの間にか六人の仲間たちも集い、目をきらきらさせて画面に見入る。
「今までこれを見せなかったのは、最後の感動を残しておきたかったからだ。天は荒れ、地はただれ、海は蒸発したこの地球でたったひとつ残された緑の大地。そこへ行けばもっと驚くことが待っている。あの一角には周囲の環境を無視するかのように澄み切った空気が存在する。しかも、天には青空が広がっているのだ。科学の常識を覆すこの現実にもはや疑問の余地はない!」
仲間たちの歓声があがる。
ミナモトは大倉博士の顔を見た。俺はこの人の言葉に共鳴したのだ。誰もがペテン師と呼び、狂人とさえ言われたこの人に命を架けた。それは自分が選んだ道。博士を師としたその時から始まった俺の戦いなのだ。
新たな地球誕生のために、俺の命が種になる。
俺は……地球を抱く。
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