アダンとリュミエンヌ

魔導士リュミエンヌを傍らに御者アダンが操る一台の荷馬車が、山間の街道を抜けてゆく。


二頭のずんぐりした垢抜けしない駄馬に牽かれたその荷馬車は、不似合いなまでに上等な仕立ての作りをしていて、滑らかな乗り心地は旅客用の客車もかくやと思わせるばかりに軽快な足取りであった。


先程まで歪んだ車軸がもたらす軋み音も今はなく、一流の職人が手塩にかけたような車体には不自然なまでの高級感が漂う。


荷台にわら束を山のように積み込んでなければ…そして黒衣の魔導士リュミエンヌが乗り込んでいるからこそ、その異国風な装いの美少女ぶりがちぐはぐな印象を見る者に与えていた。


実際、道すがらの旅人が荷馬車をよけ、道のわきに身を寄せるたびに好奇の視線を荷馬車と御者のアダン、そしてリュミエンヌに送っていた。


手綱を手繰る老齢のアダンはそのたびに居心地が悪そうにしているのを傍らに見て、リュミエンヌは無邪気に笑う。


「あははっ。いいじゃない、みんな見惚れているだけよ。こんな素敵なは初めてなんでしょ」


それが困るんじゃないですか。どうもこう目立っては…と、深いしわを刻んだその瞳は無言で訴えている。大柄な彼は老いてなお壮健な体躯をそのたびに縮こませ、申し訳なげに沿道の人々に声をかける。街道とはいえ馬車一台ほどの幅しかない山道だ。周囲を気遣うアダンの柔らかなまなざしにリュミエンヌは黙って微笑む。


今は農夫のいでたちだが今二人が目指す首府ガラドールの高官にして重鎮の一人。建国以来この国を支えてきた男たちの信望も厚い。道すがらに交わした会話の端々からもそれはうかがえた。だからといって大胆なことも間違いない、一寸やりすぎだともさすがにリュミエンヌは思った。


そんな”偉い人”が野良着に身を包み、農夫に身をやつして単身、外国からの一介の魔導士を迎えに来る。その身軽なフットワークは彼の性格と同時に山間の小国の難しいかじ取りの一端をうかがわせてもいる。人任せにはできないという危惧と自負がそうさせる。彼は今も現役の政治家だとリュミエンヌは思った。その背中は今もたくましい。


「この荷馬車の”修理代”は依頼料に込みでタダにしておくわ」

「おお、そうしていただけるとは有り難い、では今夜のもてなしは奮発いたしますぞ」

「あは、やったね。期待してるわよ」


わざと砕けた口調で交わす。楽し気にリラックスした調子に微塵も邪気はない。


リュミエンヌはさらりと言ってのけるが、彼女は行ったことは古代より伝わる”いにしえの秘儀”で修理というよりといったほうが良いものだった。呪法には詳しいとは言えないアダンですらそう解釈する。何という力の行使だ。


リュミエンヌがしたことは今や王侯貴族がいくら金を積んでもさせられる事ではない。なぜなら彼女の唱える呪法は今日では高位の宮廷呪術師ですら知る者はいない。かつて封印され今日では完全に歴史から忘れ去られたものでもあったからだ。


「禁断の奥義」といえるそんな秘法を彼女は易々と、たかが荷馬車のがたつきを治すために使った。それをいとも簡単に実施する(しかもタダで)リュミエンヌをどう解釈してよいものか。困惑するそぶりは表情に見せないが彼女には正直あきれていた。


タガが外れている、呪術師はそんな輩が多い。特に金のかかる奴はそうだったとアダンは思う。だがそんなアダンをしてもリュミエンヌは別格だった。常識がない、金銭感覚がどうかしてる。そんなセリフでは表現できない得体の知れなさを彼女にはヒシヒシと感じている。怖いとは思わないが一線を画した相手には違いない。


だが目の前のリュミエンヌというまだ年若い魔導士はそれがどうしたのといわんばかりに頓着はない。出来るからやっただけ、よ。口をとんがらせてうそぶく彼女からはそれ以上の言葉は聞けなかったが、リュミエンヌはアダンに口止めも言い出さない。


しゃべっていいとは言わないが、貴方はこの事を世間に吹聴出来るのかしらと念を押すような彼女の視線はゾッとすると同時に、私を試しているのだともアダンは感じていた。「暗黙の了解」を取り交わす危うさを政治家としての立場からも、いやというほど味わったアダンだったが、これ程高度な判断が必要なことを魔導士に感じたことはなかった。彼女の示した呪式はそれほどだったからだ。少なくとも呪式だけでモノをあれほどまでに”復元”できる魔導士をアダンは聞いたことはなかった。


それと彼女がこの依頼した件について事前にどれ程のことを知っているのか分からなかったが、いきなりをさりげなく見せつけその反応をうかがうとは思わなかった。度胸があるのか奔放なのか、無論バカとは思わないが一般常識で言うならそうとも言えた。


現に今、目の前の彼女は子袋から取り出した硬い干し肉をほぐすようにクチャクチャとしゃぶっている。幼女おさなごのような仕草でゆっくりと背後に流れる山並みを眺めながら…アダンは思う。この女は一体幾つなんだ。


リュミエンヌはそんなアダンをしり目に、事前に渡されていた資料を頭の中でおさらいしている。暗記など容易だが、変わりのない風景に少々退屈を覚えていたからだ。


どうしよっかな~、たわいのない言葉でそう思ったが、のことを考えると、どうやら一筋縄ではいかなさそうだ。それが手練れならなおさら、彼らとは一度会ってみたいな。モチロン以外でね…。聞きたいこともある、それはナイショの話。


”依頼人”の敵と味方の”間者”が入り乱れて、今も荷馬車の前後をウロウロしてる。もちろん放っとくけどね。いまのところは…。頑張ってるなー、と。


硬いっ、リュミエンヌは一瞬顔をしかめる。この干し肉も頑張ってるョ、アタシも…。リュミエンヌは嚙みほぐした肉片をグイと飲み込んだ。お酒があればな、と彼女は臆面なく思った。依頼人の前でできる事ではなかったが、このアダンという男。


おもしろい。田舎の山国の隠居ジジイかと思ってたけど、(実際そうだけどさ)

リュミエンヌは思う。の味方に付く気なのかしらこの男、相手次第ではアタシも考えなくちゃ。だってね…。


この素敵なオジサマを敵に回したくはないもの。


リュミエンヌとアダンの行方には日の傾いた首府ガラドールの街並みが迫っている。

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「リュミエンヌ」 2edシリーズ 真砂 郭 @masa_78656

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