「リュミエンヌ」 2edシリーズ

真砂 郭

魔性の女

 魔導士リュミエンヌを乗せた馬車は渓流の川沿いに沿った山あいの街道道をゆるゆると登ってゆく。街道と言っても馬車一台がやっと通れるような細道だ。山の背は濃い緑に生い茂る森が続いている。目的の国は山岳地帯の狭間にあるガラドールという名の小国だった。裕福とは言えないが、それでも王とその家臣は頑張っているという触れ込みの歴史の浅い新興国だ。


 リュミエンヌがふもとの村で調達できた馬車はひどいポンコツだった。ゆっくり走るだけでガタガタギシギシいっているおんぼろの年代物、それを操る御者も年季がいっている。耳の遠い爺さんで交渉するだけでも骨が折れた。何ですの~という口癖でこっちの話を、やたらかき回すのにも閉口した。勘弁してよ爺ちゃん。

 結局コインを握らせて口を塞いだが。用意された馬車を見たリュミエンヌの空いた口はふさがらない。連れの案内人はいつの間にか姿を消した…。

 お忍びの非公式の潜入とはいえこれは酷すぎる。上の連中はきっと依頼主との交渉でぼったくったな。確かに馬車には違いないけどさ…。ジーちゃんだけが笑ってる。


 用意されたそれは御者付きのワゴンのように上等な乗用馬車などとは違い、二頭立ての駄馬にひかせて荷駄を運ぶ素朴な荷馬車だった。ここいらの山間の街道ではよく見かけるのどかな光景だ。


 だが、粗末な作りで車軸が若干歪んでいるせいか、車輪が一回転するたびにゴトンと車体が上下に跳ね、ガタガタ揺れる荷台に腰かけているリュミエンヌはそのたびに荷台の床で尻を打っている。彼女は荷台の最後尾の縁に直に座っているせいで振動がもろに来てそのたびに彼女の身体は小刻みに上下した。背中合わせの積み上がった荷の上に登るのはさすがに気が引けたし、それは全身を周囲にさらすことになるのでうかつだと思ったのだ。この旅は物見遊山ではない。


 あうっ、もちろん声には出さないが時々舌を噛みそうになる。もう三時間以上もこの状態だ。長い道中、歩かないですんだけどそんな訳で全然くつろげない。むしろイライラする。乗せてもらった手前、文句は言いたくないけど黙っている分、確実に怒りの方が募ってくる。どうしてなの、あ~!駄目、我慢の限界だわ!も~イヤっ。


 リュミエンヌは傍らに背負いの荷物を残し、荷台の上にぎっしりと山のように乗せられた飼葉用のワラ束の上にもぞもぞと這い上がってゆく。登り切った頂きから見下ろすと御者の姿が見える。野良着姿の質素な農夫の丸まった背中がその齢を示している。


「ジーちゃん!聞こえる?止・め・て、馬車を止めて!」

 リュミエンヌは大声で御者席に声をかけた。耳が少し遠いのだ。

 何度か声をかけるとようやくその老農夫は振り向いた。

「何かの?嬢ちゃん、昼はさっき食ったろ。それとも…」

 さすがにちょっと彼は言いよどむ。

「ションベンか!ふもとで出るときに言ったろうじゃ…」

「違うわよ!やめてよその言い方!」

 リュミエンヌは即座に仏頂面で言い返す。

「恥ずかしいじゃないのっ!」


 耳の遠い老人とうら若い娘がすれ違う者もない山道で、所かまわず大声で喚きあっている。聞いているのは周囲の森に潜む獣たちだけ。

 そしてなお威勢のいい会話が続く…。

「じゃあ何じゃ?ワシに気にせんとゆっくりとしたらええぞ!」

 大声で聞き返す老人はとどめを刺した。

「茂みの仲なら…」

 少し目じりが緩む。少し声を落として

「誰も見とらん」


「・・・!」

 うっさいわ、エロじじい!誰が見せるもんか。と、口にはしないがその表情から十分にその意は相手に伝わったようだ。肩をすくめるジェスチャーで苦笑しながらとぼけてみせる老人の傍らへリュミエンヌは荷の山から滑り降りるようにワラにまみれたその身体を落としこんだ。

「お尻が痛いのよ!ガタガタ揺れてそのたびにお尻を打って…もう沢山っ」

 気色ばむリュミエンヌに、そりゃスマンこったのと言いながら、どれ…。と、どさくさ紛れに彼女の尻に手を伸ばそうとする老人の手にリュミエンヌは目にも止まらぬ手さばきで攻撃呪式の韻を踏んだ。弾だ(加減すれば殺傷力はない)

「触ったら…ぶっ飛ばす…!」

 睨みつけるリュミエンヌ。本気だぞ…と凄んでみせる。短い沈黙…。

 突然老人はそんな彼女を大声で笑い飛ばす。

「さすが様、これは失礼をいたしましたな」

 笑みを崩さず、大様な態度で軽くリュミエンヌをいなす老人。

 ハッとするリュミエンヌ。何者だ、このジジイ…は?

 さっきまでの老農夫といった素朴な風情が姿を消し、背筋がピンと伸びる。

「思った通りのお方だ。リュミエンヌ殿」

 威風堂々としたその佇まいには風格すら感じられた。その真っすぐなまなざしは力強く澄んでいる。これはいったい…。リュミエンヌは素早くこの状況に洞察をめぐらす。これは相当ヤバい仕事なのかも…だって最初からこれだもの。

風なのかしら、ね?」

 リュミエンヌも口調が変わる。密やかに大人びた魔導士の言葉遣い。

「よろしかったら教えて頂戴、そしてアナタのもね…」

 有無を言わせぬ力がその語尾にはあった。

 そんなリュミエンヌの言葉に臆することもなく老人は言った。

「申し遅れましたな、私はアダンと申すこの国のまつりごとに携わるもの」

 アダンは言葉を継いだ。

「そして今回の件のでもあるのです」

 そして、彼はアナタを試すような真似をご無礼いたしましたと丁重に詫びた。


 あらステキ。リュミエンヌはそっと呪式の韻を解き警戒を緩める。勿論すべてではない。アダンと名乗るこの男に善意があろうと他意はなくても、周囲がそうとは限らない。護衛の者が潜んでいるかもしれず、逆に狙っている者がいるかもしれない。それはアダンか私か、その両方かも知れないが。


 アダンが馬車を山際の路肩に止めるなりリュミエンヌはサッと舞うようにその場から空中に飛び上がり、「全天捜索」の呪式を唱え韻を踏む。素早い動作で一瞬で済ませたそれは文字通り彼女を中心に一定範囲の360度を一気に走査する呪法だ。頭上も周囲の物陰の裏さえも、足元の地面の中ですら見通すことができる。やっぱりな…。


 リュミエンヌは軽やかに荷台の傍らに着地する。いた。

 近くではないが遠くもない、監視するための距離感を感じる。みんな武器を持っているが”たいした”ものは持ってない、やはり斥候だ。


 アダンが訝しげにリュミエンヌを車上から見下ろしている。彼も判断はしかねているのだろう、リュミエンヌに戸惑っているのだ。彼は慣れていないな、こういう事に。


 アダンは改めて見るにつけ、独り佇むリュミエンヌは黒を基調にした繊細な意匠と大胆なカッティングの挑発的なシルエットのアンバランスさは長身の体躯と相まって彼女に妖しい雰囲気を醸し出していた。


 そんな彼女が身に着けるハーフコートと幅広のズボンにブーツを履くボーイッシュなスタイルと、彼女のフィンガーレスの手袋から覗くマニキュアを施した白いしなやかな指からは男を幾人も惑わせてきたのだろうかと、今は老齢のアダンにすら年甲斐もない劣情を感じさせるほどだ。


 そんなリュミエンヌの軽いウエーブのかかったボブカットの黒髪からは微かな香油の香りがした。魔導士のラベンダーブルーの瞳が輝く、彼女の陶器テラコッタ人形のような容貌には何度かはヒトの心によこしまな欲望を抱かせることもあったかもしれない。


 リュミエンヌはアダンに目配せをして下車を促す、察したアダンは素早く馬車を降りた。さりげない素振りですれ違う彼の耳元にリュミエンヌは囁いた。

「あなたの護衛は何人?五人いるわ」

 アダンは驚きを隠せない。それでもそれを押し隠すように…声を潜め

「三人です」

 じゃあ、二人は違うのね…。身構えようとするアダンに声をかける。大丈夫よ、彼らの武器は届かないわ、下見に来てるだけ。おそらく手を出したら主人から罰を受けるでしょ。そういうヒト達よ…。

「放っておきましょ」

 リュミエンヌは気のない素振りで、冷ややかに言い放つ。それよりも…


「どうにかならなかったのこの馬車?」

 もうサイテーだわ。あっけらかんとした口調でリュミエンヌは愚痴った。

 まだ周囲への目配りを欠かせないアダンは思わず苦笑した。すっかり娘の口調に帰っている。

 物怖じもせず、身分のある年上にも動じないこの娘は無礼と言えばそうだが、それはそれだけの自信に裏打ちされているのだろう。言い換えればこの娘はどれほどの力を持つ魔導士なのか、先ほどのことを合わせても想像もつかない。私が彼女をこの国に招いたことは果たして正解だったのだろうか?


 子供じみた無邪気さとその大人びた仕草、胆力も相当なものだ。彼女は見た目通りの少女じゃない。それは…彼女こそは本物の魔女なのだろう。アダンは思わず総毛だつ。


「もう私が治しちゃう、修理するの」

 そんなアダンを意にも介さず、リュミエンヌはさっさと自分の仕事を済ませようとオンボロ馬車の傍らに立ち、呪式を立ち上げる準備を始めた。


 リュミエンヌは身体に残ったわらクズをすっかり払い落し車軸の歪んだ箇所を点検し確認すると、さっそく両腕両脚を舞踊のように絡めあい交差させた。それは誰も見たことのない韻の踏まえ方だ。詠唱する呪文も聞き覚えのないモノだろう。それが最初に唱えられたのは数千年前にも及ぶ太古の呪法だ。その意味を知るものはこの世界には誰もいない。今となっては人類以前の未知の世界を開く叡智の扉なのだ。


 リュミエンヌがかつて訪れたヴィル・ヘムという名の叡智の宝庫から命がけの体験を通して会得したそれは、古代王朝の秘術を現代に蘇らせたのだ。

 彼女の恐ろしいまでの集中力は、それだけで人間の精神を破断させてしまうほどのものであって、その意味ではもはやリュミエンヌはヒトの領域を越えつつあると言ってもよい。いや実際そうなのだ。リュミエンヌそのものの存在自体が呪法と言ってもいい。ヒト型の呪術法具とも言える。


 アダンはその奇跡を前にしていた。それとは知らねどもその感覚はアダンの魂を震わせる。彼は居ながらにして世界と鳴動するのだ。

 リュミエンヌはあるべき姿を選び導き出してゆく。時間を超越した無限の可能性は起こりうるすべての事象をここに再現する。

 それは全ての光が収斂しそこには究極の闇が発現する。世界は闇の中にある、すべての始まり。それは無限の光を放出する。


 リュミエンヌはヒトに戻った。そして馬車の車軸はおろか馬車そのものの最初がそこに現れる。初めの一つをかたちにする。それは再生と復元の奥義。

 アダンは何かを感じ、そして涙する。理由が分からないけど真理はそこにあった。


 呪法の韻を解くリュミエンヌは叫ぶ。無邪気なまでにあどけない。

「あー!もうーサイコー!」

 彼女は飛び跳ねる、歓喜に踊り狂うリュミエンヌの様は真理に触れた人間の本性であったのかもしれない。


 ほんの小さな世界だが、本質が生まれ変わり刷新される奇跡を見たリュミエンヌは、興奮が冷めやらぬ体でアダンに駆け寄り、勢いよく抱きついた。法悦の表情を浮かべるリュミエンヌ。

「あなたも見たでしょ、感じたでしょ!」

 有頂天になった彼女の奇矯ききょうをアダンは今は理解できる。いや理解はできないが共感したというべきだろう。


 だが、その直後に垣間見せるリュミエンヌはアダンの想定の上をいく。彼女は見開いた瞳を輝かせアダンの耳元で囁いた。


「アイツ等も見たでしょう?それを誰かに伝えるのよ」

 リュミエンヌの言葉は続く。何を言っているんだ?この娘は。


「見せつけてやったわ、そして震え上がればいいのよ!覚悟はよくて?」

 リュミエンヌが誰に言ったのか正直アダンにはわからない。いや分かりたくもなかった。この娘に運命をゆだねることに年老いたアダンは唯々、おののいていた。

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