32:ねこのてかします


 しかし、俺の予想に反して子供は公園の中にある遊びモノには目もくれず、脇の方にある人間が座る為にある木の椅子まで俺を引っ張った。

 そして、子供はそこにちょこんと座ると、何やら背中に背負っていた黒い入れモノから何かをゴソゴソと取りだす。


「にーとのにーちゃんは隣に座って!ここ!」

「うん」


 俺は子供の言う通りに木の椅子に座る。

 すると、すぐ隣で子供は「あった!」と叫ぶと、何やら色とりどりの綺麗な紙の束を取り出した。これは知っている。“本”だ。人間は紙にいろんな事を書いて、それを見たり、読んだりするのだ。


「これが、世界地図!日本っていうのはココ!俺達が住んでるところを日本って言うんだよ!」

「俺達が住んでる所の名前が日本?これが、日本?」


 子供が本を開いて示した場所は、なにやらグネグネと様々な形をした絵が描いてあるページだった。そのグネグネした場所の中心、そしてとても小さなグネグネを指さし、子供は「日本だよ」と笑う。


「じゃあ、他のコレとかコレはなに?」

「それは日本以外の国。俺達が住んでる場所以外にも世界にはたくさんの国があるんだよ!これはアメリカ!これは中国!」

「世界……」


 俺は子供の広げた世界地図を凝視しながら目をぱちぱちさせた。


 俺が全てだと思っていた場所は、地図の中ではこんなに小さい場所で、実はこの世にはもっとたくさんの、そしてとても大きな日本のような国がたくさんあるらしい。

 俺は自分の住む場所が日本、という大きなくくりで名付けられており、そして更にその外ではもっとたくさんの国が存在する事を初めて知った。


「世界は広くてねー、場所によって話す言葉も目の色も髪の色も全然違うんだよ!日本人は日本語って言葉を話して、髪の毛は真っ黒、そして目も真っ黒!でもニートのにーちゃんは黒じゃないから外国人かと思ったんだー!」


 確かにそうだ。

 俺は今までたくさんの人間の中で生きて来たが、その殆どの人間の毛の色は黒だった。


 そして、皆目の色も黒がほとんど。

 言葉は、今俺達が話しているコレしかないと思っていたが、どうやら住む場所によっては話す言葉すら通じないらしい。


 けど、アカやシロの毛の色は黒じゃない。

 だとすると、アカやシロは日本人ではなく外人なのだろうか。


「けど、髪の毛は好きな色に染められるから絶対黒ってわけじゃないもんな!にーとのにーちゃんは日本語上手んだし、日本人みたいだな」

「俺、生まれた時からずっとここに住んでる」

「じゃあ日本人だ!にーとのにーちゃんは髪を染めたから黒じゃないんでしょ!」


 子供は言うなり俺の返事など聞かず「ぜったいそーだな!不良だなー!」と一人納得して世界地図を閉じようとした。

しかし、俺はまだそれが見たかったので「ちょっと待って!」と子供の手を止める。


「ねぇ、えいごはどこの国の言葉?」

「英語?英語はアメリカとかイギリスの言葉だよ!こことここ!」


 俺は昨日、アカに聞いた疑問の答えを探るべく子供に尋ねた。


 すると、子供はとても大きなギザギザと、小さなギザギザを指さした。

 じゃあ、昨日俺が言った「おっけー」は日本ではなく、アメリカやイギリスの言葉だったのか。

 俺は知らぬ間に、世界の言葉を使っていた自分に少しだけ嬉しくなった。


 自然と表情に現れる笑顔。

 俺は今にこにこだ。知りたかった事がわかったし、新しい事もたくさん学べた。


 どうやら、ここは日本と言う名前の国で、ここに住む人間の事を日本人というらしい。


 そして、世界には日本と同じような国がたくさんある。

 言ってしまえば俺達日本人の縄張りはが日本であり、他はそのほかの国の人達、つまり外国人の縄張りなのだろう。


「すごいなぁ。子供なのに、物知りだね」

「へへぇ、そうかな?そうかな?」

「うん、すごいよ。だって大人だって知らない事だよ。これは。かしこい子だね」


 昨日、アカは難しくて答えられないから待ってくれといった。


 けれど、アカよりもずっとずっと小さいこの人間の子供は、いともたやすく俺の疑問を解決してくれたのだ。

 つまり、俺は毛や目の色は違うけれど“日本人”で、人間という事に関しておかしいところはなさそうだ。


 少しだけ気持ちがほっとする。

 しかし、俺が日本人で日本という国に住んでいるのはわかったけれど、先程からこの子供が俺を呼ぶときに使う「にーと」とは何だろう。


 兄ちゃんは知ってる。アカが俺を呼ぶ時に使う“兄貴”と同じ意味で、兄弟の自分よりも先に生まれた者のオスを指すのだ。


「じゃあ、にーとってなに?」

「ニートは大人なのに働かないやつの事!それがニート!」


 大人なのに働かないやつのこと。

 それが、ニート。


 俺は子供の言葉に「ほう」と頷くと、自分の手を見た。


「俺、大人なのに働いてない」

「ほらー!やっぱりニートの兄ちゃんはニートだー!駄目なんだぞー!ニートは!大人は働かなくっちゃ!」

「ニートはダメなのか?」

「うん!俺は子供だから働いちゃダメだけど、大人は働かないと!仕事しなきゃ!」


 はたらく、はたらく。

 しごと、しごと。


 そういえば、人間にはたくさんの種類が居る。

 ごはんを作る人だったり、畑を耕す人だったり、悪い人を捕まえる人だったり。


 そういう人達はそれぞれ自分の“しごと”をして“はたらいて”いる。


「大人は働いてお金を貰ってしゃかいの為に働かないとダメだんだ!だから、俺は大人になったらおまわりさんになるんだ!」


 そう言って満面の笑みを浮かべた賢い子供は「ふふふ」と急に手をピンと伸ばし頭の横に斜めに構えた。


 なにやら「けいれい!」と叫んでいる。

 どうやら、賢い子供はおまわりさんになりたいらしい。


 しかし、俺は昨日そのおまわりさんに捕まったばかりなせいか、素直に喜べなかった。


「おまわりさん……。ねぇ、俺は何になればいいかな?」


「そんなの俺に聞いてもわかんねーよ!それは自分で決めなきゃ!ニートの兄ちゃんのなりたいものになればいいんだよ」


 子供はそう言って俺の手から世界地図を取ると、また黒い入れモノの中に仕舞い込んだ。

 そして、俺と会った時のようにソレを背中に背負うと、座っていたベンチからジャンプして下りた。


「ニートの兄ちゃん、俺そろそろお腹すいたから学校に行くよ!」

「がっこう?がっこうはご飯を食べるところなのか?」

「んー、ご飯も食べるけど、学校っていうのは勉強するところ。知らない事を勉強して知るのが学校」

「そうだったんだ、知らなかった」

「ニートの兄ちゃんは本当に何にも知らないなぁ。いいよ、また今度会ったらいろいろ教えてやる!俺、賢いから!」


 そう言ってピョンピョンと跳ねる子供の言葉に俺は気持ちがパァァァとなるのを感じた。さっきまでの溜息がウソみたいに消える。


 この子供は何と優しいのだろう。子供なのに大人のようだ。


「ありがとう!またいろいろ教えて!」

「いいよー!じゃーなー!ニートの兄ちゃん!ちゃんと働けよー!」

「わ、わかった!」


 俺は賢い子供が手を左右に振るので、俺も真似して振ってみた。

 どうやら人間はさよならの時に手を左右に振るらしい。


 またひとつ、人間の事を知れた。


「はたらく……」


 俺は子供の言っていた言葉を口に出しながら、考えた。

 人間の大人ははたらかないといけないらしい。


 あの子供はおまわりさんになりたいと言っていたけれど、俺は何になれるのだろう。


 一人になった公園を出て、俺は今度は走らずにゆくっくりと歩く。

 もうアカは追ってこないし、走ると息がゼェゼェなるから余り走るのはよそう。


 それに、まだ慣れてないから転ぶかもしれない。

 痛いのは嫌だ。


「人間は何になるか、どうやって働くのか自分で決める。俺は何になりたいんだろう」


 何になりたい、と自分に問いかけてもわからない。

 俺は人間を観察はしていたが、どのくらいの“はたらく”があるのかよく知らない。

 知らないのに、したいことは考えたってわからない。


 猫はしたいことをする。

 行きたいところに一直線だ。


 けれど、人間はそうもいかないらしい。

 したい事をするのにも、たくさんの事を知らないといけない。

 そうしないと、したい事すらわからない。

 人間とは本当に難しい生き物だ。


 そうやって俺がそろろそろと歩いていると、突然、人間のメスの大きな声が耳に響いて来た。

オスの声と違って高い、キンキンの声だ。


「ちょっと!来れないじゃ困るわよ!私一人じゃ大変だから頼んだのに!」


 俺は思わずキンキンの声の方を見ると、女は何やら四角い何かに向かって怒鳴っている。


 あれはしろも持っている携帯だ。

 人間は本当にアレに向かって怒鳴るのが好きだなぁ。

 俺がぼんやりとそんな事を思っている時だった。


「こっちは猫の手も借りたいくらいなの!」

「っ!」


 猫の手。

 今、このメスは猫の手と言わなかっただろうか。


 猫の手も借りたい。

 そう、このメスは確かにそう言った。


 俺は尻尾があったらきっとピンとなっているであろうこの状況で、体がウズウズ擦るのを感じた。猫の手ならある、俺の手だ。


 俺は携帯に向かって「このバカっ!」と言い捨てて顔から離した人間のメスに駆け寄ると「あの!」と声を上げる。


 女が驚いた顔で俺を見る。

 けれど、俺はにこにこだ。だって、猫の俺にも出来る“はたらく”があるかもしれないのだ。



「猫の手、貸します!」



 そう言って差し出した俺の手を見て俺ははっとした。

 そういえば、俺は今人間だった、と。

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