10:こねこ
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懐かしい声がする。
懐かしい匂いがする。
「あにき」
あぁ、懐かしい。
俺は薄れゆく意識の中、またしても“あの”感覚に陥った。
あの冬の夜、死を覚悟した夜。
俺の頭の中を色鮮やかに駆け巡っていく過去の記憶。
あの時は俺の一生分の記憶が一瞬で流れては消えて行った。
しかし、今は違う。
ゆっくりと、そして鮮明に、ある部分の記憶だけが開けていく。
あにき。
なんて懐かしい響きだ。
今や誰も俺になんて近寄らないけれど、あの日、あの時、あの猫は確かに俺にすり寄って来た。
キラキラと輝くあの瞳。
小さな温もり。
忘れる筈が無い。
アレは、確かに俺の“我が子”だった。
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『あにき!あにき!』
そう、懐かしい光景と共に目の前に現れたのは、いつも俺の足元をうろちょろしていた子猫の姿だった。
俺の気まぐれで育て始めた、あの死にかけのボロボロだった子猫は今やつやつやとした毛の健康優良児となっていた。
腹の毛は白、そして胴体は茶色と黒との混じった毛の色をしている。
俺とは似ても似つかぬその容貌であったが、俺にとっては自分の息子の様な存在だった。
『どうしたんだ、そんなにはしゃいで』
『見てくれ!あにき!おれ、一人で獲れた!』
そう言って子猫が俺に差し出してきたのはバタバタと羽根をバタつかせもがくスズメだった。必死に逃げようと試みるが、それは子猫の小さいながらも鋭い爪に阻まれて、逃げられそうもないようだった。
じき、弱り、動かなくなるだろう。
『すごいな。もう一人でこんな事もできるようになったのか』
『あにきのをずっと見てたから!かんたんだったぞ!』
そう、尻尾をピンと立てて俺の目を見てくる子猫に、俺はよくやったとばかりに顔をペロペロと舐めてやった。
すると、子猫はスズメに爪を立てたまま、俺の足元にすり寄り尻尾を絡ませてきた。
俺はひとしきり子猫を舐めてやると、既に子猫の足元では虫の息になっているスズメを見て『早く食べな』と、己ので子猫の顔を押しやった。
しかし、子猫は足元の死にかけのスズメを咥えると、すぐに俺の前へと差し出してきた。
『これ、あにきの。あにきにあげる!』
『何を言ってるんだ。それはお前が初めて獲った獲物だ。しっかり自分でお食べ』
『おれ、いつもあにきに貰ってるから、これはあにきのためにとったんだ!』
『……そうか。じゃあ、もらおうかな』
そう言って俺は足元に置かれた死にかけのスズメの首筋に噛みついた。ギュッと言う、スズメの小さな最期の声が俺の耳についた。
正直に言おう。
俺はこうして狩りで獲って来た食べ物は苦手だ。自分でも野良ネコのクセにと思うのだが、人間のくれる食べ物に慣れ親しんでしまった俺としては、この野生の味はどうにも素朴すぎる。
しかし。
『あにき、うまい?』
『あぁ、すごくおいしいよ』
目の前でキラキラと目を輝かせる子猫を前に、どうしてそんな事が言えようか。
俺はムシャムシャとスズメの体を貪りながら、ピンと尻尾を立てる子猫に腹の毛がホワホワとなる感覚を覚えた。
発情期が来ず、季節がめぐっても子を成す行為に精を出せぬこの身で、こんな可愛らしい我が子が出来るとは思わなかった。
しかし。
『ぶっころすの楽しかった!爪をな!肉に立てるのきもちよかった!』
『そう』
この子猫はどうにも気性が荒かった。
俺は子猫に一通り野良として生きる術を教えた。しかし、やはり俺の得意分野は人間に擦り寄って美味しいごはんを貰う事だ。
だから、この子猫にもそれを一番教えたつもりだったのに。
『あにき!こんどはおれ、もっとおっきなの獲って来る!たくさん肉のついたやつ!またあにきにあげる!』
『がんばりな』
何故かこの子猫は人間からご飯を頂戴するより、野性味あふれるその狩猟本能を十二分に発揮し“狩り”を行う事を好んでいるようだった。
俺には到底理解できないその感覚だったが、本人はとても満足そうだし、楽しそうにしているので俺は放っておいた。
いずれこの子猫にも一人立ちの時期が来る。
そうなれば、己一人で獲物を得る力は最も生きるのに役立つ力だ。
狩猟本能や狩りの力はあって困るものではない。
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