12:さいかい

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「兄貴!」

『っ!』


俺の夢の中の声が、突然外の世界から響いて来た。その瞬間、俺の耳はピクンと動き、パチリと目を覚ました。

目の前には真っ赤な毛を持つ人間、アカが居た。


俺は一体どうしたのだろうか。

そう、俺がどこかぼんやりとする頭を抱えながら意識を失う前の曖昧な記憶を呼び起こした。

そう言えば、俺はぼす達に追いかけ回され、ぼすのカギヅメで思いっきり背中を引っ掻かれたのだった。

その時、俺を抱え上げたのが、確かにこの目の前のアカだった。

思い出した途端、俺は体を起こして辺りを見渡す。

そこは、味坂商店街の裏路地ではなかった。しろの部屋と似た、物がたくさんある四角い部屋だ。そして、俺はと言うとフワフワの布の上に座らされていた。


ここは、一体どこなのだろう。

『ここは、どこだろう』


俺は思わず呟いていた。特に、誰かに答えを求めて口にした疑問ではなかった


のだが。


「俺の部屋っすよ。兄貴」

『っ!??』


俺は俺の呟きに的確に答えてきた目の前のアカに体中の毛が逆立つのを感じた。

今、この人間は何と言った。「俺の部屋っすよ」と、俺の言葉に返事をしなかっただろうか。

いや、しろのように俺の様子を見て声をかけてくれたとも考えられる。

人間と言うのはおかしなもので、俺達猫にはまるで言葉が通じているかのように話しかけてくる事がある。その多くが俺達猫の言葉を無視した勝手な内容であるのだが、この人間もただ猫の俺に当てずっぽうに言葉をかけてきたのではないだろうか。

俺は少しだけアカの毛の人間に警戒心を抱きながら、アカの目をジッと見つめて、今度はハッキリとアカに問いかけた。


『あかいの、お前、なにものだ。俺の言葉がわかるのか』

「兄貴!兄貴こそ、俺の言葉がわかるんすか!?」


俺の問いかけにアカは問いかけで返してきた。なんというやつだろうか。俺の疑問に答えるどころか、それを無視して質問してくるなんて。

でも、どう考えても先程の言葉は俺の言葉を理解した上で、更に俺がアカの言葉を理解できているという事に対して驚いているという事だ。

それは、つまりアカは人間なのに、俺の言葉を理解しているという事。


『お前、なにものだ。なんで、俺を助けた。なんで俺はお前の部屋に居る』

「兄貴!俺です!俺!わかりませんか!?」

『俺はお前みたいな毛の赤い人間からご飯を貰った事ない。しらない』


俺が『知らない』とはっきりアカに言った瞬間、アカは眉を落とし酷く情けない顔になった。

その顔に俺は何故だかとても腹の毛がきゅんとなるのを感じた。

俺はこの人間を知っているのか。

この、きゅんはとても懐かしい感覚だ。

どこか遠い昔、俺はいつも、いつだってこんな感覚を持て余していた時があった。

あれは、いつだっただろうか。

そう、俺が記憶の中にある過去の情景を呼び起こして居る時だった。


「兄貴……俺です。猫の時に、兄貴に助けてもらいました。育ててもらいました。猫です」

『……なんだって?猫?なにを言ってるんだ。お前は人間じゃないか』

「人間になったんです。猫だった時、車に轢かれて死んで、そしたら今度は人間になっていました。俺は覚えています。猫だった時の事を。俺は兄貴に子猫の時に拾われて助けてもらいました。狩りの仕方も、縄張りの広げ方も、人間から飯を貰う方法も、全部兄貴から教わりました。いつも寝る時舐めてもらいました。兄貴、兄貴は俺の事を覚えてませんか」


そう、情けない顔のまま必死に俺に語りかけて来るアカに俺は言葉を失ってしまった。

そうだ。


この顔、この声、この匂い。


懐かしいと思ったそれらすべてが、あの俺がまだ普通の猫だった時に気まぐれで育てた子猫のソレと繋がる。


『お前、ほんとにあの時の猫か。じゃあ!最初の狩りで俺に取って来た獲物はなんだ!?』

「スズメ。大人になってからはカワウなんかも取って兄貴に持ってきた事もありましたよね」


そう言って懐かしそうに笑いながら答えるアカに、俺はなんとも言えない程、腹の毛がブワブワと揺れるのを感じた。

あの時の子猫はやはり車に轢かれて死んでいた。

死んだが、今、人間の姿で、俺の前に居る。

それは、なんとも俺の腹の毛をブワブワさせた。


「兄貴、俺、また兄貴に会えるなんて思わなかった!嬉しいです!兄貴を見た瞬間、すぐに兄貴だってわかりました!」


アカはそう言うや否や俺の鼻に自分の鼻をくっつけてきた。

人間の姿でそれをさせると、なんとも滑稽極まりないのだが、その姿に俺は目の前の人間があの時の子猫だと確信した。

俺にここまで甘えてくるのは、生涯、あの子猫しかいなかった。


『お前は死んで、人間になったのか?猫は死んだら人間になるのか?』


俺は鼻をくっつけて甘えてくるアカにそう問いかけると、アカは俺から鼻を離して「そうっすねぇ」と考えるようなしぐさを見せた。

死んで人間になれるのなら、俺は死ねぬこの身を呪いそうだ。


「それが、わかんないんすよね。俺、生まれた時から猫だったの時の事を覚えてたんで、他の奴らもそうなんだろうって子供の頃は思ってたんすけど、そうじゃないみたいだし。それに、こうやって猫の言葉がわかるのも生まれつきなんすよ。周りからはそのせいでかなり変な目で見られてきましたけど」


『死んだら必ず人間になれるわけではないのか』


残念だ。そして、少し安心した。

俺は死ねないから。


そう、俺が心底思っているとアカは自然と俺の体に手を伸ばしていた。

どうやら、撫でてくれるらしい。

昔俺よりも小さな子猫だったアカが、今や俺を抱え込む程大きな人間の手を持って俺の体を撫でる。


さすが、昔猫だっただけあって撫で方を心得ている。

気持ちいい。


「逆に俺も兄貴に聞きたいですよ。俺、兄貴に会えて嬉しいんすけど、なんつーか……兄貴長生きし過ぎじゃないですか?もう俺が死んでから大分経ちますよね。軽く20年位は経ってると思うんですけど。それに、兄貴だって人間の言葉が分かるみたいだし。俺、猫の言葉はわかりますけど、普通の猫じゃ、やっぱ人間の言葉は理解できないみたいっすよ」


アカの話を聞く所によるとアカは自分は猫の言葉は分かるが、話しかけても猫は理解してくれないらしい。それに、普通は死ぬ前の(人間はそういう前の人生の事を前世と呼ぶらしい)記憶なんて覚えていないらしい。

俺は死んだ事がないので、そのあたりの事はわからない。

しかし、言葉についてはアカと同じだ。

俺も人間の言葉は理解できるが、俺の言葉を人間は理解できない。会話の成立は不可能なのだ。


『昔、俺も寿命で死にそうになったんだが、その時俺はよくわからないが、渡瀬神社のかみさまという人に助けてもらったらしい。その時から俺は人間の言葉がわかるようになった。だから今、俺は変な猫なんだ』


胸のトクントクンも聞こえないしな。

俺はそう言うと『ほら、』と、撫でるアカの手を避けてクルリ仰向けに寝転がった。

勘違いしないで欲しいのは、俺は撫でて欲しいわけではなく胸のトクントクンがなくなったから聞いてみろという意味で寝転がったのだ。

しかし、その瞬間またしてもアカの眉はヘタリと頼りなく落ちた。


「兄貴」


それまで俺の背中や顎の下を絶妙な力加減で撫でていたアカの手が一瞬、躊躇うように空中で止る。

そして、その手は俺の予想に反して引っこんでいき、そのままアカは自らの頬を俺の腹にピタリとくっつけてきた。


「懐かし、い。兄貴……ほんとに、兄貴だ」

『人間になってもお前は乳吸いをするのか』

「しないっすよ!しないっすけど……兄貴」


アカは何故だか鼻をズズとすすりながら俺の腹に顔を埋めたままグリグリと擦りつけて来る。本当に昔から何も変わっていない。まぁ、まだアカも人間の子供だから仕方ないのかもしれない。

俺はそう思うと鼻をすするアカの額をぺろぺろと舐めてやった。

こうすると、昔から安心したように眠るから。


『いいなぁ。お前は人間で。羨ましいかぎりだ』

「う゛――っ」


ぺろぺろぺろ。


俺はぽろぽろと目から水を流すアカをあやすように舐めてやった。

アカが水を流さなくなったのは、それからしばらく経ってからだった。

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