2:そうまとう
どのくらい生きただろうか。
俺はねぐらにしているボロボロの建物の軒下で体を丸めながらひっそりと思った。
木枯らしの吹く、一際寒い冬の夜。
己の体が徐々に冷たくなっていくのを、俺は遠のく意識の中ひしひしと感じた。
胸のあたりのトクトクと言う音が頼りなく今にも消えてしまいそうだ。
俺はなんとなくわかっていた。
自分がもうすぐ死んでしまうであろう事を。
寿命。
それ以外に考えられない程、俺は十分生きたと自覚していた。
目を閉じてつらつらと考える。
生まれてからこれまで色々あった。
母は優しかった。よく俺の体を舐めてくれた。
兄弟は俺の他に4匹おり、よく共にじゃれて遊んだ。
しかし、突然母が死んだ。
そのせいで、兄弟は皆バラバラになった。
まぁ、一人立ちの時期も近かった為、母の死が兄弟をバラバラにしたとは一概に言えないのだが。
母が何故死んだのか、俺は当時よくわかっていなかった。
しかし、母はよく言っていた。
人間のたくさんいる道へは飛び出してはいけない、と。
そのせいでたくさんの猫がこれまで死んだという。
ただ、俺が最後に母を見たのは、たくさんの大きな動くモノが通る真ん中に倒れている姿だった為、母は自分で「してはいけない」と言っていた事を自らが行ってしまって死んでしまったのだろう。
行きたい場所を見定めたらまっしぐらに走ってしまう、それは猫の性である。
そう考えると、母の死は仕方のない事だ。
ともかく、俺は兄弟とバラバラになってから自らの縄張りというヤツを作るために、今居るこの土地へと辿りついた。
たくさんの猫と闘った。
闘いはオス猫にとって縄張りを広げる為に、とても重要だ。
縄張りを確保すれば良い餌場も、メス猫も取り放題なのだ。
たび重なる闘いの結果。
俺はここら一帯を仕切る猫にのし上がった。
その頃からだろうか、俺がこのボロボロの建物の軒下に寝どこを構え始めたのは。
ここは俺のお気に入りの場所だった。
何故なら、この建物にはよく人間がやってくる。
何かを箱のようなものに投げ入れ、ヒモを揺らし、カランカランと音を鳴らす。
そして、手を合せて目を閉じてブツブツと何かを言うのだ。
その様子を見ているのが何とも面白い。
俺も真似をして、落ちている石を口に加えて箱に投げ入れた事があった。
だが、ヒモを揺らそうとヒモに向かって飛びかかった拍子に、地面に背中から落ちてしまうという猫らしからぬ失態をしてから、俺はヒモを揺らす事は諦めた。
しかし、定期的に箱に石を入れる事はたまにやった。目を瞑ってぶつぶつ言うのも忘れない。
それに、此処は近所の人間の子供らの遊び場でもあった。
故に、俺もよく子供と混じって遊んでいた。
子供らの遊びで俺が最も好きだったのが、隠れている者を探してまわる遊びだ。その遊びを知った時、本当に人間と言うものは面白い事を思いつくものだと俺は感心した。
それは、俺達猫の単純明快なじゃれ遊びとは違う、とても高度な遊びだ。
故に、俺もよく子供に交じり一緒に人間の子供を探すのだが、隠れる子供を見つけるのは造作もなかった。
そのため、探す子供に鳴き声で隠れる子供の場所を教えてやったりもした。
俺はなかなかに人間が好きだった。
母は人間のせいで死んだというが、それでも俺は人間が嫌いではない。
人間はよく俺達に食べ物をくれる。
昔は俺もネズミや鳥を取って食べたりもしていたが、やはり一番美味いのは人間の食べ物だ。
狩りをするよりゴミを漁った方が遥かに美味いものが食べられるし、ゴミを漁るより人間に近づいた方が遥かに美味しいものが貰える。
故に、俺の暮らす寝どこから餌場からは遠かったが、俺は他の猫達とは違うルートで人間から飯を拝借していた為、気にならなかった。
トクン……トクン。
胸の音が更にゆっくりになった。
けれど、俺の頭の中は過去を飛び回るように駆けまわっていた。
今まで生きて来て出会った様々なモノが頭の中を駆け巡って行く。
あぁ、そう言えば死にかけた一匹の子猫を拾ってやった事もあった。
俺のテリトリーでよたよたと、今にも死にそうな子猫を見かけた時、俺は気まぐれを起こした。
俺はその猫に餌をやり毛を繕ってやったのだ。本当に、本当に、ただの気まぐれだった。
俺にはおかしな事に他の猫のように発情期とやらが訪れなかった為、自分の子供とやらが居なかった。
故に、俺は誰からも庇護されない子猫を気まぐれに我が子のように世話してやったのだ。
子猫は俺になついた。
すぐに成人の猫になったが、アレはそれでも俺の後をついてまわったりしていた。
人間から貰った餌を一緒に食べたり、俺のお気に入りの軒下で一緒に寝たりした。
しかし、気まぐれで育てたその猫もいつの間にか居なくなっていた。
風のうわさで聞いたが、死んだらしい。
俺の母と同じく、人間のたくさんいるあの道の真ん中で。
まったく、あれほど大きな道を飛び出すなと言って聞かせたのに。
まぁ、あの猫はとてもけんかっ早く熱くなると周りが見えなくなる性分だったようだから、それも仕方ないのかもしれない。
それに何度も言うが、猫は行きたい場所へはまっしぐらだ。
一旦、止まって思慮するという事はしない。
あぁ、全てが懐かしい。
一緒に育った兄弟は別れた後どうしただろうか。
俺の頭を撫でながらいつも饅頭をくれた人間は元気だろうか。
死んでしまったあの猫と同じところへ俺もいくのだろうか。
と、くん。
最期の一瞬、俺の頭の中が鮮やかに開けた気がした。
しかし、それと同時に俺の最後の胸の音が鳴り終わった。
そして、再度その胸の音が聞こえてくる事はなかった。
俺は、俺と言う生き物はこの時死んだのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます