19:りょうり
「にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ」
俺はこれでもかという位『ごはん、ごはん、ごはん、ごはん』と叫びながら一人の男の足元へ向かった。
俺だって知っているんだ。
あの白い前掛けをしている人は美味しいごはんを作る人の目印だ。
ミソノサンも茶色の美味しい肉を作る親父もみんなアレと似たのをしている。
だから、ここではますたーがごはんをくれる人だ。
『おいしいごはんをください』
「おいおいおい。ここは飲食店だぞ。野良ネコなんか連れてきてんじゃねぇよ。汚ねぇだろうが!」
『汚くない!毎日舐めてる!』
俺は“汚い”という言葉に腹の毛がブワッと逆立つのを感じると、ますたーの足を前足で叩いた。
『ごはん!ごはん!くれるってアカは言ったぞ!』
「うおっ、なんか怒った?」
「おい!マスター!兄貴に失礼な事言ってんじゃねぇ!金なら俺が払うから美味いもん作れよ!兄貴は客だぞ!」
「はぁ?お前マジで言ってんのかぁ?ここはペットフードは扱ってねぇよ!」
『俺はちゃんと人間の食べ物を食べれる!もう一回毛づくろいするから早くごはん!!』
俺はそう言って、人間が気になるらしい俺の体の汚れを落とすべく、その場に座って体中の毛づくろいを始めた。
これでも俺は綺麗好きだ。人間に食べ物を貰う上で、汚いのは一番だめな事だと知っているからだ。汚い体だと人間は近寄る事だって許してはくれない。
「マスターが汚いって言ったからネコちゃん体綺麗にし始めたよー!作ってあげなよぉ。金は安武が払うって言ってんだしぷぷ」
「そうだぜ!マスター!この猫様は安武の兄貴様だからな。丁重に飯を作ってやれよ」
「あぁぁぁ、お前らほんっとめんどくせぇな!おい!そこの猫!お前勝手に店の中暴れ回んじゃねぇぞ!暴れたら店の外に放りだす!」
『俺は大人の猫だ!暴れたりしない!』
俺は「にゃあああ」と長めにますたーに向かって鳴いてやると、ますたーは椅子と机の奥でガチャガチャと何かし始めた。
どうやら、ごはんを作ってくれるようだ。
まったく、毛づくろいなんて昨日の夜もしたのだから、したって汚いところはない。
「兄貴、座りましょう」
『アカ、俺は汚くない』
「知ってますよ。兄貴が綺麗好きな事は。昔からよく」
そう言って笑うアカに俺は人間のようにコクンと頷いた。
どちらかと言えばアカの方が汚い。
いや、今の人間のアカではなく、猫の時の話しだが。
アカはすぐに土や泥でべちゃべちゃに体を汚す癖に、いつもほったらかしだった。
だから、いつも俺がアカの体を舐めて綺麗にしてやっていた。
子供の時だけではない。大人になってからもだ。
だから俺はアカより綺麗なんだ。
そう、俺は一人そんな事を考えながらアカの後をついて店の中を歩いていると、アカはますたーがガチャガチャと何かしている前の席に腰かけた。
その席は他の席と違って四角い机に向かいあって座るような席ではなかった。
一列に並んで座るその席は、ますたーの動きが良く分かるカタチになっているようだった。
俺はなんだかワクワクして髭がヒクヒクなるのを抑えられないまま、アカの隣の椅子に飛び乗った。
「なんか凄いおりこうさんな猫だねぇ」
「安武ん家の猫か?だから昨日コイツが来て途端、喧嘩からフケやがったのか?」
「ちげーよ!兄貴は俺に飼われるような猫じゃねぇ!兄貴は人間に縛られたりしねぇんだ!覚えとけ馬鹿共が!」
なにやら隣でアカ達がごちゃごちゃと騒いでいる。
しかし、その時の俺にはそんな喧騒、まったく耳に届いていなかった。
俺はますたーの動きに夢中だったのだ。
ますたーが動く動く。
ますたーの手が動く、動く。
ますたーは大きな箱から何やら沢山の食べ物を取り出すと、それらを木の板の上や銀色のまるい入れモノの中に入れていった。
木の板の上に置かれたのは赤い魚だ。この魚は見た事がある。
以前、ミソノサンに貰ったシャケという魚だ。
あれは美味しかった。
ますたーは銀色の先の尖った鋭いもので器用にシャケを切って行くと、ソレはみるみるうちに魚の形ではなくなっていった。
あんな平べったくて長かった魚が、今、ますたーの手元で既に四角い形に変身している。
俺は目の前で起こるますたーの手の動きに夢中だった。
ヒゲがヒクヒクする。胸の毛がざわざわする。
ますたーは四角くなったシャケに白い何かを振りかけると同時に、隣で火にかけていた湯の中にも同じものを入れた。
一体あれで何をするのだろう。
「にぃぃ、にぃぃぃ」
思わず漏れていた俺の鳴き声。
しかし、それは意味のある言葉ではなく、なんとなく沸き上がって胸の毛のぶわぶわを発散するように出た鳴き声だった。
こんなにも間近で、こんなにも細かい人間のごはん作りは初めて見る。
すごい、これはすごい。
そんな俺の様子をますたーはチラチラと見ている。
たまにますたーと目が合うのが面白い。
俺は最初に座っていた椅子の上から立ち上がった。
そして、机の上に前足をかけ体を乗り出しながらますたーの手元を追う。
心なしかますたーの口元が上がっているように見えるのは俺の気のせいだろうか。
「猫ちゃん興味津津だねぇ。ありゃ何してんのか分かってんだね。ほんと、おりこうさんだ」
「確かに。なんかアイツ可愛いな、おい。名前なんだっけ?“兄貴”?」
「テメェら黙れ!しばき倒すぞ!兄貴の見学の邪魔になるだろうが!」
何やら隣でギャンギャン話しているアカ達の声など俺にはもう届いてはいなかった。
いや、ちょっとだけアカの叫び声は聞こえる。
うるさい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます