城を辞した天波は張家大人たいじんに期待に沿えなかった詫びを入れ、こっそりといつもの飯店しょくどうに顔を出し、薄暮帰路についた時分でまたも伝令を受け取った。夜に狼家に来客があるようだ。しかしあくまでも天波だけに用があり、騒ぎ立てないようにという内密の旨で流石の天波も誰が来るのか分かった。



 父は同席したがったが丁重に断り潭凱に任せ、星の見え始めた頃、長身の影が戸口に立った。裹頭ずきんを巻いた見慣れた姿、紛れもなく共に戦った青年だった。


 客間に面した露台で天波は彼と顔を突き合わす。朝再会したというのに随分懐かしい気がした。いいや、と首を振る。『素律』に会ったのは谷から戻って以来だ。


「久しいな」

 彼もそう言った。天波は笑う。

「傷はもういいのか」

「大したことはなかった」

「そうか。……まさかだった。まさかお前が当主だったとは」

 言えば目を細めて微笑し、頭だけ布を取った。ひと房だけ白い黒髪。席を立ち片膝をついた。


「改めて名乗ろう。我ら族の当主、紅煒玖くいきゅうと申す」


 天波は息をついた。

「まったく気づかなかった……」

「私もまさか主の顔を知らぬ重臣がいるとは思わなんだぞ」

 だって、と口を尖らせた。思えば猋を指笛で呼んだり自在に操っていた時点で疑問に思うべきだったのだ。


 煒玖は立ち上がり寒空に掛かる眉月を眺めた。

「……顔を見せたい相手に、会いに行ってきた」

 月光に照らされた横顔を天波は見上げる。

「どうだった?」

「……泣いて喜んでいた」

 そうか、と破顔した。煒玖は向き直る。

「子を身籠っていた。私との子だ。しかし、城へ上がることを拒否している」

「なぜだ?」

「…………異人なのだ」

 ぽつりと呟いた声が夜空に沁み渡った。「当主の閼氏えんしに異人が上がった例はない。反対も強かろうし、本人もそれを十二分にわきまえていて街で暮らしたいと望んでいる」

「お前はどうしたいんだ?」

 問われ、顔をうつむけた。

「……意思を尊重したい。子は引き取って城で育てねばならないが」

 そうか、ともう一度相槌を打ち、天波も席を離れ夜空を見上げた。

「そういうのも無くなればいいのにな」

「というと?」

「異人の血を引こうと同じ牙族なんだから、別にいいと思うけどな、私は。まあ上の世代が認めないか」

「お前はまるで掟を破るためのものだと考えているようだな」

「そんなことはないが、なぜ守らなければならないのか疑問に思うきまりが多いんだ」

「お前は変えるべきだと思うか?」

「誰かが理不尽に悲しい思いをする仕組みは嫌だな。皆が幸せになれる方法があれば良いのにと思う」


 そうだな、と同意して、しばらく二人は無言で夜風に吹かれていた。


「……左賢。私が一族を革新する、その一翼となってくれるか」

 天波はぱちくりとする。黒い双眸は星を見上げたままだ。

「私の代だけでは到底ふるい体制など変えられはしないことは分かっている。せいぜいいしずえを築くくらいまでだ。しかしそれを後の世代まで託すには絶対に基礎を壊されてはならぬ」

「……実は、父上が狼家のだれかを閼氏にしようとしてるんだ。もう私が左賢になったのだから、必要ないと言ってるのだけど。でも、やはりその礎を築いていくのには次世代が必要なんだよな。どう思う?」

「特に異存はない。狼家の実力はお前が証明してみせた。これからまだまだ優秀な者は出るだろう」

 煒玖は天波をまっすぐ見る。

「お前が閼氏になっても私は構わない。というか、狼家の者にするならお前以外いないだろう」

 さらりと言ってのけたのに固まった。言が続く。

「閼氏はふつうの配偶つまじゃない。当主の血を繋ぎ、異能をとどめる才ある者でなければならない。民の間の婚姻とはまた違う使命を帯びる。泉国の脅威から一族を守るための堅固なとりで、太柱とならなければならず、思い描くような幸福は得られないかもしれない。しかし、私はお前にならその務めは信じて任せられる。お前はどう考えている?」

 天波は頭を掻く。

「そうまで言われてはな……。分かったよ、もっとちゃんと考えておくさ。でもまずは伴當はんとうとして役に立たなくてはな。そうだ、左賢になったからには万騎はんきを連れて出兵できるんだよな?」

 呆れたような雰囲気に慌てて手を振る。

「いや、なにもそればかり考えてないぞ。まつりごとのこともきちんとする」

「頼むぞ、本当に……」

 ふいにおかしさが込み上げて二人で笑い合う。それからまたぽかりと無言になった。


「あのさ」

 やがて言い置き露台の欄干に凭れた。

「確かに当主と閼氏は一族を背負って大変なんだろうと思うけど、男女…伴侶であることには変わりはないだろう?なら、やっぱりお互いを知らないと良い関係なんて築けないよ。友達になるよりもっと深い仲になるんだから。ちゃんと考えると言ったけれど、私はよく知りもしない相手と一緒になる気はないぞ。それは覚えていてくれ」

 煒玖はしばらく顎に手を当てて考え込んだが、頷いた。

「分かった。ではその気になったら教えてくれ。それまで私ももっとお前をよく知るようにする」

「なんだよ、いまの間は」

「すまない。正直閼氏のことをそういう役割の者としか考えたことがなかった。お前の言うような発想をしたことがなかったのだ、許せ」

「先が思いやられる……」


 なぜそこだけそんなに感情が希薄なんだ、と思ったが内心しんみりとした。彼もまた、個人の気持ちよりも一族の役割を担うことを優先せざるを得なかった人なのだ。しかし、と笑みをつくる。自分は違う。自分だけは当主としてではない煒玖という一人の男を見てやれる。


「さてじゃあ、まずは何か、とりあえず私と二人でいるときは顔を見せてもらおうか」

「強要するな。私は見せたい相手に見せる」

「私は違うのか?」

 茶化して尋ねたのに、煒玖は笑んだ。ゆっくりと巻いた布を取る。

「……これで満足か」

 天波は両手を伸ばしてその頬を包んだ。

「煒玖……やはり男前だな、お前は」

 煒玖もその髪をすくう。

「はじめから思っていたが、お前もすこぶる美人だ、天波」

 遅いわ、と大笑した声が満天の星々に溶けてゆく。







 翌年生まれた煒玖の子は世にも珍しい青い瞳をした男児で、二人にとってはまさに一族の革新における嚆矢こうしの象徴ともいうべき存在となった。天波は左賢として皆を導きながら継嗣けいしたちの養育にも率先して関わり、施政においては特に万騎や異人の待遇の改善に努めた。また広く親交を深め、城の中枢と民との橋渡しとしても活躍し諸外国にまで名を聞かせる稀有な功臣となった。



 その後、天波は正式に閼氏を務めた。



 二人が先導する舟は様々な波乱を巻き起こし、ついには大波を呼び寄せることになったのだが、それは彼らの子供たちの世代の、また別の航海譚である。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秋墳鬼唱 合澤臣 @omimimi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説