〈十〉
落盤した洞の外にはいたるところに人だったものの残骸が散乱していた。おそらく麅鴞に取り込まれた過去の人々で、まるでたった今まで生きていたかのように
そして、
「これはただ
「そうか……」
素律は猋に凭れたまま
「……持ち帰るのか?」
天波はしばらく考え、張正の頭を集めた遺骸の山へ置いた。
「口惜しいが、彼はここで死んだ。静かに眠らせてやりたい」
そうか、と晴れた空を覗かせた遥か頭上の亀裂を見上げた。どこかで鳥の声がする。
麅鴞を
洞の湧き水までは崩落は及んでおらず、汲んできて血で汚れた体を拭う。動くのが億劫なのか素律は座り込み、黙ってされるままになっていた。ほどけた長い黒髪もついでに清めてやった。ひと房だけが銀の髪は
「白い場に囚われたか」
「ああ。――小さな子どもがいなかったか。赤い髪の」
素律は目を
「……そうか、会ったか」
「知っているのか?」
しばらく無言で茫洋としていたが、ぽつりと呟いた。
「おそらくそれは核に唯一あった
「唯一?」
「麅鴞の芯のようなもの」
ふうん、と天波は生返事で広い背に薬草を押し当てた。患難の去った今、混乱のせいで頭の中が整理できていなかった。布を巻いていく彼女に素律は目を細める。
「お前は
「どういうことだ?殺されそうになったんだが?」
問うても彼は長い睫毛を伏せてそれ以上は何も言わず、ただ労わるように天波の頭を
可能なかぎり集めた遺体は火をつけた。安らかな眠りを祈り、たなびいた煙が消えないうちに猋に跨る。猋ならどれほどの断崖でも易々と登ってくれる。
素律と生き残った群れと共に濃霧の
軽々と登って帰ってきた二人に歓声が上がった。再び顔を隠した素律の表情は窺えなかったが、彼もまた安堵しているようだった。
大歓声で人々が何を言っているのかも分からない騒ぎのなか、仲間に囲まれて天波は喜びに顔を
滂沱の涙を流しているのは
「谷に行くって聞かなくて止めるのが大変だったんだから」
「しまいには城に乗り込んだんだ。こいつ、お前が心配でこの半月ろくに寝てないんだぞ」
そうか、と天波は潭凱の頭を抱えた。
「すまない。心配をかけた」
「間違いなくお嬢だ……本当に、よく無事で」
潭凱は真っ赤に泣き腫らした目を痛そうに
「ええっと、今度は本物だよな?」
「はあ?」
泣き続ける下僕を
「正直私は全く歯が立たなかった。当主が猋を遣わしてくれて本当に助かったよ。是非にお礼を言わなければな。加勢の男もかなり腕の立つ奴で、あいつがいなければ私は死んでいた」
肩を竦めて笑ったのに、潭凱や他の者たちはぽかんと口を開いた。
「お嬢、何を言っているのです?」
「――――え?」
「当主御自ら、猋と共に谷に降りられたのです。他の者は絶対に来るなとの厳命で、俺はそれを破ろうと画策していたのですが」
今度は天波の開いた口が塞がらない。脳裏に豊かな長髪の記憶が巡った。
「お嬢?」
頭を抱えた天波に周囲の者が顔を見合わせる。まさか、そんな。かなり失礼なことをいろいろ言った気がする。そもそも全身の傷の手当てまでしてもらった…………。
雄叫びをあげて昏倒した天波は皆にねぎらわれながら馬に乗せられ、晴れて街に凱旋したのだった。
狼家の天波は一躍時の人となった。街中にその武勇が広がり、家の前には一目美貌の戦士を見ようと人だかりができる始末、求婚者が過半を占めていることは誰にでも分かることで、数日間、潭凱らは容赦なく侵入者を叩き出すことに追われた。
当の本人は帰ってきてからというもの溜まりに溜まった疲れを消化する為に眠り続け、外の騒ぎはとんと届いていなかった。浅深の眠りを繰り返して五日、まともに食事ができるようになるまで半月、寝床を離れられなかった。ひどく神経を摩耗させていて自分でも予想以上に弱っていたのだと気づかされた。ようやく起き上がれるようになり、
痩せこけた身体を戻し、動けるようになって全快したころには季節はすでに寒い冬へと足を踏み入れていた。そして、それまで一度も来なかった伝令が天波の元へと届けられた。城への出仕の
朗々とした
この日、天波は一族の中で最も高位の十人将、その筆頭である
以後、天波の後に精鋭が続くことになる。
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