第20話 next prologue
全ての生命の息吹を、一つ残らずかき消すかのような猛烈な吹雪が吹き荒れていた。足跡一つ無い雪原の上には、目に見えぬ大蛇が這っているかのようにさざ波が立ち、その上を無数の雪の欠片を乗せた風が乱暴に通り過ぎてゆく。今ここを人が歩いていたとしたら、目も開けていられないだろう。
だが、ここは無人の雪原ではない。
雪原には、一目見てそれとわかる人工物がある。真っ白な雪の中に突き立つ鉄条柵に囲われた、監獄だ。黒々とした巨大な監獄の門扉はきっちり閉じられ、猛烈な吹雪すらも心なしか遠慮がちに監獄の壁面を叩いている。
豪雪地帯にあるこの監獄には、殊の外凶悪な囚人ばかりが収監されていた。生きて、ここを出た者はいない。たとえ脱獄できたとしても、この猛烈な吹雪の中では、1分と立っていられない。脱獄こそが死を意味した。雪のやむ春と夏も同じだ。この地域に生息する、巨体で知られる熊や狼の胃袋が、他の獣より鈍重で、それも非武装の人間を、放っておくわけがなかった。決して、生きて出ることなど叶わないのだ。特例を除いて。
その特例が、一人の囚人の身に起ころうとしていた。
凶悪な囚人にはとても見えない。病人か、果ては死人かと思うような白い肌の、少女に。
個室の監房に入れられた上に、手足を鎖で繋がれたその少女は、じっとしていれば精緻な造りの、等身大の人形のようだった。華奢な身体は、囚人には似つかぬ、豪奢なフリルが幾重もあしらわれた黒いドレスに包まれ、左右に結わえられた黒い巻き髪は、黒いサテンのリボンで飾り立てられている。監獄にいるにしては何かの冗談のような出で立ちの少女だ。彼女のことを知らぬ人が見れば、いたいけな少女になんてことを、と、その悪趣味さと非道さに顔をしかめることだろう。だが、ここにはそんな顔をするものは誰一人としていない。皆、少女の正体を知っているからだ。
私欲のため禁忌に堕ちた魔女、あるいは、呪われた魔女。それがこの少女だった。この少女に同情する者など一人もいない。むしろ、恐れられ、気味悪がれ、遠ざけられた。だから、こんな風に、最奥部の個室の監房に繋がれているのだ。恐れられるあまり、囚人服へ着替えさせる手間すらも省かれ、少女は着の身着のままここに放り込まれていた。
その少女のもとへ、珍しく来客があった。そもそも、ここの囚人に来客があること自体滅多にないことだった。だからこれは、本当に珍しいことだった。
「コルキアよ。祖国のために働く気はあるか」
来客——灰色の軍服を纏った熟年の男が、看守に案内されて現れるや、間髪をいれずに、檻の中の少女へ問いかけた。
コルキアと呼ばれたその少女は、項垂れていた首をわずかにもたげる。聞く気はあるようだと判断した軍服の男は、そのまま言葉を続けた。
「図書迷宮。あれを、ミーレンスの地へ持ち帰れ。そうすれば、身の自由を保障する。これまで犯した罪状も全てなかったことにする」
悪い話ではあるまい、と、男はコルキアへ何か返事を寄越すように促した。
するとコルキアは、「私は」とかすれた声を立てた。
「一度、自ら図書迷宮の入手に挑み、失敗した。そうでなければ、ここにはいない」
「そんなことは知っている。だがお前しか、頼るものがいないのだ」
男は、わざとらしく縋るような声を出した。
「この国で、お前以上に魔法に精通している者はいない。図書迷宮を手に入れることができる可能性があるとしたら、それはお前なのだ。一度失敗したからなんだ。もう一度やってみればいい。我々もあの方も、援助を惜しまない」
「あの方?」
コルキアがわずかに身を動かした。鎖が擦れる音が監房内に響く。
「この話は、国家の秘め事だ。そう言えば、おおよその予想はつくのではないのかな」
コルキアは目を細め、気位の高い猫のように格子の間から男を眺める。その無表情な顔から、彼女の考えを読み取ることは、ついぞできなかった。
図書館司書メル・アボットと仕掛け絵本 藤咲メア @kiki33
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