第2話 女童

お岩

伊右衛門




薬屋くすりや 青志郎せいしろう(朔太郎の双子の弟)

すなっく現世擬うつしよもどき 店主 朔太郎さくたろう(青志郎の双子の兄)


夜魔王やまおう 閻魔大王の息子


九鬼丸くきまる 夜魔王の眷属けんぞく(九鬼子の双子の兄)

九鬼子くきこ 夜魔王の眷属けんぞく(九鬼丸の双子の妹)


胡鬼こぎ 地獄の牢屋番ろうやばん


斗鬼とき お役所やくどころ受付番うけつけばん


汨羅之鬼べきらのき 鬼(水中でおぼれて死んだ人)


薄桜鬼はくおうき 鬼(八重に取り憑いた)







《あの世黄泉町一丁目 伊右衛門の家》


(岩、梅 伊右衛門の両側に立っている)


 伊右衛門 閻魔大王の計らいによりお役所の仕事に就く事になったのであるが、今日がその初日であった。


岩「女には気をつけて下さいまし」

梅「女には気をつけて下さいませ」


 (岩、梅 其々それぞれに火打ち石をうつ)


岩 梅「いってらっしゃいまし」


伊右衛門「う、うむ」

 (右を向き左を向きしながら家を出る伊右衛門)



《お役所にて》


斗鬼「おはよう御座ございます。僕はお役所 受付番の小鬼こおにの斗鬼と申します。伊右衛門さん、今日からおつとめよろしくお願いしますね。閻魔様からの情報によりますと、与力よりきのお仕事に就かれていたとか・・。本日は、市中の見回りをお願いしますね」


伊右衛門「あいわかった。では、早速さっそく、行ってくるとしよう」



 黄泉町 見回り中の伊右衛門


 橋の上に何やら赤い小さなかたまりが見える。

 何かと近寄ってみると女童めのわらわがスンスン泣いていた。


伊右衛門「もし。そこな女子おなご何故なにゆえ泣いておるのだ?」


 (女童 スンスン泣いているばかり)


伊右衛門「もし。聞こえておるかの。何故泣いておるのだ」


 (女童 スンスン泣いているばかり)


伊右衛門「困ったのぉ。わたしは子供はとんとわからなんだ。そうだ。お役所へ連れて行こうか」

 



現世うつしよにて 夜》

 

 薬屋 青志郎が日本橋の上を歩いている。

 と、橋の向こうに薄白い影が現れた。

 すわ、幽霊か物のたぐいかと身構えたが、ようく見てみると、

 薄い色の着物を着た女が橋の上から身投げをしようとしているでは無いか。

 歳の頃は二十と七つ位か。

 

 (青志郎 驚かさないようにゆっくりと近づく)


青志郎「もし、そこな人。何をしようとしているのだ?」


 (ハッとして振り向く女)


女「ほうって置いて下さいまし。私は、ここから娘を探しに行かなくてはならないのです」


青志郎「はあて。何とも不思議では無いか。俺には、貴女が飛び降りようとしている様に見えるが・・」


女「はい。飛び降ります」


青志郎「ちょ、ちょっと待ってくれ。一体全体、どういう訳だい?」


女「時間がありませんの。どうぞ、お引き留めにならないで」


青志郎「いや、そんな事を言われても、ここで会っちまった以上は知らん顔は出来ない相談だ。なんせ、俺は薬屋だからな。人を治す薬を扱っているんでな、身投げをしようとしてる御仁ごじんを、ほうってはおけなんだ。どうだい?ほんのすこうしの時間だ。俺に話してみないかい?」


女「・・・・あっ」

(女が迷っている間に、少しずつ側に寄っていた青志郎は女を捕まえた)



女「私は八重やえと申します。実は三月みつきばかり前の事になりますが、一人娘の伽耶かやが川で遊んでいる時に溺れてしまいましたの。その時に、たまたま近くにいた御仁に助けられて一命は取り止めたのですが、一向に目を覚ましません。家の者たちはきっと死んでいるに違いないとか、魂が取られたに違いないと申すんです。私は伽耶の世話をしておりますが、その身体は暖かくしんぞうも脈を打っております。

 ですが、流石さすがに目を覚さないので、近所の人達も怪しみ始めました。生きている人間が、水も食べ物も口にせず、いつ迄も生きていられる訳がないと。私は、きっと娘の魂が何処どこかで彷徨さまよっているに違いないと思い、溺れた川へ入って探しに行こうと思ったのです。それが、たった今の事でございました」


青志郎「ふうむ。何とも奇怪きかいな話だ。意識が戻らないまま生きているとな」


八重「はい。もうどうしたものかと・・。そうだ。薬屋さんとおっしゃいましたね。どうか、一度、娘を診ては貰えませんか?江戸中を歩いて、名のあるお医者の先生方にも診て貰ったのですが、一向に意識が戻りません。もう、わらにもすがる思いですの」


青志郎「そうさなあ。俺でどうにかなるもんか」


八重「ぜひに。どうか」


 (青志郎 俯き加減で少し考え込む

      ふいに顔をあげた)


青志郎「分かった。では、そうしよう」


八重「ありがとうございます。では早速」


青志郎「ちょっと、薬の準備をするんで待っててくれないか?」


八重「ええ」


 (青志郎 八重から離れると暗闇に消えた)




《すなっく 現世擬》


 (伊右衛門は不思議な顔をしながら酒を飲んでいる)


朔太郎「旦那、どうかしたんですか?さっきから表情に落ち着きがありませんが」


伊右衛門「うん。黄泉橋の上で何とも不可思議な事があってな」


 (状況を説明する伊右衛門)


伊右衛門「それでな。迷子かと思って、お役所へ行こうと女童めのわらわの手を取って歩き出したのだよ。いや、道中も何を聞いても泣いてばかりだったのだがな。ようやくお役所に着いて、さあ、斗鬼に話そうと思ったら、消えていたのだ」


朔太郎「ほぅほぅ」


伊右衛門「同僚には変な顔をされるし、斗鬼には「真面目に仕事をして下さい」と、お説教をされるしでな。何とも疲れたわい」


朔太郎「ほほぅ。ほほぅ」


伊右衛門「お主は、ほほ言うばかりでは無いか」


朔太郎「いや、旦那。飲み屋の人間はお客の話を聞くのが仕事なんでさあ。へへ」


伊右衛門「まったく、調子のいいやつだ」


朔太郎「へへ。所でそろそろお帰りにならなくて良いんですか?旦那の奥方達は、大層やきもち焼きで心配性だとか・・・」


伊右衛門「お、おう。そうであった。そろそろ帰るとするか」


朔太郎「へい、毎度。お代は・・」


伊右衛門「ツケにしておいてくれ」


朔太郎「いや、旦那。此処ここは黄泉町ですぜ。いつ何時、居なくなるかわかりゃあしませんからね。お代はその時々に・・」


伊右衛門「堅苦しい事を申すな。わたしとお主の仲ではないか」


 (伊右衛門 まいどと手をあげて店を出る)


朔太郎「まったく、調子のいいのは何方どっちですかね」


 (呆れ顔で片付けを始めた朔太郎であったが、机の上に手拭いが置いてあるのを見つけると、伊右衛門の後を追った)



黄泉橋よみばしにて》


 (伊右衛門 ほろ酔い気分で橋の上を歩いている)


伊右衛門「うん?あそこに見えるはさっきの女童ではないか。やっぱりおったのだ。そしてまたもや泣いているではないか」


 (伊右衛門 近づき声をかける)


伊右衛門「もし。そこな女子。まだ泣いておるのか?」


女童「スンスン」


伊右衛門「もし。そこな女子。誰か迎えに来てくれる人はおらなんだか?」


女童「スンスン」


伊右衛門「うーむ。困ったな。もうお役所も閉まっておるしな。どうだ、今晩、わたしの家に泊まらぬか?なあに、面倒を見てくれる奥方が二人もおるからの。大丈夫だ。さあ、行こう」


 (伊右衛門 女童の手を取ると、橋の向こうから朔太郎が現れた)


朔太郎「旦那ー。忘れ物ですぜい。おーい、旦那ー」


 伊右衛門が朔太郎に気付き手をあげると同時に、伊右衛門に手を引かれた女童が顔を上げた。

 瞬間、二人の姿が消えた。



朔太郎「はあて、困ったもんだ」

 (朔太郎 片方の手を顎に当てて二人のいた所を見ていたと思うと、おもむろに空を見つめた)



《黄泉町二丁目 伊右衛門の家》


岩「伊右衛門どの・・遅いわね」

梅「ええ。初出勤で何かあったのかしら」


 (二人が台所でご飯の支度をしていると、玄関から声が聞こえて来た)


朔太郎「もうし。ごめんくだされ」


岩「何か?」

梅「何方様?」


朔太郎「あっしは 『すなっく 現世擬』の店主をしとります、朔太郎と申します。実は、斯斯然々かくかくしかじかで、旦那が連れ去られたんでさあ」


 (岩 呆れ顔で)

岩「またなの?美人の女が出て来ないでしょうね」


朔太郎「あっしが見たのは、可愛い女童でしたが」


岩「まったくもう」


梅「お岩お姉さん、どうしましょう」

岩「行くわよ、閻魔様の所に」

梅「はい」


 (岩、梅 冥府庁へ)



朔太郎「さあて、どうなる事やら」


 パタパタと走り去る二人の後ろ姿を見ている朔太郎。と、ヒュンという音が聞こえたと思った次の瞬間、矢が朔太郎に向かって飛んできた。

 それを手でとらえる朔太郎。矢には手紙がついていた。


 (朔太郎 手紙を読む)

朔太郎「ほぅ」



《冥界町一丁目冥府庁通り一番地 冥府》


 受付に小鬼の斗鬼が座っている。

 岩と梅は番号札を取り、椅子に座って待つ。


 ピンポーン


斗鬼「お岩さん、お梅さん、どうぞ」


岩「まったく。四時間も待ったわ」

梅「ええ、とっても疲れました。体が固まって死人のようよ」

岩「もうとっくに死人よ」

梅「そうだったわ」

岩「このやり取り、前もしたわよね」

梅「はい」



 (閻魔大王の御前に立つ二人)


閻魔「おや、見たことのある二人だな。何用だ?やはり伊右衛門を地獄送りにでもしたくなったのか?」


岩「いいえ、違います。(少しその気が大きくはなったけれども)伊右衛門どのが、また連れ去られたのです」


閻魔「ほお。何処へだ?」


岩「わかりませんが、斯斯然々でして」


閻魔「ほう。とすると、また地獄辺りか」


岩「ええ。恐らく」


閻魔「それでどうしたい?」


岩「連れ戻して下さい」


閻魔「ふむ。なあ、岩、梅。もう一度言うが、こうは思わぬか。恐らく伊右衛門は地獄へ行く運命なのだ。そなたたち二人の計らいで、黄泉止まりにしておるが、本来は地獄へ行く身なのだ。どうだ。この辺で見切りを付けぬか。さすれば、お主たちは今からでも極楽ごくらくへ送れるぞ」


岩「嫌です」

梅「私も嫌です」


 (若干、食い気味に答える二人)


閻魔「そうか。困ったのお。まだまだ冥府も忙しくてな。探しに行ける役人(鬼)はおらなんだ・・」

 (これ見よがしに両手でペラペラと二つの帳面をめくって見せる閻魔)


岩「私たちが行きます」


閻魔「だが、二人は地獄へ行く身ではないからの。無事に戻って来れるとは限らんぞ」


岩「私は半分は地獄行きの身ですわ」


閻魔「じゃが、梅は違う」


岩「私が守ります。それと胡鬼を連れて行きます」


閻魔「ふむ。前回はそれで無事に戻って来れたが、今回もまた無事に戻って来れるとは限らんぞ。それでも行くか?」


 (二人 顔を見合わせて力強くうなずく)


岩、梅「はい」



 (岩、梅 牢屋番の胡鬼の所へ)


岩「ちょっと、胡鬼いる?」


 (地獄漫画じごくまんがを読んでいた胡鬼、椅子いすから落ちる)


胡鬼「は、はい。べ、別にサボってはおりません」


岩「サボってたのね」


胡鬼「い、いえ。あ、お岩さん。なあんだ。驚かさないで下さい」


岩「何だとは何よ」


胡鬼「い、いえ。あ、お梅さんも一緒で」


梅「はい。胡鬼ちゃん、こんにちわ」


胡鬼「はいー🖤こんにちわ。癒され・・」


 (岩にジロリと睨まれ、胡鬼は口をつぐむ)


岩「あなたがサボっているから、女童が逃げ出したのよ。無駄口むだぐち叩いてないで、さっさと探しに行くわよ」


胡鬼「はて?誰も逃げてはいませんよ」


岩「え?どう言う事?」

梅「胡鬼ちゃん。それは本当なの?」



《裁きの間》


斗鬼「閻魔様、これからの死亡予定者帳です」


閻魔「うむ」


 (斗鬼 その場で少し考え込む)


閻魔「うん?どうした。下がって良いぞ」


斗鬼「閻魔様。僕、すこうし気になる事があるんです」


閻魔「何じゃ。申してみよ」


斗鬼「はい。実は斯斯然々でして。その時は伊右衛門さんが変な事を言っているなあと思っていたのですが、こんな騒動そうどうが起きてはあながち変な事とも言い切れなくなりました」


閻魔「うーむ。じゃと、少し手強い鬼が相手かも知れんな」


 (閻魔 少し考え込む)


閻魔「斗鬼。夜魔王を呼んで来い」




《黄泉町 伊右衛門の家》


 朔太郎は、おのが手を切りその血を使ってお札を書くと、それを先程の矢に結びつけ、暗い空に向かって撃ち放った。

 その口は、特殊な文言もんごんを唱えている。


 (ヒュッという音と共に矢は空に吸い込まれた)


朔太郎「さあて、戻るとするか」




《現世 廃寺はいでら


八重「薬屋さん。此方こちらです」


青志郎「うん。一つ不思議なんだが、貴女はその雰囲気から、何処どこぞの名のある武家の奥様だと思うんだが、何故、こんな廃寺なんかに可愛い娘さんを寝かせているんだい?」


 (八重 少し悲しそうに)

八重「近所の目から隠すためですわ。家の者にも家に迷惑をかけていると白い目で見られてますの」


青志郎「可哀想かわいそうに」


 (八重 はかなく微笑む)

八重「お優しいお方」


 (部屋の真ん中に膨らんだ白い布団があり、伽耶が寝ていると思われる)


青志郎「伽耶さん、おいらに、すこうし見せておくんなしね」


 (青志郎 布団をぐ)




《地獄 ぬま


女童「スンスン」


伊右衛門「もし。そこな女子。そろそろ泣き止んではくれぬか?」


女童「スンスン」


伊右衛門「もし。あんまり泣いてばかりだと、お目々が溶けてしまうぞ」


 (女童 顔を上げる)


伊右衛門「おお。ようやく泣き止んでくれたか。良かった良かった」


女童「おじちゃんはだあれ?」


伊右衛門「うん?わたしは伊右衛門と申す。そなたの名は?」


女童「伽耶」


伊右衛門「伽耶どのか。良い名だな。所で、此処ここ何処どこなんだい?」


伽耶「・・・」


伊右衛門「うん?分からないのかい?それじゃあ、伽耶どのは何故あんなところで泣いていたんだい?」


伽耶「母さまに会いたいの」


伊右衛門「おお。やはり迷子であったか。して、伽耶どのの母上は何処にいるのか?」


伽耶「お家」


伊右衛門「その家は何処だい?」


伽耶「・・・」


伊右衛門「分からないのか。さあて、困ったの」


 (伊右衛門 思案しあんする)


伊右衛門「やはり、夜が明けてからお役所に行くとしようか。さすれば、伽耶どのの家もわかるやもしれんからな。どうだ?」


 (伊右衛門が伽耶を振り向いた、ちょうどその時、沼の水面がゆらゆら揺れ出した)


伽耶「おじちゃん。逃げて」


伊右衛門「うん?何故逃げるのだ?」


 (揺れた水面から、ぬうと顔を出したのは・・)


汨羅之鬼「お〜ま〜え〜も〜ひ〜き〜ず〜り〜こ〜ん〜で〜や〜る〜」

 (無数の溺れた人間がより集まって生まれた鬼)


伊右衛門「ひいっ」(引きった叫び声)


 (無数の腕が伸びて伊右衛門を捉えると、沼に引き摺り込んだ)




 次の瞬間、黒い影が赤黒いうずを巻いている天空より舞い降りると伊右衛門を右手に捉え、左手で汨羅之鬼をはらった。

 が、汨羅之鬼は水質の鬼なので、その姿はまた元に戻る。


夜魔王「ちっ。この質かよ。面倒くせえな。お前は退いてな」


 (夜魔王 伊右衛門を放り出す)


伊右衛門「うわっ」


 (すわ、地面に激突しそうになった伊右衛門を助けたのは、双子の鬼達)


伊右衛門「おお。助かった」


九鬼丸「わたしは九鬼丸。夜魔王の眷属です」

九鬼子「わたしは九鬼子。夜魔王の眷属です」


 (そして胡鬼と共に岩と梅も現れる)


岩「伊右衛門どの。ご無事ですか?」

梅「伊右衛門様。ご無事ですか?」

胡鬼「伊右衛門様🖤このまま一緒に地獄で・・いえいえ。ご無事で良かったです」


伊右衛門「おお。皆も無事でよかった」



「・・・・・・・」(盛大に沈黙)



岩「ところで伊右衛門どの。貴方の側にいる女童は何処の子かしら?」


伊右衛門「あ、ああ。この子は伽耶どのと言って・・」

伽耶「父様」

 (伽耶 伊右衛門にくっつく)


岩「どういう事?」(キッと睨む)

梅「隠し子ですか?」(目を見開いて睨む)


伊右衛門「いやいやいやいや。違うんだ。迷子なn」


岩「女には気をつけてねって言ったでしょう」

梅「そうですよ。伊右衛門様」


伊右衛門「いや、小さき女子・・」


岩「女童だって女でしょー」


 (岩に追いかけられる伊右衛門を『いつもの事』と見ている梅。

  その傍らに伽耶)


伽耶「あなたは、だあれ?」

梅「わたしは、伊右衛門様の妻です」

伽耶「なあんだ。おじちゃん、奥さんがいたのね。じゃあ、あの女の人は?」

梅「子供に言ってわかるかしら。内縁ないえんつまなのよ」

伽耶「あら。おめかけさんなのね。おじちゃん、優男やさおとこのタラシなのね」

梅「・・まあ・・・。そうね・・」


 (岩に追いかけられている伊右衛門を複雑な気持ちで見ている梅)




汨羅之鬼「やかましい〜〜。うぬら〜〜、ま〜と〜め〜て〜喰ってやる〜〜」


夜魔王「五月蝿うるせえのはお前だよ、汨羅之鬼。よっと」


 (夜魔王 夜魔刀やまとうを抜く)


汨羅之鬼「ぬぬ。の刀はっっ」


夜魔王「ほう。この刀の存在を知っているなら、話は早いな。伽耶と伊右衛門を返してもらうぞ」


汨羅之鬼「だ〜ま〜れ〜。冥府の中で〜ぬくぬくと〜守られている〜閻魔の息子が、わ〜しらをぎょ〜せると思うのか〜〜〜」


夜魔王「ふん。御するだあ?それは地獄の鬼どもの仕事なんだよ。鬼が鬼を御する。鬼が罪人を御する。その為に地獄の中にいさせてやってんだよ。其処彼処そこかしこで鬼どもが罪人を取り合って、小競り合い《こぜりあい》をする分にはまあ目をつむってやろう。が、罪人ではない人間を地獄に引き摺り込むなら話は別だ。


 お前、伽耶を喰ったな」



汨羅之鬼「そうだ〜。あの日、川に〜引き摺り込んで〜やっ〜たわい」



伊右衛門「おお。可哀想に」

 (伊右衛門 伽耶を抱きしめる)


 (岩、梅、胡鬼 伽耶に近づく)


 (伽耶 自分を取り囲む大人達を不思議そうに見つめる)

伽耶「伽耶は死んだの?」


伊右衛門「う、うん。まあ・・・」

岩「ええ。そうね。伽耶ちゃんはもうあっちの世界には戻れないのよ」

梅「可哀想に・・」

胡鬼「シクシク」


伽耶「じゃあ、やっぱりおじちゃん。伽耶の父様になって」

 (伽耶 上目遣いで伊右衛門を見つめる)

伊右衛門「う、うん。なんだ、ほれ。伽耶どのはかわゆいな」


 (岩、梅 片頬が引き攣る)

岩「伊右衛門どの。れとれとは話が違いますわよ」

梅「そうですよ。伊右衛門様。勝手に決められませんわよ」

胡鬼「伊右衛門様🖤お優しい」


 (胡鬼 岩に睨まれ肩を竦める)



汨羅之鬼「え〜〜〜い。喧しい〜わ〜。無視をしおって〜〜〜」


夜魔王「五月蝿えな。鬼のくせに、人間に挟まるなよ。ああ、汨羅之鬼は元は川で溺れた人間共か。成仏もできねえで、鬼化したって事は、満足に供養くようされてねえって事だな。其れこそ、可哀想なお涙頂戴なみだちょうだい話だな。

 だがな、そうやってどんどん人間を引き摺り込んで憎しみの塊と化しちまった鬼は、地獄にさえ居場所のない鬼なんだよ」


汨羅之鬼「だ〜ま〜れ〜。お〜ま〜え〜に何が出来ると〜い〜うのだ」


夜魔王「この夜魔刀で叩っ切ってやるよ。俺が出て来たって事は、この地獄の最下層、無間地獄むげんじごくに永遠に追放って事だ。鬼だろうが人だろうが、輪廻転生りんねてんせいの輪に乗る事は金輪際こんりんざいない」


 (夜魔王 夜魔刀を大きく振りかざす)


汨羅之鬼「ふふh。いい〜のか〜。わしを追放すれば、そ〜の〜娘も〜

無間地獄に追放になるぞ〜〜。ふふふふh」


夜魔王「ふん。いくら現世で引き摺り込もうが、此処ここはあの世だ。あの世にはあの世の掟がある。伽耶は無限地獄に追放にはならん」


 (夜魔王 再び夜魔刀を振りかざす)



汨羅之鬼「ふふh。ふははは。や〜って見るがいい〜〜」


 (不敵に笑う汨羅之鬼)


夜魔王「何が可笑しい?」


汨羅之鬼「ひひひひひh」


(夜魔王 伽耶に振り向いた)


夜魔王「伽耶。此処に来た時、閻魔大王に会ったか?」


伽耶「だれ?」


夜魔王「俺のこの刀と同じ位の大きさのデカいしゃくをもった怖い顔した親父だよ」


伽耶「ううん」


岩「伽耶さん。大きな鏡のあるお部屋には入った?」


伽耶「ううん」


九鬼丸「夜魔王。どういう事でしょう」

九鬼子「伽耶は死んでいないのかしら」


夜魔王「いや。伽耶は既に死んでいる。だが・・」


胡鬼「夜魔王様。それは変です。どんな人間でも死ねば必ず、閻魔大王様の裁きを受けます」



汨羅之鬼「ふふふh。それが〜〜うぬ〜らのおごりよ〜〜〜。地獄の〜〜番人の目も〜〜節穴だ〜ら〜け〜じゃわい〜」


夜魔王「そういう事か」


汨羅之鬼「お〜前が言った〜〜ぞ〜。わ〜しが喰ったとな〜〜」


夜魔王「伽耶はお前に喰われたまま、地獄に来たんだな」


九鬼丸「まさか」

九鬼子「そんな事が可能なの?」


夜魔王「まぁな。地獄は恐ろしく広い。おまけに幾重いくえにも層が重なっていて、時折歪ひずみが出来る事がある。その隙間に入り込まれたか」


汨羅之鬼「ふははは。はははは。地獄〜は〜わ〜しの庭じゃ。う〜ぬ〜らも〜まとめて取り込んで〜〜や〜る〜わい」


夜魔王「ふん。誰の庭だって?此処は俺の庭だ」


汨羅之鬼「ひひひ〜〜。わ〜しの中で〜〜ほざくが〜〜いい〜」


 汨羅之鬼は口を大きく開くと、そこから大量の水を吐き出した。それは粘性ねんせい魔水まみずで、触れた者、物を巻き込み絡みつく。其処彼処そこかしこに隠れていた餓鬼がきや罪人たちを取り込み、さらに大きくなった。

 身の丈三十尺はあろう姿になった汨羅之鬼が、夜魔刀を肩に担いだまま不適な笑みを浮かべた夜魔王に向かい歩を進めた、その時。


九鬼丸『ばく

九鬼子『縛』


 汨羅之鬼の死角より、縛印ばくいんを結んだ二人が汨羅之鬼を挟む様に現れた。



汨羅之鬼「ぬぬ、ぬぬぬぬ。動けぬ」


夜魔王「伽耶を返してもらうぞ」

   『いん

 夜魔王が右手で目の前の空を真横に斬る仕草をすると、汨羅之鬼の身体が真横に切れた。汨羅之鬼は曇ったうめをき声を上げる。夜魔王の瞳が金色に光ると、汨羅之鬼の身体の奥で、眠る様に弱々しく揺れている小さな、けれど淡く虹色に光る魂を見つけた。

 夜魔王は自身の髪の毛を一本掴むとピンと引き抜く。そして夜魔王が『ふう』と一息吹きかけると、引き抜かれた髪の毛は金色に光り出した。其れは夜魔王の意思により、スルスルと伸びて汨羅之鬼の身体に吸い込まれていった。


汨羅之鬼「うぬぬn。うぬぬ」


 汨羅之鬼は双子の鬼達の呪縛じゅばくから、また夜魔王の放つ糸から逃げるべく身体をよじらせたりしてみたが、出来なかった。

 金色に光る糸は、伽耶の魂を優しく包み夜魔王の元に戻る。


汨羅之鬼「ぐぬぬぬn」


 (夜魔王 伽耶の魂を伽耶の身体に戻すと三度みたび、夜魔刀を振りかざす)


汨羅之鬼「ぐぬぬぬn」


夜魔王「永遠とわ彷徨さまよえ」



 夜魔王が夜魔刀で汨羅之鬼を散り散りに引き裂くと、汨羅之鬼は声にならない叫び声を上げて無間地獄に引き摺り込まれた。


 其の間際、汨羅之鬼から分離した少量の水が、地獄の地面に吸い込まれた。




夜魔王「さてと、クソ親父から言われた俺の仕事は終わったな。九鬼丸、九鬼子、帰るぞ」


九鬼丸「はい。ですが、夜魔王。この方達を連れて帰らねばなりません」


夜魔王「ああ?んなもん、そこの小鬼にさせりゃあ良いだろ。さっさと親父の所に連れて行け」


九鬼子「お馬鹿。夜魔ったら」


夜魔王「何だと?それと、九鬼子。いつも訳すなって言ってるだろ。俺は夜魔王なんだよ」


九鬼子「その単細胞が治ったら言ってあげるわよ」


夜魔王「何?」


九鬼子「今は、私達がいるから、周りの餓鬼共も罪人達も、なりひそめているのよ。私達が離れた瞬間、一斉に襲われるわよ。特にこの梅さんと伽耶さんは一瞬で餌食えじきよ」


夜魔王「あ〜、面倒くせえな。しょうがねえ、一緒に連れてってやるよ。九鬼丸はそこの優男と焼きもち女を連れて行け。九鬼子は子供二人だ。胡鬼、お前は自分で帰れるな。俺について来い」


 (胡鬼 涙目になる)

胡鬼「は、はい。ですが、夜魔王様、置いていかないで下さいね」





《現世 廃寺》


 布団をぐと其処には確かにまるで生きているかの様な伽耶の姿があった。


青志郎「ふむ。何とも不可思議な・・・」


 (青志郎 伽耶の手首を取り、脈を診る)


 (その後ろで八重の姿が異形いぎょうの者に変化して行く)


八重「薬屋さん、どうでしょう」


青志郎「そうさなあ。これはほんとうに不可思議だ」


八重「どうんな風に?」


青志郎「姿は確かに生きている様に見えるが、身体も冷たければ脈もない」


八重「つまり?」


青志郎「八重さん、言いづらいが・・・伽耶さんは死んでいる」


八重「・・・そう・・・」


青志郎「だが、どうやってこの姿を保っているのか・・」


 (青志郎 目だけで後ろの気配を探る)


八重「それは・・・ぐるるr・・あなた・・ぐるr・・」


青志郎「八重さん。どうかされましたか?」


八重「いいえ・・ぐるるr」


青志郎「八重さん、時に、これまでのお医者の先生方の見立ては如何いかがだったんですか?」


八重「それは・・ぐるるr」


青志郎「それは?」


八重「し、死んで・・い・・ぐるるr」


青志郎「そうでしょう。さぞ、驚いた事でしょう」


八重「・・・・」


青志郎「八重さん?」


八重「・・・」


青志郎「・・・八重さん?」


 (ゆっくり八重の方を振り向く青志郎)


 (其処には・・・)


八重「驚く暇など無かったわい。わたしが喰ろうたからのお」


 (八重の面影を残しつつも、異形の鬼の姿があった)


青志郎「悪鬼羅刹あっきらせつの類か」


八重「我が名は薄桜鬼。お前も喰ってやるわい」


青志郎「そうか。お前か、八重さんに取り憑いてるのは」


八重(薄桜鬼)「ふふふh。それがどうした?わたしを見ても驚きもせず悲鳴もあげんとは陰陽師おんみょうじか呪いまじないしの類と思うが、無駄な事。どうせ、お前もわたしに喰われるんだ」


青志郎「そう言うわけにもいかないんだが・・」

 (ふところに手をそっと差し込む)



 青志郎に襲いかかる八重(薄桜鬼)をひらりとかわした青志郎は、懐から取り出した魔具まぐ(持ち手が真ん中に着いていて両側が尖っている飾り掘りのある青銅器)を八重の胸の真ん中に刺した。


八重(薄桜鬼)「あああーーーー」


青志郎「八重さん。安心しな。此れは特殊な魔具で人の身体は傷つけない」


 (うずくまり、呻く八重(薄桜鬼))



 と、その時布団の上に寝かされていた伽耶の身体が腐敗ふはいを始めた。辺りに異臭いしゅうも漂い始める。




《地獄 沼の辺》


伽耶「あのね。伽耶の体が変なの」


伊右衛門「おや。伽耶どのの身体が光っているではないか」


胡鬼「あああああ。大変だ。どうしましょう。地獄の瘴気しょうきに長い間、さらされていたからですよ〜〜」


夜魔王「落ち着け。すぐに連れて帰れば問題は無い」


九鬼子「ええ。急ぎましょう」


九鬼丸「このままだと、伽耶殿の魂が消えてしまいますからね」


梅「ええ?伽耶ちゃん消えちゃうの?」


伽耶「伽耶はお家に帰れないだけじゃなくて・・・消えるの?」

 (伽耶 伊右衛門を見上げる)

伊右衛門「うっ」


胡鬼「大変だ大変だ」

梅「如何どうしましょう。如何どうしましょう」

 (二人は手を取り合い、その場でくるくる回り出す)


九鬼丸「夜魔王、周りの餓鬼達も騒がしくなってきましたよ」


胡鬼「大変だ大変だ」

梅「如何どうしましょう。如何どうしましょう」

 (二人は手を取り合ったまま当たりを見回した後、再びその場でくるくる回り出す)



岩「ちょ、ちょっと。貴方達、一旦落ち着いて。


   (岩 夜魔王達に向き直る)


  其処そこの鬼さん方、貴方達だけでお話が進んでいる様だけれど、どういう事なのか説明が欲しいわ」




《現世 廃寺》



八重「っっ。伽耶ーーーーーー」(八重の声)


(伽耶の側に近づく八重)


八重「伽耶、伽耶、伽耶。ああ、伽耶ーーー」

 

青志郎「八重さん、其処にいるのか?」


 (八重 青志郎を恨めしそうに振り返る)


八重「お〜の〜れ〜。伽耶に何をした〜〜」


青志郎「八重さん?」


八重「伽耶、伽耶、伽耶っ。ゲホッ、ゴホッ」

 (血を吐く八重)


青志郎「そうか。八重さん、あんた薄桜鬼と取引きしたな。伽耶さんを取り戻す代わりに人を喰う手伝いをすると」


八重「そうだ。呻っっ。伽耶は死んだ。ゲホッ、悲しみに暮れていた時、この鬼が私に言った。生き返らせてやると。ゴホッ、ゴホッ、だから、人を・・人を・・人を・・ぐあーー」


 (瞬間 八重の姿をした薄桜鬼がニヤリとわらった)


八重(薄桜鬼)「如何する?まじない屋。このままではこの女も死ぬぞ。もうこの女は我が身の一部だからな」


青志郎「しまった・・」


八重(薄桜鬼)「さあさあ。如何する?呪い屋」



 とその時、空間がグニャリと歪んだかと思うと矢が現れ、青志郎に向かい飛んで来た。それを片手で受け止め、添えられてある手紙を読む。



八重(薄桜鬼)「むむ。なんだ」


青志郎「時に、八重さん。聞こえているか?俺には双子の兄がいるんだが、たまにあの世から便りがあるんだ。俺たちはまじないなんかを生業なりわいとしていてな。黄泉の国に迷子の女童が現れたそうな。そして、その女童はある男を連れて、地獄へ行ったらしい」


八重「女童・・伽耶、伽耶は無事なの。地獄・・薬屋さん。ある男とは誰なのですか?」


青志郎「つい先だって死んだ、四谷町よつやまちの伊右衛門という男だ」


八重「伽耶・・・。伊右衛門・・・。地獄・・・。うう。うう。では、其処そこに行けば・・伽耶に・・会えるのか・・」


 (八重 胸に刺さった魔具に手を添える)


八重(薄桜鬼)「ええい。呪い屋。いらぬ事を・・・ぐあーー。よせ。八重。この忌々しい呪い屋め。喰らって・・や・・」


八重「私はどうせ地獄へ落ちる。伽耶の為にお前に手を貸すと決めた時に、覚悟を決めた。一緒に・・地獄へ、行こうぞ・・」



 八重はその手で、己に刺さった魔具を押し込もうとするが、薄桜鬼は抜こうとする。其々それぞれに八重の身体の主導権しゅどうけんを握ろうと、戦っているようだ。

 それを見た青志郎は、己が手を切り、その血を指先に付けると空中に文字を書き始めた。すると、またもや空間がグニャリと歪みだし暗い穴が口を開く。

 青志郎が手を組み文言もんごんを唱えると、八重(薄桜鬼)の身体は動かなくなった。


八重(薄桜鬼)「くそっ。不動ふどう金縛りか。くそっ。くそーーーー」


八重「薬屋さん。死んだ人間は生き返る事は可能かしら」


青志郎「いや、八重さん。残念だが、死んだ人間は生き返りはしない」



八重「有り難う、薬屋さん」


 (八重 青志郎に向かい微笑むと、胸の魔具をグイッと押し込んだ)


八重(薄桜鬼)「あああああああー〜ーーー」


(八重の身体が穴に吸い込まれると、穴は閉じられた)



 カランと魔具が地面に落ちた音がした。





《地獄 沼の辺》



岩「つまり、こういう事ね、夜魔王。

  伽耶さんは本来、亡くなった時に閻魔大王の元で裁きを受ける予定だったけれど、汨羅之鬼の策略により、また地獄の層の歪みを利用されて、裁きを受ける事が出来なくなった。そのお陰で伽耶さんの魂は汨羅之鬼に利用され三月もの間、地獄の瘴気に晒されて弱り果てて今にも消えそうになっていると。そう言うことかしら」



夜魔王「何かとげのある言い方だが、まあそうだ。所で、岩。様を付けろ、様を」


岩「その伽耶さんを置いて帰ろうとしてたわよね、夜魔王。ついでに私達のことも。この地獄の真ん中に」


夜魔王「ああ。まあ」(バツの悪そうな表情)


岩「何とかして」


夜魔王「分かってるよ」



 とその時、赤黒い雲が渦を巻いている空に暗い穴が空き、強い風が巻き起こった。皆はその異変に一斉に空を見上げる。


 と、その中心から八重(薄桜鬼)が降りて来た。


夜魔王「なんだ。このクソ忙しい時に」


八重「此処は・・地獄かしら」


夜魔王「ああ。そうだ。お前は?」


八重「私は八重と申します。伊右衛門様という方は何方どちらですか?娘が・・伽耶が一緒にいる筈」



 (八重は辺りを見回し、我が子を見つけるとその表情が柔らかくなる)



伽耶「母様」

 (伽耶の表情がパッと明るくなった)


伊右衛門「おお。伽耶どのの母上か。美しいの」


 (岩、梅 キッと睨んだ)


伊右衛門「い、いや。何でも」

 


八重「おお。おお。伽耶、伽耶。私の可愛い伽耶。探しましたよ。さあさあ、こっちへおいで」


 八重が伽耶に向かい手招きをすると、伽耶は八重に向かい走り出したが、様子がおかしい事に気がつき、その歩みを止めた。


八重「如何したの?伽耶」


伽耶「母様・・何だか、様子が変よ」


 (八重の姿が異形の鬼に成りつつあった)


伽耶「母様、何だか怖い」

 

八重「母様よ。怖くは無いわ。さあおいで」


(八重 伽耶の方へその足を生み出したが、其れは人間の足では無かった)


伽耶「いや」


 (伽耶 伊右衛門の後ろに隠れる)


 (八重 鬼の形相ぎょうそうになる)


八重「母様は、ううっ、伽耶の為に・・・伽耶の為に・・人を喰らう、うう、鬼になったと言うのに・・・ううっううっ。只・・只・・もう一度、この腕にお前を抱きしめたかっただけなのに〜〜〜。何故〜〜〜逃げる〜〜〜」


 (八重 伽耶に襲いかかる)


 (その前に夜魔王が立ち塞がる)


夜魔王「おい、八重。人の庭で、勝手に暴れるんじゃねえよ」


八重(薄桜鬼)「五月蝿い。私の邪魔をする者は誰だろうと、容赦ようしゃはしない」


夜魔王「八重、落ち着け。お前は今、薄桜鬼に乗り移られているんだよ」


八重「ふん。薄桜鬼か。向こうの世界では役に立ったが・・」


薄桜鬼「うう、うう」(弱々しくうめく)


八重「もう、此奴こやつに用は無いわ」

 (八重 薄桜鬼と分離する)


 八重と分離した薄桜鬼は弱々しく地面に倒れた。其処そこへ万が一の為にと『縛』の印を結んだ九鬼丸と九鬼子が近づく。覗き込んだ薄桜鬼の胸には深い傷があった。


九鬼丸「この傷は・・魔具」

九鬼子「ええ。通常、人間の武器では我々鬼に傷を付ける事は出来ないもの」



八重「私の娘を〜〜伽耶を〜〜よ〜こ〜せ〜」


 (八重 ゆっくりと近づく)


伽耶「母様〜〜〜」

(伽耶 恐怖と母恋しさとの感情が混ざり泣き出す)


伊右衛門「いやいや、伽耶さん。今は近づいては駄目だ」

梅「そうですよ。逃げましょう」

胡鬼「逃げましょう」


 (伊右衛門 伽耶を抱き上げ走り出す)


八重「待〜〜〜て〜〜〜」


梅「いや〜。こっちへ来ますわよ。ねえ、胡鬼ちゃん、如何にかならないの?」

胡鬼「えー。僕〜、鬼退治しない鬼なんです〜」

  (胡鬼 涙目になる)




(岩 夜魔王にグイッと詰め寄る)

岩「ちょっと、夜魔王。如何にかならないの?」


夜魔王「良いのか?岩。俺が夜魔刀を振ったら、無間地獄に追放になるだけだぞ。永遠に。あの母娘おやこは二度と会う事は無くなる。其れでもいいなら話は別だが」


岩「・・・」




 (岩 八重の前に立ち塞がる


    かんざしを外し、髪を振り乱すと其処そこにあら現れたのは焼けただれた顔)



八重「うう。何と醜い事よ」


岩「そうよ。身体の内側から毒に侵され、皮膚は焼け爛れ目も腐って落ちる・・。でもね、今の貴女もわたしと同じよ」


八重「何とっ」


岩「己の欲にばかりかられ、周りが見えていない。我が子可愛さに沢山の人を殺して喰らった。その人にも愛する家族があったでしょうに。愛しく思う人があったでしょうに。娘会いたさに他者を顧みる事をしなかった。

 伊右衛門どのを愛するばかりで、伊右衛門どのの気持ちも考えずに嫉妬しっとに駆られたわたしと一緒。疑って、ののしさけび、暴れたの。

 お陰で私は毒を盛られたわ。そうして斬り殺され、小娘に乗り移ってはまた斬り殺されたの。

 この醜さはその代償。貴女もそうよ」


八重「何という事・・・。わたしは只、伽耶と一緒に暮らしたかっただけなのに・・・。せめて・・一目、会いたいと・・・もう一度、抱きしめたいと・・・ううっ」


 (八重 伽耶の方を向く。その瞳には哀しさが現れていた)


伽耶「母様」


八重「うう。ううっ」


 (伽耶 八重の側に近寄ると八重の姿元に戻る)


八重「おお。伽耶。わたしの愛しい子。御免ごめんなさいね。こんな母様で」


伽耶「ううん。母様、大好き」


 (八重 伽耶を抱きしめる)


 (岩の姿も元に戻る)




八重「所で、どうして伽耶の体は光っているの?」


伽耶「・・・じゃあね。母様」


八重「え?どういう事?」


 (九鬼子が八重に近づき事の顛末てんまつを話すとその表情に曇りが表れる)




岩「うん(咳払い一つ)。地獄の番人 閻魔大王の息子の強く賢き夜魔王どの。如何にかなりません?」


夜魔王「ん?」


岩「これじゃあ、あんまり可哀想よ。母親の子共を思う気持ちが、愛情が、罪になりますの?そりゃあね、己の欲の為に人をおとしめた八重さんにも罪はあるわよ。でも、その欲は我が子を思う気持ち。

 それに元々、伽耶さんを殺した鬼だって、元は人間で本来なら死んだ時に閻魔大王様の裁きを受けて其々それぞれの道へ修行に出る筈・・・、それが何故、現世で彷徨っているのか・・・いえね、別に地獄の役人の警備が緩くて逃げ出したのかも知れないなんて思っている訳ではありませんのよ。罪人達の見張りも大変でしょうから、無念の死を遂げた者たちまで管理が行き届かないのも、時にはありますでしょうから、まさかまさかそんな。それに閻魔大王様の統括とうかつする地獄の層に歪みが出来ていて、あやかし、物の怪、邪気悪鬼じゃきあっき達の行き来に利用されていたなんて・・・地獄の役人達もそこまでは見回りきれないでしょうから・・。その所為せいで、本来なら死ななくても良かったかも知れない伽耶さんが、こんな所に囚われて・・。あまつさえ・・家に帰りたさに、母に会いたい気持ちを利用されていたなんて・・・。いえね、別に地獄の役人達の所為にするわけではありませんのよ。ええ、勿論。当然、八重さんは罪を償うべきだと思いますし・・、知らずとはいえ人を引き込む手伝いをさせられていた伽耶さんにも何らかの処罰は致し方ないのかも知れませんが・・。

 只、このままこの可哀想な二人が別れ別れになるなんて・・・余りにも不幸・・・。

 勿論、愛情深くて賢き夜魔王どのなら、おんなじ様に思ってくれていると思いますから、不平不満を言っている訳でないんですのよ・・ええ・・」


 (梅、伊右衛門、胡鬼も、岩の恫喝どうかつにも似た嘆願たんがんを聞いている夜魔王に同情を覚えつつ、手を取り事の成り行きを見守る)


 (げんなりした表情の夜魔王)

夜魔王「わーったよ。・・・これか。親父も手こずる筈だ」


  (夜魔王 伽耶に向く)


夜魔王「伽耶。このまま母と一緒にいたいか?」


伽耶「うん」


夜魔王「伽耶の魂はもうすぐ消える。もし、母と一緒にいたいならお前の母の罪が重くなるが、其れでも良いか?」


伽耶「いや。母様を助けて」


夜魔王「それでは伽耶が消えて母と二度と会う事は無いが、良いか?」


伽耶「伽耶が居なくなってから、母様がどんなに泣いていたか、伽耶は知っているわ。母様が心すこやかに過ごせるようになるなら、いいわ」


夜魔王「八重。伽耶はこの様に申してるがお前は其れで良いか?」


八重「いいえ。いいえ。良くありません。どうかどうか、夜魔王様。伽耶を助けて下さいまし。この子はまだ子供で事の重大さが分かっていないので御座います。この子の罪は母である私が引き受けますから、どうかどうかこの子だけはお助けくださいまし。私は・・一目会えて満足で御座います」


伽耶「いや。母様が泣くのは伽耶はいや」


八重「伽耶。そうじゃないのよ。母様は伽耶を助ける事が出来たら嬉しいのよ」


伽耶「いやいや」(八重に抱きついたまま頭を振る)


八重「伽耶・・」(困り顔の八重)



岩「夜魔王どの。れは・・・つまり、そういう事よね。地獄の掟通りなら・・」


 (九鬼丸、九鬼子 顔を見合わせて微笑む)


 (夜魔王 溜息一つ)

夜魔王「俺から親父に話してやるよ。少しの間だけでも、二人が一緒に暮らせる様にな」



 (場は和やかな雰囲気に包まれた)




《あの世黄泉町一丁目 伊右衛門の家》


 (伊右衛門 庭で木刀を手に素振りをしている)


岩「何だか、今回も疲れたわねえ」

梅「ですね。やっぱり地獄へ行くのって相当体力を使いますもんね。私なんか三日くらい寝てましたもん」

岩「そうね。お梅ちゃんは特に地獄は身体に良くないから。仕方無いわよ」

梅「所で、お岩お姉さん。あの後どうなったんですか?」



 (玄関から声が聞こえて来た)


八重「もうし。伊右衛門様はおりますでしょうか」

伽耶「父様?」

八重「あら、伽耶ったら。まだ父様ではないのよ」



岩「あら、八重さん。いらっしゃい。今日はどうなさったの?」


 (岩 笑顔が引き攣っている)


八重「お岩さん、おはよう御座います。伊右衛門様はいらっしゃる?」


岩「おりますけれど・・」


伊右衛門「おお。八重さんではないか。それに伽耶さん。朝早くにどうされた?」


八重「いえ。また朝食を作りすぎましたの。ご一緒にいかがかと思いまして。伽耶も伊右衛門様に懐いておりますもの」


伊右衛門「おお、それは有難い」


 (伊右衛門 岩にジロリと睨まれ首を竦める)


伊右衛門「あ、いや、しかし、ここ数日毎度ご馳走になって申し訳ないゆえ・・」


八重「良いんですのよ。人には向き不向きがありますもの。お料理の得意なお梅さんが寝込んでいらっしゃるんですもの。何かと不便かと思いまして・・」


伊右衛門「う、うむ。味のない味噌汁を如何やったら作れるのか不思議で仕方無いんだが・・岩の料理は何とも・・ははは」


八重「ほほほほ」


 (二人を一睨みする岩)


 (会話から様子を察した梅)


梅「ええ、有り難う御座います。八重さん。でもこの通り、私、元気になりましたもの。大丈夫ですわ」


八重「・・・そう・・ですか。・・伽耶、戻りましょうか」

伽耶「・・一緒にご飯はないの?」

八重「そうね。無いのよ」


 (寂しげな八重と伽耶)


梅「ねえ。お岩お姉さん。何だが、私たちが意地悪をしているみたいで、とっても罪悪感があるのだけれど・・」

岩「そうね・・仕方ないわね」



岩「八重さん。やっぱりご一緒していいかしら?今日はお梅ちゃんも一緒に。伽耶さんも、私たちと一緒にご飯を食べてくれる?」


伽耶「うん」(満面の笑みで)




 日々是好日 世はなべて事もなし

             春野 鶯





《冥府 夜魔王の家》


 (広い部屋の真ん中にある大きな座布団に身を沈めている夜魔王)


九鬼丸「夜魔王。何やら気になっている様ですね」


夜魔王「まあな」


九鬼子「薄桜鬼の事ね」


夜魔王「ああ。(少し考え込む)

 その昔から、鬼退治の道具ってのはあるんだ。たまに地獄から抜け出して人間界で悪さを働く鬼共がいるからな。とある法師が作ったとされる魔具がある事は確かなんだ。

 御伽噺おとぎばなしになっている、やれ桃から産まれた男の子とか言ってるが、鬼退治のために何処どこからともなく現れた神子法師みこほうしが自分の正体を隠すためにそんな話をでっち上げたんだろう。

 其れも二百年前程からとんと話を聞かなくなっていたからな。冥界も情報を掴めていなかったんだ。だが、今頃になって現れたって事は、最近、持ち主が変わったのか・・」


九鬼丸「調べますか?」


夜魔王「ああ。人間界に偵察に行ってくれ」


九鬼子「ねぇ。魔具って一つだけなの?」


夜魔王「いや。幾つかある筈だ。今回、薄桜鬼を弱らせたのは恐らく鬼の力を喰う魔具だろう。気をつけてくれ」


九鬼丸「御意ぎょい



 (九鬼丸の姿が消えた)

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黄泉物語 〜新説 四谷怪談〜 木野原 佳代子 @mint-kk1001

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