いつか幼馴染が……

 ――お兄ちゃん、ヒナ姉、待ってよ!



 ――何やってんだよイブキ、早くしないとおいてくぞ。



 ――アズマ、イブキちゃん、すっごく楽しいよ! 早くこっちに来てみなよ!



 ――……



 学校からいなくなった妹の姿を捜し、僕は夕暮れの滲む通りを息を切らしながら走り抜けていた。



 「どこだ……どこにいるんだよ!?」



 妹が行きそうな場所。最近はあまり話もしていなかったから、僕が知ってるとすれば、昔よく毘奈と三人で遊んだ場所くらいだ。

 可能性は低いかもしれないけど、そういった場所をしらみつぶしにあたって行くしかない。

 だからと言って、怪我した足でそんなに遠くへはいけない。人目にもつきたくはないはずだから、公園か……あるいは……。



 「……ここか?」



 高い木に覆われて、周囲より薄暗くなった寂しげな敷地。僕はその小さな社の鳥居をくぐって境内を進んで行く。

 そこは、周囲に住宅街や商店があるとは思えないほど、悲しいくらい静まりかえった場所だった。



 「……伊吹?」



 そして境内の一番奥、まるで林の中にひっそりと佇むような本堂の階段には、陸上のユニフォーム姿の妹が、項垂れるように座っていた。

 なんと声をかけたらいいものかと頭を悩ませながらも、僕は抜け殻のようになった妹に向かってゆっくりと歩いて行く。



 「全く、こんなところで何やってるんだよ?」



 僕の声を聞いて、妹はゆっくりと顔を上げる。酷く泣き腫らした顔であった。

 


 「なんだ……お兄ちゃんか……」

 「なんだって……」

 「最初に私を見つけたのがお兄ちゃんとか、つくづく最低……」



 妹は消え入りそうなか細い声で悪態を吐いた。まあ仕方ない、今のこいつに本気で怒っても大人げないってもんだ。



 「そんだけ軽口叩ければ、大丈夫そうだな。肩貸してやるから帰るぞ、毘奈も心配して――」

 「お兄ちゃんの言う通りだったね……」

 「……は?」



 妙なことを口走った妹は、僕の顔を見ると、今にも泣き出しそうな表情で儚げに笑っていた。



 「あんなにエラそうなこと言って、散々もがいた結果がこれ……ざまー見ろって思ってるんでしょ?」

 「お前な……俺はそんなこと!」

 「いいよ、無理しなくて……今までお兄ちゃんに沢山酷いこと言ってきたもん。何言われても仕方ないよ……」



 一見大丈夫そうに見えた妹は、やはり挫折のショックで自暴自棄になっているようだった。

 こんな妹を見て、僕はもどかしくて仕方がなかった。ケンカをしていたのもある。だがそれ以上に、僕はこんなときかけてやれる言葉を知らなかったし、ましてや、抱きしめてやることなんてできるはずもなかった。



 「伊吹ちゃん!!?」

 「……毘奈?」



 振返ると、これまたユニフォーム姿の毘奈が息を切らせて立っていた。妹は目を丸くする。



 「ひ……毘奈姉!?」

 「もう馬鹿!!」



 毘奈は僕が声をかける間もなく、妹の元へと駆け寄ると、自分の胸へ妹の顔を埋めるようにきつく抱きしめていた。



 「怪我してるのに急にいなくなっちゃって! すっごく心配したんだから!!」

 「ごめん、毘奈姉……でも私……もうダメだよ」

 「何言ってるの? 伊吹ちゃんの三年間はね、まだ始まったばかりなんだよ! 怪我なんか早く治して、また一緒に頑張ろ!」



 毘奈の優しい励ましの言葉を聞いて、妹は毘奈の胸の中で涙を流しながら言った。



 「でもね……私、何をやっても毘奈姉みたいに上手くできないよ……」



 それは、今まで僕の知らなかった妹の……伊吹の本当の気持ちだった。

 なんだかんだ要領よくやってるようで、こいつだって僕と同じように、完璧すぎる毘奈への劣等感に苛まれ、それに抗おうと必死に戦っていたんだ。

 そうと知っていれば、僕もあの時、もっと言いようはあったのかもしれない。



 妹のその悲痛な叫びを耳元で聞いていた毘奈は、妹の背中を撫でながら優し気に問いかける。



 「確かにね、私は勉強とかスポーツには少し恵まれたみたいだけど、伊吹ちゃんは私のことが羨ましい?」

 「……え?」

 「私はね、小さな頃から、ずっと伊吹ちゃんと吾妻が羨ましかったんだよ」



 毘奈の思わぬ言葉に、妹は毘奈の顔を見上げる。僕だってそんな言葉初耳だった。



 「私ひとりっ子でしょ? 吾妻には伊吹ちゃんみたいに可愛い妹がいて、伊吹ちゃんには吾妻みたいに優しいお兄ちゃんがいてね。ずっと羨ましかった……」

 「でも、ケンカばっかだよ。私お兄ちゃんにいつも酷いことばかり言って、お兄ちゃんだって私のこと……」

 「吾妻はね、なんだかんだ言って、伊吹ちゃんのことちゃんと心配してるんだよ。さっきも、口では突き放すようなこと言ってたけど、結局一番最初に伊吹ちゃんを見つけてるんだから……ね、吾妻!」

 「べ……別にたまたまだよ! 家族のことで、あまり迷惑かけるわけにはいかないからな……」



 毘奈は振返って僕にアイコンタクトをしてきたので、僕は慌てて誤魔化すようなことを口走る。

 そんな僕を見て、毘奈は微笑みながら言葉を紡いだ。



 「昔はね、吾妻と伊吹ちゃんと遊んだ後、私だけ家で一人になるのが凄く嫌だったの。だからさ、家で妹か弟が欲しいって、散々駄々こねてママとパパを困らせてたんだよ」

 「……ホントに? あの毘奈姉が?」

 「伊吹ちゃんの欲しいものを私が持ってて、私が欲しいものを伊吹ちゃんが持ってる。きっとさ、ただそれだけの事なんだよ。だからね、伊吹ちゃんは伊吹ちゃんのまま、頑張ればいいんだと思うよ」



 僕らは誰かに勝ったとか負けたとか、いつもそうやって思い込んで勝手に苦しんできた。だけど結局は、皆んなそれぞれ持ってるものが違うだけで、単なるじゃんけんの勝敗に一喜一憂していただけなのかもしれない。

 毘奈のこの温かな言葉は、傷ついた妹はおろか、僕にまで春の雪解けのようなポカポカとした気持ちを抱かせていた。



 なんだか、毘奈においしいところを全て持っていかれてしまった気もする。

 だけど、僕ではきっと妹を慰められなかったのだから、結果的にこの鬱陶しくて完璧すぎる幼馴染に助けられたのだろう。



 「さあ、私と伊吹ちゃんユニフォームのままだし、早く学校戻らなきゃ! 吾妻、伊吹ちゃんをおんぶしてあげて!」

 「は……はい?」

 「これ以上怪我が悪化したら大変なの! お兄ちゃんでしょ?」

 「ぐぬぬ……はい」



 妹は少し恥ずかしがりながら、申し訳なさそうに僕に背負われる。

 そして僕らは、幼い頃よく遊んだ小さな神社を出て、すっかり薄暗くなってしまった通りを学校へ向かって歩いて行く。



 「私ね……毘奈姉のこと、ずっと本当のお姉ちゃんみたいに思ってたよ!」

 「おお! 嬉しいこと言ってくれるね! 私も伊吹ちゃんのこと、可愛い妹だと思ってるよ! ……で、吾妻は手の掛かる弟かな」

 「……って! なんで俺がお前の弟なんだよ!」

 「そうだね、毘奈姉の方がお姉さんっぽいもんね……」

 「でしょでしょ! 弟よ、お姉さんの言うことはちゃんと聞くのだぞ!」

 「何なんだよ、もう……」



 それは遊び疲れ、道路の先に沈んで行く夕暮れを目指して帰って行った、まだ幼かったあの頃の僕らのように。



 ――いつか毘奈姉が……本当のお姉ちゃんになったらいいのにな……」

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