第12話 お腹空いたな・・・・・・。

(マジおっかねえ・・・・・・)四方を覆うように囲む巨大な顔を見上げながら穂香ほのかは思った。それらは一様に、憤怒の明王を想起させるような険しい顔つきで、その眼には激しい糾弾の炎が宿っている。

 大人に取り囲まれるって、こんなにも恐ろしいものなのか。――それとも、濃紺の制服とツバつき帽子という警察官を思わせるような駅員の服装が、威圧感を増幅させているのだろうか。 

 今まで、教師や親たちに散々叱られた経験はあったものの、今、ここで取り囲んでいる大人たちから噴き出る憤怒のオーラは、穂香ほのかが今まで経験したものと一線を画していた。


 ついに、穂香ほのかを見下ろしている顔の一つが攻撃の口火を開いた。火を噴くような勢いで叱り飛ばしてくる。かと思いきや、別の顔がたたみかけるように糾弾の声を上げた。どこか後ろの方で、諭すような口調で説教をする声も聞こえる。


 期せずして地縛霊から守護霊にクラスチェンジした穂香ほのかは、クラスチェンジして1分も経たないうちに守護霊としての職責をこなし、ひさしの命を救ったのだが、今、彼女は駅員たちから叱責の集中砲火を浴びている。


 正確には、電車を急停止させてしまったひさしが叱られているのだが、強面に囲まれひたすら叱責を受け続けると、ひさしの肩の上にいる穂香ほのかとおばあちゃんも一緒に叱られているような気分になり、胃に刺すような痛みを感じるようになった。

 乗客の命を預かる立場にある駅員であるからこそ、その責任感に裏付けされた叱責は苛烈を極め、かつ、その発言は至当であり反論の余地もない。

 叱責、譴責、大喝、訓戒、ありとあらゆる口撃を公衆の面前で三十前のいい大人が一身に受け肩をすぼめている。


 ようやく責め苦から解放されたひさしは、抜け殻のように生気を失いよろよろとホームのベンチに向かった。


 人もまばらな昼下がりの駅のホームに、ぐったりとベンチにもたれかかる青年がいる。青年の肩の上には、二人の守護霊が力なく首を垂れて、背中合わせにしょんぼりとしゃがんでいる。


 そのベンチの傍らで地縛霊の夕子が心配そうな面持ちを浮かべ、二人の守護霊にかける言葉を探したものの、言葉は見つからなかった。


 夕子の考える守護霊とは、もっと遠くというか高い位置にある存在で、人々を包み込むように見守り、事が起きれば、説明のつかない奇跡を起こすという天使のような高位な存在をイメージしていたのだが、今、夕子が見下ろしている守護霊それは、人形のように小さく、うな垂れているその姿からは、守護霊としての威容は微塵も感じられない。むしろ憐憫の情を誘われるほどだ。

 これは、あまりにも夕子の考える守護霊のイメージと乖離していた。


 突然、ひさしの腹から『ぐぅ~』と音が鳴った。あんなにも叱られたばかりなのに、よく腹が減るものだと夕子は呆れかえる。

 腹の虫に操られているかのように、ひさしはベンチに沈むようにもたれかかっていた身体をゆっくりと起こした。

 それに呼応するかのように、小さくうずくまっていた穂香ほのかもむくっと顔を上げる。


「お腹空いたな・・・・・・」

 ボソッと呟いたその声の主に、夕子は驚愕し目を丸くする。

 

 穂香ほのかだった。――空腹を訴えた声の主は、食事を必要とするはずのない穂香ほのかだったのだ。

 おばあちゃんも目を見張っている。驚きを隠せないようだ。


「ほ、穂香ほのかあなた――お腹空いたって・・・・・・。なぜ、どういう・・・・・・」

 穂香ほのかの呟きが、生理的欲求による無意識によるものであることを一瞬で理解した夕子は、驚きのあまり言葉をうまく紡ぎ出せない。


「うーん。なんでって聞かれてもねぇ。――お腹が空くのに理由わけある?」

 意味が分からんと言いたげに夕子を見返す。

 

「いや、そういうことじゃなくて、肉体を持たないあなたが、どうして食事を欲するのかということよ。今までお腹が空くことなんてなかったでしょ? それとも守護霊ってご飯食べるの?」


「そーいや、そうだね。――どうなの?」

 二人の眼がおばあちゃんに向けられる。


「そうね。確かに不思議ねぇ。お嬢さんたち、いいかしら? そもそも私たちは幽体なのだから、肉体から起因する三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲から解放されているはずなのよ」


「えっ⁈ そうなの? この子、夕子っていうんだけど、夕子って性欲の塊みたいな女だよ。夕子がなにかしゃべると、全部えちえちな言葉に聞こえちゃうんだから。きっと、いつもエロイこと考え――グエッ!!」

 夕子が、穂香ほのかの太ももをぺしっと指で弾いた。白魚のように透き通る細い指が、穂香ほのかの太ももにめり込む。


 白魚のような指とはいえ、人形サイズになった穂香ほのかにとっては、太ももを丸太でぶっ叩かれたようなものである。――穂香ほのかは、さながらローキックでKOされたキックボクサーのように、その場に崩れ太ももを押さえて悶絶している。


「ったく、余計なことを言うな。あなただって煩悩の塊のくせに。――それに何? えちえちって? そういう言葉はすぐに覚えるのね」

 下等な生き物を見るような眼で穂香ほのかを見下ろす。


「よく分からないけど、この子の身体に取りいたのが関係しているのかしらねえ」

 おばあちゃんは、ひさしを見上げてから、ふぅふぅと苦悶の息を漏らす穂香ほのかに心配そうに視線を移す。


「そうですね。彼の身体に取りくことで、彼となんらかのリンクが繋がった可能性があります。まるで、電波の周波数が重なるように」

 つまり、空腹を覚えたのは穂香ほのかではないということか。肉体がリンクするということは、彼の思考ともリンクするのだろうか。夕子はシャープなあごに指を添えて考える。

  

「さて、なに食おうかな」

 ひさしが、大きく伸びをして首を回しながらベンチから立ち上がった。駅を出て食事に向かうようだ。


 ひさしの動きから、穂香ほのかとの別離を予見した夕子の顔色が、みるみる不安に彩られてゆく。

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東〇東上線のJK地縛霊 Cockatiels @paruhaku

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