栗きんとん と 秋の恋
鈴ノ木 鈴ノ子
くりきんとん と あきのこい
夏の名残りのような入道雲が、青い空にふわりと浮かんでいた。仄かな暑さとひんやりとした雰囲気を持った秋風が私の耳元を緩やかに過ぎて行った。
眼前には石組でできた棚田が山の半分近くまで連なり、実りの秋に相応しい黄金色の稲穂の頭を幼児の撫でるように秋風神が揺らしてゆく。
揺れる様はまるで、夏を耐えて実りを結んだことを誉めているようだ。
休日の朝だったが、どうしてか、私はいつもの時間に車の運転席へと座った。それは習慣づけられた癖でもあったかもしれない。エンジンをかけていつもの通りに音楽をかけながら、車を駐車場から道へと走らせた。
仕事場へは行かず、普段は走ることのない山間の道を宛もなく彷徨うように車を走らせる。市街地の大通りに面した店舗のウインドウには、秋物の衣服をきたマネキンが季節を告げているが、山では飾られた秋ではない本当の季節が秋を体現して私へと魅せていた。
買ったはいいが、市街地の道しか走る事を知らなかった四輪駆動のSUVは、微睡みから寝覚めたようで、少し高めのエンジン音を響かせながら急勾配の道を登って行く。室内のエアコンの風が徐々に風量を抑え始めて、車自体から窓を開けたらどうですか?と誘われているかのようであったので、その誘いに乗ってカーステレオを切り窓を開ける。
その途端、秋が満ちた。
エアコンの風しか知らなかった車内に季節が流れる。こんな清々しい気分を感じたのは久しぶりだった。不慣れな山間の道に固くなっていた私の身体が少し解れる。
看板で道の駅を見かけたので、小休憩を取るために車を止めた。トイレを済ませて、地元の野菜を売る産直市場を覗けば、堂々と秋を体現する栗が並んでいた。硬い鬼皮に程よい大きさと艶のある栗色をしたその姿は、網袋に入れられて、どうだ! と言わんばかりの姿で並んでいた。
その奥に和菓子売り場を見つけて、甘党の私はそちらへと誘われる。
栗があるということは、アレもあるはずだ。
秋の和菓子、栗きんとん。
毎年、毎年、欠かさずに食べる和菓子。これぞ秋の味覚の醍醐味だと私は思っている。
自宅用と食べるように数個買ったところで、ふと同じように隣のレジで栗きんとんを購入している女性と振り向きざまに互いに目が合った。
「あれ?松沢主任?」
「あ・・・。玄くん」
黒の上下のライダースーツを着た職場の上司がそこに居た。
「おつかれさまです」
思わず定文通りの挨拶をしてしまった。それほどインパクトのある姿で合ったのだ。彼女はシンプルなスーツを着こなし、寡黙でお淑やか、怒るところすら見た事がない、指導も的確、営業1課のエースで、優秀な社員を絵にかいたような人物だ。かたや私は、入社して数年経つが補欠に等しい存在だ。ここぞと言うところで成績を出すので、先輩方からはピンチヒッターと呼ばれている。
そんな1課のエースが、ライダースーツに片手にタバコを持って、栗きんとんを買っている。まぁ、休日に何をしようが勝手であるけれど。
「では、お先に失礼します」
悪いことをした訳でもないのに、私は脱兎の如くその場から逃げ出すと、一目散に車に駆け込んで駐車場を後にした。
なんで逃げ出したか、あの時の松沢主任の目は、見られたことを恥ずかしいという目では無く、殺してやると言いたげな視線であったのだ。彼女にはきっと誰にも見られたくない姿だったのだろう。
だが、山間の道とは往々にして一本道である。すぐに猛スピードで一台の大型バイクが後ろへと迫ってきた。そしてあっという間に追い越していった。人違いであることにホッとして再び窓を開けて季節を楽しもうとしたのも束の間、久しぶりに出会った赤信号で停車したとき、そのバイクに跨ったライダーが右へ曲がる道を指さした。ご丁寧に路側帯へと寄った彼女は、私が曲がるのを決断してウインカーを出すまでの間、その場で反射するバイザー越しに見ていた。
結果として道を右折し、暫くして棚田の風景の見える駐車場に誘導されて頭出しに戻る。
この素晴らしい景色に、普段はとてもお目にかかれないような素晴らしい表情をした松沢主任がいる。ああ、頭出しは現実逃避だ。
「なんでいるの」
素敵な低い声色だ。もう、普段を想像できぬほどである。
「栗きんとんを買いに」
名作の題名を少し弄って答える。いや、実際問題、怖すぎて思考が回らなかったのだ。
「ふぅん」
ああ、なんと素敵なご回答でしょう。ここだけ秋が通り過ぎて、足速な厳冬がやってきている気がする。
「好きなの?栗きんとん?」
「甘党ですからね、食べますよ」
「じゃぁさ、これで一つ黙っておいてほしいな」
そう言って先ほどのレジ袋を差し出された。多分中身はあの栗きんとんだろう。
「黙るも何も、私は何も見てませんよ」
サラリーマンの鉄則である模範解答を告げると、彼女の冬の気配はさらに強まった気がした。
「へぇ、黙ってくれないんだ。明日、噂にする気なんだ」
じとっとした目でこちらを睨んでくる。
「あの、私の噂と貴女の普段、どちらが信じられますか?」
「人は噂ずきよね」
「信用ある人が言えばですがね」
「信用ある人よね、ピンチヒッターくん」
そんな雪女のようなきつい視線で見ないでほしい。確かにピンチヒッターを何度かこなすと、アイツならと信用も得ているのも確かだ。
「でも、松沢主任の方が信用あるじゃないですか」
「敵も多いの知ってるでしょ」
「ああ・・・」
優秀な社員というのは、同僚からやっかみを受ける。それをあしらう事ができる彼女は立派だが、確かに今日の姿が知られれば、何かしらの攻撃材料にはなるのだろう。
「言いませんよ」
「何に誓う?」
「そうですねぇ・・・。私も知られたくない過去を作ればいい訳ですかねぇ」
「たとえば、どんな?」
相対するように振り向き、松沢主任、もとい松沢加奈子をしっかりと見つめた。ショートカットの少し明るい色の黒髪に透き通るような肌、そして目鼻整った美しい顔立ち。スタイルもよく、私から見れば美人の部類に入る。
「貴女が好きです、付き合ってください」
高校生ドラマのように大声を上げて告白をする。実際に気になっていて好きかと言われれば、その通りだ。仕事を何回かこなしている内に異性として気になってはいたのも確かである。まぁ、彼女にその気はないだろうし、こんなひどい告白もないだろう。美人の彼女が泣き顔でこんなことを同僚に話せば、仮にもし、今日のことを私が言ったとしても消え去ってしまうはずであった。
「は・・・はい。よろしくお願いします・・・。」
目の前の雪女は肩に止まったアキアカネと同じくらいに顔を真っ赤に染めてそう答えた。
どうやら、食欲の秋は、アキアカネと同じように恋の秋へと姿を変えて、私はこんな素敵な女性と人生を共にすることになったのである。
そして、毎年、この場へ来ては、2人で 栗きんとん を食べて過ごす。
過去を懐かしむように、そして、愛を確かめるように。
栗きんとん と 秋の恋 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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