龍神様と雨の巫女

 私にとって砂漠渡りは憂鬱な仕事でしかなかった。つらい、しんどい。命の危険もある。年上の男ばかりに混ざって二週間も砂漠を進み続けるのだ。苦行でしかなかった。しかし、姫と出会った日から私は砂漠渡りを心待ちにするようになった。姫ともしかしたらもう一度会えるのではないか。そんな淡い期待を抱くようになったのだ。


 積極的に準備に参加するようになった私に父はなにも言わなかった。私が心の中でなにを考えているのか分かっているだろうに、姫が生きているはずもない。とも、きっと生きているはずだ。とも。どちらも決して口にしなかった。

 父もどこかで期待していたのだ。姫が生きている可能性に。しかし父は私よりも長く生きていたから知っていた。そんなことはあり得ないと。


 次の年、たどり着いた聖域に姫はいなかった。本当はいけないことだが、姫が生きていた痕跡がどこかにないかと聖域の中を少しばかり歩いてみた。けれどあるのは見たことがない植物に果実に動き回る動物たちだけで、姫の姿はどこにもなかった。

 それでも次の年も、その次の年も私は砂漠を渡って聖域に足を運んだ。あれだけ龍神様に貴方を敬いますからと言ったのに、結局私は姫を探すために砂漠を渡る。こんな不敬な人間だから龍神様は願いを聞き届けてはくださらなかったのかと自嘲した。それでも諦め悪く、私は砂漠を渡り続けた。


 姫と別れて10年。私の背丈が伸び、少女から女性へ、そして母になった。その頃になると私の国はなにかと物騒になり、あちらこちらから戦争の噂が聞こえるようになった。

 なんでも龍神様が空を泳ぐ頻度や場所が以前と変わったらしく、私の暮らす国は前よりも豊かに、他の国は水不足にあえぐようになったのだという。同じように貢ぎ物を捧げているのになぜだと行商人に難癖をつけられたが私が知るはずもない。ちらりと姫の姿が脳裏に浮かんだが確証は持てない。一度もあったことがない神の気持ちなど人間に推し量るのは不可能だ。


 一度不満が爆発すると後はあっという間だった。隣国がなけなしの人手を集めてこちら側に攻めてくる。その知らせが国中を走ったとき私を含めた皆が焦り混乱した。逃げようにも周囲は砂ばかり。子供や大人が長時間砂漠をさまよえるはずもなく、準備もまるで出来ていない。

 国は応戦しようと人手を集めたが、向こうは生死がかかっているためなりふり構わない状況だ。戦い慣れていない自国が耐えられるとはとても思えなかった。


 まだ生まれたばかりの我が子を抱きかかえながら罰がくだったのだと思った。あんなにも優しくて美しい姫を見殺しにしてしまったのだ。人を貢ぎ物として献上された龍神様もきっとお怒りになったのだろう。だから空を泳ぐ場所を変え、国を滅ぼそうとお考えになったのだ。


 敵がきた!

 そんな叫び声が外から聞こえ、私は我が子をぎゅっと抱きしめた。せめてこの子だけはとお嬢際の悪いことを思う。外から人の怒鳴り声、なにかが壊れる音。剣のぶつかる男が聞こえ始め、それがどんどん近づいてくる。


 私もこの国も終わりだ。そう思った時、突然聞いたこともない音が響いた。天から降ってくるような大きな音。最初はなんだか分からなかったが、よくよく聞けば獣のうなり声のようにも聞こえる。

 私は思わず窓に駆け寄った。危ないという気持ちが消え失せていた。窓から外を見れば私と同じように家の中で震えていた人たちは窓に近づいており、外で戦っていた兵士たちはぽかんと口をあけて天を見上げていた。空に視線をむけた私の目に飛び込んできたのは日光を浴びて輝く鱗。立派な角におおきな口。


「龍神様……」


 誰かがぽつりと口にした言葉が広がって大きくなる。自国の兵も他国の兵もみな恐れおののいて座り込み、中には両手を合わせて拝むものもいた。

 龍神様はいつも空の上。ずいぶん頭上から雨を降らせていたが、今回は屋根ほどの高さに大きな体を横たわらせている。


「皆様、落ち着いてください! 戦う必要などありません!」


 女性の声があたりに響く。私は思わず窓から身を乗り出した。抱きかかえた我が子が龍神様に向かって手を伸ばす。きゃあきゃあとはしゃいだ声をあげる我が子はまるで怯えた様子がなかった。

 龍神様の上に女性がのっていた。白い髪に白い肌。何度も何度も脳裏に浮かべた姿。別れてから十年近くたったのにあの時と変わらぬ、一層美しい姿で姫がそこにいた。


「心配なさらないでください。雨は平等に降ります。お約束します。この国にも他の国にも平等に! 争う必要などないのです」


 優しい笑顔を浮かべて語る姫はなによりも美しかった。さきほどまで殺し合っていた人々が同じように呆けた顔で姫と龍神様を見上げている。窓から事態を見ていた国民が両手を合わせて「ありがたや」と祈りだした。それにつられるように皆が手を合わせる。

 その姿を見て姫は微笑む。今までの不安がすべて消えてしまうような優しい笑みに私はなぜだか涙があふれた。


「姫!」


 叫ぶと驚いた顔で姫がこちらを見た。私に気づくと一層目を見開き、私が抱えた赤子を見ると嬉しそうに顔をほころばせる。


「姫! 幸せですか!」


 泣きながら叫んだ。姫からしたら意味が分からない問いだ。それでも姫は笑ってくれる。あの一週間で何度もみた笑顔。そのどれよりも幸せそうな笑顔で。


「はい。貴方のおかげで私は幸せです」


 その言葉を待っていたかのように龍神様が動き出す。天へと昇っていくと一声鳴いた。その鳴き声に答えるように雨雲がどこからともなく現れて空一面を黒く染める。急に降り出した雨に自国民も他国民も歓声をあげた。

 そのまま龍神様は旋回すると南の方へと向かっていく。我が国へと攻めてきた隣国がある方角だった。


 その年、私は親戚に我が子を預けて砂漠渡りに参加した。子供を産んだばかりだから休めと周囲に止められたが私はどうしても聖域に行きたかった。今年こそはあの場で姫にあえるような気がした。


 私の予想は見事的中し、聖域につくと姫が穏やかな笑顔で迎え入れてくれた。その隣には遠目でしかみたことのない龍神様の巨体が寝そべっていた。龍神様は私たちをチラリと見ると我関せずといった様子でそっぽを向いた。そんな姿をみて姫はクスクスと声をもらして笑った。


「ごめんなさい。あの方に悪気はなかったのです。ただ私の故郷だからと変に気を回してしまったみたいで」


 そう困った顔をする姫の隣で龍神様はすねたように尾を動かした。全くこちらを見ようとしないのは人間風情に興味がないのではなくふてくされたのかもしれない。


 話を聞いてみればなんとも間抜けな真相に私は苦笑いを浮かべた。神のちょっとした気まぐれで私たち人間はずいぶん振り回されたようだ。けれど目の前で穏やかに笑う姫をみたらそれも悪くないなと思った。


「姫が幸せそうで本当に良かった」


 私が涙ぐみながらそういえば姫は嬉しそうに笑う。仕方ないと諦めたあの時とは違う、幸せで満たされた笑顔に私はただ胸がいっぱいある。

 姫の隣に寄り添う龍神様が当然だというようにフンッと鼻を鳴らした。

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砂漠渡りと長月 黒月水羽 @kurotuki012

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