別れ

 姫を連れての旅は思ったよりも順調だった。城から出たことのない箱入りということだったのでどうなるかと思ったが姫は文句一ついわなかった。むしろお尻が痛くとも喉が渇いても我慢するのでそちらの方が気になった。

 私が出会ったことのある貴族はみんな偉そうだったので姫の態度には好感がもてた。同時に不思議でもあった。他の貴族は庶民である私たちのことは召使いかなにかだと思っている。しかし姫は私たちを対等に。むしろ自分の方が下のような態度を見せることが多かった。


 それに意外と好奇心旺盛。

 大人しく無口な姫であったが目は雄弁で空を飛ぶ鳥を見ては目を輝かせ、地を這う動物を見ては目を輝かせ。毒蛇なんかにも興味をもって近づいてしまうのは焦ったが私が危険だと説明すれば素直に聞いてくれた。私が話すことに神妙に頷く姫をみていると一国の姫を相手にしているというよりは妹の面倒をみているような気持ちになる。最初は遠慮がちだった他の仲間たちもだんだん姫に心を開いて、まるで妹や娘のように可愛がるようになるのは時間がかからなかった。


 一日目は緊張しきりだった姫も、二日目、三日目と時間がたてば笑顔を見せてくれるようになり話をしてくれるようになった。姫はとにかく人の話を聞きたがった。普段は嫁や娘に煙たがられている男たちは楽しげに話を聞いてくれる姫が可愛らしくて仕方ないようで休憩になると我先にと自分の武勇伝を語った。明らかに盛りすぎた嘘だと分かる話であっても姫は疑うことなく信じた。


 四日目の夜。私は姫に城での生活はどうだったのかと聞いた。姫は表情を固くして天を見上げた。

 満点の星空だ。足下でパチパチと火が燃えていて、他にはなんの音もしない。他の仲間はみな眠っている。姫は三日のうちにすっかり仲間からの信用を得て、火の番すら任されるようになっていた。手伝いをしたがる姫様への配慮であり、男ばかりの中に放り込まれた姫様が唯一の同性である私と気兼ねなく話せるようにという配慮でもあった。


「私、夜空がこんなに広いなんてしりませんでした」


 ずいぶん間を開けてから姫がぽつりとつぶやいた。夜空を見上げる姫の表情は本当に幸福そうで、ただ空を見上げているだけとは思えず私は眉を寄せた。


「ここに来るまで私は自室から出たことがありませんでした」


 夜空から目を離し、私をみた姫は悲しそうに微笑んだ。空を見て、大地を見て、いちいちはしゃいで目を輝かせた姫はそこにはいなかった。だだすべてを諦めた悲しい少女がそこにいて、私は心臓が握りつぶされるような感覚を覚えた。


「私の母親は宴に招かれた踊り子だったそうです。先代の王が私の母を気に入って、私が生まれました」


 姫はさらりと口にしたがそこにはもっと複雑な事情が含まれていた。

 先代の王は好色だった。妃もいたし王子も姫もすでに何人もいたが、それでも気に入った女性に手をだすことをやめなかった。姫の母親は運悪く王に気に入られてしまった一人だったのだ。


「母は私が生まれてすぐに気を病んで死んでしまったと聞きました。父は私には興味がなかったようで一度もあったことがありません。数年前に父が他界したと私の異母兄に当たる方に聞きましたがまるで実感がわきませんでした」


 パチパチとはぜる火をみながら姫はか細い声で続けた。私はなにをいっていいか分からずただ黙って聞いていた。


「異母兄は私のことが気に食わなかったようです。私は今までと同じようにこの部屋の中で十分といったのですが、自分の城にお前のような奴がいるだけでも不快だといわれてしまい、気づけば龍神様の貢ぎ物になっていました」


 困った顔で笑う姫に私はなにかを言おうとしたがやはり言葉が出てこなかった。黙り込んで口を引き結び下を向く。ぎゅっと膝の上で握りしめた手が力の入れすぎて白くなっていた。


「あの部屋から生まれて初めて出たときは怖くて、知らないものがいっぱいで戸惑ったのですが、みなさんとても私に優しくしてくれました。皆さんにとって私は足手まといでしかなかったのに」

「そんなことない!」


 思わず顔をあげて姫の手をとった。数日、日光の下にいたために多少やけた姫の肌はそれでも私よりも白い。なんの苦労もしらないような細く白い手。それなのに姫には生まれた時から重苦しいものが取り憑いている。

 泣きだしそうになるのをこらえていると姫があやすように私の頭をなでた。いい子、いい子と柔らかな手が私の頭を撫でてくれる。かつて姫をこうしてあやしてくれた人はいたのだろうか。それを考えたら余計に涙が出そうになって必死に奥歯を噛みしめた。


「私は感謝しています。あの部屋で一生を終えてもかまわないなんて、とても勿体ない事でした。こんなに外は広くて美しいものがたくさんある。それを教えてくれてありがとうございます」


 姫はそういうと私の手を握りしめ、額をくっつけた。すぐ目の前に姫の顔がある。まつげまで白い姫を見て、まるで別の生き物のようだと思った。白く整った顔立ちは私が今までみたどんな人間よりも美しい。だからこそなんで。そう思った。なぜこうも美しく優しい姫がつらい目にあわなければいけないのか。


「……逃げて。きっとみんなも協力してくれる。貢ぎ物がどうなったかなんて誰もわからない。逃げたって誰も気づかない」

「……国を歩いてあなた方とたくさんお話をして気づきました。私の容姿はこのあたりでは目立ちすぎる。違う国に行ったとしてもすぐに分かります。異母兄に気づかれたら罰を受けるのはあなた方です。私は私に喜びを与えてくれた恩人を不幸にすることなんてできません」


 柔らかに姫は笑う。天で輝く星々よりもまあるく光る月よりも美しくてはかなくて、遠い笑顔。


「貢ぎ物がどうなったかなんて誰も分からない。だから、もしかしたら、龍神様が助けてくださるかもしれない」


 だから、大丈夫。そう姫は小さな声でささやくと私を抱きしめた。私よりもずいぶん細くて小さな体に今度は涙がこらえきれなかった。


 姫に逃げてなんていったけど、逃げたところで姫に行き場がないことなんて知っていた。なにも知らない姫が一人で生きられないことも分かっていた。私は姫のために家族も国も捨てて追われる身になるほどの覚悟も度胸もなかった。全部私の我が儘だった。ただ幸せに生きて欲しい。そう願うだけでなにかをしてあげるつもりはない。希望だけはちらつかせて突き放す。とても弱くて傲慢な自分にとことん嫌気がさした。

 こうして姫を抱きしめて泣いているのだって本当は自分のためだ。無力な私が癇癪を起こして泣いているだけなのだ。それに姫は気づいていてもこうして抱きしめて私の背を優しく撫でてくれる。


 ああ、神様、龍神様。どうか姫を救ってください。

 正直に申し上げれば私はあなたが好きではありませんでした。毎年、毎年、なんでこんなつらい思いをして砂漠を渡らねばならないのか。雨を恵んでくれるといってもあなたはただ気まぐれに空を泳いでいるだけで、その下に暮らす私たちのことなど少しも興味がないというのに。本当に受け取って貰えているかもわからない捧げ物を運び続けなければならないのか。そう私は思っておりました。

 今までの自分を反省します。心の底から謝罪します。これから一生、あなた様を敬い、貢ぎ物を届け続けます。ですからどうか、姫を救ってください。


 そう心の中で祈り続けることしか、私にはできなかった。


***


 着かなければいいと思っても歩けば歩くだけ進んでしまうもので、国を出て一週間後、予定通りに聖域にたどり着いた。


 砂漠の真ん中とは思えないほど緑豊かな聖域は年に一度しか見られないこともあり私の心を多少は癒やしてくれていたのだが、今年はその景色に魅入る気持ちにもならない。それどころか水と果物さえあれば姫でも生き延びられるのではないかと不敬なことを思ってしまう。


 ついて早々荷物を下ろす。いつもであれば手早いそれは今年は妙に遅い。私以外の仲間たちも表情は暗く、初めてみたであろう湖や生い茂る木々を見つめる姫をチラチラと盗み見ている。

 姫は私たちの憂いにはまったく気づいていないらしく湖の中を泳ぐ魚や砂漠では見かけない小動物に目を輝かせていた。木々のおかげか砂漠よりも日差しが和らいでみえる聖域では姫の白すぎる髪や肌も際だって私はつい目を細めた。砂漠の中では熱気のせいで痛々しくすら見えた姿が聖域の中では溶け込んで見える。聖域が姫を受け入れてくれたのでは。そんな淡い期待を抱いた。


「姫、私たちはこれで失礼します」


 どんなにゆっくり作業しようと積み荷にも限りがある。すべての積み荷を降ろし終えた父は固い表情で姫に告げた。

 湖を眺めていた姫は顔をあげると柔らかく微笑んだ。お世話になりました。と穏やかに話す姫を見て私は胸が痛くなる。仲間たちも同じ。目尻に涙が浮かんでいるものもいた。それでも誰もなにも言わず、泣きもしなかった。泣く資格などないのだと誰もがわかっていた。


「本当にありがとうございます。実は同世代の女の子とお話したのあなたが初めてなんです」

 姫はそういって最後に私の手をとった。


「皆さんのおかげでとても楽しい旅でした。帰り道も気をつけて帰ってください」


 そしてあっさりと私の手を離すと他の仲間たちに笑顔を見せた。

 姫は帰ることが出来ないというのに。不安がないわけではないだろうに。まるでなにも感じていないかのような顔で姫は笑う。

 初めて広場に連れてこられた時の震える姿はそこにはなかった。きっと一週間の旅路で姫は覚悟を決めたのだ。覚悟を決められなかったのは私の方だった。


「龍神様によろしくお伝えください」


 父はそういうと私の手を引いて歩き出した。抵抗しようとしたがすぐに止めた。抵抗したところでなんになるだろう。最後にと振り返って姫を見れば姫は私に手を振っている。

 明日も会えると勘違いしそうなほどにいつも通りの笑顔だった。たった一週間しか一緒にいなかったのに、頭に焼き付いてしまった笑顔だった。


 私は姫から目をそらして前を見た。下を見れば砂ばかり。生まれた時からずっと見ていた砂の山。そこにぽとり、ぽとりと水がしみこんだ。頬を涙が伝う。それでも私は足を止めなかった。


 心の中で祈る。姫と語らったあの夜と同じように。

 龍神様。どうかお願いします。姫を救ってください。来年も再来年も、私が死ぬ間でずっとお慕い申し上げますから、どうか姫を救ってください。


 泣きながらどんなに祈っても、私の涙は砂漠に吸い込まれてあっという間に乾いて消えて、恵みの雨なんかには到底及ばなかった。

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