砂漠渡りと長月
黒月水羽
積み荷
渡された帳簿を確認してこれで最後だと私は息をついた。確認が終わった積み荷は次々と荷車に積まれていき木箱や樽が所狭しと積み上がっていた広場もいつもの姿に戻りつつある。
最後の積み荷が荷車にのせられたのを見て広場を見回す。出発前の確認は数年前から私の仕事。砂漠渡りに必要な食料や水の確認を念入りに行ってから問題ないと息をつく。
ふと顔をあげると広場の隅にひっそりとたたずむ少女が目についた。
私のような庶民には手の届かない上質な衣。日光を避けるためにまとった衣の隙間から私とは似ても似つかない真っ白い肌、透けるような白銀の髪がこぼれ落ちる。
この国の人間が持たない色は美しくもすぐさま消えてしまいそうなほどはかない。
私は閉じていた帳簿を再び開く。龍神様への捧げ物。酒や美しい反物、砂糖や塩といった調味料、私には価値のいまいち分からない美術品の数々。その中に一つだけ人の名前が入っている。
庶民の私でも聞いたことがある名前。我が国の姫様である。
私は生まれたときから砂ばかりを見て育った。砂漠の真ん中に位置するこの国ではとにかく水は貴重。国民はみな雨を待ち望む。それでも私たちが干からびずに今日を生きていられるのは砂漠を渡った先に住まう龍神様がいらっしゃるからだ。
この龍神様というのは水を司る神様で、この国から一週間ほどあるいた場所に暮らしている。そこは砂漠の真ん中とは思えないほど緑豊かで水も果物も豊富なこの世の楽園。
龍神様がいつからそこに暮らしているかは誰も知らない。ずっとずっと昔だろうと祖母はいっていた。おそらくは私たちが水を求め、龍神様の近くに移り住んだのだろうと聞いて幼いながらに納得したものだ。
龍神様の姿を間近で見たことはない。時たま晴れているのに頭上に影がさし、空を見上げるとそれはもう美しい龍が泳いでいるのを見かける事がある。キラリと輝く鱗に見とれていると天が曇りぽつり、ぽつりと雨が降る。それに人々は歓声をあげ、ありがたや。と空を仰ぐ龍神様に感謝する。
そうして私たちは生かされている。
龍神様がなにを思って天を泳ぐのかは誰も知らない。誰も龍神様と直接話したことはないからだ。話せるのかも分からない。砂漠渡りである私の一族は毎年龍神様が暮らす聖域に訪れているが龍神様の姿を見かけたことは一度もない。
それでも毎年捧げた貢ぎ物は綺麗さっぱりなくなっているから受け取ってはくれているのだろう。そう信じて私たちは毎年貢ぎ物を運んだ。
けれど、人が貢ぎ物に選ばれたのは初めての事だった。私よりも長生きな父も、祖母も初めてだ。そう表情を曇らせていた。なにかの冗談かとも思ったが国を出発する今日、他の貢ぎ物と一緒に姫は広場に現れた。最初はともにいた護衛らしき人はさっさと帰ってしまい、本当に国の姫なのかと疑いそうになるほど無謀に、姫はぽつんと広場に取り残された。
その扱いから姫が厄介払いとして貢ぎ物にされたのは嫌でも分かってしまった。
居心地悪そうに周囲を見渡す姫に近づく。ぎゅっと胸の前で握られた両手は震えていて、白い肌や髪もあわせてたやすく折れてしまいそうなほど弱々しく見えた。
姫に手を差し出す。国の偉い人と話したことはないので正しい挨拶の仕方は分からない。だから振り払われるかもしれないと不安に思いながら、ゆっくりと姫に手のひらを指しだした。
姫の真っ白な手に比べて浅黒い手。太陽に焼かれた手。同い年ぐらいの同性だというのにまるで違う色合いに私は少し怖くなった。私みたいな庶民が話しかけていいのだろうか。そんな不安にさいなまれつつもとにかく笑顔を作って話しかける。
「これから一週間、姫様のお世話をさせて頂く事になりました。よろしくお願いします」
私の顔、差し出された手をまじまじと見つめて姫はしばし固まっていた。それからおずおずと小動物のように震えながら私の手の上に真っ白な手をのせる。紙やペン以外もったことのないような柔らかで細い手だった。
「よろしくお願いします」
初めてしゃべったかのようなか細い声。緊張が隠しきれない固い表情。体はこわばって震えていた。それでもなんとか笑おうとしていた。自分がどういう立場で、私がどんな存在か知っているのに。
毎年、私たちは聖域に貢ぎ物をおいて帰る。次の年に向かえば貢ぎ物はなくなっているから龍神様が受け取ってくれたのだ。そう私たちは思うようにしている。けれど、本当に龍神様が受け取ったのかは誰も分からない。
お酒が飲まれているのかも、美術品が飾られているのかも。もしかしたら捨てられ、壊されていたとしても私たちはなにも分からない。
ましてや人間のお姫様がどんな扱いを受けるのかなんて、ただの運び人でしかない私たちが知るよしもないのだ。
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