探偵討議部へようこそ

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第1話 ハシモトくん、大学に入学する

桜並木の中を、僕、箸本忠信は歩いている。穏やかな春の光。長袖のシャツにジーパンとスニーカー、薄手の春のジャンパーを着た僕には、まだすこし風は冷たい。


桜並木の向こう側には、川が流れている。広い河原には、ジョギングをしている人、赤ちゃんを連れている人、ベンチに腰掛けてただ川の流れと桜を交互に見上げる人、、。春の時間はゆっくりと流れる。僕は川を後にして、山手、この度入学を決めた大学のほうに向かって歩き続ける。桜並木は続いている。


K大学のキャンパス周辺には、僕と同じく大学入学を決めたものの、住居を決めたかどうかはまだあやしいひよこのような新入生たちが、それでも目にはそれぞれの希望の光を湛えて歩いている。


これから4年間、僕はこの大学でどのような物語を紡いでいくのだろうか。恋もするのだろうか。そして、生涯かけてやりたい、と思えるような「何か」は見つかるのだろうか。


思えばこれまで、まるで「大学に入ることが人生のゴール」であるかのように勉強に時間を捧げてきた。かといって、その勉強だって、人に自慢するほどよくできたわけでもない。同じ試験をくぐり抜けた新入生たちを前にすると、僕には誇れるものなど、何もない。僕は何者でもない。「Nobody」だ。Nobodyの僕は、大学の正門をくぐる。


まだ春学期の講義は始まってもいないのだが、大学のキャンパスは多くの人でひしめき合っている。僕のように、これから通う大学をただ散策に来た、という風情で手持ち無沙汰な様子をみせている子もいる。まだ友達ができていない僕と違って、数人で連れ立っている新入生も多い。


まだ住居を決めていないのんびりした新入生のために、学生向けの住宅を提供する会社の人がパンフレットを配っている。若いスーツのお兄さんや、可愛いお姉さんがその他色々なパンフレットを配る。皆不自然なくらいの笑顔だ。運転免許をとりたい新入生のための自動車学校のブースもある。


しかし、何と言っても目立つのは「青田刈り」を狙ったサークルや部活動のブースだ。先輩方がそこここで新入生を呼び止めては、クラブの説明をしている。先輩方は、皆大きくて、大人にみえる。


だが、今の所、僕に声をかけてくれる先輩はいない。背が高いわけでもなく、体ががっちりしてるわけでもなく、どこから見てもスポーツマン体型ではないせいだろうか?ちらっと、「アニメ研究会」の立て看板が目に入り、コスプレをした先輩方が呼び込みをしている前まで行きかけたが、「アニメは研究するものではなく楽しむものだ」、と思いとどまった。


ぼんやりと立ち並ぶサークルのブースを少し離れたところから眺めていると、上下真っ赤なスーツをきた黒髪の女性の姿にふと目を奪われた。遠目にもわかるような美人が、人がひしめき合っているキャンパスの中を、まるで無人の野をいくように、迷いなく、滑るように歩いていく。


目立つはずの服装をしているにもかかわらず、その無理のない身のこなしのためか、周りの群衆もまるで彼女が通らなかったかのようにやり過ごしていく。呼び止めるものも、目で追うものさえもいない。まるで全員の死角を選んで歩いているかのようだ。少し、幻想的な光景だ。


その女の人の姿をもう少しみていたくて、引かれるように後をつけていく。声をかけようとか、そういう気持ちがあったわけではない。ただ、目が離せなかっただけだ。美しい黒髪の女性は、人混みの中を縫うように、よどみなく進む。僕は後をついていく。まるで探偵にでもなったような気分だ。


その女性の迷いなき歩みと隙のない身のこなしにも感嘆したが、自分自身の「ステルス性能」にも驚く。僕の歩みはあそこで人とぶつかりかけては避け、ここで目の前を通行人に塞がれる、といった不恰好なものではあったが、やはり誰にも声をかけられない。足止めされない。まるで僕などいないかのようだ。他の新入生は勧誘に捕まっているというのに。「影の薄さ、ここに極まれり」、という感じだ。


黒髪の女性は、キャンパスの大通りを曲がり、講義棟の間の少し人通りが少ない通りを突っ切ったあたりで、急に姿が見えなくなった。


「?!」慌てて周りを見回すと、そこはキャンパスの中でも一番奥まったところで、そこにはおそらくは部室などに使われていると思われる古い木造平屋の建物が見えた。その建物の前でもいくつかの文科系、と思われるクラブがブースを作り、勧誘活動をしている。その中に、いた。さきほどの赤い黒髪の女性よりももっと不思議な存在が、、。


その男の人は、まだ肌寒いというのにアロハシャツ、頭はリーゼントでバッチリと固め、グラサンを身につけ、右手にはなぜか拡声器を持っていた。その拡声器で、


「、、、であるからしてー!我が探偵討議部の活動においてはー!プロレタリアートの蜂起がーーー!!」


と、いまひとつ何言っているのかわからないアジ演説をぶっている。一瞬で、「やばい人だ」とわかる。


「やばい人だ」とわかるのは僕だけではないらしく、人ひしめき合うキャンパスの中でその人(おそらく先輩であろう、「リーゼント先輩」と心の中で名付ける)の周りだけが、見事に半径5−6メートルの円状に人がいない、という状態。まさに白昼の孤独である。リーゼント先輩はめげる様子を全く見せず、大音声の演説を続ける。


僕は瞬時にさきほど芽生えた自らの能力、「ステルス」を発動した。あんな人と目があったらろくでもないことが起きることくらい、しってる。アニメとかで見たから。


ところが、顔を背けた僕の「ステルス」をアッサリと打ち破り、リーゼント先輩はまっすぐに僕の方をみると、ツカツカと歩み寄ってきた。やばい。目をつけられた。逃げなければ、、。と身を翻す僕の後ろから、拡声器で、「そこの君——!探偵に興味はないかーー!」と呼びかけてくる。周囲の視線が一斉に僕に集まるのがわかる。100デシベルを超える音量でのご指名に、僕は逃げるタイミングを失ってしまった。


(ダレカタスケテ、、。)


僕の心の叫びは、周りの誰にも届かなかったらしい。観念して振り返ると、「ぼ、僕のことでしょうか??」と今や目の前に迫った「リーゼント先輩」に話しかけた。


「君以外に、誰がいるんや?探偵に興味あるかーー!」


と拡声器のまま話すリーゼント先輩。たまらず耳を押さえる。


「聞こえてます。聞こえてますって。だから拡声器は勘弁してください。」


「そうか。すまんかったな。」


と意外と素直に謝った先輩は、リーゼントに、アロハシャツ、グラサンにジーパン、そして黒い革靴。どこからどうみてもK大学の学生にはみえない。


「探偵ですか?興味はありません。」


ここはきっぱりと断るべき、と本能が僕に告げている。


「そうか、それはまさに僥倖。探偵、いや、我々探偵討議部について知るいい機会や!」


と嬉しげに答えたリーゼント先輩は空気を読まないタイプの人なのだろうか?


「勘弁してください、約束があるもので、、。」


仕方なく、伝家の宝刀、「約束がある」を抜く。

その宝刀を、「よしきた!手短に済ませよう!」と華麗に躱したリーゼント先輩は何やらカバンから紙と朱肉を取り出した。


「指紋照合クイズや!探偵にとって、指紋照合とはイロハのイ!アーベーツエーのアー!アンデュートロアのアン!君も探偵になりたいなら、まず最初に通る道や!シンニュウセイ・タロウくん。」


フランス語だけ数詞になっているのだが、そこをつっこむとさらにややこしいことになるので、スルーする。


「探偵に興味ないって言ってるのに、、。それに、シンニュウセイ・タロウってなんですか?」


「君の名前や。まだ教えてもらってないからな。仮の名前で呼んでるわけや!」


「わけや!じゃないですよ。やめてください。恥ずかしい、、。僕にはハシモトという名前があります。」


「ハシモトは名前ではなく、苗字やろ。親からもらった名前はないのか?」

「ないわけないでしょ。タダノブです。」


「ぬな!ハシモト・タダノブとな。もしや君はかの有名な、、。」


「有名なわけないでしょ。僕は、ごく普通、何の取り柄もない、ごく普通の新大学生ですよ。」


「いや、その名はどこかで聞いたことあるぞ。どういう漢字をかくんや?ちょっとここに書いてみてくれ。」


「約束があるんですってば!ええと、『箸本忠信』、こうです。」


「す、すまん。」


「え?」


「人違いや。俺が知ってるのは、ハシモト・セイコとアサノ・タダノブやった。頭の中でごっちゃになっとった。しかも、ハシの字が箸は想定外や、、。」


にわかには信じがたいが、如実にしょぼくれた様子をみせるリーゼント先輩。なんだかこっちが申し訳なくなる。こちらはなんにも悪いことはしてないはずなのに、、。


「いやいや、人間違いは誰にでもあることですよ。」

と仕方なく慰めた。


「とんだ人違いをしてしまった俺やけど、指紋照合のデモンストレーションに付き合ってくれるか?」


明らかに肩を落とした様子で、しょんぼりとリーゼント先輩は言う。この人も悪い人、というわけではなさそうだ。ついつい同情した僕は、


「仕方ありませんね、乗りかかった船です、、。」


と了承した。


リーゼント先輩はとたんに「パアーッ」と明るい表情になって、


「それじゃ、この紙に朱肉で指紋をつけてくれ」


と先ほど僕が『箸本忠信』と書いた紙を差し出した。

その嬉しげな顔につい僕もいいことをしているような気持ちになり、名前の横に親指の指紋をつけた。


「なるほど!これがハシモトくんの指紋というわけだ!」


と当たり前のことに感心するリーゼント先輩。


「そりゃ、そうですよ。今押したんですから。」


「実はこの紙、先ほどから俺と君がベタベタさわっておる。つまり、我々二人の指紋がここについているわけや!この紙から指紋を検出し、二人の指紋のうち、君自身のものを当てることができたら!」


「できたら?」


「コーヒーをおごったるわ!」


それは少しだけ面白そうだ。だが、商品の缶コーヒーはリーゼント先輩のカバンから覗いているあれだろうか?それは少し嫌だ。ぬるいコーヒーは。


そんなことを考えながら指紋照合とやらを待っていると、リーゼント先輩ときたら、ぬるコーヒーの入ったカバンをゴソゴソ探りながら、明らかに困惑した表情を浮かべはじめたではないか。


「やや?ややや?」


「どうかしましたか?」


「面目無い。大変な事件がおきた!」


「事件ですか!?なにがあったんです?」


「指紋採取用のアルミニウムパウダーと間違えて!」


「間違えて!?」


「ねるねるねるねの2の粉を持ってきてしまった。すまぬ、、、。」


「食えないお方ですね、クエン酸だけに。次は間違えないでくださいね。」


無表情でそれだけを絞り出した僕は、面目無い、とうなだれるリーゼント先輩にそれ以上付き合うのが馬鹿らしくなった。


「すまぬ!面目無い!」


と詫びるリーゼント先輩であるが、どこまでが本気で、どこからネタなのかがわからない。


「いや、もういいですよ。用事があるので、失礼します。」


用事もないのにそんな返事をして去ろうとした僕に、リーゼント先輩は「君は漢だな。そんな漢は、缶コーヒーに値する。」と例のぬるい缶コーヒーをくれた。


それにしても赤いスーツの女性はどこに消えたのだろう?僕はもらった缶コーヒーをリュックに放り込むと、大学キャンパスを後にした。 (続く)

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